5-1 明石大橋のマザー
「でけえ……」
木陰に身を潜めた状態のままスバルの呟く声が聞こえる。全く同感であった。カナタ達は道なりに進んで明石大橋のたもとまで歩を進めていた。感染者の集団と遭遇する事もあったが、頻度は少なくむしろ安全にここまで来ている。
通常、コロニーを形成するマザーに近ければ近いほど配下の感染者の密度は増す。それは配下の感染者がマザーを中心にして取り囲むように、マザーと同じ方向に動こうとするからだ。
やはり、特殊なタイプなのかもしくはマザーまでは進化していないのかもしれない。などと話しながらここまで来て実際に見てみたセリフだ。
巨大な明石大橋は淡路島から本州の神戸にかかっている吊橋だ。海峡を渡っているその橋には柱となる部分が二本海から伸びている。その手前側、淡路島側の柱に同化するようにそれはいた。
進化が進むごとに変異して人型から離れていくのが感染者の常識ではあるが、目の前のマザーはその常識すら超えてきた。
「なによ、あれ……」
双眼鏡を回し見て、ハルカが絶句している。
そのマザーはまるで巨大なタコが人と植物と合成されたようにも見える姿をしている。橋の柱のちょうど道路の少し上くらいの所に顔らしきものは確認できるが、手や足のようなものはない。
代わりに数本の触手のようなものが空中で動いていたり、橋の各所に巻き付いていたりしている。色味が深い緑のように見えるため、タコの足と植物の中間のように見えるその触手は、たえず蠢いており、見ただけで嫌悪感がわいてくる。
「淡路側主塔」というらしい、橋を支えているはずの柱はその部分のほとんどは見えず触手のようなマザーに覆われてしまっている。
予想をはるかに超えてきた姿のマザーにさすがのゆずも軽口を言えないでいる。ただ、視界に入った瞬間へカートの入ったバッグを開けようとしたので、慌てて取り押さえる一場面はあったが……
カナタ達が以前交戦したマザーもだいぶ人とは変わった姿をしていたが、今目の前にいるマザーはもはや人型ですらない。さらに……
「カナタ君、あそこ……」
今はおとなしくカナタの隣で身を潜めているゆずがそう言って指さす方向にはマザーが巻き付いている淡路側主塔。しかしゆずが指すと事はもう少し下だ。
それを追っていったカナタの目が大きく見開かれた。
「なるほど、一番隊の隊長があれはマザーだと断言できるわけだ。どこまでマザーの事を知っていたのか分からないけど、ある程度知っていればあれはマザーとわかるだろうな」
冷や汗がカナタの頬を伝って落ちる。
ゆずが指す先、カナタが見つめる先はマザーが取り付いている淡路側主塔のさらに下。台なのか浮きなのか分からないがコンクリートでできた丸いものが海上に見える。その下、海に沈んでいる所にいた。
「……嚢腫格。なんであんなところに」
これまで確認されている限り、嚢腫格はかならずマザーに寄り添うように存在していた。それはマザーが食らった感染者を己が配下として吐き出すために必要なことなのか、特に攻撃するわけでもなく、仮にマザーが強力な攻撃に晒されていても庇いだてすることもしない。ただそこに在る……それが嚢主格の共通した特徴だ。
しかし視線の先にいる嚢腫格は海面より下で、波に漂っているようにも見える。
「……溺死した?」
「言うなよ、見た目と相まって気持ち悪いなって思ってたんだから」
カナタは備品の双眼鏡で、ゆずは取り外したへカートのスコープを使っていて、目が離せないでいる。波間に漂うのグロテスクな嚢腫格の姿は、実物を見たことはない物の溺死体を連想させるに十分な物だ。
それぞれが無言で橋の方を見つめる中で、密かにカナタは苦悩していた。そっと仲間たちを見ると全員が同じか似た感情を想像できる表情をしている。すなわち、恐れ、驚愕、それに押されるように使命感や興味が見え隠れしている。と、いったところだ。
カナタの本音も似たような物ではあったが、一度それらを飲み込んでカナタは決断をしないといけない。このまま進むか否か、だ。
少し前も言っていたように、マザーは強敵である。実際の所、以前交戦して「引き分け」た……カナタは「撃退」と思いたいが……マザーであってもカナタはまた戦ってみたいとは露ほども思わない。姿かたちも知っていて、その攻撃方法やもしかしたら弱い部分まで知っているかもしれない。それでも、だ。
比べて目の前のマザーは人型からかけ離れていて、如月から聞いている「触手で押しつぶしてくる」という情報以外は何もない。増して大きさが段違いである。戦いにおいて大きさの違いというのは想像以上のアドバンテージがあるものだ。
正直なところ、有効打を与える手段が全く思いつかない。
双眼鏡をのぞいた姿勢のまま、マザーを見据え熟考するカナタの様子に気付いた周りがそれとなく様子をうかがっていることすら気付くことができないほど……
流されがちで、曖昧な決定を下すことも多いカナタだが、ここまで何の答えも出さないのは珍しく他の者も顔を見合わせたりしていたが、声をかける事ができないでいた。
その間もカナタは思考を重ね、ようやく口を開いた。
「……この場で一日ほど待機しよう。その間あのマザーを交代で監視、少しでも変化があれば報告し合い突破口を探ろう……」
出した結論はカナタにしては珍しく、かなり消極的なものだった。
いつもの小休止をする時の道具を出しながら、ゆずはヒナタと首をかしげあっていた。正直なところらしくない、とさえ思っている。
「どうしたのかな?なんだかいつものお兄ちゃんじゃないみたい」
「ん。カナタ君なら、とりあえず一度当たってみて力を測ってみよう。だめそうなら全力で逃げるぞ!とか言うと思ってた」
休憩できるように荷物から折り畳みのテーブルやいすを出しながら声を潜めてヒナタが言うと、ゆずはカナタの口調を真似て返事していた。
それにクスクスと笑ってはいるが、いつもの陽気さはない。
「ね、ちょっといい?」
そこに付近の安全確認をしていたハルカが近寄ってきてヒナタ達の輪に入る。
「カナタ、なんか変じゃなかった?ああいう時もあるの?」
ハルカも違和感を覚えたが、ずっと一緒に行動しているわけではないので、そういう心境の時もあるだろう。と一度は自分の中で折り合いをつけたものの、やはり気になっていたところに、コソコソ話しているゆずとヒナタを見付けたと言う。
「ん。少し変。何か迷ってる?よくわからないけど」
それにゆずが答える。ハルカはそれを聞いてやっぱりか、というような表情をする。
「どうかしたのかな、お兄ちゃん」
カナタの方を見て見ると、黙って装備の点検をしている。小休止中はもう少しくだけた雰囲気になる事が多いのだが今回に限って何か表情も硬いように感じる。
カナタの方を心配そうに見るヒナタを見て、ゆずがおもむろに立ち上がった。
「私に任せて。聞いてくる」
そう言うとゆずはスタスタと行ってしまう。ヒナタはハルカと顔を見合わせると、その後を追った。やはり気になるのだ。
「カナタ君」
先にカナタの所に来たゆずが声をかける。もくもくと装備の点検をしていたカナタは、声をかけられて初めて気づいたかのように顔を上げた。
「お、おお。ゆずか、どうした?」
少し驚いたようにカナタが言うと、ゆずはカナタの正面に座りこみながら正面から言った。
「何か迷ってるように見えた。ヒナタ達を心配してる。不安なことがあれば言ってほしい」
ゆずにそう言われ、さらにゆずの後から来たヒナタとはるかのほうも見てから苦笑いになった。
「そっか……悪い、心配かけたな。」
「悪いことはない。心配するのは当たり前。でも一人で悩むのは違うと思う。だから聞きに来た」
ストレートにそう言うと、カナタは頭をかきながら訳を話し出した。
「正直に言うとだ。あのマザーとまともに戦えるビジョンが全然浮かばないんだ。これまで見た中で一番特殊なやつだし、如月さんの話もあったしな。大きさもそうだし巨大な触手は範囲も広そうだ。戦いながら通り抜ける事も難しそうだし、なんとかして橋を通過するにもその方法がな……」
カナタはそう言って目線を落とすのだった。
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