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「検査の結果、被験者の体から感染体は見つかりませんでした。佐久間博士はどうやって感染はしているが発症はしないという状況を作りだしていたのか今だ分かっていませんが、現状被験者……夏芽さんの体に感染体の反応はありませんでした。……完全に感染する前に戻ったわけではないという事は本人の自覚もあり、何も問題はないと断言することはできませんが……」
きりっとした顔で喰代博士が検査の結果を述べる。こうしていると有能な研究者に見えるのだが……
「感染者の事についてはアタシらのわかっている事の方が少ないんだ。とりあえずそれだけ分かれば上等さ。予期せず発症したり感染者の攻撃性が出てくる可能性はないんだね?」
「それはほぼ大丈夫であると思われます。肝心の感染体の反応は完全になくなっていましたので……発症することもそれに伴って現れる攻撃性も感染体が延髄付近に寄生することによって現れるという事は分かっていますから」
真剣な顔をして念を押す松柴の言葉に、喰代博士もまっすぐ見返して断言した。それを聞いて松柴は満足したように頷いて、今度はカナタ達が座っている方に向き直った。
「さて……どうするかねえ」
「彼女が言う事は起こりえるのでしょうか?」
さすがの喰代博士も今は真面目な顔をしてそうたずねた。夏芽が持ってきた話はここにいる全員に共有してある。
「あり得るね」
考える事もなく、松柴は即答した。
「実際これまでに何度も小競り合いは起きてる。どうにかしてこっち側に入ろうと狙っている奴らが橋にほど近い家を拠点にしてこっちの隙を探っているようだという事は報告にあがっているくらいだからね。やはり危険が少なくある程度の武器や食料などの物資も生産・供給できる環境が整っているんだ。そりゃ狙う価値はあるさね。ただこっちもここまで作り上げるのにはかなりの犠牲と時間をつぎ込んでる。そう簡単に渡すわけにはいかないし、外の環境で生きている奴らが感染していない保証がない以上、安易な同情などで中に入れてやることもできない。都市に住んでいる住民の命がかかっているからね。それに治安の統制もできなくなるだろうしね。これまで生き延びてきたしたたかな奴らがいきなりルールを守った生活ができるとは思えないからね」
簡単に入れてやることはできない。そう言った時だけ松柴は少しだけくるしそうな表情をしたものの強い意志を感じる口調と雰囲気でそう言い切った。
夏芽が見てきた所に限るが、話を聞く限り、今本土は弱肉強食の世界になっているらしい。弱い物は奪われ力のあるものに物資も安全な場所も奪われる。もはや日本が世界でもまれにみるくらい治安のいい法治国家であった事は見る影もないらしい。
都市の周りの生存者の間でも基本的にそうだった。戦う力の無い者達は常に暴力と略奪におびえて生活をしていたのだ。その点№都市ができ、それぞれの都市が機能しだしてからは都市周辺はかなり安全になっている。そういうところも外部の者が知れば魅力的に感じるのだろう。
「もっと組織的になればもう少しましになるんだけどね……」
外の世界からみればマシに見えるんだろうが、それでもいろんな問題は抱えている。都市の内部こそ元の生活にだいぶ近づいてはいるが、都市の外にはまだまだ独自に生き残っている生存者がいる。そいつらは自分たちのルールの中で生きており、略奪や殺人などがおきているのも現状だ。
そこまで手がおよばないのも現実だが、都市同時の連携が完全には取れていないというところにも原因はある。それぞれの都市は安全を確保して生存できる場所を確保するという根本的な部分こそ共通しているが、細かい部分は都市の代表の考え方によって異なっていたりもする。
それぞれの代表がより自分の思惑に近い環境を作ろうとしてお互いけん制し合っている感がある。
「№3なら協力してくれるんじゃないですか?」
カナタの隣に座っていたヒナタが声を上げる。佐久間とのいざこざを通して、№3の代表やその周辺の人物とは結構いい関係を気付いている。
「あそここそ今は大変だからの」
ヒナタの質問に松柴は端的な答えと共に大きなため息で返事をした。佐久間が研究する環境を手に入れるために一時的に支配した№3では、その当時には姿を隠し何もしようとしなかった連中が藤堂代表が戻り、代表として動き出した途端どこからともなく沸いてきてもともと座っていた重要なポストに居座っているらしい。危急の時には被害がおよばないように無関係と日和見を決め込み、その重要なポストさえ他の者に一時的に押し付けた状態で隠れていたくせに、問題解決の兆しが見えた途端にいつの間にか復帰していたそうだ。厚顔無恥としか言いようがない。
「環境が悪くなるとさっと姿をけして、元通りになるとどこからともなく沸いてきて我が物顔でのさばっている。コキブリみたいな奴らだよ」とは藤堂代表の言だ。
「№3が大きく弱体化した事で、都市間のバランスも乱れてしまっている。共同で何かをするという事はないだろうね」
そう言った松柴さんの顔はとても疲れて見えた。パニックが起きてから知り合ったがこの人は本気で住民の事を考えて動いている。そんな人だからこそ、力になりたい、なんとかできる事はないか。とカナタ達も考えているのだ。
カナタがそんな事を考えていると、考えこんでいた松柴がふ、とカナタの方を見た。当然松柴を心配そうに眺めていたカナタと目が合う。
松柴は言いにくい頼みごとを言おうとしているように見える。頼みごとをしないといけないが、出来る事ならしたくない。そんな顔だ。カナタは松柴の心を察し、真顔で頷いて見せる。
「はあ……嫌な大人だよまったく。……すまないがカナタ、いや十一番隊に頼みがある。危険な内容だから聞いた後断ってもかまわない。……断るつもりはないって顔をしてるね、あんた達」
松柴がカナタと両隣にすわっているゆずとヒナタを順に見て、少し弱弱しく笑いながらそう言った。カナタはそのつもりでいたのだが、どうもゆずもヒナタも同じことを考えているらしい。
「十一番隊は橋を封鎖している砦を越えて本土に渡り、状況の偵察とこちらを攻めようとしているグループの妨害活動をしてほしい。橋の所に築いてある砦は守りに入っている限り簡単には突破できないとは思うが、相手が何をしでかすかわからない。もしも砦を抜けられてしまったらもう探し出すことも難しいだろうからね。四国の内部の生存者グループも呼応するかもしれない。万が一にも四国の中に入れるわけにはいかないんだよ。……頼めるかい?」
弱弱しい笑みを浮かべたまま言いにくそうに松柴が言うと、カナタが何か言う前に椅子を蹴倒す勢いでゆずが立ち上がった。
「任せてほしい。十一番隊は実力者揃い。外の奴らにも決して引けはとらないと思う。ちょっと行ってしばいてくるから婆ちゃんは心配しないでいい」
ゆずがはっきりとそう言うと、ぽろりと一筋だけ涙を流した松柴がゆずをぐっと抱き寄せた。
「済まないね。無理はしないでいいからきっと帰ってきておくれよ……アタシの部屋のお菓子を処理するお役目はずっと空けておくからね」
「おお……帰って来たら食べ放題?むぅ……テンション上がって来た」
よくわからないが、やる気があふれ出したゆずに微笑みかけていた松柴は、さらにカナタの方を向いて続けた。
「今回の作戦はアタシの名前で正式に発令する。特例として他の隊から一時的に隊員を補充して構わないよ。……せめて気心に知れた仲間たちで行きな。アタシにできるのはそれくらいさね。」
申し訳なさそうにカナタに向かって松柴が言うと、それを聞いたカナタは喜色をあらわにした。
松柴の言う特権を使えば、他の番隊の隊長として十一番隊から移動したスバルとダイゴ、六番隊からハルカも呼べるかもしれない。
これまで共に戦って来た仲間が揃うのであれば、生き残れる可能性もぐっとあがるというものだ。状況はあまり良くないが、再び仲間と一緒に任務に当たれる。カナタはそう考えると、ゆずと同じようにテンションが上がるのを感じていた。
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