2-6
ボートは軽快なエンジンの音をさせながら走っている。しばらく走っていると夏芽たちが出てきた抜け道とは違う方向から数人の人が出てきた。
もうだいぶ距離が離れていてはっきりとは見えないがおそらく研究所で戦った№4の部隊だろう。
「……さすがにボートなんか持ってへんやろうし、追われることもないやろ」
そう呟き、気が抜けたのか夏芽はボートの座席に深く身を沈めた。ボートは佐久間が方向を指示して烏間が操作している。今は夏芽のやる事はないのだ。
そう考えての行動が運命を変えたといっていい。
座席に深く身を沈め、ひと眠りしようかと思った瞬間だった。
夏芽の顔のすぐそばを何かとてつもない質量のあるものが通った。そう感じたのは一瞬で、驚いて目を開けた夏芽の目に飛び込んできたのは、頭部がスイカ割りのスイカのようになった佐久間の姿だった。
「は?……」
呆けた声を出している間にもボートの揺れと共にぐらついた佐久間の体は、壊れた人形のように倒れてあっという間に波間に消えていった。
それから数瞬の後、銃撃されたとようやく理解に至る。
「うそやろ!どれだけ離れてると……」
言いながら座席に身を隠し、後ろを見ると微かにわかるのは誰かが誰かをおんぶしている。そのおんぶされている方が銃らしき物を持っているのがかろうじてわかるくらいだ。
「佐久間さん……」
いつの間にか烏間がハンドルから手を放し佐久間が消えて行ったほうを呆然と見つめている。銃撃してきた方も警戒するが次弾は飛んでこない。さすがに距離が離れすぎて無理と思ったか、そもそも一発しか撃てない理由があったものか……
夏芽にはわからないが一応警戒しながら惰性で進んでいたボートのハンドルを握った。
「こんなところで死なれへん!ウチはまだまだ死にたくはないねん!」
誰に言うでもなく夏芽が叫ぶ。烏間はそれにも何の反応も示すことなく呆然として波間を見つめるのであった。
「……悪かった。代わろう」
しばらくしてようやく烏間は正気を取り戻して夏芽からハンドルを譲り受ける。
「……これからどこに行くねん。どこに行く予定やったん?」
頭の後ろで両手を組んで黙って隣に座っていた夏芽が思い出したように烏間に聞いた。№3を出る際もボートで海に出るときも佐久間は一切行先について話さなかったからだ。ボートに乗り込んでから当たり前のように烏間が操縦し始めたので行先に心当たりがあるのだろう。夏芽はそう思っていた。しかし……
「……知らん」
ぽつりと不愛想に帰って来たのはそんな返事だった。
「知らんて……」
うすうすそんな気もしていた。あの佐久間が丁寧に予定を話すわけがない。自分勝手で自分の興味が向いた事にしか言葉を発しない男なのだ。どれだけ頭の中で段取りをしていてもそれを共有しようなどという事は一切しなかった。
「どうするん」
とりあえず危機は去ったとみていいだろう。しばらく気にして様子をみていたが追手がかかった様子はないし、このボート以外にエンジン音も聞こえてこない。
「……私は何も聞いていない。が、とりあえず佐久間さんがあ接触しようとしていたグループを探そう。きっと受け入れてもらえるよう根回しはしていたはずだ」
烏間は抑揚のない口調で言うと、遠くにに見える沿岸部に向かってボートの舵を切った。
それからはかなり苦労した。佐久間が接触していたグループの情報はないし四国と違い本土は感染者の数が段違いに多かった。感染している夏芽たちに対して襲い掛かってくる事はないが音をたてたりすると集まってくるのだ。
それから目当ての生存者グループに接触するまでに一週間を要した。
「なるほど佐久間博士は亡くなったんですね。残念です、あのゾンビたちの情報が手に入ると期待していたんですが……」
夏芽たちがこれまでの状況を話すと、さほど衝撃を受けてもなさそうな表情でその男は言った。
「僕たちはゾンビたちを操ることができるかもしれないという佐久間博士の話を聞いて協力を約束していたんです。その博士がいないのであればあなた方を受け入れる理由はありませんよね」
まったく表情を変えずに男はそう言い放った。そしてさっさと振り返り歩き出そうとする。
「ちょ、待ってや!こっちは命からがら逃げてきてん……そうや、おっさんの持ち出してきた資料ならあるで!それでどうにかならんか?」
歩き去ろうとする男の肩を掴んで引き止め、夏芽はそう言いながら佐久間が持っていたスーツケースを見せる。夏芽が男の肩を掴んだ瞬間、後ろの方で様子を見ていた男の仲間らしき集団が一斉に武器を構えたが、そんな事で躊躇するわけにはいかないのだ。
こんな何もわからない場所に放り出されても困るのだ。死ぬことを極端に恐れる夏芽にとってはなんとかこのグループの協力を取り付け、庇護してもらないといけない。
「……拝見しても?役に立つ資料であれば約束通り協力して安全な場所も提供しましょう」
数秒うつむいて考えていたが、男は顔をあげるとそういってスーツケースに手を伸ばしてきた。一瞬渡すのを躊躇したが夏芽は黙って渡した。
男はスーツケースから佐久間がまとめた資料を取り出してざっと目を通した。夏芽たちが見ても全くわけがわからない数字と記号の羅列が並んでいるだけの資料だが、男には理解のできる内容だったらしい。
「……なるほど」
そう呟くと男は少し離れた場所でこちらを警戒していた者達に向かって声をかけた。そしてやって来た者になにか耳打ちすると何か手ぶりで合図をした。
「いいでしょう。あなた方を受け入れましょう。佐久間博士は基礎的なことは資料として残してくれていましたが、肝心の結果について残っていないようでした。まあ不思議ではありません。あの人は偏執的な猜疑心の塊でしたからね。被験者がいてくれるのはありがたい」
男はそう言うと、まるで物でも見るような目でこちらを見てきた。……コイツは、あかん。
心の中で激しく警鐘が鳴った気がした。それと同時に烏間が警戒した声を出した。
「おい」
烏間がそう言うと同時に男に向かって右腕を伸ばす。「プシュ!」
その空気の抜ける音が聞こえた瞬間、伸ばしていた烏間の腕から急激に力が抜けて行った。慌てて振り返ると、腰から砕けるように烏間の体が崩れ落ちるように倒れるのが見えた。
さらにその烏間の後ろに立つ一人の男。その手には佐久間のオッサンが使っていたようなガンタイプの注射器が握られていた。
「あなた方は生きながら感染しているそうですね。安心してください、貴重な被検体ですので丁重に扱わさせてもらいま…………」
最初に話していた男が話す言葉を最後まで聞くことはできなかった……。ウチの後ろからも「プシュ!」という空気の抜けるような音が聞こえたからや。




