一章 1 新人隊員
カナタ達が松柴と顔を合わせている頃、同じ建物の別の部屋では二人の少女が憂鬱な顔をして椅子に座っていた。テーブルと椅子以外は何もない部屋。待合室とか待機室などを目的とした部屋なんだろうが、その無機質な部屋の雰囲気も憂鬱な気分に追い打ちをかけていた。
「一体何の用事かしら……」
少し気の強そうな髪の長い少女がぽつりとつぶやく。
「……あ…………」
その声を聞いて、隣に座っているおとなしそうな少女がピクリと肩を動かし、反応するが口を開けただけで、そこから言語は発せられなかった。
「……はあ」
髪の長い少女……本谷飛鳥はそれを見てため息をついた。
彼女たちは№4という都市の守備隊……の予備隊。つまり見習いだ。
アスカの両親はアスカを助けるために感染者に噛まれこの世を去りアスカは一人になった。いまでもその場所に両親によく似た化け物がうろうろしているのを見かけるが、いつか、自分の手で活動を停止させてやると決めている。
両親が身を挺して逃がしてくれたけど、それからが大変だった。17歳の女の子が一人で生きていくにはあまりにも辛い世界になっている。
今では思い出したくもない…………でも、今生きているんだからよしとする。アスカは自分にそう言い聞かせた。
昔の事を考えて、アスカの顔が険しくなっていたからか、隣に座っている女の子が心配そうな目で見ている事に気付いた。
ただ、決して声をかけてくることはない。
「……大丈夫よ」
アスカがそう言うと、納得はしていない顔をしていたが、一応は頷いた。
この子も同じ予備隊の生徒で、アスカと共にここに呼びだされた。ひどい人見知りなのか、話しかけられてもろくに返事もできず、いつも一人でいたから見覚えはあった。
アスカが隣の子を見てそう思っていると、急に後ろから声が聞こえてきた。
「お待たせしました」
「っ!」
近づいてくる気配を全く感じさせずにその女性はそこにいた。アスカは、ドアを開けた事さえ気づけなかった……思わず腰に下がっている支給刀に手が伸びそうになったのを、ぎりぎりで止めるのがやっとだった。
急に現れた女性は、そんなアスカの動きをすっと細めた目で見ていたが、私に敵意がない事を確認すると、小さく頷いてアスカたちの対面に腰かけた。
姿勢や仕草が洗練されていて、とてもきれいな所作だ。それでいて気配を感じさせず動きに一切の無駄がない。
アスカは密かに舌を巻いていた。目の前の女性にはどう転んでも勝てる気がしなかったから……。
「あなた達は予備隊の訓練生で第117番と第211番で間違いないわね?」
そう聞かれてアスカは素直に頷いた。隣の子も無言で恐る恐ると言った感じで頷いていた。
「では、予備隊から守備隊への異動の連絡は受けていますね?」
その女性は確認するように聞いてくる。おそらく手に持っている書類に情報が書かれているのだろう。アスカが接したこれまでの教官や上官は、書類があってもろくに確認もしようとしなかったので、まともそうな対応に少しだけ安堵する。
「私は橘史佳といいます。№4代表付きの秘書官です」
目の前の女性がさらっと名乗った。
アスカは驚きすぎて声が出ないというのを始めて経験した。都市の代表の秘書という立場の人が自分たちに話しかけてくるなど露ほども思っていなかったからだ。隣の少女も相変わらず言葉は発しないものの、目を丸くしているのがわかる。
言葉を返せないでいるアスカたちを、優しい目で見ながら橘は話し出した。
「秘書官と言いましたが、正式な役職ではありません。砕いて言うと代表のそばにいる雑用係です。そうかしこまることはないですよ」
そう言うと橘は持ってきたトランクを開けて中から金属のカードケースのようなものを取り出し、それから伸びるコードに自分の端末を接続して個人認証を使ってロックを解除した。さらに橘がスイッチを操作すると透明になっているカードケースが開き、そこから二枚のカードのようなものを取り出し別の機会につないだ。
「では、ここに人差し指を……別に痛くはないので安心してください」
橘はカードケースから伸ばした機械を私たちの目に置いた。黒くて四角の機械で、上に指を入れるための穴が開いている。
「それはIDカード用の個人認証のデータを取る機械です。指紋の認証に使えるデータを取る機械です。同時にこっちのカメラで顔認証のデータも取りますので。IDカードを作らないと重要な施設には出入りできませんし、カードで決済もできます。守備隊の報酬はここに入りますし、他の都市でも同様に使う事が出来ます。これはあなた達の守備隊としての身分を証明するものでもあるのでなくさないようにして下さい」
橘は躊躇するアスカたちに、安心するように優しく説明した。
守備隊は危険度が高い仕事だ。感染者と戦う時もあれば物資を探して何日も都市の外をさ迷い歩くなんて話も聞く。それだけに報酬はかなりいいし、都市にいるかぎり守備隊に所属しているというだけで初めて会った人でも信用してくれるくらいには信頼と実績がある。
橘の話ではIDカードで報酬の受け取りや買い物の決済をするらしいし、肝心の報酬をもらえないなんてそれじゃ苦労して守備隊を目指した意味がない。
「……やります」
一応そう声をかけて人差し指を機械に差し込む。ぴっぴっと断続的な機械音がして、ほんの数秒で終わりを示す表示が出る。
「はい終わりました。さあ次はあなたですね」
アスカのデータをあっという間に読み取った小さな機械は、恐る恐る指を入れた隣の子のデータも取って用意されたカードに書き込む。それもすぐに終わり、機械からカードが出てくる。
「これは報酬の受け取りや買い物の決済だけではなく、あなたの個人情報や守備隊であることの証明をしてくれるカードです。けして紛失などしないようにお願いしますね。」
重要な事だけに、改めて橘がもう一度そう言って二人の前に差し出した。
「はい……」
「…………ぃ」
消え入りそうな返事をした隣の子を橘がちらりと見たが、咎めたりすることはなかった。
きっと守備隊に入れば鍛えられ、嫌でも声を出すことになるだろう。予備隊の教官のなかには連帯責任って言葉が大好きな人もいた。同期として一緒になる可能性もあるだろうから、巻き添えだけは喰らわないようにしておけばいいだろう。
横目で隣を見ながらアスカはそう考えていた。
「ではこれからあなた方が入る部隊の隊長に引き合わせます。行きましょう」
「え?今からですか?」
いきなりだったのでついそう聞き返してしまい、思わず首をすくめる。守備隊では上官の言う事に疑問を挟んだだけで懲罰を受けていたからだ。
アスカが震えていると、首をかしげながら橘は普通に頷いて答えた。
「ええ。ちょうど十一番隊の隊長さんが来ているのでちょうど良いと思いまして。お互いに実際に見た方が判断もしやすいと思いますが……何か不都合が?」
少しだけ困ったように眉を寄せる橘に慌てて弁解する。
「い、いえ!急だったものでつい問い返してしまいました。以後気を付けます!」
アスカが椅子を蹴るように立ち上がり、背筋を伸ばして直立姿勢をとってそう言った。
橘はそんなアスカを見て眉をひそめながら、何か言いたそうにしていたけど結局何も言わずに再び案内を始めた。
直接見た方が早いですしね。と橘が小さく呟くのが聞こえた。
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