21-12
「それはそうやろうけど……」
伊織にもゆずの言うことはわかっている。壁一枚向こうに詩織がいるのに今のままではどうやっても届かないであろう事が悔しくて仕方ないのだから。
「だから向こうの想定を大きく超える必要がある」
ゆずの顔は真剣だ。言ってる作戦が荒唐無稽に思えなければ伊織も一も二もなく賛同しただろう。
「あいつに近づくには感染がポイント。半感染者の詩織を連れて行ったのもそう。そこに感染した双子の姉妹がいたら?」
「それは捕えたくなるだろうねぇ。同じ遺伝子を持つ被験者で比較検討ができるんだから」
喰代博士が研究者目線で言ったのを聞いてゆずが大きくうなづく。
「だから、それをどうやって信じさせんねん。今感染しましたーって、戻っても誰も信じんやろ」
少しイライラしたように伊織が言う。先程から結局それの繰り返しなのだ。
「まぁまぁ…じゃあ、ゆずちゃんはどうやって相手を、それこそ味方ごとだね、騙す気だい?」
喰代博士は伊織を宥めながらゆずに聞いた。もし本当に感染したと信じ込ませる事ができるのであれば、相手の懐に潜り込める事は間違いない事は理解しているのだ。
「だから博士も呼んだ。みんなの目の前で伊織が私に噛み付く。それこそ血が飛び出るくらい。噛み付くのはここ」
そう言うとゆずは自分の肩口を手のひらで叩く。
「多分だけど、ここなら普通の人が思い切り噛み付けば多量に出血させる事ができると思う。どう?」
ゆずにそう聞かれて喰代博士はなんとも言えない表情をする。
「そりゃあね、感染者みたく腕に噛み付いて肉を噛みちぎるなんて事に比べれば、首筋なら皮膚も薄いし躊躇しないでいけばやれると思う。ただ、ここは太い血管も通ってる。下手をすれば出血多量でそのまま御臨終だよ?」
眉を寄せて喰代博士が言った。可能ではあるがお勧めしないと言った感じだ。
「まてまて、ウチが噛みつくっちゅうことやろ?……なんかそう見えるような、噛みつくふりとかじゃいかんの?」
当の伊織もやりたくなさそうな顔をしている。まぁ、好き好んで他人に、それこそ大量出血するような部位に躊躇なく噛みつけと言っても抵抗なくやれる人はいないだろう。
「時間がない。それに少しでも相手の目を引いて冷静に思考させない必要もある。それともほかに何かいい方法がある?異論は認める。私だって好きで噛まれたくない」
至って真剣な様子で言うゆずに、二人はそれ以上何も言う事ができなくなってしまった。それでも、危険性も伊織に抵抗もあるという事でしばらく協議をしたが、結局ゆずに押し切られ実行することになったという事なのだ。
「なんやけったいな事やっとるなー。で?おっさん、どうすんの?」
目の前にカナタ達が並び、後ろでは総大将ともいえる佐久間を伊織とダイゴが拘束している。状況だけを見れば詰んでいると言ってもいいのだが、夏芽の口調はいたって呑気なものだった。
どうにでもなるけどどうする?と言ってるのだから。
「どうもこうもないだろう。速やかに私を救出したまえ。私がいなければ君たちもそこらの感染者と同じように物も言わぬ化け物になり果てるという事を忘れんようにな」
両手を後ろに回し、手錠をかけられダイゴと伊織に抑えられているにも拘らず、佐久間の口調にも焦った様子も追い詰められた様子もない。しかも、重要そうな情報も簡単に口走っている。自分がいないと他の感染者のようになる、という事は夏芽たちは定期的に薬剤を摂取するなどしないと自我を失ってしまうという事なんだろう。
「だから、その方策を聞いとんのやけど……まあ、ええわ」
夏芽はそう言うと、視線を少し上に上げて虚空を見つめだす。
「何をやる気か知らんけど!」
「好きにさせないわよ」
目の前で構えているカナタ達も黙って見てるわけがない。夏芽の動きを見て邪魔をするべく斬りかかる。
「おっとぉ!その刀痛いねん。やめてくれるか?」
カナタとハルカが息を合わせて斬りかかったが、夏芽は後ろに飛んでその刃を躱した。その後も突いて払ってと連続で斬りかかるがカナタとハルカの二人がかりの猛攻をもってしても夏芽のやろうとしている事を阻害することはできなかったようだ。
あちらこちらから重い扉が開くような音が聞こえてくる。
さっきまで佐久間がいた隣の部屋からも同じ音が聞こえ、やがて感染者の発する唸り声が聞こえだす。
「お兄ちゃん、急に気配が増えた。きっと感染者……」
カナタの後ろで様子をみていたヒナタがそう言ってきた。きっとそこらの部屋に閉じ込めてあったのを解放したのだろう。
「あかん、詩織!」
音の方向を見ていた伊織がはじけるように立ち上がって佐久間が出てきた部屋の中に飛び込む。
「伊織さん!」
ダイゴはそれを止めようとしたが、立ち上がった途端佐久間が足をかけたのか躓いてしまった。ダイゴは受け身を取ってすぐに立ちあがったが、その隙に佐久間は床を転がり離れた場所で立ち上がった。
周りを見てニヤリと笑うと、その佐久間の背後の壁に亀裂が走り、もろくも崩れる。強化プラスチックで作ってある壁はそう簡単に破ることはできないのだが、まるで石膏ボードを突き破る勢いでその男は姿を見せる。
「ようやく出番か。このまま貴様が捕まって終わりかと思ったぞ」
不満げにそう言う男は後ろ手にかけてある佐久間の手錠もいとも簡単に壊してみせた。
「……長野か」
カナタが苦い顔で口走る。ゆず達から簡単に報告は受けていたが、実際目の前にするとやはり気分が悪いものだ。
「ふん、剣崎か。貴様のせいで都市を追われる事になった恨みは忘れていないが、そのかわりに私は人類を凌駕する力という物を手に入れたぞ?ちょうどいい、試してみるか?」
カナタの姿を認めると長野はにやりと笑って、片手でかかってこいと挑発してくる。一瞬何も考えずに突っ込みそうになったカナタだったが、右腕に感じる温かさがそれを押し留めた。ハルカがそっとカナタの腕に手を添えている。
「俺のせいみたいに言ってんじゃねえ。お前らが勝手に企んで失脚しただけじゃないか。むしろ巻き込まれた俺の方が文句を言いたいんだが?」
ハルカの温かい手で冷静さを保つことができたカナタが長野に向かってそう言い返す。その間に夏芽も下がって佐久間の所まで移動している。
左手の奥の方ではアマネと烏間が切り結んでいる音が続いているが、夏芽が呼び寄せた感染者たちが集まってくる気配もある。状況は極めて悪いと言える。
周りを確認するとカナタとハルカが並び立ち、その後ろに喰代博士をかばうようにヒナタとスバルがいる。慌てて動いた伊織はどうやら捕まってる詩織の所に感染者が近寄っていたらしい。その感染者は伊織とダイゴの手で排除されて、詩織も助け出して今はダイゴが背負っている。
「さて、なかなか興味深いデータを取ることもできたし、そろそろお暇することにしようか。」
佐久間が自らの肩にガンタイプの注射器を打ったところだ。ダイゴに砕かれた右腕の痛み止めか何かだったのだろう、表情が随分と楽になっている。
「ああ、これまでの功績を称えて地獄までの片道切符を特等席でプレゼントしてやるよ」
状況を打開する手を考えながらカナタはあえて軽口を叩いた。もちろんこのまま逃がすわけにはいかないのだが、佐久間によって改造された長野と夏芽が問題だ。
「せっかくだが遠慮しておくよ。先約があるのでね。」
余裕の笑みを浮かべたまま佐久間はそう言うと次の瞬間すべての照明がダウンした。この場所は構造上外から明かりを取り入れるような窓はない。つまり、照明が落ちると真っ暗闇になるのだ。
「くそ、逃げる気か!」
あわてて腰のポーチから備品であるペンタイプのライトを取り出して佐久間たちがいた場所を照らしたが、もうそこには誰の姿もなかった。
「あの暗闇の中、気配も足音も殺して移動したのかよ」
そう吐き捨てて周りを照らすが佐久間たちの姿はない。それどころかさっきまで烏間と切り結んでいたはずのアマネが床に倒れ伏している。
「……嘘だろ、アマネ先輩!」
嫌な予感を振り切って、カナタはアマネの元に駆け出す。
「……大丈夫だー。くそう油断したなー、あいつら暗闇でも見えるみたいだな。」
悔しそうに腹をさすりながらアマネが言った。一撃もらったようだが大したことはなさそうだ。暗闇に視界を取られた一瞬の隙に当て身を入れられたらしい。
「一発もらった時に私も斬ったんだけどなー、浅かったか。手ごたえはあったんだけどなー」
しきりに悔しそうにしているアマネは、暗闇のなか当て身を食らった瞬間に相手の位置を把握して斬り付けたらしい。さすがだ。
そんな事を話しながらも周りを照らして確認していると奥の方から声が聞こえた。
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