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21-1 所業

「じゃあ、とりあえず隔離ゾーンに向かえばいいってことだなー」


さっきまでの佐久間と喰代博士のやりとりなどなかったかのようにアマネが言った。それを聞いた喰代博士も気を取り直した様子でアマネの言葉に頷いて返した。


「ええ、佐久間本人も言ってるように中央管制室のような部屋にいて、この建物中の人たちを感染させ様子を見て……変わった反応があれば捕まえて実験する。きっとそう言う事をやってるんだと思います。……モラルと禁忌を一切気にしなければ、ここは効率的な場所ですから」


人体実験。人の命を用いて実験を行う、昔から禁忌とされている行為だ。しかし作ろうとしている者が人体に投与するものであれば人体を用いて実験するのが一番の近道となる。


「……佐久間にはな、娘がおる。今はどうなったか知らんけど、世界がこんなんなる前はおった。ウチもおうた事あるけどかわいらしい子やった。でも、生まれつき障害をもっててな……なんか自分を守るはずの免疫が誤作動をおこして自分を攻撃するっていう病気らしい。薬で痛みを押さえんと日常生活も送れんくらいの痛みがずっと続く病気って言うとった。」


突然伊織がそんな事を語りだした。そう言えば、パニックの前は親の会社に勤めていてそれなりに親交があったと少し前に言っていた事があったな、と喰代博士が思い出していた。昔気質の建築屋で荒っぽい雰囲気の男たちの中で、元研究員という風変わりな経歴を持つ佐久間はきっと少し変わった雰囲気をもっていたのだろう。社長だった藤堂も信頼していたような事も言っていたし、伊織もそれなりに親交もあったのかもしれない。


「もともとは今の医学では原因も治療法もわからんらしい娘の病気を治す治療法を探すのが目的やった。本人が酒の席で酔っ払ってこぼした事があるねん。きっとおやじもそれもあって応援していたはずや。それなのに……」


いつから佐久間は変わってしまったのだろうか。かつて伊織が知っている佐久間は物静かな控えめに笑う少し冴えない、それでも病気を何とかしたいと頑張る優しい父親だったはずなのに……

今も思い出すのは、根を詰めすぎて体調を崩し、親父に呆れながら小言を言われ困ったように笑っている姿だ。

それからしばらく会わないままパニックが起き、なぜか詩織を連れて会いに来た佐久間はまるっきり変わってしまっていた。


うつむきながらぽつりぽつりと語る伊織。そんな伊織の隣に喰代が座る。


「研究者という人種にありがちなんですけど……何かを目指して研究をしていたはずが、いつか研究をすることが、未知を知ることが目的となってしまう人は結構います。そしていつの間にか目指していたはずの物を置き去りにしてひたすら道を進んでいこうとする人が。佐久間もそうだったのかもしれませんね」


そんな事を言った喰代の横顔を伊織はキッと睨んだ。


「そんなら、置き去りにされた娘はどうなるねん!そんなんあったらいかん事やないんか!」


感情に任せて叫んでしまい、言った後に我に返った伊織は小さく謝りの言葉を口にする。喰代は軽く微笑んで首を振ると続けた。


「ええ、もちろんあってはいけない事ね。まあ私もあまり大きな事は言えないんだけど……それでも研究と試験を繰り返して突き詰めていくと普通は壁にぶつかる。人としてのモラル、倫理観という壁に……佐久間の言うように人の体に用いるものは人の体を使って試験する方が余計な手順も計算もいらない。マウスを使って実験を繰り返して、計算上は効果が出るはずなのに、臨床までこぎつけて思った効果が出なかったり、逆に思いもしない効果が現れたりするから。普通はそこで一度立ち止まるんだけど、そこにパニックが起きてしまったんじゃないかしら」


それまで普通だと思っていた人が狂暴になってしまったり、平気で犯罪行為に走ってしまったり。特に日本人という人種は右に倣えの風潮が強いところがあるから、周りの人がだれもやっていない事はやりにくい風潮がある。ところがパニックが起き、いろんなものが根底から崩れ去った時、右に倣っていた人の中が遠慮なく左を向くようになってしまった。


「それが必ずしも悪い事とは限らないんだけど……目的を見失うのは違うわよね。それで娘さんはその後……?」


伊織はうつむいて首を振った。


「研究室にこもって家に帰らんようになって、寂しい思いをしながら……。親父は家に戻って娘と一緒にいてやれって何度も言いに行ったんやけど、佐久間は戻らんかった。ある日、心配になって親父と一緒に様子を見に言ったら家で冷たくなってた。家政婦みたいな人を雇って世話させてたらしいけど、そいつは給金と預かってた生活費を持ってどっか消えてた。娘は一人さみしく……」


そこまで言うと伊織は胸元からペンダントを取り出した。それを開けると小さく折りたたまれた紙片がある。それを丁寧に広げていくと……


かわいらしい字で、最近痛みが強くなったことを訴える事と、それでも自分の病気を治すために頑張っていると思っている父親の体を気遣う事が書かれた置手紙だった。


「家に行った時、分かりやすいとこに貼り付けてあった。」


その紙片を喰代に見せると伊織はひざを立てて座り込み、両手を組んだ膝に頭を埋めた。喰代は紙片を丁寧にたたんで、目じりをぬぐう。


ぐすっと鼻を吸った伊織が目を赤くして顔を上げる。


「その手紙は佐久間に直接叩きつけてやらんといかん。誰に頼まれたわけでもないし、今の佐久間にそれをしたからってどうかなるとは思えんけど……ウチの気がすまんねん!」


いつもの強気な顔に戻った伊織が拳を固めてそう宣言するように言う。


「そうね、佐久間は道を外れてだいぶ進んじゃったから、これを見せたところでもう後戻りなんてできないし、やろうとも思わないでしょうけど……。私も同じ研究者として佐久間のやってる事は看過できないわ。佐久間から見たら、私たちはあえて遠回りをして、無駄な道を通って目的地を目指しているように見えるかもしれないけど……あえて正しい道を通って目的地に向かって、誰(はばか)ることなく胸張って研究の成果を披露したいもの」


そう言うと伊織と喰代は顔を見合わせてニヤリと笑い合った。少し離れたところで身を寄せ合ってそれを見ていたスバルとダイゴは小さく呟いた。


「怖……」



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