20-10
この光景にはスイレンたちはおろか、佐久間さえも固唾を飲んで見ていた。
「おお……おお!あのように変容してから人を食らうとは!しかも頭部のみを……これは、もしかするととんでもない発見かもしれん」
知らず知らずのうちに、立ち上がっていた佐久間は持っていたワイングラスが床に落ち、割れた音も耳に入っていなかった。そして感染者の頭を食らっては、体には用はないとばかりに投げ捨てる夏芽の様子に変化が起き始める。
体つきが大きくなり、変化して猿人のようになってた皮膚がぱりぱりと割れ落ちていく。
何人目を食らった時であろうか、ぶちりと頭だけをむしり食っていた夏芽がその手を止める。そしてはがれていた皮膚がきれいに落ちてしまった。
「どないなっとんねん」
そこには己の両手を眺め、そんな言葉をつぶやく夏芽らしきモノがいた。面影は残っている。夏芽を知っている者であればわかるだろう。
しかし体つきは元の1.5倍ほどに大きくなり、筋肉質だった猿人の頃とは違いすらっとした体つきにはなっている。ただ、赤黒い皮膚に覆われた表皮はむき出しになり、怪しく脈打っている。元が女性であったからか、乳房らしきものも存在するが硬質の鱗のようなものに覆われている。顔こそ夏芽の面影を残してはいるが、体は人間離れしたものとなっていた。
「は、はは……なんやわからんけどいい気分や。いまなら何でもできそうな気がするで。あ?」
体の奥から湧き上がってくる力の全能感に酔いしれていた夏芽が目を向けると、そこにいたはずのスイレンもハクレンも姿を消していた。この部屋に出口は二つ。夏芽の後ろ側と、スイレンたちが入ってきた所だ。しかし、今はそのどちらからもひっきりなく感染者が押し寄せている。
「おい、あのねーちゃんら、どこいってん?」
獲物に逃げられた夏芽が不機嫌そうにマジックミラーの向こうにいる佐久間に声をかけるが返事は帰ってこない。なぜならば佐久間は夏芽の変異のデータを取ることに集中していて誰の言葉も耳に入らない状況にあった。
「ちっ!」
そんな事はわからない夏芽は舌打ちを一つすると、その場で屈伸したり体を動かし始めた。
「なんや、めっちゃいい感じやん……な!」
な!の言葉と同時に滑るように動いた夏芽が壁を殴りつけると、硬質な建材で作られた壁がまるで重機かなにかでやったように砕けて大穴があいた。
「ははっ!逃がさんで。ウチの首を何度も飛ばしよってからに。どれだけ気分悪いか思い知らせたるわ」
そう言うとかつて夏芽だったモノは壊れた壁をくぐってその先の廊下へ出た。簡単にこの建物から出られない事はわかっている。化け物となったそれはスイレンたちかカナタを求めて移動を開始したのだ。
その頃、カナタ達はスイレン姉妹が敵の目を引き付けてくれている間に天井裏の換気ダクトの中を進んでいた。先ほどから後ろの方で激しい音が聞こえてきている。二人とも強いとはわかっているものの、スイレンとハクレンの無事を祈りつつカナタはダクトの中を四つん這いで進む。少しまえ、スイレンたちが突然やってきて驚いた事を思い出しながら……
「くっそ、なんだこれ。ビクともしないじゃないか」
額から流れる汗をぬぐいながら毒づく。鉄製の頑丈そうな防火扉のような扉は叩いた音でかなりの厚みがあることはわかる。そしてさっきからどうにかして開けようとしているのだが、びくともしないのだ。
いらだち紛れに思い切りドアを蹴るカナタ。けっこうな音が響いたがドアは揺るがない。、むしろドア枠の周りのコンクリート部分にひびが入り、ばらばらと破片が落ちてくるくらいだ。
「どんだけ頑丈なんだよ!」
そう言ってもう一度蹴ると、握りこぶしより少し小さいくらいのコンクリートのかけらが落ちてきた。見るとドアの枠の外側の部分、ひびが入っていたところが少しだけ割れてちらりと鉄筋が見えている。
「こりゃー、ここを抜けるのは難しいっぽいなー」
様子を見ていたアマネが呟いた。それに誰も答えを返そうとはしなかった。これまで何個か部屋はあったが通路はなかった。ここ以外にルートはないのだ。
「ねえ、カナタ。あれ見て?ほらコンクリートのひびが入ったとこ……そこと端の方を見比べたら、ドアの枠、ゆがんでない?」
それまで黙っていたハルカが、さらに蹴ろうとしているカナタを捕まえてそう言った。掴んだところがカナタの後ろ襟のところだったので、蹴ろうと勢いをつけていたカナタは首が締まった格好になり、カエルが踏みつぶされたような声を出してしまった。
喉をさすりながらハルカを軽くにらんだ後。ハルカが指すところを見てカナタもなるほどと頷く。ドアの根本側には枠との間に少し隙間があるが、逆側は全く隙間がない。そしてドアの衝撃がその所だけ枠の方に伝わって壁にひびが入ったりしているところを見ると枠かドア自体が歪んでいるという事になる。
「でも……もともとこんなってわけじゃないだろ?通れないし……後からドア枠って歪むか?」
「んー、木とか柔らかい素材だったら結構歪むぞ?まぁかなりの力を加えないといけないけどなー」
いぶかし気にカナタがそう言うと、さらっとアマネが言い返す。これは前科があるなとカナタもハルカも思わず苦笑いしてしまうが、アマネの言う比較的柔らかい素材でもかなりの力を加えないと歪まないという事でもある。まして、今目の前にある扉は枠もドアも頑丈そうな鉄製である。
「これが歪むほどの力って……」
もし足止めのために人為的にやったのならとんでもない怪力である。そしてこれまでの事を考えると。「そんなまさか」とも言い難い。
「一度戻って、ゆず達に加勢して感染者たちがいた部屋を調べるか……」
確かに感染者たちが待ち受けていた部屋は調べる事はできていない。今もゆず達が部屋から一気に出さないよう調整しながら戦っているはずだ。
「まって!銃声がしなくなってる……全員倒したってこと?」
話がそれに及んで意識が向いたのかハルカが下で聞こえていた銃声がしなくなっている事に気付いた。
「戻ってみるか……」
全員倒したのならそれでいい。でもそれならゆず達はこっちに向かって移動しているはずだ。しかしその様子はないし、こんな短時間で倒してしまえるような数じゃなかった。思わず不安になり、カナタはそう口にしてしまう。
「その必要はありませんよぉ」
思わず言ってしまったカナタの言葉に答えたのは想像していない人物の声だった。そして答えた人物はすぐに階段をのぼって姿を現した。
「ハクレンさん!」
にこやかにいつもの雰囲気で手を振っているのは、援軍を呼びに行くと別行動をしていたハクレンだった。
遅くなりましたが本日分更新です!
読んでいただきありがとうございます。作品について何か思う事があったら、ぜひ教えてくれるとうれしいです。
ブックマークや感想、誤字報告などは作者の励みになります。ページ下部にあります。よろしければ!
忌憚のない評価も大歓迎です。同じくページ下部の☆でどうぞ!