20-9
「ねえちゃんらナニモンなん」
決して追い込まれているわけではない。特に致命的な攻撃を食らっているわけでもない。そしてこちらの攻撃は文字通り一撃必殺。当たれば生身の体など夏芽からしたら豆腐のようなものだ。
「ナニモンですか~、ばけもんに教えてやる名前は持ち合わせていませんねぇ~」
女性のうちの一人が間延びした口調でそう言い返してきた。口調こそのんびりしたものではあるが、その攻撃は苛烈そのものである。二本の短刀を両手にしてまるで舞うように夏芽の攻撃をかわし、舞の一部のように斬りこんでくる。
しかし、それにばかり気を取られていられない。先ほど会敵した瞬間にまたもや自分の首を飛ばしてくれたほうの女性が華美な装飾が施してあるやや太めの刀を構えてじっと夏芽の隙を伺っているのだ。
(あかんな、今の体がどんなもんか感覚がわからへん。前の体なら延髄?らへんを斬られたらあかんって聞いてたけど、今の体はどんくらいまでいけるんやろか。まさかここでおっさんに聞くわけにもいかんしなぁ)
心の中で夏芽は歯噛みしていた。どれくらいまで大丈夫なのかがわからないので、思い切った攻撃に出ることができないでいるのだ。
夏芽は少し下がってじっと二人の女性を見た。和装とは少し違う変わった服装をしているが、随所に暗器を仕込んでいるのが今の夏芽にはわかる。
そうしている間に、アドレナリンが出ているのかなんだか気持ちが高揚してくるのを夏芽は感じていた。戦うのが楽しい?そんなことあるかい、ウチは楽して生きたいんや。互角に戦える相手がいて嬉しい?それもないな。そんな戦闘狂やない。
そんな自分が自分でなくなるような感覚の中、夏芽は自問自答を繰り返していた。
「姉さん、なんか獣じみてきましたよ」
「油断しないでハクレン。一番怖いのは手負いの獣よ」
だんだん雰囲気が変わってくる夏芽を前に、二人の女性、スイレンとハクレンは油断なく武器を構える。
「ガアアア!」
夏芽が雄たけびを上げた。意識してではない、夏芽自身も無意識にしてしまい戸惑った顔をしている。
「ずいぶんと野性味が増してきましたねぇ」
そう言いながらも鋭く踏み込んできたハクレンが回転を加えての斬り払いをしてきた。
ギャリイッ!
まるで、鉄の塊を斬り付けたような音と手ごたえを感じたハクレンが素早く引いて間合いを取った。
しかし、ハクレンが斬り付けた場所には、少しの傷もなかった。それどころかハクレンが持つ短刀の刃の方がまるでのこぎりの刃のように欠けてしまっていた。
「あらあら……外見もワイルドになったと思ってましたが……ずいぶんと頑丈な毛皮を持ってますねぇ」
おどけた口調でそう言いながらハクレンはギザギザに欠けてしまった短刀を納刀して、もう片方の手に持つ短刀を構える。
ところが、夏芽はそんなハクレンの言葉に反応もしない。これまでなら、イキリ散らかしてきてもおかしくないはずだ。
「グウウッ……」
まるで獣のような様相で、ハクレンを睨みつける。その顔からは理性を感じられない。
「ハクレン、どうやら何か異変が起きたみたいですね。さっきまでと違い、人間らしさを感じません」
そう言ってスイレンも警戒した様子を見せている。見た目もさっきまでは人間と変わらなかったのに、今では退行でもしたかのように見える。
全身を短い毛が覆い、手足も倍ほどに太くなっている。顔つきもまるで猿人だ。
二人とも警戒しながらその様子を窺っていたのだが、夏芽はなんの予備動作もないままスイレンのほうに突っ込んできた。
「な!」
決して油断したわけではないが、想定をはるかに超える速度で間合いを詰められた。一瞬でスイレンの目の前に立った夏芽はすでに攻撃姿勢に入っている。
「ガアアアァ!」
吠えながら夏芽は丸太のような腕を横なぎに払った。主を守る役割の家に生まれ、幼いころより厳しく武術を仕込まれてきている二人にさえ、完全に見切る事ができないほどの速度だった。
「くっ!」
避けることも受け流すことも無理と判断したスイレンは、刀を立てて体の力を抜く。すると恐るべき力がスイレンの刀に加わってきた。できる限り打点をずらして勢いを削ぎたかったのだが、それすらさせてもらえずスイレンの体はいとも容易く宙に浮き、弾き飛ばされた。
「かはっ!」
そして背中から壁に叩きつけられ、肺から強制的に酸素を吐き出させられたスイレンは受け身を取ることもできずに床に崩れ落ちた。
「姉さん!」
それを見て悲痛な声で叫んだハクレンの元にも夏芽の凶悪な攻撃が迫る。振りぬいた腕がばね仕掛けのような勢いで戻ってきて、ハクレンの体も吹き飛ばした。
ほぼ水平に飛んだハクレンの体は、崩れ落ちたスイレンの頭の上を越して反対側の壁に叩きつけられた。
ドゴン!という音と壊れた壁、パラパラとこぼれ落ちるがれきが地面に倒れこんだハクレンに降りかかっている。
その様子をマジックミラー越しの佐久間は、少し微妙な顔でそれを見ていた。
「防御力も攻撃力も申し分がないな。しかし、自我がなくなるのはいかがしたものかな……」
腕を組んで、何が悪かったのか自問しだした。佐久間の本来の計画では夏芽の意識は残ったままで、あの力を発揮する予定だったのだ。
「感染者を呼び寄せるのは問題なかった。自我もしっかりしていた。戦闘に入ってからだ。これが感染者としての本能が強く出てしまったのか、夏芽の資質によるものなのか……検証が必要だな」
独り言を言いながら、佐久間はポケットからフラッシュメモリを出しパソコンに差した。複雑なパスワードを何個も入れてようやく開いたファイルにはこれまでの研究のデータが詰まっていた。そこに今の様子を打ち込んでいく。
それが終わって顔をあげると佐久間は目を見開いた。その視線の先では、スイレンとハクレンがふらつきながらも立ち上がった所だった。
「ほう、あれだけの攻撃を食らってもすぐに立つか。」
思い切り壁に叩きつけられたのだ。具体的な数字は未計測だが、ダンプカーにはねられるくらいの衝撃はあるだろうと佐久間は見ていたのだ。
事実、立ち上がりはしたものの肉体はかなりのダメージをおっているように見えた。姉と呼ばれてるほうは背中から壁に激突して、折れた肋骨がどこかに刺さりでもしたのか、しきりに咳き込んでいる。
「やってくれますね……これほどとは。でも、囮としてはいい働きをしたと思います。ハクレン、立てますか?」
胸を押さえ、しきりに咳き込みながらスイレンは夏芽から目を離さずにそう言った。咳き込むたびに血が混じっているのを見て、受け損ねたと悔しい気持ちが巻き起こるが目の前にいる奴は本物の化け物である。そろそろ撤退の時期とスイレンは判断していた。
ルートをつぶされていたりして、進行ルートを限定させて待ち伏せしているであろう事は容易に想像がつく。カナタ達は天井裏の換気ダクトから先に進ませている。スイレンたちはあえて待ち受けている敵に当たることでカナタ達に意識が向かないようにしていただけだ。
「なんとか……でもさっきの攻撃で、残った短刀も砕けました。これ以上はちょーっときびしいですねぇ」
ハクレンはそう言いながら自分が当たって砕いた壁材を押しのけながら立ち上がった。痛めたのか左肩を押さえている。
しかも夏芽の背後にあるドアが先ほどから激しいノックをされていて、今にも壊れそうだ。
「ハクレン、そろそろ撤退を……」
しようとスイレンが言おうとした時だった。
「ガアアアッ!」
スイレンたちが入ってきたドアから感染者が入ってきた。すでにスイレンたちを標的と定めているのか、なりふり構わず向かってくる。
「ハクレン!」
スイレンが叫んで、懐から何かを出してハクレンの方に投げた。
「相変わらず姉さんはどこに入れていたのかわからない物を出しますねぇ」
苦笑いをしながらハクレンはそれをキャッチする。それは中国武術でよく使われるトンファーだ。それが二本ケースに入っている。
ひゅんひゅんと風切り音を鳴らしながらハクレンはそれを構えた。そして向かってきた感染者をいなすとくるりと回ったトンファーが後頭部に振り下ろされる。
首の骨を砕いた感触が手に伝わり、びくりと体を震わせた感染者はそのまま崩れ落ちた。
見るとスイレンも二体ほどの感染者の首を切って倒したところだった。
「このまま道を開いて撤退しますよ。行けますかハクレン」
すっと背中を合わせたスイレンが言うと、ハクレンも目の前の感染者を沈めて頷く。
そして撤退しようと動き始めたところだった。バキとかグシャとかいう音がしているのに気づき、目をやった。そこでは……
かつて夏芽だった物が手近な感染者をつかみ、むさぼるように食っている姿があった……
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