20-8
「ほんまに大丈夫なんやろな」
夏芽はマジックミラー越しにもう一度確認するように問いかけた。首を飛ばされた感触はいまだ忘れていない。あれを体験するのは二度と御免である。
「大丈夫だ。お前はあのマザーとかいう存在と等しい力を持っているはずだ。その証拠に外の感染者どもを呼び寄せることもできたではないか」
感情を感じさせない無機質な声はスピーカーを通して通してそう言った。それを聞いて満足したのか、夏芽の口角が持ち上がり、残忍な一面が表に出る。
「そうか、そんならこの前のお返しといこか。無双したる。今流行りのチートってやつや」
男をだます過程で相手の趣味をリサーチすることもある夏芽は広く浅いが知識はある。素人がネットに投稿するライトノベルで一昔前からそんな言葉がよく見られることも知っていた。
ドアが叩かれる音が強くなり、施錠した上にわざと扉の枠をゆがませているので簡単に開くことはなかったがそろそろ限界が近いようだ。マザー並みという力は階段に椅子やテーブルを押し込んで通れなくする事も、金属製のドア枠をドアごとゆがませる事も造作もない事だった。
見た目こそ以前と変わらない姿をしているが、数倍強力になった夏芽が指を鳴らしながらその時を待つ。その後ろ、マジックミラーの向こう側では己の実験の成果を確かめんと佐久間が目を光らせていた。
その数秒後、ドアがきしみ断末魔をあげてはじけ飛んだ。その向こうでは見たことのない女性が二人立っていた。
「は?」
よく似ているので姉妹かもしれない。二人で言葉を交わしている、その雰囲気と所作はわずかに日本人と違うところが垣間見えるので大陸の方の人物かもしれない。
そんな事よりもてっきり自分の首を飛ばした男がいると思っていた夏芽は盛大に失望した。何事も無かったように立っている自分を見て、またその後に見せる圧倒的な力を見て、自分の首を飛ばした男がどんな顔をするか楽しみにしていたのだ。
ほんのわずかだったが、自分に死の恐怖を垣間見せてくれた男の姿がないとわかると、夏芽はあからさまに肩の力を抜いた。どんな方法を使ってこようが、どんな武器を使ってこようが徹底的に自分には効かない所を見せて絶望を与えてくれようと構えていたのだ。
見れば、どうやってここに迷い込んできたものかわからないが、目の前の女性は二人とも細い体つきをしていて、なんなら銃なども武器も持っている様子はない。
「なんなん?あんたら……」
夏芽が最後まで言葉を言ってしまうことはできなかった。口を「ら」の形にしたまま再びその首は宙を舞っていた。
思えば夏芽は浅慮がすぎた。いくら見た目が強そうでないと思ってもこんな感染者だらけの港湾エリアのさらに中心のこの倉庫まで力のない女性が立った二人でたどり着けるはずがないのだ。せめて警戒を解くべきではなかった。そのツケはさらなる屈辱という形で夏芽を襲った。
マジックミラーの向こうでも佐久間は異変に気付いていた。ドアの向こうに立っていたのが想定していない人物だったからというのは夏芽と同じである。しかし夏芽と違い佐久間には油断はなかった。気づくと同時に手元のキーボードを操作し、監視カメラの映像を一覧表示させる。
「……」
さっきまで、派手にライフルを撃っていた少女の姿もなくなっている。あれだけ用意していた感染者たちを倒したにしてはあまりに早すぎる。さらに先ほどまでドアの向こうにいたはずの者達も姿を消している。どの監視カメラを見ても姿はない。すぐに想定を大きく外れた事態が起こった事を確信した佐久間は再びキーボードを操作すると、感染者を隔離している区画のロックをすべて外した。夏芽はあれ程度で死にはしない。であれば感染者たちはその部屋めがけて集まってくるだろう。
それは自動的に自分を守る肉壁にもなる。めずらしく佐久間はほくそ笑んだ。
さらに念のため、逃亡用のルートのロックを解除した。これは自分が万一に際に安全に脱出できるように作っておいた外に直通するルートで、誰も知らないし外から見てもそれとわからないような偽装を施してあった。
夏芽の執念が生存にあるように、佐久間の執念は研究にあった。この知識の追求を邪魔することは誰であろうとも許さない。そして邪魔される可能性は徹底的に、それこそ病的に排除しまた準備している。
背後から逃亡ルートのロックが解除された音が聞こえてくる。これで万一自分に危険が迫ろうとも数歩先の扉に逃げ込めば問題なく姿をくらますことができる。背後の扉は複数の生体認証で開閉でき、自分以外には通ることはできないし壊すことも簡単ではない。一本道の通路は外から見えない船着き場に続いていて、そこには一人乗りのボートが泊っている。
いざという時には、それで瀬戸内海を渡り本州へ行く。№都市は№1を除いて本州からの通行を監視できる位置にあり、さらに通行をきびしく制限している。これは無用の混乱を避けるためでもあるのだが、入ってくることを制限すると同時に出ていくことも制限しているのだ。ひとたび本州に逃げ込んでしまえば追うことも容易ではなくなる。
「協力者はあちらにもいるのだよ」
そう独り言ちた佐久間はくっくっと含み笑いをする。研究にしか興味はないがけして愚か者ではない佐久間は本州にいる生存者のグループのいくつかにも接触をしている。研究に必要な物資を手に入れるためでもあり、こうしたいざという時の潜伏先でもある。そのために佐久間は研究の経過を問題ない程度流していた。
そうして、安全に脱出する準備を終えた佐久間は、腰を据えてマジックミラーの向こうに視線を戻した。そこでは夏芽が自分の首をつかんで元の位置に戻すところだった。
ちらりと横目で見た監視カメラには、すでにどこもかしこも感染者で埋まっている。
「くっくっ」
もう一度佐久間は笑った。
「そう、何も問題はない。少々想定外の事が起こったようだが、すべては私の掌の上だ」
一人満足げに言うと椅子に腰かけ、サイドテーブルに置いていたワイングラスの香りを楽しんだ後口に含んで芳醇な味わいを楽しむ。
ふと、脳裏に浮かんだかつての製薬会社の上司たちがひざまづいて許しを請う様を思い出して愉悦にひたる。
「私の研究の邪魔をするものは全員そうなるのだよ。」
愉快気にそう言うと、脳裏に浮かんだ記憶は次々と後ろから銃で撃ち殺される上司たちの姿が流れた。醜く顔じゅうを汁まみれにした上司たちを一人ずつ撃っていく。がくんと体を跳ねさせた後はもう何も言わなくなる。
追憶から戻った佐久間は激しい戦いをする夏芽を見やる。二人の女性達は思っていたよりずいぶんと腕がたつようだが、それでもマザーと同じ力を有した夏芽にはかなうまい。ほくそ笑んでもう一口ワインを含む。
ちなみに佐久間のいる部屋と夏芽がいる部屋を隔てているマジックミラーは特別製で、二枚の防弾ガラスの間に柔軟性のある樹脂を挟んで作ってある非常に堅牢なものだ。
「なにしろ、アサルトライフル……いや、バトルライフルと言ったか。それでも小さなひびが入るかどうかだったからな」
満足そうに言いながら佐久間は夏芽の戦いを、自分の研究の成果を静かに見るのだった。
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