20-6
けたたましい銃声が背後から聞こえてくる。その音に背中を押されるようにカナタ達は階段を上がり、踊り場のようになっているところまできた。
「これは……上には行けませんね」
本来折り返してさらに上にのぼるところを見上げて詩織は呆れたようにいった。そこにはいすやテーブルなど室内の備品がぎゅうぎゅうに押し込まれた状態になっていた。ところどころフレームが曲がって絡まっている様を見るにとても人間がやったとは思えない。
「となると……」
全員の視線が踊り場に一つだけある扉に集まった。
「なあ、ほんまにだいじょうぶなんやろな?」
胡散臭そうな顔で振り返ったのは、佐久間の手によって感染して意識を保ったまま発症した時の能力を有する女性。相変わらず半袖のシャツと今日はひざ丈のデニムという軽装のこの女性の名は夏芽。
これまで様々なところで暗躍して佐久間の望む状況を作るために奔走していた。
夏芽の視線の先には夏芽が映る鏡張りの壁がある。これはマジックミラーになっていて光のあて具合でこちらからはただの鏡にしか見えない。そしてその鏡の向こうにいるのは……
ぼんやりとマジックミラー越しに夏芽を見る中年の男性がいる。佐久間隆。かつては藤堂が代表を務める山城建設で藤堂のブレーンとして働いていた男だ。今は感染者の研究にすべてをささげているマッドサイエンティストだが……
荒くれものばかりの山城建設で唯一頭脳派だった佐久間はかつて人の細胞の研究で名をはせた人物だった。しかし、そのいきすぎた探究心と人としての感情が薄かったことから、実にあっさりと禁断の領域に足を踏み入れた。
薬の効果の実験の協力と称し、高い報酬をちらつかせて人を集めた。それも社会的立場が低く、身寄りがない、もしくは肉親から見放されているような人物ばかり集めては実験に使っていたのだ。
これが明るみに出た時、彼の実験室のプールには大量の人骨が沈んでいたという。これに対し彼を雇っていた製薬会社は会社の信用と上層部の保身のため、事実を闇から闇に葬り佐久間を解雇して何もなかったことにした。
佐久間は名誉も金も興味がなく、ただ研究ができればよかったのだがさすがに身一つで追い出され、さりとてほかの生き方など知らなかった佐久間は浮浪者同然でさまよっていたところを藤堂に拾われた。
当初は藤堂の人物に多少は心が動いたのか、研究欲は鳴りを潜めていた。その明晰な頭脳を遺憾なくいかし、これまで興味もなかった会社の経営の知識を入れた。普通ならばにわか仕込みの知識などそう役に立たないであろうが、佐久間の頭脳は群を抜いていた。瞬く間に山城建設にとって有益な献策をして、時には自ら動き地元の土建屋だった山城建設を日本を代表する建設会社まで押し上げてしまった。
四国のリゾート・アミューズメント施設の建設は山城建設が手掛ける初めての大きな仕事だったのだ。
しかし、そこにパニックが起きてしまった。そこで目にした感染者に佐久間の心は激しく揺り動かされた。これまでの常識では考えられない症状。見たこともない症例や体の変化。
気付くと佐久間は感染者を捕まえ解剖していた。ふたたび泥沼に浸かっていったのだ。
「無論だ、私を信じたまえ。君はもう無敵だよ」
感情を全く感じさせない落ち着いた声が天井のスピーカーから聞こえる。この部屋はカナタ達がいる階段の踊り場とドアを一枚隔てただけの部屋だ。さっきからドアがガチャガチャと動いたり時には殴りつけたのか、ゴンという激しい音がしたりしている。
夏芽が佐久間と出会ったのは偶然だった。
パニック当初、夏芽は入った会社を半年と持たずに辞めたところだった。どうしても会社員という組織の一員になじめなかった彼女にとって、仕事を覚えるよりも先に会社員としての常識に慣れることができなかったのだ。
一般常識や上下関係というものに全くとらわれない性格の夏芽はクラブなどで出会う男性をひっかけて暮らしていた。その日は少し前からしつこく声を掛けられていた男の誘いに乗ってドライブデートに行く予定だった。あまりぱっとしないチンピラ風の男で、林とか森とかそんな名前の男だったと思う。
いかにもガラの悪そうな真っ黒にフイルムを張った違法改造車で迎えに来たときはやっぱり断って帰ろうかと思ったが、その時の夏芽の懐は風邪をひきそうなほどに凍えていたのだから仕方ないと思いなおし、精一杯の愛想笑いを作ったものだ。
会社で上司に愛想を振りまくのは苦手だが、男をだますのに振りまく愛想は種類が違うのか、抵抗なくできた。その日も助手席で頭の悪そうな話題に大げさに反応しながら、男の懐勘定をしていた時だった。
「あ~ン?なんだよあいつとろとろ歩きやがって……信号かわってんぞ、おい」
男が苛立たし気に言う。夏芽はちらりと横断歩道をよろよろと歩くくたびれた男性の姿を見たがすぐに興味を失い視線を戻した。
今は林から金目の物を無心する計画で頭がいっぱいだったからだ。その金額によっては今日の対応も変わるというものだ。ご飯をたべてさよならするか、その後おしゃれなホテルで……
「ちっ!ふざけやがって」
林がイラつくようにクラクションを鳴らしていたが、ふらふらしている男性はまったく動じることもなく今にも止まりそうな速度で歩いている。
ついにドアを開けて運転席を降りようとする林に夏芽は軽く舌打ちした。そんな事より早く具体的な年収を聞きたいのだ。そして自分を放って行ったことで減点1と心のメモにしっかりと残す。この点数は減点方式で加点されることはなく、一定のラインを割るとまるで存在していないような対応をされる。
運転席を降りた林は肩を怒らせ歩いていくと、男性の肩を強く突き飛ばした。男性はたたらを踏んで今にも倒れそうだ。
「あ~あ、かわいそ」
と、まったく思ってもいないことを呟きながらニヤニヤしてその様子を見ていた。人の不幸は嫌いではないのだ。
しかし夏芽はその時の男性の顔をはっきりとみた。今でこそ都市の外を歩けばいくらでも見かけるが、感染者という存在を知らなかった当時は男性の様子が明らかに不気味なものに見えたのだ。
林も同じことを思ったのか、追い込みをかけることを躊躇しているようだ。夏芽は窓を開けると顔を出して林に声をかけることにした。
「ちょっと、もう行こうーよ!そんなのその辺に捨ててきなよ。」
そう言うと夏芽は気を落ち着かせるために勝手に林の煙草を取り、くわえると火をつけた。普段は関西弁だが、最初はねこをかぶってかわいいと思っている喋り方をしている。いつもの事なのである。
そしてふたたび視線を戻すと信じられない光景が広がっていた。林が男性を突き飛ばして車に戻ろうと踵を返した途端、男性が林の腕をつかむとすごい勢いで引き寄せた。
林は何も対応できずに間抜けな顔で男性に掴まれた。そして……
「キャアアアァァッ!」
最初、誰かが近くで叫んでいてうるさいと思ったが、それが自分の喉から発せられたと気付いた夏芽はシートベルトを外すのももどかしくドアを開けると転がるようにして走った。
もぬけの殻となった車の前では、首筋にかみつかれた林が大量の血を噴き出しながら痙攣しているところだった。
「な、なんやねんあれ!」
訳の分からない恐怖に襲われながら夏芽は走った。もうねこを被る余裕もなく走った。誰かに買ってもらったお高いヒールも片方はいつの間にか脱げていたし、もう片方もヒール部分が折れてしまっている。これまたどこかの男にねだったブランド物の洋服はどこかにひっかけたのかあちこちをひっかけてやぶれてしまっている。
「あかん、いざっちゅう時に売るつもりやったのに……」
息が苦しくて足を止めた夏芽が最初に思ったことがそれだった。貯金どころか決まった家さえ持たない夏芽の財産だった。
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