19-5
「そうや!詩織、詩織も来とんねん。詩織……ちょっとややこしい事になっとるけど……」
そこまで言うと、言い淀んでしまい伊織は俯いた。そんな伊織の肩に建佑が手を置く。
「大体の事はこっちでも掴んでる。お前らには大変な思いをさせちまったなと思ってる」
建佑のその言葉を聞くと、伊織は肩に置かれた建佑の手をバッと払うと、睨みつける。
「掴んどる?掴んどるて言うたかオヤジ!詩織は……詩織はな感染してんねんぞ!」
建佑の言葉で堰を切ったように涙をあふれさせて伊織が叫んだ。建佑も村部もそれを沈痛な面持ちでただ聞いている。
「ウチを……ウチをかばって感染してもうたんや!オヤジは何しとった!こんなとこで知り合いに会うてぬくぬくしとったんか!」
「伊織ちゃんそれは違う……」
伊織の言葉を否定しようとした村部をそっと建佑は制した。
「伊織の言う通りじゃ。娘たちが命の危険を冒して動いてるっちゅうのに儂は何もできずにここでのほほんとしとった。許してほしいなんて言わん。ワシが憎かったら憎んでもいい。ただ、佐久間のくそったれを始末するまではこの命借りときたい。そのあとはどうでも好きにして構わん。それであかんか?」
「……佐久間をどうにかしたいのはウチも一緒や。でも、そう思うんならなんで早く動かんかった?もしさっさとカタつけることができとったら詩織はあんな目に合わんですんだかもしれんやろが!」
「………………」
涙をぬぐう事もせずに感情を爆発させる伊織の悲痛な叫びに建佑はただじっと耐えているように見える。
「伊織ちゃん……」
「いいんや旦那。伊織の言う通りじゃ」
また何かを言おうとする村部を建佑が止める。
「部外者が口を挟むようですいません」
それを見ていたカナタがそう声をあげると、まさに関係ない奴はすっこんどれ!と言わんばかりの視線が建佑から叩きつけられる。思わず黙りそうになったが、これは伊織ちゃんのためにも言わないといけないと思い、真剣を持って立ち会うくらいの気構えで建佑の視線を受け止めた。
わずかだが、おっ?というゆるみが見えたので、その隙を逃さず言葉を挟む。
「僕たちは伊織ちゃんと行動を共にしてきました。伊織ちゃんの言う事は僕も同感です。ただ、建佑さん側の言い分も言うべきだと思います。伊織ちゃんだって子供じゃないんだから、言うだけ言えば気がすむって問題でもないでしょう」
カナタがそういうと建佑はじっとカナタを見詰める。まるで師匠と立ち会った時のようだ。とカナタは感じた。建佑から発せられる気迫は師匠の気迫に引けをとらない。ただ気圧されだけはしないように腹に力を込めてそれを受け止める。
やがて息を吐いたのは、カナタでも建佑でもなく村部だった。
「旦那、この兄ちゃんの言うとおりだよ。この兄ちゃんもただの興味や好奇心でまぜっかえしているわけじゃないのは旦那だってわかるだろう?いいかい伊織ちゃん。」
そう言うと村部は訥々と語りだした。今度は建佑も止める事はなかった。
「あの佐久間って男は実に狡猾でね。じっと爪を研いでいたんだ、それこそこのパニックが起きる前からね。」
その言葉に伊織の眉がピクリと動いた。以前聞いた話ではパニック以前は信用できる人物だったと言っていた。村部の言う事が本当ならその頃から騙されていたことになる。
「パニックが起きて、旦那はここの都市を作って守る事にかかりっきりになった。佐久間はすぐに感染者に興味をもったようですぐに調べ始めたようだよ。やがてある程度感染者の情報を掴んで、これ以上調べるにはちゃんとした場所と好きに動ける権力が必要と感じた時点ですぐに佐久間は動いた。動きがおかしいと感じる暇もなくね。まず佐久間は詩織ちゃんを押さえた。……これは言うべきか迷うところなんだが、この兄ちゃんの言う通り伊織ちゃんも子供じゃあない。知る権利があると考えて言うが……二人のお母さん。紗雪さんは佐久間に詩織ちゃんを渡すまいと抵抗して、佐久間が放った感染者にやられたんだよ」
村部は伊織の目をまっすぐに見てからそう告げた。ここにきて新たな情報に伊織に目が大きく開かれる。
「それでも力及ばず詩織ちゃんは佐久間の手に落ちた。そうなると旦那には何もできない。すぐに伊織ちゃんとも離され、代表の座も奪われた。佐久間は代表という権力が欲しかったわけじゃない。ただ研究するのに必要だったからうばったにすぎない。欲で動いてない奴は逆に厄介なんだよ……伊織ちゃんたちはうまく動いて佐久間の手から少し離れる事が出来たみたいだけど、旦那はずっと監視がついていた。気味が悪い爺さんがずっといたんだよここに……食事も睡眠も必要としないで、暗がりからじっと見つめてくるんだ。私にゃ旦那が気が狂わないのが不思議なくらいだったよ。烏間という奴だがね?」
「烏間?」
それにアマネが食いついた。階に化けてのうのうと一緒に行動していたアマネにとって絶対に許せない相手だ。
「おや、知ってるのかい?。ここにいる間も何の薬か知らないが怪しげな薬を定期的に注射していたが……急にいなくなった。なるほど、アンタ達のほうに行ったのか……それまではずっといたから、旦那は牢屋の中でじっとしているしかなかったんだよ。誰も近づけないし、誰とも話せない。外の情報も入ってこない。今みたいに署内を動けるようになったのは最近なんだよ」
余計な感情をこめずに訥々と語る村部の話は、それなのにまるで悲痛な叫びをあげているように聞こえた。
伊織の涙はいつしか怒りと悔しさから悲しさの涙に変わっていた。
「あのくそったれ……ずっと騙し取ったんか。しかも母さんまでやと?ふざけやがって……」
握りしめた伊織の拳からぽたぽたと血がこぼれた。強く握りしめて自分の手の皮を破ったようだ。そんな伊織の手を伊織の倍ほどもある手が覆った。
建佑さんだとおもっていた。手の主が言葉を発するまでは……
「伊織ちゃん、自分を傷つけるのは良くないよ。その手は佐久間とかいう奴はともかく、伊織ちゃんが血を流す事はなくていいんだ」
涙声でそんなクサイ事を言う奴をカナタは一人しか知らない。
弾かれるように顔を上げるとそこには両手で伊織の手を包むダイゴの姿があった。その後ろではスバルも鼻をかんでいる。
「ダイ…ゴ、さん?どないしたん。顔ぐちゃぐちゃやで」
号泣と言って差し支えないほどのダイゴを見た伊織は、泣きながらも少し笑って言った。
「決めたよ。伊織ちゃん、僕が君の盾になる。君は佐久間という奴に集中していればいいから。僕が生きて、立っている間は君に傷一つつけさせない!」
ぐっと拳を握ってそう言ったダイゴは分かっているのだろうか。今のセリフは聞き方によっては熱烈な告白に聞こえるという事を……
ダイゴの事をよく知っているカナタからすれば、伊織の境遇に大いに同情したダイゴが力の限り手伝いますよと変換されるのだが、そこまで付き合いの深くない伊織がどう受け取るか……
そうッと伊織の顔を盗み見ると、頬を染めてぼおっとしている。
あ、これはやばい。そう思ったが、あえて放っておいた。ただ、向かい側にいる閻魔様のようなお父さんの事が大変そうだよダイゴ君。
いろいろと考える事も意外な事も起きすぎて頭が混乱しそうになっているが、こっちのほうが面白そうだ。他人事と思い暖かい目でダイゴと伊織を見つめるカナタだった。
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