18-2
「ほんじゃ、まあいくでッ!」
夏芽は一瞬で加速したと思うと、アマネの目の前に立ちすでに攻撃モーションに入っていた。
「おおー」
それに何とか脇差を合わせて体を引きながら逸らすと、今度はアマネが斬りつけた。しかしアマネの攻撃が届こうとする頃には二歩も三歩も後ろに下がっていた。その顔からはまだ余裕が窺える。
「ふ~ん。そこらの自称達人よりよっぽど鋭い動きやな。二回も躱されたんは久しぶりや」
あくまで楽しそうな雰囲気で夏芽は手甲同士をぶつけている。
「それならこんなのはどうや?」
さっきと同じ感じで一気に踏み込んでくる。しかし二回目でもあり、アマネも合わせて動いている。しかし今度はアマネの少し前で踏み切って低空を這うような斬撃を放ってきた。
とても人間ができる動きではないそれだけにさすがのアマネも一瞬対応が遅れた。
「つっ!りゃー」
アマネの足を軽く斬りつけると深追いせずに後ろに飛び退いた。アマネの斬撃が届くときには元の位置に戻っている。
「おいお前遊んでんのかー?」
脇差で夏芽を指してアマネが言う。その右足のくるぶし付近には薄く一筋の傷が見える。
「連れない事言うなや。せっかくまともにやりあえるレベルの人間に会えたんや。これくらい楽しんでも罰は当たらんで。」
「へへっ、お前にバチが当たらないならそれは神様の怠慢だなー。こんどはこっちから……」
言うが早いかアマネの姿が消えたように見え、次の瞬間には大上段から斬り降ろしの体勢になっていた。
それは夏芽にとって予想外だったのか、泡を食ったように後ろに跳んでようやく躱した。
盛大に空振りして土煙を巻き上げたが、これは躱した夏芽をほめるべきだろう。元の位置からの距離を考えると常識を超えた速度である。
「へへっ……南方朱雀流『山颪』だ」
動きは単純だ。上段に振りかぶったあと、そのまま振り下ろしただけだ。しかし間合いに入る速度と、振り下ろす速度が尋常ではない。
「アマネちゃんが本気をだすなんて……先生以外では初めて見るわ。それだけの相手って事ね」
天音瑠依は仁科道場において一番の天才と言われている。あまり前面に出してはいないが南方朱雀流というのが仁科道場で教えている剣術の元になっている。古式流派であるのと、今の時代は剣道が主であるために有名ではないが、一部の熟達者には知られている流派なのだ。
あくまでルールにのっとったスポーツの枠組みにある剣道とは違い、古流剣術というのは敵を倒すことを主目的としているため今の時代にはそぐわない。それゆえに道場主である仁科晴信は流派の看板を下ろして久しい。
しかし一部の熟練者に細々と受け継がれてきた技は生きているのだ。仁科晴信から天音瑠依へと。そして……
「なんやかっこいいやないか。そんな古臭いもん持ち出しよってからに……一瞬驚いたわ。確かに早くて鋭いな。普通ならさっきの一振りで終わっとったやろうな。あんた、殺しにきたな?」
ニヤリと笑って夏芽が言うと、アマネも当然とばかりに笑って返す。
「なんやのんきな姉ちゃんと思っとったらとんだタヌキやで。でも相手が悪かったなウチには勝てん」
そう言うと一見無造作に見える動きで踏み込んだ。近い間合いは手甲の方が有利なので、当然アマネは牽制の攻撃をして自分の間合いを保とうとした。
「なっ!」
必殺の一撃でも何でもない牽制の一振りだ。それを夏芽は腕で受けた。牽制とはいえ真剣である。腕の肉を切り裂いて骨に食い込む感触がアマネの手に伝わる。
肉を切らせて骨を断つという言葉があるが、それは死と隣り合わせの状態で初めてやれることで、日常的にできるはずはない。だが夏芽は何の躊躇もなく自分の左腕一本を犠牲にしてきた。
驚きのあまり、一瞬気を取られてしまった。夏芽の突きがアマネの心臓を狙っていた。
キン!
ここでさらに計算が狂ったのは、アマネが一人ではなかったという事だろう。
「アマネちゃん!大丈夫?」
横合いから伸びてきた階の槍が夏芽の手甲に当たり、軌道を逸らした。手甲の爪はアマネの洋服と胸の薄皮一枚を切り裂くにとどまった。
こちらを睨む夏芽に向かって階が槍を振るって間合いを稼ぐ。その間にアマネも体勢を立て直した。
「あら、二体一が卑怯とかいうつもりかしら?」
油断なく槍を向けながら階が問いかけた。
「そんな事言うかい。楽しくなって忘れとった自分に腹が立っとっただけや」
「強がりはよしなさい。その腕で私たち二人とやりあうつもり?」
階がそう言うと、夏芽はおかしそうに笑った。
「はははっ……ひひ、ふふふ……その腕で、ねえ。どの腕や言うてみい」
おかしそうに笑う夏芽を怪訝そうに見ていると、その顔はみるみる驚愕の顔に変わっていった。
アマネの刀は骨まで届いていたはずだ。動かすことはおろか、止血しなければ命にかかわってくるかもしれない。
ところが……夏芽は何事もなかったように腕をぐるぐると回している。斬った跡はある。左手は血塗れなのだから……
「もう出血もしていないし、後遺症らしきものもない。今度はどんな手品かしら?」
言いながら背中を冷たい汗が流れるのを感じた。口ではそう言っているがありえないと思っているのだから。
「種明かしは簡単にはできへんなぁ。さあ第二ラウンドや。いくでぇっ!」
……それから十分としないうちに形勢は変わっていた。体中至る所を血塗れにしながらもケガなどなかったことのようにしている夏芽と、大きい傷はないがいたる所を斬りつけられ、じりじりと押されているアマネと階。
いまも楽しそうに笑っている夏芽と、息が上がって話すこともつらそうな二人……
「これは……まいったなー。ハアハア、どうしていいか、まるでわからん。ハア、どうなってんだ?キザさん」
「ハア……私に聞かないで頂戴……ふう……ここまで、追いつめられる……のは、先生以外では……初めてね」
息も絶え絶えになっている二人を前に、全く呼吸を乱してもいない夏芽はポケットから飴か何かを出して口にしている。
「いや、たいしたもんやで。ここまでてこずったん始めてやねん。誇っていいで。……あの世でな……ウチが殺したってわけやないけど、ウチの元になった人と会うたら、ふてぶてしゅう生きとったって伝えてえな。ほなな」
そう言うと、夏芽の殺気が膨れ上がった。これはいよいよかとアマネも階も覚悟をした。どちらかが捨て身で攻撃してどっちかが生き残ればもうけもの。そう考えて……
二人とも一瞬で命を投げ捨てる覚悟ができるくらいには剣術の世界に順応してしまっていた。
「大丈夫や、二人まとめて送ったる。」
そう言うと夏芽は力を込めた。次の瞬間、腕が倍以上に膨らんでいる。
「あ、おわったなー」
「もうめちゃくちゃね……」
さすがにそれを見て、二人は力を抜いた。今の自分達では防ぎきれない。そう判断してしまったのだ。
「まぁまぁおもろかったで」
そう言うと夏芽は右腕を引くと勢いよく突き出した。土煙を巻き上げながら迫る光景にアマネも階も苦笑いをするしかなかった……