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15-9

「行かなきゃ……」


詩織は感情の感じられない表情のままそう呟き、ベッドから起きようとしている。それをカナタ達が止めようとしているのだが、大人男性が三人でようやく抑える事ができるくらいの力を詩織が出している。


「博士、試薬の投与でこうなるんですか?」


「まさか!こんな副反応が起きる可能性は全くありません。まして普段より強い力を出せるようなクスリなんてありませんよ!」


動こうとする詩織を抑え込みながら喰代博士は叫ぶように言った。その様子から、まったくの不測の事態であることが窺える。


「行かないと……呼んでるの」


詩織はまた同じような事を呟いた。呟きながらもすごい力で起き上がろうとしている。普通の人間ではありえない力と体の動かし方だ。


「詩織ちゃん!いったい誰が呼んでるっていうんだ?伊織か?」


必死に抑えながらカナタがそう言うと、表情のない顔の瞳だけがぎょろりとカナタの方を向いた。


「伊織……姉さん?行かないと…………どこに?……誰なの私に話しかけるのは!」


カナタの問いかけがきっかけになったのか分からないが、伊織の名前に反応した詩織は、自我を取り戻したのか頭を抱えて悲鳴を上げる様に言った。


「詩織さん、気をしっかり持ってください!皆さんそのままで!軽い鎮静剤をうちます」


そう言うと喰代博士は、詩織の元を離れ薬品を準備しだした。棚から小さな瓶を取ると、それに注射器を刺して薬剤を充填している。


「詩織さん、気持ちが落ち着く薬をうちます。力を抜いてください」


そう詩織に声をかけて注射をすると、詩織は一瞬顔をゆがめたが、だんだんと落ち着きを取り戻したようだ。


「ふう……おどろいた。いったいどうしたんだい?起き上がろうとしていた時の事を覚えているかい?」


額の汗をぬぐいながらかなたは詩織に声をかけた。詩織はしばらくうつむいて何かに耐える様にじっとしていたが、カナタの言葉にゆっくりと顔を上げた。


「……はい…………夢を見ているような感覚でうっすらとですが。私は……どうなってしまったんでしょうか……」


自分の手を見つめている詩織の顔色は蒼白だ。自分の意識を侵害されているような状況だ、無理もない。


「時間の経過……抵抗力の低下、そして試薬……意識の喪失と幻聴……う~ん……」


喰代博士は独り言を言いながら考え込んでしまっている。詩織の問いにも答える事もできないでいる。


「詩織ちゃん、あまり思い出したくないかもしれないけど……呼んでるって言ってたよね?どんな声が聞こえたの?」


考え込んでしまった喰代博士に替わり、カナタが詩織に声をかける。何か話していないと、重くなってしまった場の雰囲気に飲みこまれそうになってしまう気がしたのだ。


「……はっきりとは覚えていないんですが……遠くから聞こえてくる感じで……はっきりとした言葉じゃないんです。でも、なんとなく呼ばれているんだって分かりました。なんていうか……わたしだけを呼んでるんじゃなくて……なんていうか、先生が生徒を集めるのに、集合!って声を出してるみたいな感じです。」


思い出すのが辛いのか、詩織は顔をゆがめながら、しかしはっきりと言った。


それを聞いた喰代博士がハッと顔を上げる。


「集合をかける?詩織さんだけじゃない……もしかして…………でも」


詩織を見つめて、喰代博士は独り言を言いながら考えをまとめている。そして何か思い当たったように見えたが、表情をゆがめて顔を逸らした。


「藍、何か分かったのかい?とりあえず言ってみな。ここにいるみんなで考えればいいのさ。専門的な事はわからんでも何かきっかけになるかもしれないじゃないか」


黙って様子をみていた松柴が一人で考えている喰代に声をかけた。そして詩織の寝ているベッドの所まで行くと、椅子を寄せて座り詩織の背中を優しくなで始めた。


わけのわからない現象に頭がいっぱいになってしまっていたが、一番つらいのは詩織本人だろう。そんな詩織に何かケアをする事も気づかなかった……何かしらの配慮は必要だったのだ。松柴を見ながらカナタは自省する。

仮にも隊長という立場なのだから。


そう考えていたカナタが、何か引っかかった。何にひっかかったのか思い返していると、今の状況と前に見た光景と引っかかった言葉とが結びついていく。


「ん?隊長?……リーダー」


そう言葉に出して顔を上げると、喰代博士と目が合った。きっとおなじ事を考えているのだろう。しかし、それは詩織にとって辛い事になる。あくまで想像の域をでない考えだが、喰代博士も同じ考えなのであれば可能性は高い気がする。


それでも言いにくい内容なので躊躇していると、詩織も松柴もこちらを見ていることに気づいた。


「カナタさん何か思い当たったんですか?何でもいいです、言ってみてください。私は……自分が自分でなくなるのが怖いです。もし対策を立てる事ができるなら……」


「カナタ、彼女にとって一番つらいのは、このまま何もせずにおく事じゃからな?今は少しでもとっかかりがほしい。何か思い当たったのなら言うんじゃ」


真剣な顔の松柴と、悲壮な雰囲気をまといながらも前を見据えた詩織を見ると、カナタの迷いは消え去ってしまった。


「俺が思ったのは詩織ちゃんを呼ぶ声が、声じゃなくて電波や周波数みたいなものじゃないかって……一定の範囲内にいる対象に集合をかけるための。例えば……マザーが感染者達を集めてコロニーを形成する時みたいに。感染者達がマザーに向けて集団で移動を始めた時の事を思い出しました。詩織ちゃんは感染物質と試薬が拮抗している状態だから……マザーのそれを検知したんじゃないかって」


カナタがそう言うと、喰代博士も同じ意見だと言葉を添えた。


それは詩織を呼ぶ声が、マザーであるという事だ。けして気持ちの良い物ではないだろう。詩織は何かを耐えるような表情をしていたが、やがて何かを決意したような顔になった。


「喰代さん、私を調べる事でマザーや感染者の事が分かるのであれば、何でも協力します。その代わりというわけではないんですが……発症しないようにしてもらえればそれだけでいいので」


「っ!それは…………ありがとうございます。協力に感謝します。たぶん詩織さんは、言ってしまえば半感染の状態だと思います。つまり、発症していない感染者ということです。だからマザーの思念を受信したり、異常な治癒力も説明がつきます。……もちろん発症はしないようにあらゆる手を尽くすつもりです。これまでマザーや感染者の調査や研究はうまくできていませんでした。サンプルがとれない事が大きかったのです。マザーも感染者達も異常な治癒力をもっています。そのくせ倒してしまうと溶けてなくなりますので。……この詩織さんの協力はもしかしたら感染者達にたいする光明となりえるかもしれません」


一瞬だけ辛そうな顔をした喰代博士だったか、すぐに毅然とした表情になった。そして協力するという詩織の言葉に深く頭を下げた。


強い人たちだ……。そうカナタは思った。詩織も喰代博士もだ。半分感染した状態なんて想像もできないが、言葉では言い表せないほどの辛さだろうと思う。これまで見て来た感染者達の有様を思うと、半分であっても自分もあれと一緒だなんて考えたくもないだろう。その絶望と落胆を乗り越えて研究に協力すると言った詩織の胸中は計り知れない……

また、その詩織を正面から受け止める事ができた喰代博士もたいしたものだと思う。


何もできないカナタはただ詩織が発症しないよう祈る事しかできなかった。

読んでいただきありがとうございます。作品について何か思う事があったら、ぜひ教えてくれるとうれしいです。

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