15-8
「とりあえずしばらく様子を見て、変化が無いようでしたら試薬の追加投与をしてみましょう。感染体と免疫の拮抗が崩れれば目を覚ますと思います。」
喰代博士はノートを閉じながらそう言った。
「あの……試薬を一度投与した人に追加投与することは大丈夫な事なんですか?」
カナタが疑問に感じた事を尋ねた。ないとおもうがこれを研究の機会だと思われるのはよくない。ちょっと試してみようというノリで投与されても困るのだ。
「そこは大丈夫です。もちろん一般の人はやめた方がいいと思います。どんな副反応が現れるか分かりませんので。詩織さんは症状が安定していますし、なぜか傷が治癒している事で体力的にも問題ないと判断しました。」
それを聞いてホッとする。やはり喰代博士はこれまでの暴走したイメージがあるので一抹の不安があったのだ。
「カナタさん達も休んでください。ここまで急いできたんでしょう?そういえば他の人はどうしたんですか?」
「あ……その、えっとですね」
カナタはそう聞かれ、言いよどんでいる。勝手に№3に手を出そうとしているとは言いにくい。ましてすぐそこに松柴もいるのだ。
「ほ~う?どうやらアタシに聞かせたくない話みたいだねぇ。じゃあ席を外そうか」
そう言って松柴は止める間もなく部屋を出て行ってしまった。申し訳なく思うが、さすがに松柴の前では言えなかった。№3と№4は表面上は友好的な関係なのだ。
「じつは……」
伊織たちと出会ってからの事を順に話していく。マザーに接触しに行くくだりと、最後にヒナタ達が№3に向かっている話になると、喰代博士は驚きと困った顔を同居させるという器用な真似を披露することになった。
「え、っと……そのカナタさんの先輩という人……アマネさんでしたか?その人は№3に行ってどうするつもりなんでしょう?」
「それは俺にもわかりません。先輩は何も言ってくれませんでした。ウチの隊の人間も連れて行ってますからね、不安なんですが、それでいて結構頼りになる人でもあるんです。こう、何とかしてくれそうな気にしてくれるというか……」
「信頼してるんですね?」
にっこりと笑いながら喰代博士が言った言葉をカナタは一瞬理解できず、ぽかんとしてしまった。
「信頼?俺がアマネ先輩を?…………」
「カナタさん、そこで考え込まれると不安になるんですが……」
「あ、ああ!そうですよね。信頼?してるかどうかは置いておいて、何かしらやってくれる人なのは間違いないと思います」
どっちともつかないような返事をするカナタに喰代博士も苦笑いするしかなかった。
「ほう、やはりあの若造、腹に一物抱えておったか。食えん奴じゃの」
ふいに後ろから声がしてカナタの背中が一気にまっすぐ伸びる。いつのまにか松柴は部屋に戻って来ていて、カナタの話を聞いていたらしい。
「しかし、アタシに隠し事とはいただけないねカナタ?」
じろりと見られてカナタは思わず目をそらした。
「い、いやあ……さすがに都市同士のいろいろがあるだろうし……最悪知らなければ俺たちが独断で勝手にやった事にしてしまえるじゃないですか。松柴さんが知っててやらせたのとは話が違ってくるかなぁって……」
バツが悪そうに言うカナタの背中を松柴が平手で力強く叩いた。
「なんだい水臭いね!アンタらは私にとって身内みたいなもんと思っていたんだがねぇ。アタシの独りよがりだったのかい?」
「松柴さん……」
「だいたい十一番隊なんてよそにはないもんを作った時点で、アタシの私設部隊みたいな形なんだよアンタらは。ゆずなんかはよく遊びに来て相談とか持ち掛けてきていたから理解しているもんと思っていたがね?」
「ゆずがですか?」
それはカナタにも初耳だった。
「おうともさ。あの子はちょくちょく来ては雑談して帰っていくよ?最近はアタシの事もばあちゃんなんて呼んでくれるくらいさ」
さらに告げられる話にカナタは頭を抱えた。何してんだあいつは……仮にも都市の代表だというのに……確かの他の人と比べるとカナタ達は松柴と近い関係にある。それは松柴が絡まれている所を助けに入ったところから、松柴に誘われて一緒に都市に来た事があるからだ。
カナタが頭を抱えていると、松柴は何でもない事のように言った。
「だからあんたももっと頼ってくれていいんだよ。アンタらを巻き込んだのはアタシだからね、それくらいはするさ」
松柴はそう言うが、カナタは巻き込まれたとは思っていない。助けてもらったとさえ思っているのだ。
そう考えていた事を伝えると、松柴は嬉しそうに笑った後に、それならもっとアタシを頼りな!ともう一度カナタの背中を叩いた。
「では、投与しますね」
カナタ達が見守る中、詩織の腕に注射器が刺され中の薬剤がゆっくりと注入されていく。あれから一時間ほど様子を見たが、一行に様子が変わらないため試薬を追加することになった。
「これで意識を取り戻してくれるといいんですが……」
喰代博士はそう言って眉をよせる。いくら開発した本人とはいえ、臨床データがまったくない状態では結果がどうなるか予想しかできない。手探りでやるしかないのだ。
試薬を追加投与して数分した時、詩織にわずかな変化が見られた。一度大きく呼吸をした後、寝息のような呼吸に変わったのだ。これまではよく見ないと分からないくらい小さくゆっくりとした呼吸だったのだ。
「詩織さん、聞こえますか?」
博士が詩織の手を取って話しかける。すると詩織の眉がピクリと動いたかと思うと、ゆっくりと目を開けた。
「やった!気づいた」
喜びの声を上げるスバルを喰代博士が制した。
「私の声が聞こえますか?」
そう訊ねると、詩織は喰代博士の方に少しだけ向いて、小さく頷いた。
「自分の名前が分かりますか?ゆっくりでいいですよ」
「名前……藤堂……詩織です」
詩織はかすれた声で答えた。
「はい。ではこれが何本か分かりますか?」
博士が指を三本立てて詩織の顔の前に出す。
「三本、です」
それに詩織が答える。
「では、なんであなたが眠っていたか覚えてますか?」
博士の質問に、記憶を辿っているのか、しばらく間が空いた。詩織の瞳が上を向く。
「私は……マザーと戦っていて……姉さんと……はっ!姉さんは!」
経過を思い出したのか、詩織が体を起こそうとした。しかし衰弱しているのか身を起こす事ができなかった。そんな詩織を喰代博士は優しく制した。
「大丈夫です。マザーとの戦いは終わりました。あなたのお姉さんも無事です。」
その喰代博士の言葉に詩織はあからさまにホッとした顔になった。それを見ていたカナタ達も無事に見える様子に安堵した空気が流れた。しかし、次の瞬間には再び緊張が走る事になった。詩織が突然言い出した言葉は不可解なものだったからだ。
「聞こえる……呼んでいるの?」
そう呟く詩織の目は焦点が合っていない。そして能面のような無表情になってしまっている。
「博士、これはいったい?」
突然様子が変わった詩織を見て、カナタがそう喰代に尋ねるが、喰代も訝し気な顔で詩織を見ていた。
「詩織さん?私の言う事がわかりますか?」
「……呼んでる。行かなきゃ……」
そう言うと、人形のような動きで詩織は上半身を起こした。さっきまで起きる事もできなかったのに、まるで何かに引っ張られるような動きで……
「皆さん!詩織さんを抑えてください。これは良くない兆候です!」
言うが早いか、喰代博士は詩織を抑えようとしたが一人では抑える事もできないくらいの力で詩織は起き上がろうとしている。
「詩織ちゃん!どうしたんだ、しっかりするんだ!」
カナタも詩織が起きないように肩を抑えて声をかけるが、それに一切反応しない。それどころか二人がかりでも抑える事ができないほどの力で起き上がろうとしている。
「うそだろ……みんな手を貸してくれ、すごい力だ」
カナタの言葉で、半信半疑の様子ながら詩織に手をかけた全員がすぐに驚愕の表情に変わった。一人の女の子が出せる力ではないのだ。
「これはいったい……」
カナタの脳裏に嫌な予感がひしひしと伝わってきていた。
読んでいただきありがとうございます。作品について何か思う事があったら、ぜひ教えてくれるとうれしいです。
ブックマークや感想、誤字報告などは作者の励みになります。ページ下部にあります。よろしければ!
忌憚のない評価も大歓迎です。同じくページ下部の☆でどうぞ!