2-5
「ね、カナタ。起きてる?」
声を潜めてハルカが話しかけてきた。
「ああ……なんか眠れなくて。いつもはどこでもすぐに眠れるんだけどな~」
カナタがそう返すと、小さく笑う声が聞こえた。その様子にカナタは少しだけホッとする。ヒノトリで再会してからこっち、ハルカはずっとふさぎ込んでいたからだ。
「ここ、ちょっと狭くない?そっちはどう?」
「まあ、確かに狭いけど……仕方ないんじゃないか?」
あくまで物資を運ぶのが目的で、自分たちはついでなのだ。贅沢は言えないだろう。
カナタはそう言ったが、ハルカの返事がない。あれ、寝たのか?と思い始めた頃に返事が返ってきた。
「ね、間の段ボール取っちゃおうよ。そしたら少しだけど広くなるでしょ?もう少し楽な態勢で寝れるよ」
「ばっ、そしたら俺と一つの部屋になっちゃうだろ。」
慌てて言い返すがハルカは特に慌てる様子もなく話を続けた。
「カーテンで仕切ればいいじゃん。ほら、そっちからも取って通路側に置いちゃおう」
言うが早いか、向こうから段ボールを移動させる音が聞こえる。カーテン一枚隔てて隣り合わせって……と、カナタがドギマギしているうちにもハルカ側の段ボールが移動され、カナタ側のひと箱がすっと引っ込んだと思うと、ハルカのいたずらっぽく笑う顔が見える。
「何してんの?遅いなあ。女の子ばかり力仕事させてどうなのかなあ、男として」
「はっ!ハンデをやったんだ。見てろよ、残りは俺一人で全部移動してやるよ」
久しぶりに見たハルカのそんな笑顔を見て、なんだか嬉しくなったカナタは挑発にのったふりして段ボールを移動し始めた。やがて出来上がった一部屋はそれぞれのスペースに段ボール箱を二列分足したようになり、思ったよりも広く感じる。
「ほら~、だいぶ広くなった。そしたら、このカーテンを真ん中にこうして…………うん、いい感じじゃない?」
手際よくカーテンの留め具をつけなおして、できた一つのスペースが再び、元々よりかは少し広い二つのスペースになった。
「んじゃ、おやすみぃ」
ハルカはカーテンから顔だけ出してにこやかに言うと、引っ込んだかと思うと横になったようだ。
カナタも動揺を押し殺して横になる。確かに今の広さなら楽に足を延ばせるし、まあまあ……いや、かなり快適ではある。
「確かに、これはいいな。これなら眠れそうだ」
思わずそう言ったがそれに返事はなかった。……もう寝たのか、ただ聞こえなかったのか。まあ、とりあえず眠るか。そう思って目を閉じていると、カーテンごしにハルカの息遣いや身じろぎの音が聞こえてくる。
(……いや、ねむれねー!)
幼なじみとはいえ、小さい頃と違うのだ。薄いカーテン一枚隔てて隣に女の子が寝息を立てている状況で安眠できるわけがない。どうしても意識してしまう。
心の中で文句を言いながら、さっさと眠りについたハルカを恨めしく思う。
ちくしょう、自分はさっさと寝やがってこっちはどんな気持ちで…………ん?
心の中で文句を並べていると、違和感を感じた。
集中して耳を澄ませてみると、寝息じゃない。時々震えるような呼吸になり、その度にそっと腕を動かしているのか衣擦れの音がかすかに聞こえる。ハルカがどういうつもりでわざわざ段ボールを移動して、カーテンだけで仕切るこの空間を作りたかったのかが分かってしまった。
学校などでハルカを知る者の印象を聞けば恐らく、毅然・冷静・強いあたりが上位に来るだろう。きりっとした顔立ちをしているので、毅然とした態度に感じるし、冷静に対応するイメージもあり、男子相手でも一歩も引かない強さも確かにある。ハルカ自身もそうあろうとしているので、最近はカナタもすっかりそのイメージで見ていたが……。
昔から知るハルカは、強がりだが臆病で……助けてなんて言えない子供だった。そして優しく、人や物を大切に思う少女。昔っから知ってる俺くらいには。あんな事があった日くらいは。無理して振舞うことはないんだけどなぁ……
そっと嘆息する。
「なあ、ハルカ起きてんだろ?」
そう声をかけるとピクリと動いた気配があり、しばらくして答えがあった。
「なに?眠れないの?向こうに着いたらきっと忙しいんだから……ちゃんと寝なさいよね。隣に素敵な女性が寝てるからって緊張するのもわかるけど?言っときますけど領海侵犯は問答無用で死刑ですからね」
わざと明るく強がった返事が返ってくる。カナタはそれに取り合わずに言いたいことを続ける。
「なあ、昔の話だけど小学生くらいの頃に道場でお泊り会があったよな。覚えてるか?そん時アマネ先輩がめっちゃグロいゾンビ映画持ってきてみんなでこっそり見た事あったよな」
「いつの話よ。確かにあったわね、小さい子とか泣き出しちゃってたし。……そう言えばカナタもすごく怖がってたじゃない」
思い出したのかハルカの声に少し笑いが混じる。あの時はアマネ先輩がめっちゃリアルなゾンビマスクまで持参して、俺をトイレで待ち伏せしてくれたからな……
思い出すと、わずかに口元がゆるんでくる。
「そーなんだよ。そん時も思ったんだけど、ゾンビってこえーよな。今日だって俺、必死でこらえてたんだぜ?」
普段なら絶対言わないような弱気な事をカナタは言った。ハルカはその事を少し意外に思いながらも話を続けた。
「そうは見えなかったけど?」
「だから必死だったって。あの時も怖くなって寝れなくなって、でも恥ずかしくて誰にも言えなくてさぁ……半分泣きそうになってた時に、お前が何も言わずに手を握ってくれたんだよ。そしたらすごく安心して眠れたんだよな。あの時は恥ずかしくて憎まれ口叩いてたけどさ、……すげーうれしかったんだ。」
「………………。」
カナタの言葉にハルカは返事を返さなかった。なんとなくだが微笑んだような気配は感じる。
「実はさ、あれ以来どうもゾンビが苦手なんだわ。今日とか強烈だったしな。……んで、さっきも眠れてなかったっつうか。その……。こっちの領海はフリーだからっていうか。そのなんだハハ……」
言っているうちにしどろもどろになってしまい、最後は笑ってごまかしていると。
「………………ん。」
するりとカーテン越しに柔らかな手が伸びて来る。思っていた通りに手を差し伸べてくれたハルカの優しさに、カナタは思わず微笑んだ。
カナタはその手を包むように、両手で少しだけ強めにぎゅっと握ってから、片手で軽く握りなおした。すると、ハルカもきゅっと握り返してきた。
「悪いなハルカ。あと、恥ずかしいから秘密にしといてくれるか?……」
「…………うん」
「ありがとうなハルカ。おやすみ」
「…………ん」
右手に温かさを感じながらハルカは思う。
(そんなこと言って、あれからはまってゾンビ映画しょっちゅう見てる事ヒナタちゃんから聞いて知ってるんだからね、バカ……)
心の中でカナタの嘘に対して言い返す。
ただ、右手を包む大きくなった手はあの頃と同じ安心感を与えてくれる。
実はあの時も怖くて眠れなかったのはハルカのほうだった。それに気づいたカナタが隣で怖い怖いと言って、手をつなぐように仕向けたのだ。
目を閉じると、瞼の裏に克明に浮かんでくる。
鉄芯入りの木刀で力一杯殴りつけても、まったくひるまず迫ってくる感染者、手が折れようが歯が砕けようが一切構わず、ハルカを捕まえようと手を伸ばしてくるのだ。それだけでも十分なのに。
もしかしたら、それと同じ恐怖を今も味わっているかもしれないヒナタ。それがどうしても頭に浮かんできて、眠れるどころか震えがきて、涙が止まらなかった。
今は……少しだけ眠れる気がする。左手に感じる温かさが、恐怖と慙愧の気持ちを和らげてくれる。
「おやすみカナタ。…………ありがと」
眠ったふりをしながら、しばらく耳を澄ませていると安らかな寝息が聞こえてきてカナタはホッとする。
とはいえ、今はカナタの方が血圧も熱も上がってるかもしれない。右手に感じる温もりは安らぎを与えてくれるのは確かなのだが熱くなってしまった頬と、心臓の音がうるさくて仕方ない。
それから、カナタが眠りにつくにはもう少しだけ時間がかかるのであった。
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