13-2
「これがマザーと感染した体から作った薬です。まだ完全な効果はありませんので、マザーからできた方を試薬M,感染した体からできた方を試薬Sと呼ぶことにしましょうか」
喰代博士はそれぞれのカプセルを指しながらそう言った。Mのほうは赤色のカプセルになっていて、Sの方は青色になっている。見た感じ大きさは変わらないように見える。
「こいつが問題なんだよ。」
博士と話しているうちに、土産として持ってきた箱を開けて花音に食べさせながら松柴さんがそう言った。その顔から察するに相当厄介な物みたいだ。
「まずこっち試薬Sですが、これは感染した肉体からとった細胞をもとに作っています。カナタさんこれは知っていますか?」
そう言いながら小さなガラスケースをカナタに見せる。中には綿が敷いてあって、その上には……
「うわ!なんすかこの虫。初めて見た」
思わず逃げ腰になってしまう。カナタの苦手なものとして代表格なものにゴキブリがあるのだが目の前のケースに入っているのは、ゴキブリとダンゴムシとムカデを掛け合わせて作ったような虫が入っている。
一緒に見たヒナタなどは立ち上がってしまったほどに気持ち悪い。
ガラスケースは上蓋の中央がレンズになっていて、拡大して見えるから気持ち悪さも拡大してしまう。本来のおおきさは5mmくらいだろうか。
「これが感染体の成体です」
何でもないことのように博士は言う。
「お兄ちゃん…………もし私が感染したら即首を飛ばして。お願い」
冗談とは思えない顔でヒナタは言う。気持ちはわからなくもない、感染するという事はあの虫が体に入って来ると言う事だ。そう考えると背筋に寒気が走り、鳥肌が立った。
「意外とかわいいですよ。成長する過程なんか見てると……とりあえず感染者の体の中ではこの虫の卵が大量にあります。とても弱くて空気に触れるだけで死んでしまうんですが体内では強く、噛みついて直接体に入ると血管を通って増えながら延髄を目指します。その人の抵抗力なんかも関係して個人差がありますが、早ければ30分ほど、遅くとも20時間程度で延髄に到達します。その頃にはそのケースの個体くらいに成長していて延髄に寄生したら感染者の出来上がりです。」
普通な顔で喰代博士は説明しているが、この部屋にいるすべてに人が引きつった顔をしている。感染してゾンビみたいになるのだからそれ自体気持ち悪い事なのだが、改めて説明されると気持ち悪さが倍増してしまった。
「……聞かなきゃよかった……」
ヒナタはソファに顔をうずめてしまっているし、ゆずも嫌悪感を隠していない。花音にいたっては泣きそうになっている。
そんな周りの空気を察したのか、博士は慌ててケースをしまうと話を戻した。
「と、とにかく感染するという事はそう言う事です。そして実際に噛まれて感染するまでの間はさっきも言いましたが長くて20時間。早いと一時間もしないで発症します。噛まれてすぐにその部位を切り落とせばこの前の獅童さんのように感染を免れる可能性はありますが、噛まれる部位の多くは首筋や肩口が多いですからその場合は手の打ちようがありません。しかし発症するまえであればこの試薬Sを飲めば約一日発症を伸ばすことができます。」
「治りはしないと」
「ええ、治りませんあくまで進行を抑えるだけです。その間に適切な処理をできれば生存確率が少しは増えるかと。そしてこっちの試薬Mが、本命です」
そう言うと少し表情が引き締まった。松柴も橘に周りを警戒するよう指示を出している。
「この試薬Mは持ち帰ったマザーのかけらから作りました。これまでは見る事もできなかったマザーの体組織を見た時の興奮は忘れることができません」
そう言うと、その時の事に思いを馳せているのか恍惚とした表情になっている。正直に言えばちょっと怖い……
「んん!」
松柴さんが咳ばらいをする事で、喰代博士はなんとか再起動した。
「失礼しました……ええと、ああ試薬Mの話でしたね。簡潔に言いますとこれは噛まれはしても、まだ発症していない時に服用したとき、感染体を抑える効果があります。つまり噛まれても発症しません。」
「それって……え、でも完成していないって」
「そうです。未完成です。発症しないだけで感染体は体内に残ります。ずっとそのまま発症しないでいられるのかもわかりませんし、もう一度噛まれればどうなるか……そこまでは検証出来ていませんが、恐らく複数の因子の競合に人体が耐えられないのではないかと……」
「そう都合よくはいかないという事ですか……」
隣でヒナタががっかりしたように言うが、今の成果だけでもかなりの物だと思う。そう考えていると、雰囲気を変える様にパンと手を打った博士が明るめの口調で言った。
「まぁ、これまで全くと言い程進歩がなかったのですから、これは大きな前進と言えます。そこでなんですが……」
そこまで言うと博士は松柴の顔を見た。仕方ないとばかりに松柴はお茶で喉を潤すとどこか厳かな口調で話し出した。
「これは№4の代表としての依頼と受け取ってほしい。まずは喰代藍の身柄なんじゃが、今の所アタシの預かりとなっている。なにしろ所長の禿げ頭ひっぱたいちまったからね。研究所としてはもう見きれないと言ってきている。そこでじゃ……」
「あ、なんか嫌な予感がする。ちなみにその依頼に拒否権は……」
「ない!十一番隊隊長に人員の配属を告げる。元感染者研究所所属研究員、喰代藍の十一番隊への配属の決定通知じゃ。ついでに№1への護衛任務も頼もうかの」
ニヤッと笑った後、松柴はそう告げた。
「強引すぎないか!?」 「権力の横暴だ!」
カナタとゆずが声を揃えて不服を訴えたが全く聞き入れてもらえることは無かった。
それからひとしきり話した後で、松柴と橘は喰代を残して隊舎を後にした。喰代は研究所で大分微妙な位置にあったらしく、すでに私物も運び出していたそうだ。
「まあ……いろいろ言ったけど喰代博士が入ってくれることは歓迎します。先輩としてゆずが指導しますのでいう事をよく聞くようにしてください」
「ちょ!カナタ君。それも権力の横暴!押し付け!そこは隊長としてカナタ君がやるべき!」
「おいおいそんな言い方したらまるで喰代博士が厄介者みたいな感じになるじゃないか。ここは受け入れなさいゆず君」
「先に言い出したのはカナタ君のほう!カナタ君は博士に謝るべき、可哀そう。私なら泣いてる。」
二人とも大概である。
「ごめんなさい、喰代博士。あの二人はいつもあんな感じで軽口を言ってるだけなので……気を悪くしないでください」
そう言って喰代に申し訳なさそうに言うのはヒナタだ。
「まあ、慣れてますから。自分でも厄介な性格だという事は自覚してます。でも対象を目の前にすると、それしか見えなくなっちゃうんですよね~。あはは……」
「ああ……研究者ってそういうイメージですよね」
お互いに苦笑いしながらそう話している。ちなみにカナタとゆずは廊下で正座中である。何か言い合っている声が微かに聞こえるが気にしてはいけない。これもここではよくある事です。とヒナタは言う。
「研究所でも一度集中しだすと寝食を忘れる事もあって……よく係の人に怒られてました。一度ボヤ騒ぎがあったんですが、スプリンクラーが作動している中、顕微鏡に集中していた時もあって。みんなに呆れられてましたから」
何でもない事のように喰代は言っているが、同じ研究員から見ても異質なレベルらしい。話を聞きながらクーリングオフはきかないかしら。とヒナタは現実逃避を始めていた。
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