都市日常編 ゆずの相棒
「はい、これが契約書だよ。カナタさんの名前でいいんだね?」
そう言って渡された書類を見て、間違いない事を確認したゆずは満足げに頷いた。ここはパン工場である。
パン工場は№4から少し離れているが、正式に管理下に置かれて食料を都市に収めて警備や生活に必要な物の支給がされる。
都市の管理下におかれるが、最終的な権利は単独で解放した十一番隊が持つこともすんなり決まった。今日はその取り決めの書類を都市の代行としてゆずが持って来ていたのだ。
パンを製造するための材料や物資を優先的に渡し、守備隊と警備隊から防衛のための部隊も出す。その代わりに作ったパンは都市に収める。それとは別に必要な分だけ十一番隊で確保していいという取り決めになっている。
「しっかし、あんたらも欲がないと言うか……くそ真面目っていうか……」
半ば呆れたような顔で、約束通り工場の支配人となったパン屋さん--木花シズクは言った。契約書の内容では、十一番隊の取り分は隊員の数だけとなっているのだ。
「私はおいしいパンが食べられればそれでいい。食べきれないほどのパンを貰っても無駄になる。それはパンの対してもパンを作ってくれた人に対しても失礼」
そういうところがくそ真面目って言うんだけどなぁ。とシズクは考えたが、口には出さなかった。それがゆずの良い所でもある。
稼働できるようになったとはいえ、総菜パンや菓子パンなどはとても作れない。まず材料がないし、日持ちがしない。なのでコッペパンや、せいぜいクロワッサンくらいしか作っていない。それでも都市の住民たちには大人気となっているのだ。
「でも名前はなんとかならなかったの?」
このパン工場や製造元としての名前である。もともと猟友パンの工場だったが、その名前を名乗るわけにはいかないのだ。
「なんで?分かり易い。パン屋さんのパン」
ゆずが申請するときに名称を求められ咄嗟につけた。本人はとても気に入っている。シズクには苦笑いで迎えられたが……
「じゃあ、とりあえず書類のやり取りはこれで終わりだね」
「ん。そう聞いてる。これでここは正式に№4と契約を結んだことになる。実は松柴さんの計らいでもう警備隊員が来ている。」
「え、もう!?」
ゆずが言うと、シズクは驚きの声を上げた。なにしろ正式に契約を結んだのはたった今なのだから。
「もしかしたら焼きたてのパンが食べられるかもしれないって言ったら歓声をあげてた。余りでいいからあげてほしい。」
「いや……そこはちゃんとした物だすよ。うちの工場を守ってくれるわけだし」
ゆずの言いように苦笑いしながらシズクはそう答えた。
書類を持って、顔見知りの作業員とも挨拶を交わしたゆずは意気揚々と都市への道を歩いていた。少なく見積もっても一日に一万食分くらいのパンが製造される見積もりらしい。
この功績は十一番隊の、ひいてはカナタの手柄となるのだ。ゆずの機嫌が良くなるのも無理はない。
そんな時だった。4,500m先だろうか、ゆずの視界に動くものが入った。見通しが良く、最近人通りも増えてきたがここは都市外。動くものと言えば感染者である確率の方が高い。遠目に見ても感染者か酔っぱらいのどちらかにしか見えない。
せっかく気分良く歩いてきていたのに……なんとなく水を差された気持ちになり不愉快になったゆずはそっと肩から銃を下ろして構えた。
スコープを通してみた姿は間違いなく感染者か、あるいは重傷をおったままフラフラ歩いている人だが、後者の可能性はないに等しいだろう。
普通ならば、直接の危険もないのにわざわざ撃ったりしない。射撃の音で別の感染者を引き寄せ思わぬ事態になる可能性もあるのだ。しかしこの時はなぜだかそうしてしまった。魔が差した、と言えるだろう。まさしく魔が……
今の気分に従って、射撃姿勢を保持したままセフティを解除してトリガーをゆっくりと絞った。
…………
「??」
しかし期待していた反動も射撃音もせず、相棒は鳴りを潜めている。
「ジャムった?そんな……」
感染者が近くにいる時でない事が幸いだったが、専門的にではないにしろ丁寧に整備をしているのでショックが大きい。
しかもコッキングレバーを何度か引いてみたが解消されない。
「これは……分解しないといけない奴?」
肩を落として呟く。表面的な整備は習ってやっているが、分解清掃となるとハードルが高い。腰のホルスターにはハンドガンもあるが、がっかりして交戦する意欲がなくなった。もう一度スコープで感染者の位置を確認すると、こそこそと隠れるようにして急いで都市へと戻るのであった。
「あー……こいつはばらさないとだめだな。」
守備隊の装備部にやって来たゆずは、顔見知りの唐司という整備員に強引に時間を取ってもらい相談していた。ひとしきり見て貰っての第一声である。
「やっぱり?時間かかる?」
しょぼんとして訊ねるゆずを唐司は珍獣でも見るかのような目で見ている。だいたいゆずがここに来るときは任務に行くときに銃器の支給を受ける時が多いのだが、毎回しつこくねばって支給できるだけの弾丸をもぎ取っていこうとするので、有名なのだ。
ゆずがの姿が見えたら余分な弾は隠せと言うのが、装備部共通の認識になりつつある。
そんなイメージのゆずがしおらしくしていて、調子が狂った唐司は頬をかきながら話を続けた。
「排莢する時に詰まったんなら比較的簡単に治るんだが、こいつは装填されるときに詰まってやがる。ほら、チャンバーの手前にケツが見えてんだろ?多分粗悪な弾だったんだろうな。しかも引っかかった後にコッキングレバーで押し込んでしっかり噛んでしまってる。こいつは分解しないといけない。」
そこまで言うと、ちらりとゆずの顔を見る。いつもならとにかく直してくれと一点張りしてくるところだが、今日に限って元気がない。いつものようにグイグイ来てくれると厳しい事も言いやすいのだが、しおらしくされると何とも言いづらい。
「そんで、だ。お前も分かっている通り、装備部は忙しい。こうして点検もあれば任務に行く奴らへの装備の支給、弾丸の補充、探索から持ち帰って来た銃器の修理や点検。しまいには弾丸の製造までやってんだ。個人的に銃のメンテナンスをしてやれる暇はとてもじゃないがない」
そう言うとゆずは項垂れていた首の角度をさらに深くする。ゆずの方もそう言われると想像はしていたのだろう反論はしない。
それを見ていると、さすがに唐司の方がなんだか悪い事をしているような気分になってきた。正当な主張なのだが、いつものようにグイグイこないゆずに調子が外れっぱなしだ。
「…………時間くれるなら俺が休憩の時にでも少しずつやっとく。それでいいなら置いてけ」
とうとう折れてしまった唐司がそう言うと、ゆずは勢いよく頭を上げる。その顔は輝いている。
「十一番隊は休暇中なんだろ?メンテもかねて分解清掃もしといてやる。料金はとるからな!」
どこか照れ臭くなり、そっぽを向きながらそう言った唐司に向かってゆずが何度も頷いた。
「ありがとう、唐司!わたしの相棒を安心して任せられるのは唐司しかいない。費用も払うから……お願いする」
そこまで言われると唐司も悪い気はしない。緩みそうになる顔を何とかこらえながらゆずを追い払うように帰した。
なんとか一安心して休暇中に治ってくれるのを祈りながらゆずは隊舎への道を歩いて行く。数日後にこの道を必死の形相で走る姿を目撃されるのだが、この時はのんびりと帰っていくのだった。
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