ルートミヤコ11:宿命の終わり1
「淡き月明の下鮮やかに咲き乱れよ――月下美人」
刹那、神器の域の名剣が無数の鋭刃を虚空に閃かせ、大輪の如き殺界を描く。
美雪より放たれた八十八閃の剣光が、優美な軌跡で美鬼をしとめにかかった。
世界を疾走る剣影の万華鏡。
確殺の煌きは一箇所目掛けて殺到し、到達点で花咲く。
それは美雪の象徴にしてその代名詞――月下美人。
ミヤコは改めて驚嘆する。これが本当の――園田美雪の剣なのかと。
彼女にはこれまでも破天荒な戦いばかり見せられてきた。だから相応の心積もりはしていた。
しかしけれども、こればかりは絶句するしか無かった。なかったがしかし、その絶句は驚嘆からくる失語ではない。
どちからかといえば、それは諦観が生む穏やかな沈黙ともいうべきもの。自然災害の現場を目の当たりにした矮小な人間が、これはもう仕方ないと、抱いていた一縷の望みを捨て去るときのような、そんな種類の沈黙。
抱いた感想はただシンプルに、この二つ。
呆れるほどに美しく。
途方もなく助からない。
他ならぬ園田美雪。史上最強の生徒会長。彼女が本気になれば絶体絶命となるのは想像の範疇だ。だからこれが圧倒的に破壊的という点に関しては、さほど驚くに値しない。
しかしけれども、
これはそれだけでなく。
「――きれい」
美月がうっとりと――口に出した。
そう、これは美しかった。
単に強いとか、鋭いとか、早いとか、それだけではなくて、これは美しかった。太刀筋の軌跡は冷ややかに煌き、剣光の交わる角度は計測されたように均一。その幾何学的な美しさは、まるで万華鏡のようだ。
そう。
この太刀筋は、
それほどまでに、
失語するほど美しかった。
一体どうやればここまで美しく、そしてそれを保ったまま『死』を構築できるのか。どうすればこんなにも、人を『芸術的』に屠れるのか。途方に暮れてしまうほど、この一撃は初手にして留目だった。
そして剣術に、仮想世界の力を借りた魔法はない。
これは純粋な彼女の実力としての、抜刀術なのだ。
「……信じられない」
ミレイのその目は、中空に描かれた大輪に釘付けだった。
美鬼を襲う抜刀術『月下美人』。
それは超音速の斬撃が生む空気の断層。その集積。
緻密に計算され、綿密に編み上げられた八十八の空間圧縮。
それらの揺れ戻しが生む、衝撃波の乱れ打ち。
やはりそこに魔法はない。
単なる物理現象の顕現だ。
ジュンも、ミヤコも、
ミヅキも、ミレイも、
ミキも、
その場に居合わせた全員が理解する。
園田美雪の強さに、
不純物は必要ない。
むしろルーチェは、この世界が壊れぬように、彼女の力を制御している節さえあった。いくら仮想世界とはいえ、園田美雪の力を増幅させるなどもってのほか。それはたかがソフトウェアとはいえ、度が過ぎればハードウェアを壊すこともあるという、ごく自然な理由からだった。
「花の形代に乱れろ。それでお前は終焉だ――ミキ」
美雪は既に納刀を終えていた。
柄よりその手を放し、流麗な髪を手の甲に流しつつ、切れ長の目端で美鬼を見やる。あとは確定した未来の結末を見届けるのみ。
言葉の直後、美鬼は至極当然の結果として八つ裂きになった。
――虚空に血華が咲く。
八十八閃の衝撃波が血色に染まり、
鮮血色の月下美人が、
彼女の命を苗床として咲いた。
――はずだった。
「見くびらないで、鬼殺風情」
背筋が凍るような怖気を伴う声。それとともに、中空の大輪が散らされた。
途端、美雪に襲い来る赤き八十八閃の赤い衝撃波。
一箇所に殺到するはずだった八十八の衝撃波が、真逆へと打ち返されたのだ。
放射状に散らされた斬撃の一つが、ミユキ目掛けて亜音速で飛翔する。
「く!」
彼女は正確無比の一閃を抜き払い、寸分の狂いない斬撃で相殺した。
残り八十七閃は、ジュンやミヤコたちを避けはしたものの、その代償としてこの世界を引き裂いた。
――刻まれた月下美人の爪痕。
それはもはや地面を切り裂いたとか、
それはもはや空を切り裂いたとか、
それはそういう規模の現象ではなかった。
周囲を見渡せば、まるで視界に線でも引かれたのかと錯覚してしまう――それほどの爪痕。
こんなものは災害ですらない。
完結な表現としては、やはり世界が裂かれていた。
まるでこの世界が一枚絵であるとしたら、そのキャンバスにナイフを突き刺し、力の限り引き裂いたようだ。
しかしその惨状よりも、ミユキを含めた全員が、その現象を起こした張本人に視線を向けていた。
上空である。
奇怪な姿が、そこにあった。
ミキがいる。
鬼となった、ミキがいる。
ただし彼女の周囲を、
まるで絡みつくようにして
何か質量を持った太く紅い束が、
うねっていた。
鮮血色の――八頭大蛇。
喩えるならば、そんなあたりか。
「すっきりしました」
上空のミキは穏やかに言う。
「逆巻く斐伊川――火と鉄と水の神。八岐大蛇の力と私の鬼の力が合わされば、鬼殺の月下美人でも、私を殺しきれないのですね」
美雪という最強の鬼殺しでも、
美鬼という鬼を殺すことはできない。
ミキはそう言ったのだ。
園田美雪が本気で挑んでも、倒せない相手がここにいる。それが自分。その言葉以上に不遜な表現は、そうそう見当たるものでなかった。
しかしそれを発したミキの表情からは、挑発的なものは何一つ読み取れない。むしろ、長い間患っていた苦悩がとれたとでも言うように、その表情は安堵に満ちていた。
「ああ。そうみたいだな」
そして美雪は、それをあっさりと認めた。
全力の力比べをして、ミキをねじ伏せることができなかったと。
ただしその表情から、敗北を想起することはできない。
美雪が浮かべた穏やかな笑みは、まるでミキの安堵と呼応するように、九死に一生を獲得したというような、そんな安堵に満ちていた。まるで、自分が全力を出し切ってもミキは大丈夫だった――それこそを望んでいたと言わんばかりに。どうあっても、どう間違っても、自分がミキを殺めてしまうことはない。その事を祈っていたとでも言うように。
「では、次はお前の番だ」
そうして美雪は、空の鬼に呼びかける。
「ありったけの全力を、この私目掛けてぶつけてこい」
彼女は半身になった。
切れ長の目は雄弁に語る。
――それで、私たちの姉妹喧嘩は決着だ。
――二人に課せられた、鬼と鬼殺しの宿命は、私たちの代で終いにしよう。
美雪の無言の願いを受け取ったミキの目が、赤い歓喜に歪んだ。
「はは」
それは一言では言い表せない複雑な感情の奔流。
「ははははははは」
自分たちの呪いを、終わらせることが出来る。
自分の全力を、解き放つことが出来る。
史上最強に、自分を試すことが出来る。
しかもそれで、世界が壊れない。
そしてそれが、皆から許されている。
「こんな都合のいいこと、まるで魔法みたいですね」
刹那、ミキの周囲をうねっていた赤き大蛇が、掲げた頭上に束ねられ、一直線を形成した。
両手で振り上げた、長大な赤き一柱。
ミキが全身全霊で束ねた、逆巻く斐伊川の源流。
八岐大蛇とも言われるそれは、
かつて製鉄の民が奉納の剣を鍛える際に、
霊水を汲んだ神の川――斐伊川、
その式神とされている。
もしその神性を否定し、あくまで物理的現象の説明に徹するならば、
それは、
砂鉄を含んで赤く染まった水が、
圧倒的な流量と水圧で構成する――水圧カッター。
それがこれまで変幻自在にミキの周囲でうねり、
いましがた月下美人の八十八閃を弾き返し、
そしていま、一振りの太刀として彼女に錬成されたのだ。
ミキはそして、
それを全力で美雪に斬りつけるつもりだ。
「これから私は全力を行使します。どうかしのいで下さい従姉さん。さもなくが世界が壊れます」
その言葉が大袈裟でないのは、その場の誰もが分っていた。
もし美樹が全力を出し、そして美雪が捌き方を誤れば、この世界は間違いなく崩壊するだろう。そうなれば、いくら仮想世界とはいえ、ミヤコたちも無事に済むとは想えない。しかし
「中途半端なことはするな」
美雪は煽った。
「手を抜けばその隙にお前の首を刎ねるからな」
美雪の親指が童子切の鍔を起こす。
その冷ややかな音と、それ以上に怜悧な美雪の流し目に、美樹は怖気とも快楽ともつかない泡立ちを背筋に感じた。
「ああ、恐ろしい。まるで鬼殺しみたいな言いようですね」
「ふふ。鬼にだけは言われたくない言葉だな。さぁ……」
こ い 。
美雪がそうして笑った時、鬼の一撃が振り下ろされた。