ルートミヤコ10:鬼と鬼殺し
美鬼と呼ばれた美樹はそのとき、一瞬の油断が敗北となる従姉との戦いの最中にあって、どういう訳か握り拳を解いてしまった。
ミキは自分でそれをしでかしておきながら、しかしそれが信じられなくて、唖然となって己の手を見た。
震えていた。
手がしびれたように、震えていた。
「――あ」
間抜けな声が喉から漏れた。戦闘中に拳を解くほどの違和感とはいえ、まさかその正体が震えだとは思わなかったから。
一体どうしてしまったのか。
ミキは刹那のさなかに自問した。
怯えているのか。
恐れているのか。
これまで否定してきた自分の鬼。それを真っ向からさらけ出せと言われて、私は怯えてしまったのか。
彼女は震えを殺すようにギュっと再び拳を固め、しかし否と首を左右に振った。
違う。
それは違う。
これは違う。
これは、恐れのたぐいではない。
これは――、
歓喜だ。
これは歓喜のおこりだ。
「美鬼にかえれ――か。簡単に言ってくれるもんですね、私の父は」
どこか呆れた様子を装いながらも、しかし溢れる喜びを隠しきれなくて、彼女は笑った。
ミキは感じた。
体内を巡る、得も言われぬ心地よさを。
そして同時に不思議に思った。震えのもとが恐れではなく歓喜ならば、では一体、その歓喜の理由とは何なのだろうかと。
言葉にしがたい、説明しがたいこの感覚。でも敢えて例えるならば、それは不思議な清涼感。空色の清らかな波が、涼しげに全身を巡り、体を内側から浄化していく――そんな感覚。
身も心も分け隔てなく、内に凝っている不快な熱を、青く静かに冷却していく――そんな架空の清涼感。
それが体の中を、震えとともにかけてゆくのだ。
けれどもその感覚は、果たしていったい何だろうか。
鬼への遷移に伴いみなぎる力。
いま自分に起きている異変。
それが原因ではないと、
それだけはハッキリ言える。
「……はぁ」
己の肉体に許した変移に、声が漏れる。のけぞるようにミキの顎があがった。
眉間に起こる力の収束。
封じ込めていた鬼が表となって、己に取って代わる。
額部が内側より隆起していく、骨格の変形。
穏やかながら、しかし確実な突起が、彼女の額に一角として表れる。
ミシミシという音が鳴った。
人から鬼への移ろいに軋む骨身。
血が滾って肉が踊る。
抑制から解放された筋繊維の緊張。
体の軸を定める骨の密度増大。
それを結ぶ腱の柔軟性と関節可用性の拡張。
身体に脳の司令を伝える血管の網羅性成長。
意志伝達を担う血液量の増加と流量高速化。
ミキを構成するすべてが、
元の彼女をしてなお、
規格外に強化されてゆく。
湧き出るような力の泉が、体のそこかしこで拓いていく。
ミキは怖気にも似た快楽を覚えた。
「っ……はぁ」
気持ち良い。
すごく、気持ち良い。
人から鬼への変質が、こんなにも気持ち良い。
でも、これじゃない。
震えの正体は、これじゃない。
歓喜の理由は、ここにはない。
人から鬼へと変わり終えた美樹ならぬ美鬼。
姿形にさほどの変化はない。ただその瞳は怒れるときよりなお紅く、持ち前の銀髪は虹を散らしたような艶を放っている。
そして前髪を左右に分ける、額より隆起した緋色の小さな――ツノ。
人差し指一本程度の僅かな変化ながら、しかし確かなる彼女の異形を示す証。園田が代々封印してきた、鬼の存在証明。
素性と本質を知れば、誰もが忌避し恐れ慄くその姿。
対峙し、彼女の変移を見守っていたミユキは、しかし穏やかに笑いかける。
「――おかえりなさい」
と。
ミキはその言葉を、鬼殺しの神社で育った従姉に言われたとき、歓喜の答えが一滴の涙となって現れた。
体を巡ったこの感覚は。
この感覚は、赦しだ。
「――ただいま」
ミキも笑顔で答えた。
鬼であることを、
自分が自分であることを、
一番認めて欲しかった存在に認めてもらえた、
一番許して欲しかった存在に許してもらえた、
私はそれが嬉しくて、
それが嬉しくて震えて、
それが嬉しくて拳を解いて、
あまつさえ涙を零してしまったのだ。
――ああ、そういうことなのか。
美鬼は自分の不可解を解明し、安堵し、そして静かに歓喜した。
「それでは、ケンカを続けよう」
そうしてミユキが突き出したその手を見て、ミキは驚愕する。
桃花と共に現れた美月より、ミユキが授けられたもの、それがその手に握られていた。
それは鬼殺しの代名詞――童子切安綱。
ミキが桃花から鬼の赦しを授かったように
ミユキも美月から鬼殺しを授かったのだ。
童子切安綱。
園田美雪が片時も離さず携行し、そして彼女自身の代名詞にもなっていた天下五剣の頭領。神器の域に高められたその切味は並の刃物を鈍らと断じ名剣を大量生産と嘲笑う。
しかしその刃は、ジュンの放った呪詛の酸に溶かされ、この世界では消失したはずだった。黒い酸を浴びて、ルーチェから抹消されたはずだった。
しかしそれがいま、ミユキの手に握られている。
何故だろうか。
その矛盾を持ってして、ミキにも、そしてジュンにも、そしてミヤコにもミレイにも、ようやく分かった。美月が桃花と共に現れた意味と、その理由が。
どうして、ミキを本来のミキに変えにきた桃花と共に、美月は現れたのか。
その理由は自明で明白だった。
同じなのだ。
ミキをミキであれとトウカが促しに来たように、
美月はミユキにミユキであれと促しに来たのだ。
――鬼殺しに帰って下さい、姉さん。
美月はその言葉とともに、ミユキに太刀を授けに来たのだ。
ミユキは手にした安綱の鞘を抜き払い、その青白い刀身に切れ長の目を滑らせていく。触れれば傷みよりも先に切断を生じるその刃。ミユキが振るえばその鮮やかな刃筋は大輪となり、その瞬きが生む破壊美をして月下美人とも謳われた。
「――間違いない。本物だ」
ミユキのその言葉が全てだった。
「当然よ、毎日手入れしてるんだもの。生半可な想像で創造したんじゃないわよ?」
クスリと美月が笑った。
ここはルーチェ。願えば叶い、想えば実る夢の世界。そしてその太刀は、毎日欠かさず手入れをしていた美月だからこそ、ここでの顕現を許された、正真正銘の童子切安綱。
それを確信した美雪は静かに安綱を、
己の腰に備えた――。
そして静かに目を閉じる。
「ありがとう――」
心からの謝意を添えて。
ミユキとミキと、美月と桃花のやりとりを空から見ていたジュンは、この宴の主人公たる自分の愛娘に――ミヤコとミレイに、無言で呼びかける。
――見ておきなさい二人共。正しい姉妹喧嘩はああやってやるのよ
と。
ルーチェに留まる資格を持つものには、決して見せない優しげな笑顔で、ジュンは言った。
それが届いたはずもないのに、どうしてかミレイとミヤコはほぼ同時にジュンの方を見上げた。
――そして。
鬼と鬼殺しは互いの目を見合って、
続きの始め方を模索する。
「それじゃぁ従姉さん、殺しに行くので殺しに来て下さい。それで喧嘩はおしまいです」
「もちろんだ可愛い従妹、殺してやるから甘えに来い。それで仲直りだ」
気さくな宣戦布告のあと、姉妹が衝突した。
イベントに向けて資材貯めなきゃいけないと分かってるんですが
瑞鶴ほしさに建造しまくってボーキサイト5000ぐらい溶かし
大丈夫これデイリー任務だからと詭弁を弄するわけですええ(誤爆)
こんにちは、気まぐれにペンネーム変えまくってる無一文です。
無一文また名乗んのか、まだ執筆してんのか、ていうかなんださっきの前置き、
などといろいろ突っ込みどころあると思いますが、穏やかにスルーしてください。
ともあれ久々の更新です桜花シリーズ。
もはや一つもコメディしてませんが
最後の最後に笑いというか
笑顔になるお話にしたいと思います。
やっぱハッピーエンドじゃないと!
それではまた^^