ルートミヤコ6:一人目のリタイア
「いまの俺は『加減』を知らねーよ?」
真紅のドレスの両裾を摘まみ、彼女はゆるりと頭を垂れる。舞踏へ誘う淑女のような、優雅と華麗を備えたその一礼。マリサは自らの紛い物、10人らにそれを手向けの花とした。
そして何処より持ちだしたか、彼女がソロリと差し出したパーティーグローブの掌には、小さなミュージックボックス――オルゴールが、可愛らしく載せられていた。
「それでは淑女の皆さま」
上蓋が独りでにカタリと開かれ、4分の3拍子が紡がれ出す。
「一方的に始めるぜ……」
宮廷舞踊曲、バッハ作曲のメヌエット。
それを開始の合図と取ったか、紛い物の一人が猛然と彼女に迫る。踏み込んだ足が大地へ放射状の亀裂を生み、その足より起こる力の波は捻られた腰、腕、拳へと伝達され、一切の損失なく破壊のエネルギーとしてマリサの鳩尾へ叩きこまれた。
本物もかくやの正拳追い突き――。
「――!!!!」
爆音に掻き消されるミヤコの絶叫。さもありなん。掛け値なし、正真正銘の『破城鎚』が八雲マリサの急所を穿ったのだから。如何に彼女が頑健であれ、本物であれ、力の起点で地を割る様な一撃を急所に浴びて無事に済む道理はない。
至極当然の結果として、マリサは呆気なく散った。
そのはずだった。
けれどもしかし。
驚愕に瞳を揺らしたのは、一撃を放った紛い物だった。
拳の先に、何もない。
ただ足元に、メヌエットを奏でるオルゴールがあるばかり。
「――――なにあれ」
そのペテンを自失気味に指摘したのは、ルーチェのメイド長加納綾だった。眼鏡の奥で震える瞳が見つめているのは、あまりに安い超常現象。冗談も大概にと突っ込まざるを得ない展開。
まるで低予算のSF映画を見ているようだった。
マリサが消失して。
マリサが出現した。
ただそれだけなのだけれど、それが実際に起きたら例などこれまでない。
スクリーンやテレビの向こうで起きていたなら、興ざめしたり失笑するような安いトリック。欠片の現実味も感じられぬイカサマ。
拳を叩きこまれたはずのマリサが、コマ落ちした動画の様に消失し、10人からなる紛い物のマリサの内の最後尾、その眼前にふわりと華やかに出現したのだ。
「見れば見るほど、俺にそっくりだな……」
陶然と笑う彼女。
それは如何なるカラクリか。
それは如何なるトリックか。
さては人知の及ばぬ神業か。
全て否。
圧倒的に早かった。ただそれまでのこと。
それはそもそも人間風情が、『加減』を忘れたマリサの疾駆を、その肉眼で捉えようとした愚行をこそ攻めるべき現象だった。目にも止まらぬ早さという比喩があるが、彼女の場合はそれこそが直接表現で、即ち速度という移動概念よりも、消失と出現という位置概念で解釈する方が適当であるという、ペテンのような物理現象だったのだ。要するにマリサが執行したのは。
単なる移動である。
「ん!?」
籠ったような驚愕を漏らしたのは、口を塞がれたマリサの紛い物。塞いだのは本物のマリサの唇。つまり形の上では、
キス。
「んん……んん!?」
それも両手で頬を挟み、半ば押し倒すような格好にも似た、官能的でさえあるキ――
パァアアン
――ス?
破裂音が鳴って、そしてそれに相応しく、紛い物のマリサが風船の様に破裂した。黒紫の飛沫が勢いよく弾け、蒸発するように霧散する。この怪現象、よもや彼女が甘い吐息を吹きこんで、その空圧で人型が弾けたとは思うまい――紛れも無い事実なのではあるが。
そんな絶句の沈黙を、ただひとり破り続けるのは愛くるしいオルゴール――メヌエット。そしてその後の反撃も、その後の反応も、その現状認識さえも、彼女は一切として許しはしない。何せ既に始まっているのだ。一方的に開始され、一方的に進行し、一方的に完結する皆殺しの型。円舞踏。
マリサの姿が消失し、マリサの姿が出現し、紛い物が弾けて失せる。
四分の3拍子で執行される一方的な殺戮行為と、一方的に殺戮されるだけの、紛い物の彼女達。ひたすらに優雅で、ひたすらに慈悲のない、酷薄にして諦観を誘う一連の過程。
踊り手を導くような柔らかな手つきで胸を刺し抜かれ。
ドレスを翻し舞うような回転手刀で首を弾かれ。
優雅なおじぎのように身体を裂かれる。
愛らしいメロディとリズミカルなテンポに合わせ、彼女達が駆逐されていく。一人また一人と、舞踏に合わせて哀しく美しく、優雅に殺戮される。オルゴールだけが無慈悲に告げる――誰も逃れられないと。
けれどもそんな最中、殺戮を奏でるマリサ自身の胸を満たしているのは、不思議な事に嗜虐的な高揚感ではなく、穏やかな多幸感だった。
――どうしてだろう。心のつかえが取れて行く。
隠してきた本性をさらけ出し、猫を被った自分の似姿を始末して行くというこの行為が、言いようのない解放感を与えてくれるのだ。
――身も心も軽くなる。
まるで全てが許されていくように。
リズムに合わせて舞いながら、偽りの自分を殺戮しながら問いかける。もしも見慣れた彼女達が偽物の自分というのなら。
――じゃぁ、本当の自分って何だろう。
気の置けない仲間にまで虚飾を被っていた。
大好きな先輩の前でも。
大好きな妹の前でも。
大好きなアイツの前でも。
好きだからこそ彼らを失うのが恐ろしくて、ありのままの自分など、そんな浅ましいもの、さらけ出す事など出来はしないと。いつの間にか漠然と、隠し通すと決めてしまった。本当の自分なんて、みんなに見せられるわけがないと。
たとえそれが、他ならぬアイツであっても。
否むしろ、アイツだからこそ、自分の真実を拒絶されるのが、とても恐ろしくて。
怖くて。
――それがどうした事だろう。
こんなに都合の良いことが起きても良いのだろうか。大好きな妹を守るために止む無く、大好きな先輩の為に詮方なく。そんな大義名分を与えられて、自分の真実を吐露する事が、許されても良いのだろうか。
大好きな仲間達の前で、こんな自分を暴露して、全力で発揮して、しかもそこに崇高な理由まで与えられているなんて、そんなことが、例え仮想の中とは言え、許されてもいいのだろうか。
まるで御伽話。
いいえ。
もっと恥ずかしい、願望に満ちた空想。都合の良い妄想。
まるで小学生がノートに書きなぐって、大人になってから読み返し、顔から火が出るような類の――自分がヒーローの夢小説?
そう、やっぱりこれは自分が見ている、恥ずかしい夢の出来事なのかもしれない。
全てがウソっぱち。
でなくてはこんな暴虐、許される訳がない。
咎められない殺戮。全力での暴力。人の命を塵芥と否定する、歪んだ倫理観。さりとて優美さは損なわない、彩りを伴った手運び足運び。このうえ行いの正統性まで保証されている。
こんなに幸せで良いのだろうか。
4分の3拍子で死を語る。
舞が止まらない。
殺戮も終わらない。
優雅に華やかで、儚く綺麗に、紛い物たちが真実の一撃を受けて霧散する。
心が洗われて行く。
あぁ、でも。
このうえ。
もう少しだけの贅沢が。
許されるのなら。
――京太郎にも、見て欲しかったかも
マリサが陶然とした心中で囁いた時。
「それじゃぁ、見せてあげたら良いじゃない?」
包み込む様な穏やかな声。
マリサは我に返ったように顔をあげる。
「今のマリサちゃんなら、大丈夫だよ?」
早乙女ジュンが、微笑んでいた。
狂気の濁りなど一点も無い、小花を愛でる午後の陽光のようにどこまでも優しい、そして清らかな笑みで。
気付けば、マリサの頬に一筋の涙が伝っていた。
「もう大丈夫そうね。うん。もう大丈夫。マリサちゃんにはもう、ルーチェは必要ない。それじゃぁ」
マリサはジュンの笑顔に全てを悟って、愕然となる。
現実と変わらない仮想世界。
心の傷を癒すルーチェ。
分りやす過ぎる悪役と正義の構図。
自分による自分の偽物の破壊。
真実の自分。
許される真実の自分。
大好きな妹。
大好きな恋人。
大好きな友達。
大好きな先輩。
大好きな――娘。
――自己犠牲。
いつかミカは言っていた。ルーチェは心の傷を治す為にあると。
―――救われたのは、自分。
またジュンが、マリサに微笑んだ。もう大丈夫だねと。
「先生そんな――」
そのとき丁度10人、自分の紛い物全てを消し終えたマリサはその瞬間にルーチェに留まる権利を失格し、七色の泡と化して世界から消失した。
「大口叩いた割に合い打ちかぁ。全然大したことねぇじゃん? 先生ガックリよぉ?」
マリサの消失を見送ると、聞くものを心底イラつかせる様な大仰な嘆息を吐いてから、早乙女ジュンは再び彼女達に侮蔑の視線を向ける。
「後は……」
その視線が舐めるように動く。
「刀がねぇと何もできねぇ生徒会長と、それに半ば依存してる心折れかけの演劇部部長と、仮想世界でも専守防衛しか考えられない副部長かぁ」
宙より睥睨する、幼い魔女の醜悪な笑み。人はここまで酷薄な表情が出来るものだろうかと、そんな懐疑を抱かせるのに十分な禍々しさを、ジュンは備えていた。
「っふふふふ。そんなんでアタシの娘を奪おうなんて役者不足も甚だしいわねぇ?」
呆れ笑いと共に発せられたそのセリフは、挑発と取るにはあまりに真実味を帯びていた。何故ならばその口こそ笑みの形に歪んでいたが、奈落の様なその瞳は怒気を称えていたのだから。
――ふざけてんじゃねぇぞ。
と。
「さて、良い感じに健闘していたマリサちゃんも負けちゃったことだし、さっさと次のカード用意すれば? 待ってあげるから。退屈させんなよ」
ジュンはどこまでも憎々しげに言う。
自分にとっては心の支えも同然だった姉のマリサ、仮想世界とはいえ彼女を目の前で喪失したミヤコなのだが、しかしけれども、どういうわけか。その顔には弱々しい表情を浮かべていなかった。
そればかりか、ミヤコはかつて母と呼んだ存在を、そしていまは嫌悪と恐怖の対象でしかない存在を、真正面から見返しているのだ。
「姉さんは勝ちました」
そしてキッパリと言った。ジュンがその力強い声を受け、奈落の様な目を娘に向ける。
「へ~。勝った? あれで? どこが? なにが? アタシには使い捨てと勝手に合い打ちしたようにしか見えなかったけれど?」
嫌みたっぷりに語尾をあげてミヤコに問うたが、そんなジュンにしかしミヤコの瞳はクリクリと輝いた。
「だって姉さんがあんなに一生懸命被ってたネコ――バレバレだったけどマストビー――をバッサリと捨てて、しかもそのネコを嬉々として始末したんです! こんなの大勝利じゃないですか!」
ミヤコがあまりにも全力で言ったせいか、アヤとミユキとヨードー全員の額に青線がしっかりと降りてきた。
――どうしよう、妹が何か身も蓋もないこと言っちゃってる@ミユキ
――き、聞かせられない。いくらミヤコちゃん補正があってもこれはマリサちゃんに聞かせられない@アヤ
――ミヤコ嬢にバレてたのか。あれバレてたのか。確かに四六時中べったりなら考えられない訳ではなかったんじゃが@ヨードー
要するに、バレていないと思っていたのは本人ばかりの話で、皆がマリサの努力を気遣い、尊重していたと言う事なのだが。
そしてそれをバッサリと言ってのけたミヤコの、可愛いがしかしエグめな啖呵に三人は少々引きつつも、しかしそれでも脅えるばかりだったミヤコが、ジュンを直視し、あまつさえ反駁した変化に内心驚いていた。あるいはもしかしたら。この様子であれば早々に。
彼女の兄と姉を出してしまっても構わないのではと。
そう思ってもいた。
片やミヤコは三人とは全く別の驚きを覚え、いま少しだけキョトンとなっていた。
それはきっと、気の迷いだろう。
ミヤコは本当に一瞬だけ、ジュンにかつて大好きだった頃の母の面影を見た気がしたのだ。
どうしようもなく優しくて、甘やかしてくれて、大事にしてくれて。いつも良い匂いがした、昔のお母さんの、あの時の面影を、掠めるような刹那だけ見た気がしたのだ。
パチン、と指を鳴らす音。
我に帰ると、ジュンが弾いた指をクルクルと巻いて笑っていた。
「まぁそう思うならそうかも知れませんね。マリサちゃん勝ったのかもねぇ。じゃぁさ」
再びジュンの目が狂気を帯びる。
「次も精々あがけよ?」
鼓動の様な地鳴りと共に、大地が揺れ始める。
「次は現実感たっぷりにお相手しちゃうぜ?」
ジュンが嗤う。
「さぁ出ておいで。私の可愛い可愛い、可愛い可愛い――」
*
「ルーチェ接続の前にこんなこと言うのなんだけどさ、ミレイちゃん」
桜咲くメイド喫茶ルーチェ。アンティークな一階とは赴きが大きく異なる地下の一室。繁雑なケーブルに塗れたその空間。そこで一機50万弱という、高校生が扱うにしてはとんでもない額のヘッドマウントディスプレイを頭に装着する早乙女美鈴に、京太郎がやや気まずさを伴って問いかけると、彼女は少しだけゴーグルをあげて京太郎の目を見た。
「隠しておいても仕方ないから言うけれど、ミレイちゃんの兄さん、ミィちゃんに信じられないぐらい嫌われてるんだ。だからこうして、先に仲裁役の形でミレイちゃんがシュトレンに変装して会いに行くのは、まぁ比較的無難なカードだと思うんだけど」
京太郎は『ロストワールド』事件が起きる直前、覗き見という形ながら、ミヤコと共にミレイの兄を目撃しているのだ。そしてそのとき彼女が、ミヤコが言ったあの彼女らしからぬ言葉が、どうしても京太郎に懸念を抱かせている。そしてその上
「その、ミレイちゃんだって、ミィちゃんと決して仲が良かった訳じゃないんだよね? なんていうかその……」
ミヤコは父を除く早乙女家の全てを否定していた――京太郎はそれがストレートに言えず四苦八苦している。なにせそこにはミレイも含まれているのだし、何よりそれ自体が彼女が愛すべき早乙女家の事なのだから。
ミレイは二度三度瞬きしてから、少し間を置いて応える。
「今日まで皆がメイド喫茶を運営して得た資金。それを1円も無駄にすることなく使って作成したこれらルーチェ接続用ディスプレイ。これはミヤコの心の傷を癒す為、皆が力を合わせたものだと聞いている。果たして私は、そんな大事な物の一つを使って、ミヤコに辛い目をさせていいのだろうかと今でも思う」
え、という京太郎の動揺を無視し、ミレイは淡々と続ける。
「私や兄がミヤコに嫌われている理由をこれ以上隠している必要もないが、しかしそれを知るにはかなりの覚悟が要求される。それでも聞くか?」
京太郎はさきほどのミレイの言葉が気になったが、ひとまず頷いた。もうどの道あとには引けないのだ。既にルーチェは始まっている。そしていったいミヤコにどんな過去があったのか、何が起きていたのか。例えそれがどれほど重く暗いものであっても、それは実の兄として、この問題の当事者の一人であるものとして、解決のために聞いておかなくてはと、彼は思ったのだ。
ミレイはそして、そんな京太郎の覚悟を粉砕する一言から語った。
「
私、早乙女美鈴は後宮京太郎の実の双子であり、即ち後宮京は私の本当の妹でもある。
そしてその真実を早乙女家の両親から聞かされた時、後宮家に帰ることを望んだのがミヤコであり、反対したのが私と母だ。特にその時の母の取り乱し方は常軌を逸していた。あれならまだ殴る蹴るの方がまだマシだったかも知れない。とにかくあんなものを大好きだった母から面と向かって受けたミヤコは心に大きな傷を付けた事だろう。なにせ母はそれまで、ミヤコには特に甘かったのだから。
父は母をなだめつつもミヤコの意見を尊重した。が、やはり内心大きな傷を受けたようだった。私は父の気持ちが分る。ミヤコはたった一つの事実を知らされただけで、彼女はこれまで親子として共有してきた時間の全てと早乙女家を否定して、今まで接した事もない後宮家に帰ると言ったのだから。
そうしてミヤコが出て行ってから私達の家庭は転がる様に不幸になった。父は枯れるように憔悴し、母は別人のように豹変した。兄の京一は壊れかけた家庭を何とか守ろうとしたが、やがて彼も父が腑抜けになったと嫌気がさして家を出て、私も後を追って家を出た。
通っていた学校もやめて。
留学の予定も捨てて。
京太郎、貴方は私がミヤコと仲が良くないのではないかと聞いたな。その通りだ。
ミヤコが私を大嫌いなように。
私はミヤコが大嫌いだ。
母がおかしくなったのはミヤコのせいだ。
父が死んだのはミヤコのせいだ。
兄が家を出たのはミヤコのせいだ。
家庭が壊れたのはミヤコのせいだ。
この呪いを浴びせるまで、私は帰るに帰れない。
ミヤコだけは許さない。
」
そう残すと、ミレイはルーチェに旅立って行った。
「……相当やばいな。これは」
気付けば京太郎は、膝を地についていた。
「ミユキ先輩。やっぱり、最初はエクレアとして会わすべきだったよ……」
呆然とそう呟いた時
「ピンチの後にチャンスあり。ですね?」
京太郎が見上げた先で斜めに構えていたのは
「逆恨みも甚だしい。あの勘違いミリタリー娘の相手は私が務めますよ」
艶やかな笑みを浮かべる男装の麗人、神条美樹だった。
どうもお久しぶりです。無一文です^^
次回はちょっと番外編でキャラや設定の紹介などさせて頂きます。
連絡までにではではと。