ルートミヤコ2:後宮京
「ついにこの時が来てしまったのか……。ついに、ついに、ついに。ついについについに!」
人目も忍ばず人耳も憚らず、淡いミントグリーンの色調が目に優しいショッピング通りで独り大きな声を挙げている生物は、別に都会に迷い込んだヒグマというわけではなく純然たる紅枝ヒロシである。
先週の昼休み、クラスメイトにして憧れ人の園田美月から「良かったらこれどうぞ。ちょっと部室で作り過ぎちゃって」と笑顔で差し出されたクッキーを感極まって一気食いし、極まりすぎてそのまま卒倒して次に目が覚めたが病室の病床。真っ白なベッドからムクリと上半身を起こし、はてさてここは何処なりや? と中を見渡せば壁のカレンダー、過ぎた日数あれからなんと一週間というミニ浦島をついさっき体験したばかりの彼であるが、そんなこともはやどうでも良かった。
ヒロシは握りしめた拳を天高く突き上げ、吠える。
「アラーよ! 俺は貴方に心から祈りを捧げます! 美月さんのエプロンドレスを夢ではなく現実に見ることが叶うこの日を生涯祈り続けます! おお、アラーよ! アーメン!」
バグダッドであればRPG7撃ちこまれてもしゃーねーことを言っているのではあるが、しかしついに噂のメイド喫茶ルーチェに客として来店する権利を獲得した彼に恐れるものなどなかった。例えイスラム聖戦士が木魚を叩きつつアメイジング・グレイスを熱唱したところで今の彼には神々しく映った事だろう。
「ブッダが金を数えた。ナンマイダーってな」
あげく、いまどき親父でも言わない様な親父ギャグをうきうきと呟く始末であった。繰り返すが別に彼はダジャレを覚えたシロクマではない。
さて倍率にして実に数千倍という宝くじか机上の計算でしかお目にかかれない確率でしか入手不可能と言われるルーチェの入店チケット。それを彼が手に入れた経緯はあまりに単純にして明快であり、それは彼が昏倒中に腐れ縁こと後宮京太郎@隠れ店員が見舞いに来てそれを机の上に書き置きと共に残してきたわけである。
――お前の見舞いも兼ねているから有難く受け取るがいい。この日のフロア担当は美月ちゃんだ。そしてそれは特別優待券だからオマケだってあるぞムフフ
「ムフフか。ムフフ。フム。むふふ。これはなかなかに意味深なフレーズだと俺は思うんだがな。いやはや持つべきものは親友より腐れ縁だぜ」
にやけヅラも隠さず桜色のチケットを手にのっしのっしと歩いていたヒロシであるがやがて彼は足を止め、自問した。
「まさかこの特別優待券。美月さんの手作りスイーツが食べ放題とかそんな神展開だったりするのか?」
間違いなく神に召される展開である。
「参った参ったそんなことされちまったら一生返せねえ恩をキョウに着せられちまうな」
一生返せなくなるのは間違いない。
そんな自殺願望全快なこと呟きつつ彼はその目線を桜色のチケットから前方へ、いわゆる桜咲くメイド喫茶『ルーチェ』の入り口へと向けた。
「なんだよまるでPSVITAN発売日並に並んでるじゃないかマジか」
予想通りとはいえこの群がる様な人だかり、芸能人のスキャンダルを連想させる様なカメラフラッシュの連続は、生で見ると異様な迫力と緊張感があった。これではチケットがあるとはいえ店に入るには少々なり手こずるだろう、などと思いつつも、さてしかし、一体全体カメラの被写体は誰なのだろうかとヒロシはその高身長を生かして覗き見し――脈絡なく鼻からダブル血飛沫を噴いてブっ倒れた。
紅枝ヒロシ死亡確認。
享年17
「いやしんでねぇし俺しんでねぇし!」
ムクリと起きて立ち上がる。
そして深呼吸。
「すーーふーーーぐるる。すーーふーーーぐるる」
別にクマが呻っているわけではない。
「……しかし、まじか」
ヒロシは衝撃のあまり顔に手を当てて言った。それはまさにあろうことか、あろうことだった。
入口扉の前に陣取り、流麗で艶やかなその黒髪をこれ見よがしに手の甲で流し、見るものを虜どころか蕩かすような切れ長の目で挑発しているのは、見まごう事なき園田美雪。桜花学園の絶対生徒会長。そんな彼女のあろうことかエプロンドレス姿だった。園田美雪と言えば和服。和服と言えば園田美雪というのはニュートンが鼻からパスタをこぼした時に発見した万有引rいやちゃうかリンゴが木から落ちた時に発見した万有引力の法則と並んで強固だと信じていた彼にとって、それはまさに科学の偉大なる進歩に立ち会ったかのような歴史的感動をもたらした。
興奮を抑え、ヒロシはアゴに手を当てて分析する。
「しかしよくよく考えて見れば」
園田美雪はもともとスーパーモデルクラスのスタイルなのだから洋装が似合うのは当然であり、前髪パッツンに黒髪ロングといえば所謂モデルカットであるからやはり洋装が似合うのは当然と言えよう。しかしそれにしてもこれはちょっとちょっと尋常ではない。なにせなにせ
よりによって黒猫耳。
よりによって赤首輪。
あげくのはてに黒猫尻尾。
とどめに肩出しスタイル。
全身の要所にファーをあしらって猫のフカフカまで再現。
ネコミミメイドにおいて確定需要を盛り込んだ確信犯だった。
彼はその顕現した奇跡に感嘆の叫びをあげる。
「アラーよ! ツラマッパギ!」
意味不明。
そんな感じで再び太陽神が侮蔑されると、大きな猫耳を一度ピクリとさせてから園田美雪がその長いまつげの目を向けてきた。そしてその目を怪しく細め
「お前は我らが使えるべき御主人か? あるいは蹴散らすべき野良犬共の端くれか?」
と濡れた刃物の様な声で彼女が言った。周りから「おおおお」という低い歓声があがる。
と、気付けば目の間で何かが眩しく煌めき、それが寸止めされた日本刀の切っ先であると悟ったのは生唾を飲み込んだ直後のこと。そのまま中空に大輪が咲いたような斬影を華やかに描いてからの消失するような静かな納刀。その刹那の美技にギャラリーは言葉さえ失って呆けたように見惚れた。
「……ふ」
と、静かに笑み、彼女は再びその髪をサラサラサラと手の甲で流した。さらに
「野良ならこれより先に近寄るな」
そして流し目。
「撫で斬りにするぞ?」
不遜すぎだ。
危険すぎだ。
このメイドは不遜すぎた。そして危険すぎだ。しかしそれゆえ、だからこそギャラリーによって辺りは地を割る様な大歓声に包まれた。シャッターとか鳴りまくってフラッシュとか光りまくった。
「すげー!!! やっぱシャルロットすげーーー! 秒間八十八閃マジかっけー! 相対論ニュートリノなにそれ美味しいの!」
「ありえね~撮った写真が残像で花になってるし!! なにこの花まじで月下美人じゃん!」
などと歓声の間に聞こえるセリフは絶賛に溢れていた。それに、今度はその目をギャラリーに向け
「リクエストがあるようでしたらもう一度やりますよ」
ニコリと微笑んだ。
ヒロシはそこに、常識という牙城が崩落する様を見た。
――あの、武神と呼ばれ恐れられた園田先輩が、なんかふつうの女の子みたいな態度になっている。これは一体全体どうなってしまうのだ? どうなってしまうのだ? もしこんな豹変を美月さんに見てしまったら俺はもしかしてクマになるかもしれない。
ちょっと思考回路が飛んでいる彼に、しかし園田美雪はニコリとその花のような笑みを向けた。
「それでは改めて、桜咲くメイド喫茶ルーチェにようこそ。ご予約用チケットはお持ちでしょうか?」
今度はそこに漆黒の天使を見た。
さきに感じた甘い毒の如き魔性はどこへやら、その笑みには百合のごとき清らかさと美しさに溢れていた。
「は、はい! ありますここに!」
ヒロシは右手に掴んでいたチケットを勢いよく差し出すと、周りからはどよめきのような歓声が沸いた。それはまさしく水戸光圀の印籠のごとき威光を放つ、幻の中の幻、ルーチェの入店チケット。
「しかも特別優待券だとー!?!?!?!?!?!?」
「ずいぶんと表が騒がしいですね。特別優待のお客様がいらっしゃったということでしょうか。お出迎えをお願いできますかシフォン?」
真っ白なテーブルクロスをかけなおし、小さなドライフラワーを飾りとして立てた男装の麗人はオペラのルーチェネームを持つ喫茶店唯一の執事こと園田ミキ。そしてシフォンと呼ばれ、「承りました」と頷いたのは鮮やかな白が映える二尺袖を着付け、サイドに束ねた頭に三日月の髪飾りをつけた園田美月である。
強運と幸運の両方の持ち主であると言えるここの客は、彼女達に対して一様に不思議な疑問を抱いていた。それは、ルーチェで働いているメイド達の衣装が全くのバラバラであるにも関わらず、しかし全く違和も不調和も感じない――どころか完璧に馴染み切っているという点である。例えば今フロアにいる二人はタキシードと和服の組み合わせ。どう考えてもチグハグなのだが、しかし何も考えず見たままを受け入れるならばやはり全く違和感がない。
――何故だろうか?
彼らはその不思議で心地よい驚きを感じつつも、香り高いハーブティーとコクのあるチョコレートケーキに下鼓を打っているところだった。その答えはもちろん、既に過去に示されていたりする?
「はいそこ手早くボウルに氷水あてて!」「ピケもう2,3空けて!」「ピューレ急いでオーダーおしてるから!」「強力切れたら薄力で!「手首もっとスナップ!」
フロアの静かで心地よい雰囲気とは一転、キッチンはまさに灼熱の如き戦場であった。陣頭指揮を取っているのは真っ白なパティシエ服とコック帽のアオイで、そこからマシンガンのように飛んでくる指示を精密機器の如くこなしているのは同じくパティシエ服のマリサとアヤ、そして洗い場のトウカ。
四人の作業は四人が四人ともハンダ付ロボのように正確にして神速ながら、しかし出来あがる一皿の速度は決して早くない。それだけ一品への作業工程数が多いと言うことである。まるで車一台を生成するかのように。
さて当事者でありながら調理担当のマリサは、この現場現状に驚きを隠せずにいた。それは正直な話、こと料理において自分の腕前には相応の自負があり、キッチンの担当をする事になれば自分が先頭に立って皆に指示を出さなくてはと気合を入れていたのだが。
――すごいじゃないアオイちゃん。私の手足を自分の手足のように扱えるなんて伊達にパティシエ目指してないわね。
と、黙して賞賛を送りつつも手は淀みない。一方、アオイはアオイで驚きを隠せない。自分がその苦難の道を歩んできたからこそ分かる事ではあるが、ヤレと言われてヤレる人間は極めて少ない。それは『100mを10秒以内で走れ』と言えても走れる人間がそういないのと同じ理屈である。しかしそれどころかこのマリサは先ほどからずっと『100mを『往復』してかつ次の一本に備えてスタンバイを『10秒以内』に終える』というような離れ業をやってのけているのだ。
――なんなんですか姉さんは。こんな逸材がボクの身近にいても本当に良いんですか。信じられないです夢みたいです。
と、狐に化かされた心地でありながら、しかしその指示には抜かりがない。
が。
しかし。
そんな二人が驚くどころかもはや度外視しているのが何を隠そうメイド長加納綾。彼女は何せさっきから『アオイの指示より的確にマリサの仕事より正確な』という意味の分からないことを、フロアや洗い場をキョロキョロしながらこなしているのだ。マスク越しに彼女が言う。
「あのお客さんちょっとサッパリした飲み物でお口直ししたそうね。トウカちゃんグラスの御水にカットレモン絞ってお出ししてきて。あっとアオイちゃんまだ薄力粉見えてるからプラ20混ぜて」
「は、はい!」
「マリサちゃんそこ天板2枚重ねで焼こっか」
「はい!」
アヤの出す指示が二人の邪魔になることはない。的確なのは内容だけではなくタイミングもそうなのだ。そんな彼女の耳がリンリンというドアベルの鳴る音を捉えて、メガネの奥の目をチラリとフロアに向ける。
「おほほ、紅枝君登場ね。じゃぁ今日のスペシャルオーダー行っちゃいますか。出番よ我らがエンジェルこと……」
今度は更衣室の方に流し眼
「ステビアちゃん」
そしてウィンク。
「主は来ませり~。ららら~。主は来ませり~」
もしかしたらヒロシは死ぬかもしれなかった。美月の和服姿が神々しすぎて、出されたスイーツが極上過ぎて、注がれた紅茶が芳醇過ぎて。だからとりあえず死後の世界に備え、案内されたテーブルにてイエスあたりを適当に賛美しているのだった。もう一生分の運を使ったかも知れない。いや、来世まで使い切った事だろう。目を閉じて頭を抱えつつも、現状を振り返る。
「あの、あの、あの、美月さんがこの俺に『お加減いかがでしょうかご主人様』などという声をかけてくれる時代が到来しようとは夢にも思わなかった。ああ、なんたる! なんたるなんたるか!」
現状を語るには言語はその語彙が不足し過ぎていた。それほどまでに彼は羽化登仙の心地にいたのだ。そしてそこへ
「特別ご優待のお客様でいらっしゃいますか?」
何時ぞや聞いたことのある歌う様な美声に、彼は再び目を開けた。
ミドルヘアーの銀髪に女性としてはスラっとした長身。クリクリとした大きな目に整った顔立ち。要所に大きなリボンをあしらったエプロンドレスに背中には天使の小羽根を模した飾り。あーとうとう自分にお迎えが来たようだとヒロシはその顕現した天使を前に手を組みつつ、しかし彼女が何であるかを思いだして思わず立ち上がって
「貴方はミヤコちゃんのお姉さんですよね!? ぶふ!」
頬を殴られて椅子に強制着席。女性とは思えぬ威力だったがしかし八雲様に比べえばまぁ余裕とか役得とか何とか思いつつ、彼は再び彼女を見た。
「当屋敷にミヤコという名前のメイドはおりません。くれぐれもお間違えのないよう」
ニコリと言われた。ああ、そうだ。そうだったスッカリ忘れていた。ここではスタッフの実名を言うのは禁忌中の禁忌。禁則中の禁則だった。ヒロシは素直に頭を下げて謝罪した。そして改めて
「えっと、その。エクレアちゃんのお姉さんですか?」
「如何にも。私は彼女の実姉、ステビアと申します。以後お見知りおきの程をご主人様」
彼女はそして花も恥じらう様な笑顔を向けた。ヒロシは思わず
「ツラマッパぎふぅ!?」
神称賛の声は裏拳に遮られた。おお、まるでこの手首のスナップは腐れ縁の後宮京太郎みたいじゃないか。
「他のご主人様のご迷惑となりますのでメイドとの御歓談もお静かにお願い致します」
「失礼しました。えっと、それで、はい。俺がその特別優待のチケットを持っている紅枝ヒロシです」
「ヒロシ様ですね」
「はい。彼女いません。絶賛募集中です貴方とか」
「爛れて下さい」
敗戦記録更新ナウ。脳内ツイートしていたら彼女はおもむろにヒロシの手を取って立ち上がらせてニコリ
「どうぞご案内致します。こちらへ」
「美少女メイドとシェイクハンドナぶふぅ!」
リアルツイートする前に踏みこみの深い鉄山靠を喰らって昏倒し、お客様方の羨望の眼差しの中、彼はズルズルとキッチンの奥へと消えて行った。
一週間前に意識を失ったばかりだというのに再び意識を失ったヒロシが再び目を覚ました時、果てさて今度こそ本気でここはどこか、とムクリと身体を起こせば、そこは形容するならば配線ジャングル。薄暗い硬質な部屋を縦横無尽に大中小様々なケーブルが疾走し、ところどころにモニタ画面が明滅しているという有様だった。
「これは一体なんなんだぜ?」
ヒロシは頭をかき、何かに化かされたような心地になった。
「よう、気付いたか?」
良く知る腐れ縁の声が聞こえて振り向くと、そこにはミヤコの実姉ことステビアがニっと笑って片手を挙げていた。
「ステビアちゃん?」
「おまえそろそろ気付けよ」
ジト目になった彼女より発せられた後宮京太郎的な声に、彼はロダン彫刻の一作に相応しい石化を見せた。
15分後。
ヒロシはようやく落ち着いて事態を飲み込み、その飲み込んだ事態を再び口に戻して咀嚼し、再度吟味し始めた。頭に人さし指を当てて呻る。
「え~っとまずここはルーチェのキッチン真下にある隠れ地下室であり、ここがとある天才研究者の研究拠点の一つであり、そしてお前はステビアちゃんじゃなくて京太郎だと。OK?」
「OKだ」
「ウソだと言ってくれ」
「ウソだ」
「OK。お前はキョウだな。……やれやれ全く」
ヒロシは頭をガシガシと掻いた。案外あっさりとこの不可解な事実を受け入れたことに、キョウタロウは少々驚きつつも顔には出さない。
「なるほどなぁ。前に神条会の残党が学園に乗り込んで嫌がらせしたり、閉店に追い込みつつも店に傷付けないよう買い取ろうとしたのはここが目的だったわけか。伏線も何もあったもんじゃねぇな」
明滅する理解不能な電子機器の明りを見渡しながら、ヒロシは言った。キョウタロウが何時もの癖で前髪を払う。
「そんなことで驚くのはまだ早いぞ? まぁ、それはおいおいだが、ちなみに俺のステビアちゃんボイスもここの生成品なんだよな。つまりはその天才研究者作」
ヒロシはあの歌う様な美声を思い返す。
「あ~、あの萌え声な。すげーよな。俺すっかり惚れ込んだしマジやばかったぜ」
「節操無いなお前は。マリサのファンクラブだったり美月ちゃんに告ったりミィちゃんに惚れたり」
「すべからく美少女に俺は焦がれるべし」
「言い切ったか」
「ああ。で、もう少し現状説明宜しく頼む」
ステビアの格好をしたキョウタロウはそれに頷いた。
「お前も『ロストワールド』で起きた事件についてある程度は聞いてないっけか? 例えばミユキ先輩からさ」
「ちょこちょこはな。そこに園田先輩が関係してた話とか、八雲さんが関係してた話とかは知ってる。なんでも、園田先輩の持ってるあのスゲー力を利用して、確か今の世界に蘇った恐竜を完璧にするとかなんとか、そんな冗談みたいな話だったっけ?」
「大筋はそんなとこだよ。で、もう少し言うならミユキ先輩だけじゃなくってマリサの腕力ややミィちゃんの脚力なんかもその恐竜の完全蘇生に必要だったんだよ。だからあの時、俺達ってまるまる狙われてたんだ」
ヒロシはアゴに手を当てて回想する。
「そういえば、昔に脅迫状か何か届いてたって言ってたなお前。所謂ミヤコシスターズ全員殺す、みたいな」
「それのことだよ。けどまぁ、それ自体は解決したからいいとして……」
「あれ差し出し人誰だったんだ? 結局」
「それなら無一文ってヤツの『史上最強の生徒会長』とか読んどいてくれ。ここの語り部」
「そのメタ発言良く分からんが、まぁ後でそうするわ。で……」
ヒロシが立ち上がり、適当なモニタの一つに近付く。写っているのはルーチェのフロアの様子で、テーブルは満席。客の行儀は皆良かった。
「この店がその事件と関連してた理由は、ロストワールドの恐竜に関する研究成果がここの研究成果の一部に過ぎないからっていう恐ろしい理由で、そんで今も店が狙われている理由はその『大本の研究成果』が今もここに眠ってるからだってのは分かったけどさ。そんなの残した偉大な研究者さんって誰だよ?」
ヒロシは丁度15分ほど前に受けたキョウタロウの説明をそのまま長々しい問いに変えた。キョウタロウは指を一本立てる。
「ヒント。園田の誇る天才少女」
「ミカちゃん」
「正解」
ここから引用:
神社をパニックハウスに改造したり暇潰しでエリア51にアクセスしたりIPCCのクライメートゲート事件で流出したメール情報握ってたりケネディ暗殺の真犯人知ってたり夏休みの工作で月面着陸可能な小型衛星を作ったり出来る。あとその気になればと云うかならなくても米軍の防衛システムにハックして一人世界大戦起こせるレベル。そして終結させるレベル。寝起きに99桁同士の掛け算聞いても1秒掛からず正解を出せる。冬休みの宿題でポアンカレ予想解いた。あと一部でフリーメイソンから勧誘されたなんて話もある。
引用ここまで:
「つまり、『アイツら』の目的はミカちゃんか?」
「正確にはその研究成果だけどな。遊び程度で世界をパニックに陥れるぐらいの能力のある彼女が本気で何を研究していたのか、それが『アイツら』に知れてしまったんだ。で、狙われた。もちろん末端の人間である神条会の残党には真実など教えられてないし、ただ『物件価値が高いから店に傷が入らないように脅し取れ』と言われているだけだけどな」
ここから回想:
「聞くぞ。営業妨害して得られるメリットは? いや、もう少し言い方を変えよう。上納金を諦めてまでルーチェを閉店へ追い込み、再開も妨害し、その上で何を狙っているんだろうな?」
神条会が狙っているもの……。何だろうか。単なる営業妨害が目的なら店に嫌がらせをすれば良い。わざわざ学園に来る必要がない。もっと言えば直接的に再開を阻む手だってあるはずだ。例えば店を荒らすとかボコボコにするとか。
通報される恐れがある? いや、そんな事は心配してないか。こうして学園に大の大人が凶器を持って不法侵入してるんだ。こっちのがよっぽど刑事罰は重くなるはずだ。
そのリスクを踏まえた上でこんな回りくどいことをした理由は? 店を傷つけず、しかし再開はさせないように脅した理由は?
そうして腕を組んだとき、俺はミィちゃんやマリサとルーチェから帰るときに聞いた、あの擦れ違いざまの一言が脳裏を過ぎった。
”兄貴どうします? あの喫茶店ごとやりますか?”
”アホか不動産の価値落とすようなこと言うんじゃねーよ。今日は下見だ。下見”
「土地、店そのもの……とかですか?」
顔をあげれば既にお姉様は柔道場のある桜花ホールの方へと歩き始めていた。
回想ここまで:
「……ん~、まぁその辺りの事情は良く分からないが、その研究成果って何なんだ?」
ヒロシの問いにキョウタロウは答えず、しかし傍の電子機器の上に無造作に置かれていたヘルメットのようなものを手にとって見せた。
「ま、これなんだ」
「なんだそれ?」
「すっごく直観的な言い方をするが、これを被ると夢のような世界が体験できるようになるんだよ」
ヒロシが眉をひそめた。
「なんか怪しい洗脳器具か何かみたいだな。こう、妙な電波を発信して被ったものを言いなりにするとかよ?」
「ぶっちゃけるとそういう使い方も出来るが、本来の目的は途方も無く現実に近い仮想シミュレータらしい。この機器の中で起きて体験した事は現実世界で経験したものと全く差がないレベルとかなんとか」
「なんかすごそうな事言ってるけど、具体的に何が出来る感じなんだ?」
現実世界と差がない仮想シミュレータと聞いたばかりであるが、それではあまりに用途が広すぎてヒロシは漠然としていたのだ。キョウタロウはそれを察して答える。
「例えば現実にやってはいけないこと全てだよ。そこでならそれが全て無かったこととして許される。例えばそうだなぁ。いまここで核実験したらどうなるか、もし次の瞬間重力が真逆になったらどうなるか、もし隕石が落ちたら本当に地殻津波が起きるか。他にもあの子に告白したらフラれるのか、さえ分かってしまうらしい」
「おいおい待て。核実験とか隕石はともかく、告白とかそんなの人の気持ち次第でどうにでもなるじゃないか? そんなのシミュレーションするとか絶対に」
「出来ますなのです」
声の出所はモニタの一つだった。ヒロシが目を向ければそこに、園田ミカの顔がクリアに映し出されていた。
「人の気持ちと言う非科学的な概念も、脳内物質の物理シミュレーションという科学的概念に置き換えればシミュレート可能です。そうすると後は計算精度の問題だけなのですが、精度だけならこのシミュレータに何も問題はないなのです」
ミカは自信満々、という表情でこそないが確信する様な面持ちで言った。
彼女の唐突の出現にやや面食らった様な顔をしたヒロシだが、既に現状以上に驚くような事ではないので、平常心に戻るまでさほど時間はかからなかった。彼はそのモニタに身体を向ける。
「なんだかエライ恐ろしい事を言ってるような気がするが、まぁその、そんなの作る目的ってなんなんだ? なんつうか俺は正直好きになれない。人の心ってのはそんな風に機械でどうのこうの探ったりいじったり、詮索していいものじゃないと思うんだがな」
ヒロシは丸太の様な腕を組み、やや不快そうな口調でモニタのミカに言った。彼女はやや俯き、その表情を哀しく曇らせる。
「……分かってますなのです。確かに、紅枝さんの言う通り、そんなのいけないことなのです。だから、すっごく迷いましたなのです。こんなの作って良いのかって、何度も何度も迷いましたなのです」
「ハッキリ言うがやめておくべきだったな。そのせいでキョウ達は危険な目にあったし店だって潰れそうになったんだろ? それがどんなすごい機械なのか俺はバカだから良く分からないが、それが引っ張ってきた結果が悪かったことぐらいバカな俺でも分かる。そしてそれが今後何を引っ張ってくるのかもな。だから今すぐにでもこんなこと」
「クマや」
遮ったのはキョウタロウだった。
「俺もお前の意見には大方賛成なんだがさ、大事なのは方法もそうだが目的じゃないっけか? 人の心をいじくるとか探ったりとかいう方法は確かにそれだけを聞けば良くない。けど例えば人を殴るってのは良くない方法ではあるが何のために殴るかってのも結構大事だと思わないか? ガチで体育会系なお前なら分かるよな? いや、むしろ切り刻むでも良い。身体を切り刻むでもさ?」
ヒロシは目線をキョウタロウに向ける。
「まぁ殴るのはスポ根的な意味で分かるが、身体を切り刻むってことに正統な例でもあんのかキョウ?」
そして怪訝な顔をした。キョウタロウはそれに大きく頷く。
「外科医」
「参った」
ヒロシは苦笑した。それからフーっと力を抜くように息を吐く。やや力んでいた部分があったらしく、それをキョウタロウが解したのだ。
「で、まぁその目的って何なんだよ? 今の流れだとミカちゃんはその何とかシミュレータってのを使って心をいじってどうこうしようみたいな目的を持っているようなんだが、違うか?」
ミカは俯いていた顔をあげた。
「その通りなのです。私の目的は心の傷を治す事なのです。それは小さなストレスからトラウマまで、それらを脳内物質の過剰分泌や異常物質の分泌といった物理現象に置きかえ、それを治療する方法を見つける事なのです」
キョウタロウがさらに補足する。
「ミカちゃんはここで、ず~っとその研究をしてたんだよ。学園には表向き、巫女修行で全国行脚ってことで休学してあったんだけどさ」
キョウタロウの言葉に、しかしまだ納得していない様子のヒロシが言った。
「まぁとりあえず目的も分かったけど、やっぱりどうも方法には納得しにくいんだよな。でもま、それは置いておくとして、それで……その」
ヒロシは慎重に言葉を選んでいる様子だった。
「……心を治したい人でも、いるのか? その、ミカちゃんの身近にさ」
やや、空気が重くなった。二人とも口を閉ざしている。
ミカはキョウタロウの方を、モニタ越しに一度見たようだった。
しかしキョウタロウはそれには頷かず、しかしヒロシの方を見る。
「おいおい言う、とはさっきに言ったけどさ、お前にだけはやっぱり先に言っておこうと思う」
「キョウタロウさん、でもそれじゃ」
「大丈夫だよミカちゃん」
不安そうに割って入ったミカを、キョウタロウは目と口で制し、そして再びヒロシの方に目線を戻した。
「準備OKかヒロシ?」
「おう、何でも来いよ。俺はお前の親友だが、それ以上に腐れ縁だからな」
ヒロシはごくごく自然に言った。まるで胸でも貸してやると言わんばかりに頷いて。その巨体も相まってか、キョウタロウはヒロシに予想外ではないが期待以上の頼もしさを感じ、我知らず少しだけ微笑んでしまった。それにヒロシも笑う。
「その格好でクスリされると妙な気起こしそうになるからやめろキョウ」
「怖ろしいことを言うな」
「まさかお前、自分が女だったとかカミングアウトするんじゃないだろうな?」
「恐ろしいことを言うな」
「だとしたらそんなもん、お前今から俺の嫁確定だぞ?」
「悍ましいことを言うな」
やれやれ、とキョウタロウは溜息を吐いてはみたが、しかしこれがヒロシの気遣いの一種である事は分かっている。だからこそすんなりと言うことが出来た。
「実はさ」
こんな風にすんなりと。
「ミィちゃんっておれのじつのいもうとなんだよ」
大抵の事は予測し、大方の事に対して覚悟をしていたつもりだったが、しかしそんなものをまさにコテンパンの粉々に打ち砕くかのような衝撃に、ヒロシは思わず目を見開き、瞳孔は不可抗力で小さくなり、喉は硬いつばを飲んだきり動かなくなり、そして身体も同様硬直した。
キョウタロウはキョウタロウで、そのあまりの様子に俯いてしまい、ミカも顔を背けた。
やはりまだ話すべきでは無かったかも知れない。
今はまだ黙って置いて、今回の件に知らぬまま協力してもらい、もっと落ち着いてからこれは、やはりおいおい切りだすべき事だったのだろう。今更になってあまりに浅はかなことをしたとキョウタロウは悟った。
「そんな……」
漏らすようなヒロシのこの一言。
もう、この反応なら、今回の計画は失敗したも同然だった。
ミカのこれまでの研究も。
キョウタロウのこれまでの努力も。
トウカとミキのルーチェ再開の本当の目的も。
アオイがここへ引っ越してきた理由も。
何もかも。
悔悟と後悔が、キョウタロウの顔に深く刻まれた。
しばらくの沈黙の後、ヒロシが顔を伏せて溜息を吐いた。
「……キョウ。おまえな」
「……すまん」
俺も知ったのはごく最近で……と、言葉を繋ごうとした時、ヒロシはその大きな両手でキョウタロウの両腕を掴み、危機迫る様な表情で
「今日から義兄さんって呼んでもいいっすか!?!?!?」
「分を弁えろシロクマ風情が!!!」
キョウタロウはヒロシのアゴにカウンターでヘッドバッドし、思わずヒロシは尻もちをついてアゴを擦った。ミカはアホの子みたいにポカンとなった。
「か~、ひでぇ扱いだなオイ! 良いじゃねぇかミヤコちゃんが実の妹ならお前とイチャイチャしてたってそれは兄妹のイチャイチャだろ!? だったら別に俺が彼氏になったところでどんな問題があるってんだよ!?」
「やっぱり今明かしたのは大失敗だったわ!」
言いながらキョウは腰に手を当てて無礼なアナグマを見下ろすように睨めつけた。
「何が大失敗だ大成功だ! 今すぐ妹さんを俺に下さい! お願いします!」
土下座。
「アホめが! 目に入れても痛くない可愛さ余って可愛さ億倍の俺のミィちゃんをどこのクマの骨ともしれんヤツに任せられるか! 自害しろ!」
あんまりだ。
「誰に対しても一歩引いた態度取ってたやつがなんだこれ!? 自称クールがなんだこれ!? なんだこの豹変ブリは!? お前何時の間にそんなシスコンにクラスチェンジしたわけだよ!?」
「この程度をシスコンなどとは肩腹痛いわヒグマ! 兄が妹を溺愛して何が悪い! 兄が妹を盲愛して何が悪い! 兄が妹を情実して何が悪い! 兄が妹を大事にして何が悪い! 兄が妹を保護して何が悪い! 兄が妹を心配して何が悪い! 兄が妹を……」
「わーった!!! わーったよわーった! 分かりました!」
何時にないキョウタロウの変貌ぶりにやや焦りを感じつつ、ヒロシは言った。
「お前のミヤコちゃんに対する気持ちはよくわかったよ! ……まぁ、さっきの理屈はよく分からんが、お前の気持ちにゃウソはねーのは分かった。だったら、俺はお前に協力するのにヤブサカではない。そしてミヤコちゃんのために協力するのに本望でしかない」
その言葉に、ようやくミカの表情は明るくなった。しかしまだキョウタロウは半信半疑な様子だった。
「妙な感情起こさないだろうなお前?」
「当たり前だろ。そんなの俺以上にキョウが一番良く知ってんじゃねーのか、ん?」
ヒロシがニヤっと笑い、つられてキョウタロウも口元を緩めた。そしてその目じりには、何かが小さく光っていたような。
「……そうか、そうだったな。いや、回りくどい事言って悪かったな。やっぱり最初からお前には……」
「良いよそんなの。どうでもさ」
大きな手をヒラヒラとさせた。
「にしてもさ、お前もっと驚かねぇの?」
「何が?」
本気で怪訝な顔をしているヒロシに、キョウタロウはそれにこそ怪訝な思いだった。
「いや、何がも何も、俺とミィちゃんの関係だよ。まさかの実の兄妹だぞ?」
「いやいやキョウタロウさんや、それこそ伏線まみれだっただろ?」
「まじか?」
「確信した。俺はバカだがお前はアホだ。瓜二つの容姿とか身体が入れ替わったりとかお前の死亡フラグ回収っぷりとか。むしろ何を今更って感じなんだが?」
アッサリサッパリバッサリと言われ、キョウタロウもミカもポカンとなる。これぞ腐れ縁と言うヤツが為される業なのか? などと。対してヒロシはニヤリ。
「それにこれは単なる俺の勘だけどな、しかし実はこれが一番の手がかりだったりするんだよ。それはな……」
ヒロシは人差し指をビシっとキョウタロウに向け、完全無欠の極致の様な自信を顔に張りつけた。その威圧感に思わずキョウタロウは固唾をのみ込んだ。
「どんなにどんなにどんなに深い事情があれ、あの八雲マリサさんが年頃の美少女の接近をあそこまでキョウに許す理由が『実の身内』以外に何があるかよ?」
「参りました」
キョウタロウは思わずその場に平伏した。
一方フロアでは、第二の特別優待客が訪れたことを知らせるベルがリンリンと涼やかに響いていた。案内するのはティラミスこと神条桃花。小悪魔的な愛らしさを全身から放つエプロンドレスに身を包んだ彼女は、それに相応しく小悪魔的な笑みでもって、彼女を出迎えた。
「いらっしゃいませ。貴方が本日の特別優待客の早乙女準様ですね? お待ち致しておりました。テーブルへ御案内致しますのでどうぞこちらへ」
一つお辞儀をしてから、おしとやかな足取りで先導を始める。彼女はそれにトコトコ続く。
「あ~これはこれはどうもですねお前ら。けれども普通メイド喫茶での挨拶なんて『おかえりなさいませ』だと思っていたんですが私の勘違いだったんでしょうか」
店内を歩く道すがら、早乙女ジュンと呼ばれたその少女と言うより幼女と言うべき姿の客は、眠そうな声で言ってからアクビした。それにティラミスはクスリ。
「フフフ。随分とお詳しいんですね先生?」
「伊達に先生やってないですよお前ら。ふやぁ、徹夜けは辛いですね」
「つまり先生、貴方は招かれざる招待客と言う事を尚早に御理解頂けたと言う事でしょうか?」
「ん~? 変ですね~すっごく。先生は優待されているのに歓迎されていないという変な境遇なんですかお前ら?」
ティラミスは少し小さく鼻から溜息を逃がした。そして届きはしないが目線を後ろに流す。
「そろそろシラ切るのも飽きた頃合いじゃないですか? ミヤコちゃんの『自称』お母さん?」
そう、彼女は声のトーンを落とした。
「……」
そのとき、小さいながら、しかし耳にしたものなら誰かれなく、例外なく、怖気を感じずに得られない様な、ケラケラケラ、という人外のような嗤い声が彼女の口から発せられた。
トウカは背中を刃物で刺されたかのような鋭い冷気に似た何かを感じて振り返ると、彼女の表情が一変していた。
「あ~~~~れ~~~? おっかしいじゃ~ん? 娘にはぜってぇアタシの正体バラすなって口止めしたのに~~? どうしてどうしてそんなことそんなこと知ってるわけ~~?」
それはまさに悪魔さえも吐き気をもよおす様な、
「でないとまたまたアンタの些細な幸せをブチ壊してあげるって硬く約束してやったのに~~~?」
この上もないほど、この下もないほど
「なのにど~~~してアタシの正体がお前らに割れちゃってるのかなぁ~??」
それは圧倒的で、絶対的な
「もしかしてやっぱりアンタ気付いてたの~?? 娘と一緒に暮らしてるマリサちゃん用に用意してた超超超特大テディベア型の盗聴器をさ~~??」
『凶』という一字を胸に刻みつけられるような禍々しい、しかしそれでいて天真爛漫な笑顔だった。
間違っても、こんなもの、人間が浮かべても良い表情ではなかった。
――――だからこそ
「……ふふふ」
だからこそ桃花は、それと同じように、普段は誰にも明かさない本来の彼女の笑みを、ありのまま返す事が出来た。
「もちろんです。当然じゃないですか」
その表情に、早乙女ジュンはピタリと足を止めた。
「あんな可愛いクマさんからあんな薄汚い雰囲気を醸し出すなんてそうそう出来る事じゃありませんからね? だから私はもう一目見た瞬間釘付けでした。一瞬にして虜になりました。こんなの絶対に絶対に絶対に、他では手に入らないって。でも御心配なく。だから御心配なく。そんなものはもちろん取り除いてクマさんはとってもとっても綺麗にしておきましたので。今では可愛いだけのとっても可愛いだけの私のビッグベンです」
その表情に、早乙女ジュンは問いかけた。
「まさか……おまえも園田の血を引いてる?」
その問いに、ティラミスは小首を傾げた。
「フフフ。御冗談を。これは随分な御冗談を。御冗談な御冗談を。わたしが、よりにもよってこのわたしが、鬼の血筋の園田の血を引いてるですって? フフフ。まさか。まさかまさか。まさか」
くすくすくすと肩を小さくふるわせつつ、彼女は早乙女ジュンのために椅子をひき、座らせ、そして礼儀正しくお辞儀した。
「私が、鬼の血を引いてるですって?」
そしてその奈落の様な瞳を早乙女ジュンに向け、これ以上はないというぐらい優しげで慈愛に満ちた殺気を込めて言った。
「鬼殺しの四天王、碓氷貞光が直系、神条の血をひいているものです、私は。それではまた後ほど御会い致しましょう」
そう残して静かに、テーブルを離れた。
いよいよ新たな幕はあがる。