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ルートミヤコ1:早乙女みやこ

 花が美しいのは、やがてそれが枯れてしまうからだと聞いたことがあります。何時までも綺麗なままでいたらそれが当たり前になってしまって、気付けなくなってしまって、大切に出来なくなってしまうって。

 その美しさが、有り触れたものに過ぎなくなってしまうって。

 私はそうは思いませんけれど、でも枯れるのは仕方がないことだと思います。だってそれは当たり前だからです。仕方のない事だからです。私はだから、それを受け入れる事が出来ます。それは私がとても小さい頃に勉強した、『当たり前だから当たり前』とか『仕方ないから仕方ない』という常識だからです。

 だからそれを、私は諦める事が出来ます。静かに見送ることが出来ます。追い掛けはせず、大人しく、静かに。

 ただ、もし。

 枯れない花がこの世にあるとするなら、枯れない花があっても良いなら、私はそれを必ず欲しがってしまいます。

 幸せと一緒です。


 ある日私は、一面のお花畑で一生懸命に花を摘みました。私を大切にしてくれる、私の大切な姉さん達に花を摘みました。それはとっても綺麗なお花です。それはとっても素敵なお花です。何時まで経っても枯れないお花です。

 私はそのとき尋ねました。


 このお花はどうして枯れないのですか?


 私よりも小さな彼女は、とても分かり易い当たり前を教えてくれました。


 そのお花は、(プログラミング)だからなのです。


 咲かない花は枯れない。咲きもしない花は枯れもしない――枯れない花は咲かない。枯れもしない花は咲きもしない。

 見れもしない夢は醒めもしない。醒めもしない夢は見れもしない。

 幸せと一緒です。

 けれどもそんな当たり前に傷つくほど、私はもう無傷ではありません。そんな些細で傷が入るほど、もう健全な箇所がありません。だから私は、それが枯れる本物であっても、それが枯れない偽物であっても、大事に大事に愛していくことが出来ます。

 幸せと一緒です。

 いつか終わると知っていても、終わるまでは終わらぬものとして、束の間の永遠として愛していくことが出来ます。花が少しずつ色あせ、項垂れ、生気を失い、渇き、その花弁を一つ一つ落としていこうと、私はそれを最後の最後まで、最期の最期まで愛していくことが出来ます。その花を守り、慈しむ事が出来ます。

 ――――だからこそ


 害虫には容赦しない。


 私の愛でる花を一齧りでもするなら、この足で蹴り潰す。その汚れた体が葉先に触れようものなら、この足で踏み砕く。


 何時かは蝶になり、花の愛を育むといえども、そんな瑣末は関係ない。そんな些細は関係ない。そんな理屈は関係ない。


 そんな綺麗事は余所でなさい。


 この花は私の中で始まり、私の中で育まれ、私の中で咲き、私の中で項垂れ、私の中で渇き、私の中で枯れ、私の中で散ればいい。

 幸せと一緒です。

 この幸せだっていつか終わるから。いつか枯れるから。いつか消えるから。いつか色あせるから。いつか生気を失うから。いつかその鮮やかさを、一つずつ欠いていくから。

 それは構わない。それで構わない。 

 けれども。だからこそ。

 

 塵虫には容赦しない。


 私の幸せを再び奪おうと言うなら容赦なく、今度こそ。

 ○○てあげます――○○てあげる

 ○してあげます――○してあげる

 ○らしてあげます――○らしてあげる

 けれどももし、それが、叶わなくなってしまったら? 

 あの時のように。

 私がお父さんを『失った』時のように。それならやっぱり幸せは、この幸せは、この幸せも。

 花と一緒です。

 

 虫に喰われる前に、私はそれを摘んでしまう。

 

 お姉様の花を

 兄さんの花を

 姉さんの花を

 お姉ちゃんの花を

 みんなの花を

 

 みんなの、幸せを

 わたしの、幸せを


 私はこうして、一つずつ摘んでしまう。

 最後の最後には

 最期の最期には

 最後の最後まで

 最期の最期まで


 …………そんな風に、おもってた。


「ねぇ兄さん。一つ聞いても良いですか?」

 その日の就寝前、目に入れても痛くない妹のミィちゃんが枕を抱いて寝室にやって参りました。本棚の整理をしていた俺は振り返ってから

「はいはい。何でも聞くと良いよ」

 と応じる。ミィちゃんは年中無休で寂しがりなので寝る前にやってくるのは珍しいことではないけれど、そのクリっとした目がいつになく思いつめているようなので、彼女の刺激的なネグリジェ姿に突っ込むこともなく応答する京太郎君なのでした。そこ、安定して変態だなとか思わないように。ミィちゃんは枕をギュっと抱きつつ

「仮に……ですよ?」

 とやや窺うような上目遣いになった。ストレート暴走型な性格を有するミィちゃんにしては珍しいその表情と口ぶりに、俺も向き直って「うんうん」と促すように頷く。

「もし仮に、もし仮に、本当に……もし仮にです」

 と入念な前置きをしてから一区切り、そしてその小さな肩を大きく動かして息を吸い、それから長い時間をかけてゆっくりと息を吐いた。

「ひっひっふー」

「……」

「ひっひっふー」

 何を産もうと言うのだろうか?

「ふぇ? あ、えっと! 違うんですごめんなさいマストビー!」

 と赤面しつつ両手をサカサカと交差させるミィちゃん。とりあえず落とした枕を拾ってあげて彼女に「はい」と返却。素直にそれを受け取りつつ

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

「ナマステ?」

「んんん、どういたしまして」

「あ、はい」

 なんか可愛いらしい聞き違いしてるけれど、つまりそのぐらい何かテンパッてしまうような事があったのだろうか? 果て、などと今日一日を振り返っていたら再び枕にギュっと力を込めて

「も、も、もし仮になんですけどね?」

 と再びの上目遣い。

「OK。仮のお話だね?」

 ドンとカモンと頷いて見せる。

「で、でもちょっと本当だったりもするんですけどねメイビー?」

 なにやら用心深いですな。

「うん、ちょっとは本当なんだね?」

「あ、でも大体のところは仮にのお話でそれで小さな部分は本当だったりそうでなかったりというお話が仮に本当だったらどうなるのかなっていう感じのお話なんですけど、うん。えっと、その、あれ? 合ってますか?」

 と、まるでキツネに化かされたような表情を浮かべている彼女。

 ……えーっと、と俺は腕を組んでから

「たぶん正解?」

 と聞けばミィちゃんは胸に手を当ててホっと安堵の溜息を吐いて

「良かったです」

「良かったね」

「へへへー」

 なんか嬉しそうだよこのこの子。良くわらかないけれどとりあえず落ち着いたようで良かった。俺はその場に「よいせ」と座ってから胡坐をかき、自分の前にクッションを一つ置いてちょんちょんとそこに指を指して座るように指示した。しかしミィちゃん、ムムムっと呻りつつあごに指を当てて初ものを見る猫のように警戒した、が、すぐに大きく頷いて

「分かりました今晩はそこで寝ますマストビー!」

 マストビー!

「あ、いや普通に座って欲しいな」

 と言えばミィちゃん、猫が猫パンチ喰らったような顔で俺を見つめてからしばらく、やがてその目がウルウルと潤いを帯びて

「兄さん私の事が嫌いになってしまったんですかぁ!?」

 俺どこで間違った!?

「なったんですかぁ!?」

 なんかそのセクシーな格好ながらも四つん這いで真に迫る表情で詰め寄ってきました! 可愛いからこそ後ずさる俺!

「兄さん私の事があろうことかとうとう嫌いになってしまったのですか!?」

「あろうことかそんなことないですよ!?」

 あろうことかってそんな使い方でしたか!? とか自分で突っ込む前にミィちゃんは一層顔を寄せて

「じゃじゃじゃじゃじゃぁ私の事は大好きですか!?」

「ももももももちろんミィちゃんの事は大好きです!!」

 ベッドの横に背中を預けるまで後退した俺と、その上に若干乗っているミィちゃんという構図となってしまいそれ以上の接近はアラートという段になってようやく義妹は静止していて、そしてその状態でまた猫が猫ジャラシパンチ(新技)を喰らったような顔をしていて……なんかまたトラブルの予感がするいやでも考えようによっては美味しい展開とかもあるのではないかとかいろいろ脳内を錯綜してたら

「兄さんそれプロポーズですか!?!?」

 だから俺どこで間違えた!?

 

 そんな感じに色々と様子のおかしいミィちゃんにハラハラどきどきブヒブヒと付き合って(ブヒブヒやめ)、時計の針は午後十一時というところ。ようやくのようやくという事で義妹は落ち着き、気持ちの整理をつけたのか本題を語ってくれることになりました。

「更新遅いですマストビー」

「反省してます。すいません」

 そのメタ発言には返す言葉がなかった。すいません。まぁひとまずそれは脇に除けて、本題。彼女は胸の前でグっと両手の握り拳を作り、その大きな目を閉じて半ば叫ぶようにして悩みを打ち明けてくれた。

「もしも私の本当のお兄さんっていう人がやってきて私を連れて帰るって言ったらどうしますか!?」

 ミィちゃんが発したその言葉に、俺はしばらく言葉を失った。

「……」

 だからしばらくした後すぐに俺は言葉を取り戻し、アッサリと言った。

「それミィちゃん普通に言うこと聞いて帰っちゃうんじゃない?」

 と。

 瞬く間に彼女が青ざめた。それからすぐに両手を伸ばして

「そ、そんなことないです!!」

 それにわざと疑わしい目を向け

「うそ~?」

「うそなんかじゃないです! 私は絶対にそんな人の言うことなんて聞かないです! 絶対聞かないです!」

 彼女は俺の両肩を掴み、まるで雪山の寒さで眠る肉親を揺すり起こすようなそんな悲痛な表情を浮かべて言った。しかし俺はそれに頭をポリポリとかきつつ

「ん~~、ちょっと信じられないなぁ、そんなこと」

「どうしてですか!? どうしてそんなこと信じられないのですか!? 私は絶対にそんな人の言うことなんて聞かないです!! 帰らないです! 帰りたくないです!!」

「ん~何て言うか今までのミィちゃんから判断してやっぱり信じられないと思うんだ」

 その言葉の後、彼女の目からボロボロと涙がこぼれ始めた。

「私の言うこと、信じてくれないのですか……?」

 掠れるようなその声に、しかし俺は端的に言った。

「ごめん。やっぱり俺の考えはそうだなぁ」

 彼女は涙ごと閉ざすように両手を目に当て、そして俯いて、肩を小さく震わせ始めた。

「あんまりです……。そんなの、あんまりです。どうして私が……そんな簡単に言うこと聞くだなんて。どうしてそんな風に思っちゃうんですか、兄さんは」

 小さな嗚咽までがその声に混じり始めた――と、これ以上引っ張るのはやめておくべきだ。俺はミィちゃんのその頭に手をやって

「でもさ、ミィちゃん?」

 そして優しく撫でながら言った。

「今まで俺の言うこと、ちゃんと良い子に聞いてきたじゃない?」

 彼女が顔をあげ、もう赤くなっているその目を向けて来た。俺は努めて明るい笑顔を返し

「だからさ、ミィちゃんって俺の言うこと何時だって聞いてくれたじゃない? 今までさ。 例えば俺(兄さん)が『もう遅いからそろそろ家に帰ろうか?』とか『これ以上遅くなると俺(兄さん)はマリサ(姉さん)に撲殺されかねないから帰ろっか?』とか言ったら、きちんと言うこと聞いてくれたでしょ?」

「あの、兄さん?」

 呟くミィちゃんをよそに、俺は熟考するように下を向いて腕を組み、呻った。

「んー、まぁそうだな。ミィちゃんもお年頃だから遅くまでお外で遊びたくなるようなことがあるかも知れないし、たまにはお兄ちゃんに反抗するのもOKかもしれないか。うん、いくら大事な妹とは言えそれはお兄ちゃんがミィちゃんを束縛する理由にはならないしね」

 そこまで言ってからチラっと目線だけあげて顔をみる。ミィちゃんはでも、まだ少しだけ捨て猫の様に不安そうな表情をしていたので、ちょっと余計な引っ張りを入れ過ぎたか、と後悔しつつ、その後も遠まわしに伝えて言った。


 ミィちゃんの『本当のお兄さん』なんて、俺に決まってるじゃないか。

 って。


 しばらくそうしたやり取りをしていたら

「そうですよね。……ごめんなさい。私やっぱり言う事聞いて帰っちゃいますよね」

 再びミィちゃんの顔が花でも咲いたかのような笑顔になった。

「でしょ? あ、でもたま~には反抗してお外へお出かけするのも良いかもよ。でもまぁ、行き先ぐらいはマリサなりミユキ先輩なりに言っておいてね」

「その時は兄さんも一緒ですよ。一緒に遊びに行って、一緒に帰ってこれたらそれで幸せいっぱいです」

 少しずつではあるけれど、俺の軽口を通してそれが染み込むように伝わったのか、ミィちゃんは笑顔だけでなく元気も取り戻していった。

「でも俺も、まぁミィちゃんが嫌がることは基本的に言わないと思うから、あまりさっき悩んでいたようなことは起きないと思うけどね。ああでも、俺でも聞けないお願いは幾つかありますけどね」

「なんですか? 兄さん」

 とその天使顔負けのお顔を寄せてくる――ううう、我が妹ながら可愛さ余って可愛さ100倍。要するに全部可愛い。

「えっと、一緒に寝ようとか一緒にお風呂入ろうとかね」

 ミィちゃんおメメをパチクリ。よしよしこれはいつもの仕草だ、畳みかけるぞ、と人差し指を立てて熱弁体制。

「いや俺個人としてはお兄さん冥利に尽きると言うかラブコメ主人公冥利に尽きると言うか勝ち組と言うかそういう感じなんですがね。そこは訓練されている京太郎君なわけですよ。そんな見え透いた御褒美にかかるほど伊達に三途リバーへピクニックとか行ってない。大山君とか友達に持ってない。何故ならもしもそのようなイベントが発生しようものなら太陽が東から昇るがごとき必然性を伴って俺の魂はコスモのかなたまでブッ飛ばされるのは明白だからね」

「よく分かってらっしゃいますわね。わたしの可愛い可愛いミヤコちゃんに不埒な行為をしたら例えミヤコちゃんが許しても私の拳が許しませんわよ?」

「そう。このようにブっ飛び方まで具体的なわけだ」

 いい加減この辺りで俺もキレますね?

「あのねマリリン」

 とベッドの下からにょきっと出ているスレンダーな両足に問いかける。ミィちゃんもようやく気付いた。

「なにかしら?」

「なにかしらじゃなくてさ。何でお前さっきから小一時間に渡って俺のベッドの下を覗きこんでるわけ?」

 そう。俺が今背もたれにしているベッドの下には隣人から住人と化した幼馴染が、何故か頭を突っ込んでスレンダーな足腰をフリフリとさせているのである。その主からの返答。

「御気になさらず。ただ思春期の男子なら蓄えざるを得ない薄い本がありはしないかと思いまして」

 思いまして。

「なぁマリサ。思いついてもやらない方が良いことってこの世にはあると思わない?」

 問いかけ

「ふ~むあらかた見慣れたものばかりですわね。これとそれは許容範囲なので目溢しするとしてもこの二冊だけは要点検ね」

 返答なし。

 ベッド下にあるダンボール箱などを漁っているのかガソゴソと乾いた音が響いてくる。

「なぁマリサ。プライバシーって何だろうね?」

「私生活に関するあれこれをみだりに詮索・公開されない法的な保障と権利の事ですわ」

 正解!

「今それの著しい侵害にあってる人が身近にいてさぁ」

「ふむふむ、この一冊はCカップ未満かつツインテールにつき特例措置ですわね」

 はいキレますね!

 パシっと俺がその御尻を叩くと、「キャー!!」という悲鳴と共にツインテールはベッド下に頭を強打して悶絶。ふはははははは見たかね諸君! 何時までもヒンニュウ妖怪ネコかぶりツインテールにヤラレっぱなしのイケメン戦士(自称)京太郎だと思っていたら大間違いなのだよ!さぁさぁついに始まるぞ怒涛の展開! ついに幕を開けるぞ奇跡の反撃! これからいよいよイケメン戦士(自称)京太郎の活躍が見逃せないぞふふふふはははは!

 自称かよ

「兄さん頭に何かついてますマストビー」

 とウィンクしている可愛いミィちゃん。それにイケメン戦士はクールな笑顔を返して

「ふふふ何がついていると言うのかねイケメン戦士京太郎の妹よ」

 と尋ねれば彼女は花も恥じらうような笑顔で

「死亡フラグです」

「ふふふ死亡フラグとな」


 やっぱりなぁ、なんかアカン思ってたんやって~(モモスケ風に)

 

 犯した過ちのあまりの大きさを今更になって実感し、京太郎顔面ブルーレイ(二層構造)になっていればベッド下、そこから地獄の底から現れしルシフェルの如き威容を伴って上半身を滑りだしてユラリと立ち上がるは破壊神八雲マリサ。

 あー、終わった終わった。俺終わったんやで。

 彼女はスレンダーな腰に片手を当て、さらに片方の手で自身のツインテールをシャナリと流してから子ネズミを追い詰めた山猫の様な笑みを浮かべ

「大間違いでしたわね?」

 大間違いでした。

「これからの活躍が見逃せないわね?」

「見逃して下さい」

「命をかけた戦いが始まるわね?」

「生まれてきてごめんなさい」

 プライド全捨ての俺に対してツインテールの破壊神はビシっと人差し指を俺に向けて

「私の100万ドルの御尻に対して触る撫でる舐めるなら兎にも角にも叩くなどと言う不届き千万無礼千万億千万の大罪を働いて謝って済むとでも思っているのかしら? 私は誤った貴方のその考えを将来の伴侶として是正しなくてはなりません、この拳で。あるいは結婚しろ」

 どうやらこのツインテールは頭がおかしくなったらしい。と、隣でミィちゃん顔を真っ赤にして

「兄さん今のプロポーズだったんですか!?」

 だから俺どこで間違った!?


 そんな感じで事情を聞いていたマリサなのだが、彼女も俺をだしにしつつミィちゃんへの姉としての愛情をごく自然に示す事には成功したようだった。

 そのままの勢いでしばらく俺を殴りつつ談笑しつつ(扱いひでぇ)していたらミィちゃんは安心したのか、再び枕を抱いて

「それじゃぁ明日は朝からルーチェなので、おやすみなさいです。姉さんも早くきて下さいね」

 とペコリ。マリサがそれにウンウンと答えると、ミィちゃんはトコトコと部屋を去って行った。

 彼女が視界から消え、寝室に戻ったのを扉のたてる音から判断した後、マリサは気落ちしたような溜息を吐いた。

「ほんと、勝手よね……」

 こぼすように言ってから両膝を抱きかかえ、マリサは自分の膝がしらに顔の下半分を埋めた。

「いまさらどんな顔して、ミヤコちゃんに会うつもりなのかしらあの二人」

 目の上半分を閉じて目線を下げ、マリサはまるで胎児の様に小さく丸まった。あるいは自分の殻に引きこもろうとする雛のような、そんな姿勢にも見えた。俺は雰囲気が重くならないように、けれど少し落ち着いた口調で言った。

「ミレイちゃんと、あとミユキ先輩の知り合いの……名前は確か、京一って言うんだっけ?」

 マリサは目線をそのままに静かに頷いた。

「それにお母さんも……早乙女先生も、よく平気で学園にやってこれたわよね」

 やっぱりその事で気落ちか。と、俺にまで溜息がうつった。

 俺達のクラス担任の早乙女先生。

 それがミィちゃんの実のお母さんであり、ミィちゃんが家を出ていく原因にもなった人だと教えてくれたのはミユキ先輩だった。その理由が理由だったから、たぶん俺だけでなく美月ちゃんやミキさんも、努めて普段通り、これまでの学園生活を送れているのだと思う。何の連絡も無く、何の脈絡も無く、何の説明も無いまま突然に現れて、本当に突然、俺達の――否、ミィちゃんのクラス担任になったとしても。そこに相応の理由があった知ったからこそ、これ以上ミィちゃんの幸せを壊さない為にこも、俺も美月ちゃんもミキさんも普段通りを演じ、二人を大人しく見守っているのだ。

 けれどもマリサはその理由をまだ知らない。

 俺がまだ伝えてないから。

 でも誰よりも彼女の傍にいるマリサは、だからこそその違和感に気付き始めている。そしてミィちゃん自身、早乙女先生が母親だとはマリサ同様、俺達もまだ気付いていないと思っているようで、先生とはごくごく普通の生徒と先生の関係をこれまで演じ続けている。先生の方もどういうつもりなのかそれに合わせていて、実の娘に対して他人の様に接しているようだった。クラスメイトの誰も気付かない程、普通に。

 いつの間にか下唇とか噛んでいる俺がいた。

「キョウってよく地雷踏むけどさ」

 マリサの問いかけに回帰する。

「ミユキ先輩に殴られたことって、ある?」

 …………。

 どうだろうか。

 まぁミユキ先輩には日常茶飯事的にしごかれた記憶はあるけれど、改めて『殴られたことあるか?』という風に問いかけられると、んー

「ミヤコちゃんのお兄さん。本気で殴られたらしいよ」

 俺はマリサの方を見た。けれどマリサは相変わらず、少し遠くに焦点のあるような目を下に向けてばかりいる。

「私は本気で殴るから死ぬ覚悟をしろ。そしてそれに耐えて生きる覚悟を見せてみろ。さぁ好きなところを選べ。顔を殴れば顎が砕けて流動食だ。腹を殴れば内臓が破裂して血反吐を吐く。胸を殴れば肋骨が折れて心の臓に届く。今更ミヤコの幸せを裂いてでも会うと言うならその程度の覚悟、がないとは言わさんぞ って」

 夜に柔道場に呼びだし、煮えたぎるマグマを閉じ込めた地殻の様な、そんな怒りを奥底に秘めた冷淡な表情で、冷徹に言い放ったらしい。

 そしてその結末こそが、明日のこと。

 ルーチェでミレイちゃんをミィちゃんに面会させるという、ミィちゃんの『過去』の兄、その京一という人の頼み。それを聞く事にしたらしい。つまりそれは、ミユキ先輩のそれをパスしたという事になるのだろうけれど……。

 マリサが小さくため息を吐いた。

「ミユキ先輩はギリギリのギリギリで寸止めするつもりだったみたいだけど、そのお兄さん、自分から当たりに行ったんだって」

 結果、掠った程度とはいえ柔道場の端まで叩きつけられたらしい。

 ――――そりゃそうだ。

 流石に本当に本気ではなかっただろうけれど、ミユキ先輩が仮にも『殴る』と言うような動作をやってそこに突っ込む様なマネをすれば、唯ではすまないだろう。

「鼻血出して失神してたらしいけど、大事にはならなかったみたい」

「鼻血って、つまり顔面から突っ込んで行ったのかよ?」

 それも、ミユキ先輩がうっかり殴ってしまうほどの勢いで、真正面から。

 マリサが頷いた。そしてそれがミヤコちゃんとの面会を許した理由らしい。ただしあくまで、最初はお互いに素性を知らせないという条件をつけて。

「昔さ。キョウとミヤコちゃんの中身が入れ換わるっていうおかしな事が起きたでしょ?」

 マリサが少し顔をあげて、俺の方を向いた。もう笑顔を取り戻していたから軽口を挟もうとしたけれど、その青い瞳に少し涙の滲んだ後が見えたから頷くだけにした。

「私最初すごく心配だったしビックリしたんだけどさ、あの時のことをミユキ先輩に色々と聞いてたの」

 そう、ミィちゃんと初めて出会った切っ掛け、それは朝起きたら俺はミィちゃんになっていて、ミィちゃんは俺になっていたという極めて奇怪なものだった。

「それで教えてもらったことでね、どうしても忘れられなかった事があったの」

「それって?」

 尋ねると、マリサは少し躊躇うように間を置いてから、けれそも少しずつ話し始めた。

「ミヤコちゃんのあの側頭蹴り。それを受け止めたのがミユキ先輩とミヤコちゃんの最初の接点だって」

 それは、俺も見ていた。

 まぁ正確に言うと、その蹴りは俺の身体にいたミィちゃんがミユキ先輩に対して放ったものなんだけれど。

 マリサが続ける。

「ミユキ先輩はその時思ったみたい。なんて速くて、なんて早くて、なんて疾くて、そしてなんて軽いんだって」 

 回想する。確かにミユキ先輩はあの電光石火の様な蹴りを、軽々と受け止めてはいた。


 ――今度も本当に間一髪のところでその稲妻のような蹴りを放った足の甲を受け止めている、もちろん片手、それもまるで森を散策中に進路を塞いでいる小枝でも払うように手の甲で。手首は圧されているどころか微塵も曲がっていない。


 あの時は確か、まだミィちゃんは早乙女京だったっけ。

「それからミユキ先輩がさ、酷く辛そうな顔をして言ったの」

「なにを?」

「ミヤコちゃんのあの脚は、人を蹴る為の脚じゃないって」

 マリサが目元を軽く指で拭った

「ミヤコちゃんのあの脚は」

 何かから逃げる為に発達した、ウサギやガゼルの脚だ。

 マリサはそう聞いたらしい。

 マリサの肩が小さく震えていた。

「私ずっとミヤコちゃんと一緒にいるから分かるの。あの子もうこれ以上傷が入らないぐらいまで傷だらけよ。だからこれ以上はもう傷付けられない。これ以上はもう傷が入らない。入りようがないの。これ以上は。だから、そこから先はミヤコちゃんが傷つくんじゃなくて、ミヤコちゃんはきっと」

 ――もう壊れちゃうよ。

 そう言ってからまた、青い瞳から涙をこぼし始めた。

「それでも、それをおしてでもミヤコちゃんがお母さんやお兄さん、お姉さんに会わなくちゃいけない理由なんてあるの? 今掴んでる幸せより大事なものなんて、それを失うかも知れないリスクをおかしてまで得るものってなに? 私にはそんなのあるなんて思えない。絶対に思えない。キョウだってそう思ってるわよね? 思ってるからこうしてミヤコちゃんと一緒に暮らして、かくまってお兄さんになってるのよね? なのにどうしてキョウまでミユキ先輩に協力するわけ?」

 どうして、ミヤコちゃんをそっとしてあげないの?

 少し感極まっているマリサに、俺は問い詰められた。

 そんな風に言われると、俺には何も返す言葉がない。なぜならマリサの訴えている選択は、俺が過去に一度、明確に、彼女が知らぬ形で、彼女に対して選んだことがあったから。

 マリサのお姉さんであるシンシアちゃんからマリサを引き離し、本当の名前のクローディアからも引き離し、マリサに何も相談しないまま、マリサはマリサであることに、俺は消極的ながらも加担していたのだから。だから、俺にはマリサに抗える様な言葉は何も持っていない。

 マリサが泣いていた。

「私は絶対に嫌だ」

 手折られた百合のように美しく悲痛な姿で、両手で目を塞いで泣いていた。俺はそんな彼女を説得できるような、慰められるような言葉なんかない。だからありのままの事実を話すしかなかった。その理由を話すしかなかった。

 だから俺は。

 俺はマリサにもつげることにした。


「なくなったんだよ。お父さんがさ」



どうも無一文です^^


実に三カ月以上ぶりの更新ですね。お待たせしてすいません、そしてお待ちいただいて有難うございます。


さて、お話はここに来てミィちゃんを中心にフラグ回収に移って行きます。

彼女の過去、京太郎との本当の関係、ルーチェとの関係、ミカちゃんの謎の技術、etc


そして次回こそいよいよ!

『桜咲くメイド喫茶ルーチェ』が登場です!(おそ


それではまた^^

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