ルートミヤコ:-1
程度の差こそあれ忍耐にも限度と言うものがあり、自分で言うのもあれであるが後宮京太郎は割合と心の広いほうだと考えている。
例えばこのように、部活が終わってカラカラに乾いた喉を潤そうとダッシュで立ち寄ったウォータークーラに先客がいれば、急がず急かさず気長に待っていられる――のだが、それが十分十五分となってくると話も少々変わってくる。
それでも二十分までは静かに腕を組んで先客の後姿を見守っていたのだが、流石に二十五分を越えたあたりで俺の忍耐は程よく限界に達し
「いい加減にしろこのオーバーポニー」
と声を発しつつ、目の前でグビグビやっていた関西娘の両脇を人差し指でついて噴かせるに至ったのである。お前は渇死寸前のラクダかカバかと。振り返ったモモスケは今なおゲホゲホとムセながらも
「い、いきなりなにすんねんエロノミヤ! うちの気管支に恨みでもあるんか!」
「そんな微妙なとこに恨みを買った覚えはない。ないけど目の前で明らかに致死量超えてる水をガバガバ飲んでたらそりゃ止めるだろ普通は」
「ウチは部活後に10リットルは水飲まんと馬力が出えへんのや!」
ラクダでもカバでもなくウマだったのか。
「分った分った。お前が人間じゃないのは分ったから、いい加減場所を変わろうな」
と適当に返しながらポジションチェンジし、冷えた水をようやく口一杯に頂こうとペダルを踏んだら『ふー……』と耳元に甘い息をかけられて
「ブー!!!!」
と盛大に噴く。隣で「あははははははは!」と腹を抱えて笑っている神条桃花桜花学園高等部二年生。
「そ、そうかそうかそうかエロノミヤはウチに水芸見せたくてうしろで待ってたんやなそんなん言うてくれたらすぐ退いたったのにあっはははははは!!」
と二重の目に涙まで溜めて朗らかに笑ってる彼女。俺は極めてゆっくりと口元を柔道着の袖で拭って向き直り、穏やかな笑顔と声で
「ねぇティラミス」
「それをここで言うなや!」
条件反射の如く顔を寄せて咆える桃ちゃん。こうして見るとさっきの泣き笑い顔も涙目顔に見えてくる。
それから平常通り、挨拶代わりの低レベルな言い合いをしばしして、桜花ホールの階段に二人並んで腰を降ろした。
部活後のシャワーをミユキ先輩とミィちゃんが浴びているので待機中という俺の都合と、とりあえずダベりたいという気ままな桃介の都合により、俺たちは昨日の出来事を振り返って時間を潰す事にした。
――――昨日。
「まぁ大まかには今説明した通りなのですが。これ以上は習うより慣れろなのです。まずはこのゴーグル型ディスプレイをかけて下さいです」
場所はミユキ先輩の実家でもある園田神社の本殿内。畳の上に銘々の座り方をしているメンバーはいつものミヤコシスターズ。そして、今しがたちょっと信じられない内容を説明し終えた巫女衣装にカチューシャスカーフの女の子――園田家の三女にして末妹の美花ちゃんである。
――園田美花。
園田美雪と園田美月を実姉に持ち、園田神社の正式な跡取りとなるために全国の神社を巡って修行を積んでいた中学三年生の天才少女。彼女はつい先日、久方ぶりに実家であるここへ帰って来たのだ。
背は少し伸びたものの、トレードマークのカチューシャスカーフや『なのです』口調のせいでぶっちゃけ何も変わってないように見えたので、悪気はなかったにせよ第一声にて
「お久しぶりミカちゃん。相変わらずだね」
等と言ってしまい、少しの間ムっとさせてしまう一幕があった。
これに対してお隣のツインテール幼馴染から
「そういうところがデリカシーないのよキョウは。いい? 久しぶりに会うレディには細心の注意を払って、けれどもそれとない目つきで観察して、小さな変化も見逃さずに、そしてそれを優しく褒めてあげるのが紳士の礼儀であり義務なのよ。分る?」
という面倒くさそうな指摘を小声でされ、でもそれを真摯に受け止めた俺は大きく頷き
(そうだねマリサ。俺の配慮が足りなかった。これからは気をつけるよ)
「毎日観察してるのに微々たる変化も見せぬお前の胸はもはやこの世の七不思議にry」
脳内のセリフと現実のセリフが入れ替わると言う持病の発作が起きて、何と言うか半殺された。人生いつどこで終わりを迎えるものか分らない。
「そうそう。昨日はエロノミヤとマリィの夫婦漫才があったな。そう言うたら」
クククと笑ってるオーバーポニー。
「いやいや漫才じゃなくて一方的な命のヤリトリな。マジで意識半分飛んでたから」
「ぶっちゃけアレってどこまでがガチでどこまでがジャレ合いなん?」
ここはハッキリ伝えておくべきだろう。
「ライオンはジャレてるつもりでもジャレられてるのがネコだとどうなるよ?」
「あー……、なるほどな。そりゃ満身創痍にもなるか」
納得してくれた模様。よしよし。
「だからもしあのツインが今度俺に『ジャレ』てきたら、お前からもやめる様に言って欲しい」
「そりゃ無理な相談やな。うちはマリィの100万ドルの笑顔が見れるんやったら『ええでもっとやれ』って感じやし~」
コイツは俺に死ねとおっしゃる。
「それにエロノミヤかて、そういう感じで人生の終わりを迎えられたら男冥利に尽きる、言うもんやろ? 我が生涯に一片の悔いなし! って言うかさ」
「悔いありすぎて祟り神に転生するレベルだろそんなバッドエンド。何が嬉しくて失言一句で幼馴染に撲殺されなきゃいかんのだ」
「マウントポジションでもか?」
「いやいや体位の問題じゃないだろ」
と呆れてから、もう少し無駄話をする時間はあるかなと柔道場の方を見た。どうやらお姉様と義妹はまだ湯浴みの最中の模様。中で『キャッキャうふふふ』とかやってたら実にけしからん。
ところでミィちゃん、最近は髪のお手入れ方法をお姉様に教わってるせいなのか、このごろ一層ツヤツヤ度が増してきたような気がする。こう、指通りも滑らかで……
「なんやブチブチ言いながらウチの髪さわっとるけど、なんかついてるんか?」
気付けばモモちゃんのオーバーポニーをクルクルと指に巻きつけている俺がいて、それをキョトンと見てる関西娘が隣にいた――それにしても、性格によらず髪はかなり綺麗なモモスケ。
「お前も髪の手入れしてるのか?」
そんなわけで尋ねてみた。さすれば関西娘は「うん」と頷いた。
「まぁでも、ウチが自分からやり始めたんやなくてさ、姉貴に昔から『もう少し女の子らしく振舞っても構わないでしょうトウカ』って毎日説教されながら風呂上りにタオル巻かれたり、ブラッシングされたりしてるうちにクセになった、言う感じかなぁ。せやけど……」
「けど?」
「髪を整えるのは面倒くさくてやってへんな。姉貴はいつもいつも手際良ーやってるけど」
「そういえばいつも綺麗にセットしてあるよな、ミキさんの髪って。アレってなにか整髪料使ってあるのか?」
ステビアスタイルの時に参考にしたいという本音は秘密だ。
「うん。でも市販品やのうて、何種類かのハーブのエキスとちょっとの砂糖をぬるま湯に溶いて作ってるって言うてたな。三日で使い切るって感じで。飲んでも問題がないぐらい無害やから、当然髪にも優しいとか何とか」
「よく分らないがすげーな、自作って」
「へっへー」
「いや、お前は褒めてない。それより本題に戻そうか」
「せやな。え~っとエロノミヤがマリィにマウントポジションとられたんやっけ? あの後」
「いやそれが既に脱線してるから」
―――――昨日。
園田神社の地下、薄暗い祭具殿。『習うより慣れろです』ということで案内されたそこの長椅子にシスターズは横一列に並んで腰掛け、メガネともゴーグルともつかない怪しげな機器を頭にセットしていた。ミユキ先輩がお昼時にシスターズに見せた謎の道具である。
傍から見れば実に怪しい宗教的セレモニーのようなこの光景、一体全体、何が始まると言うのか。目隠し状態の俺の胸中ではワクワク感と不安感が渦巻いていた。
「後頭部にあるヘッドストラップを調節して違和感のないように着けて下さいなのです。それが出来たら右の耳かけについたスイッチを押して通電して下さい」
ミカちゃんの声に従い、操作する。手探りでスイッチを見つけ、押し込んだ。
突如として、眼の前の暗闇に巨大な白の建造物が複数現われた。大きなスクリーンに3D映画が投影されたような、そんな迫力と臨場感に思わず「おぉ」という間の抜けた声をあげてしまう。よく見ればその建物は四つであり、形はアルファベットであり、左から順に『T・E・S・T』と読めた。
【何か見えましたか?】
ミカちゃんの声。しかしそれはFMラジオでも聞いてるような電子ノイズと共に耳元から聞こえてきた。どうやらこのゴーグル(?)の機能の一部のようだが……。
【Test の文字が見えるわ。すごいわね。これどういう仕掛けなの?】
同様にマリサの声もクリアに聞こえてきた。ミカちゃんは【フフフ】と嬉しそうに笑うだけで答えなかった。
そこで気付いたのが、周りの音が完璧に遮断されているということだ。今まで祭具殿の中を漂うように聞こえてきた隙間風の音が、ピタリと止んでしまっているのだ。
【音声状態も良好なようなのです。ではネットワークに接続します。最初はビックリするかもしれませんけど、すぐに慣れますので】
その声の後、巨大な『TEST』はガラスを割ったような音と共に粉々に砕け散った。その幾つもの破片が自分の周囲を通過し、風と轟音を感じた。あまりの現実感。ただそれに驚く前に、暗闇の中心に光源がフっと表れた。思わず見つめる。するとそれはジワリと溶ける様に形を曖昧にした――その瞬間、ビッグバンのように眩く爆ぜて一面を白色世界に変えた。
世界を飲み込むような爆風と衝撃に思わず身構える。シスターズの小さな悲鳴も聞こえたような気がした。
――――身構える?
そう、身構えていた。両腕を顔の前でクロスさせて、圧倒的で得体の知れない光と風から反射的に身を守ろうとしていて――いやいやいやこれマジでいったいどうなって……。
ふと、穏やかな風を感じた。
それは蒼く茂る草の香りを孕んだ心地の良い風だった。眼の前で交差させた腕の隙間から漏れる光も、先程の暴力的なものではなく、まるで春の午後に注ぐ日の光のように柔らかく穏やかなものに変わっていた。
「もう大丈夫です。接続完了です」
ミカちゃんの声から電子音特有のノイズが消えていた。さらにそれは間近ではなく距離と方角を伴って聞こえて来たので、腕を下げてそこに目をやった。
そこに、彼女がいた。
雲一つない青空の下、無限に広がる草原。そんな視界の中央、風に巫女衣装を靡かせる彼女――園田美花は、両手を後に回してニッコリと微笑んでいた。
ここは、どこなのか。
オーソドックスな疑問と、それに相応しいであろう表情をしている俺に向け、彼女は言った。
「ようこそなのです」
そして両腕を広げた。
「現実よりも本当に現実的な世界へ」
我が目を疑うとはまさにこのことだと思った。どういう種と仕掛けをしたら祭具殿からこんな場所に飛ばされるのか、皆目見当がつかない。さらにはそもそも、自分は怪しげな装置@ゴーグルかっこハテナを頭につけていたはずなのにそれも見当たらない。しかもさっきから足がスースーするしコレ一体……って
「なんで俺スカートになってるの!?」
結論から言えば、俺は見知らぬ草原でスデビアの格好にになっていた。
真相も言えば、外だけではなく、内の方までも。
「あれはマジでビビった。いやマジで。正直何が起きてるのか意味が分らなかった」
「せやろな。知らん間に知らん場所で女装どころか女子にされてたらビビるわな」
「いや、お前がおしとやかなティラミスになってたのが」
「自分の性別変化よりそっちなんか!?」
ボケやらツッコミやらを挟みながら昨日の出来事を話していたら、義妹とお姉様が出てきた。ホカホカとした顔をニコリとさせながら手を振っているので、二人で振り返す。オーバーポニーも気分転換は充分済んだらしく、「さて、そろそろウチも戻るかな」と伸びをして、弓道場の方へ引き上げていった。義妹とのスレ違いざま、彼女とは両手でタッチしていった。
「モモネェのほっぺはプニプニです~」
「へへへ~、ミィミィのもぷにぷにや~」
と、彼女達なりのコミュニケーションとしてホッペの触り合いもしていった。さぁ今度は俺がシャワーですっきりしよう。
部活のシャワー室で手早く汗を流し、身支度を整えて柔道場を出た。
すると、廊下、演劇部の部室からアヤ先輩がフラフラと出て来るのが見えた。具合が悪そうだ。ミィちゃんとミユキ先輩を待たせてあるけど、少しぐらいなら良いだろう。
「加納先輩どうしたんですか? なんだかお加減が優れないようですが」
そう声をかけるとアヤ先輩はこちらの方を向いて
「ああ、後宮君。練習お疲れ様。まぁ体調悪いと言えば悪いんだけど、良いと言えばすこぶる良いのよね。強いて言うなら体調良過ぎて悪い、みたいなさ」
と苦笑。ふむ。
「何だか今一要領得ませんけど、どういうことなんでしょうか?」
素直に言えばアヤ先輩は「ん~~、そうね~」とアゴに人差し指を当てて
「例えて言うなら『元気出ないからチョコレートでも食べよう』って決めてそのまま食べ過ぎて鼻血出たっていうアレかしら」
鼻血と言えばアヤ先輩。アヤ先輩と言えば鼻血。この世界ではそのような取り合わせがシックリ来る。
「何か元気の素的なものを過剰に摂取されたという訳ですか?」
「そーゆーことね」
おっとりニッコリ笑う演劇部部長。その素敵スマイル、伊達にルーチェのメイド長はやってない事を改めて思い知らされる。
「だって考えても見なさいよ。ただでさえ可愛いミヤコちゃんや美月ちゃん達がエプロンドレスひらひらさせて『お帰りなさいませご主人様』とかやるんだからさ、そういうのをコンスタントに目の当たりにして平気でいろって言う方が無理ってもんでしょ?」
「はー、それが先輩の元気の素というわけですか?」
「その通り。よく出来ました」
分りやすい原因だった。
「まぁでも、確かにそうですね。あのメンバーでメイド喫茶やるとか本当にそれなんてギャルゲッホゲッホ! ぶっちゃけてしまうと、俺もあのメンバーとご一緒できるだけでも役得なのに、それに加えてバイト料までもらってるとか若干罪悪感覚えるレベルですね」
うっかりな失言を咳に派生させ、さらにジョークで塗り潰してたら「な~に言ってるのよ」とごくごく自然に肩を組んできたアヤ先輩。
「後宮君だってそれを構成するメンバーの一人だってこと、忘れてない? ステビアちゃん」
さらにはツンと鼻を押されてしまう。フレンドリーに接してくれるのは先輩なりの気遣いなんだろうけど、こちらとしてはそれにいちいち緊張してしまう。しかしイヤな訳ではない。
「お客さんの人気だって高いし、アタシが厳しく見てもかなり板についてるわよ最近。もしかして何か掴んだりした?」
「まさか。こっちはいつ野郎だとバレないかって、毎回戦々恐々としてますよ」
これはマジ話である。仮にバレたりしたらどんな騒ぎになるだろうかとちょっと想像してみる。ルーチェのスタッフにオトコが紛れ込んでいて、そんなけしからんヤツが後宮京太郎であると発覚し、しかも女装していたと、ふむ。楽観的に考えてももう学園にはいけない。元気一杯に退学届けを出してしまう。その上でさらにマリサと同じシフトだという事を踏まえれば、ファンクラブから闇討ちされる事も懸念される。アイツだ! 八雲様に女装して近付いた不届きな変態は! 極めて不名誉な濡れ衣と共にBADEND。享年17歳。
「あの、やっぱりバレたら割と致命的なんで降りるって言う選択肢は」
「ないわね」
即答ですか。
「仮にそうなっても、それはそれでお客さんの需要はあると思うけどね、アタシ的には。『こんな可愛い子が女の子の訳がない!』っていうね」
うふふー、とまさに他人事のように笑うメイド長。もしかしたらフレンドリーなのは気遣ってるのではなく、普通に地なのかも知れない。
「俺としてはそういうお客様の元に供給されるのはちょっと不安なんですけど」
と苦笑いすればアヤ先輩、意地悪そうな笑みを浮かべて
「それ、間接的にアタシが怖いって言ってるのかしら?」
「今のセリフで直接的に言います。先輩ちょっと怖いです」
桜花ホールを出ると辺りはすっかり夕暮れ時。
茜色になったグランドに長い影法師を伸ばしているのはお姉様、そして彼女に背負われているミィちゃん。もしかして寝てるのかな、と思いきや、普通に起きてマッタリと幸せそうにしていた。常に甘えたい盛りの義妹である。しかしどちらかと言えばミィちゃんよりもミユキ先輩の方が嬉しそうにしてる辺り、需要と供給のバランスが良い意味で崩れているのではないかと思う。
「フフフ可愛いなミヤコ可愛いなミヤコ。どうだこのまま私が負ぶって帰ってやろうか」
こんな具合である。
しかしまぁ桜花学園史上最強の生徒会長武神園田美雪を陥落させるほどの萌えを放つミィちゃんが、そういうものに目がないアヤ先輩に上目遣いで『アヤお姉ちゃん』などと言ってしまえば、確かに体調ぐらいは壊すだろう。
至極全うな推理をしていたらこちらの方にミユキ先輩がやってきて
「なぁ京太郎。そろそろこの子を渡す心の準備は出来た頃合か?」
「ちょっと意味が分らないのですが」
「早い話、ミヤコが欲しい」
「直球ですね。お断り致します」
「一緒にお風呂入るんだ」
こういう事で人の話を聞かないのはいつもの事。いちいち付き合っていたらキリがないので先輩と言えど素無視。そしたらミユキ先輩の肩からヒョコリと義妹が顔を出して
「兄さんは私が誘っても一緒に入ってくれないです」
プニプニホッペをプーっとやっている。あー、和むなぁものすごく。
「そうですわ。ワタクシがお誘いしてもつれないお返事ばかりですもの」
そしてそんな義妹の後ろでプニプニホッペをプーっとやってるツインテールの幼馴染。あー、なにやってんだこの子。
(練習おつかれマリサ。ごく自然なタイミングで現れたね。サボっててもいいのかいランニング?)
「何ナチュラルな流れでとんでもないこと言っているのだろうこの洗濯板は」
しばらくお待ちください。
「ご、誤解だ我が幼馴染。これは持病の発作でありうっかり口がすべry」
もうしばらくお待ちください。
「最後の一言は確実に余計でした。余計でした。だからどうか殺さないでくだry」
私のためにお祈りください。
マリサは再び練習に戻り、三人でグランドを横断した。
正門を目指し、坂を下る。
食堂の手前に来たところで、胸いっぱいにお菓子を抱えているアオイちゃんと遭遇した。どれから食べようかと算段するようにお菓子に視線を注ぎながら歩いてる彼女、本当に食べ物に目がない子である。
「アオイちゃんこんな遅くまで何してるの?」
声をかけてようやく視線が前になる。なんか危なっかしい。
「あ、先輩達練習お疲れ様です。演劇部部室のお菓子が切れてたので、買い出しに来たんです。それより」
とキョロキョロと俺の方を見るボクっ娘。
「なんかこう、『ふー、なんとか致命傷で済んだぞ!』みたいな感じに見えるんですけど、あのゴーグルでも使って中東の紛争から帰って来たんですか?」
実際あれなら出来そうだから困る。
「いやいや柔道部の練習だよ。最近は特に苛烈を極めまくってて油断したり謝り足りなかったらシんでたレベル。ははは」
サラリとゴマかして見せる。我ながらクールに返したものである。
「謝り?……ふふ、具体的にはどんなメニューなんですか?」
不穏な笑みのアオイちゃん。どうやら見事に失敗したようである。
「アオイは結局、演劇部に入ったのか?」
とお姉様。その気はないにせよナイスフォローでございます。アオイちゃんは人差し指で鼻先など掻きながら
「え~っとそうですね。仮入部という形ですが、ハイ。一応お邪魔してます。それから美月先輩のいる料理部の方にも」
だから掛け持ちですね、とクスっと笑う。
そうかそうか、料理部にも入っているのか。願わくば美月ちゃんの作るクッキーを正しい在り方に導いて欲しいものである。最近は特に別の意味で腕をあげていて、耐性のない紳士が食そうものなら数枚で三途の川に直行してしまう。
例えばしょうもない男気を見せようとしたシロクマなどがバケット半分もの量を食し、ここ最近欠席しているのは記憶に新しい。今頃は彼岸と此岸をいったりきたりのバカンスだろうか。まぁなんだかんだ言っている間に帰ってくるだろう、アイツはタフだから。
「あ、ねぇねぇ!」
というミィちゃんの声に回想から返ると、空手着のミキさんが大きな袋を肩に下げてやってきた。
「こんなところで立ち話ですか皆さん、宜しければ少し混ぜてください」
と輪に加わり、そのままナチュラルにミィちゃんの頭をモフモフと撫でるミキさん。ミィちゃん猫のようにリラクゼーションモードへ移行。
「ネェネェはお出かけで~すか~?」
「そう。お出かけで~すよ~」
ニッコリ答えつつも笑顔がクールなミキさん。
「どちらまでお出かけで~すか~?」
「ホームセンターまでお買い物で~す~」
まるで童話に出てくるウサギとカメのようにゆったりとした会話。ミキさんすっかり癒されている。
「どんなものを買ってくるので~すか~?」
「砂鉄を1トン買ってくるので~す~」
ここは突っ込むべきだろう。
「すみません、そんな量の砂鉄を買って何を企んでるんですか?」
聞けばミキさん、赤い瞳をこちらに向けて
「部活に使うサンドバッグの消耗が激しいので、中を全て砂鉄に交換しようかと企んでいます」
ニッコリ微笑む彼女。
ある程度の手ごたえを増すためにサンドバッグに少量の砂鉄を混ぜる、というのは聞いたことがあるが、しかし総砂鉄というのは聞いた事がないというか、もはや鉄である。
「今のままではせいぜいで正拳数発。抜き手なら一発も持ちませんからね。幸い学園長の許可も降りましたのでこれより買出しです」
サンドバッグ破る前に常識破るのも大概にして欲しい。空手部のサンドバッグなんて俺が金属バットでフルスウィングしたってビクともしないのに。
「でもミキさん、どうして空手着のまま行くんですか? 目立っちゃいません?」
アオイちゃんの素朴な疑問。言われて見ればその通り。
「これ着てたら絡まれる心配がありませんので」
それも確かにその通り。
これはものすごく余談であるが、ミキさんは男子よりも女の子にすごくもててしまう。放課後、下駄箱から出てきたピンク色のお手紙を手にして「ま、また女性からですか」と赤面しつつも途方に暮れる姿はしばしば目撃されている。とはいえ、彼女は別に男子からの告白を待っているわけではない。しかしまぁそういう意味ではミキさん、ヨードーちゃんと立ち居地が似ているのかもしれない。あの子は男子に根強い人気がある。
「昨日の不覚を取り返すには、今の訓練では足りませんからね」
その言葉に回想から現実に戻される。あ~、やっぱり昨日の神社での出来事を引き摺っているのか、と。そのセリフに「フ」と小さく笑ったのはミユキ先輩。
「相手が私なら仕方ないだろうミキ。お前は充分強くなっている、そのままで大丈夫だ」
そして仰いました。これが全く嫌味に聞こえない辺り、さすがは武神と言うべきなのだろう。
そう、昨日、ごく久しぶりに、いやむしろ始めてというべきなのか。
ミキさんとミユキ先輩が戦ったのだ。
本気で。




