シュトレン
夕刻の茜に染め上げられた放課後校舎の一室一教室。その片隅にて一人で腰掛け頬肘を付き、物憂げな表情を浮かべながら溜息など吐いている園田美雪の姿は絵になることこの上ない。まるでお屋敷に住まう深窓の姫君が、眼下で泥だらけになって遊ぶ庶民の子供達の中に己の不自由を見て静かに嘆いているようでさえある。
グランドを掛ける風が壁を駆け上がって窓から転び込み、彼女の髪を撫でた時に黒髪の姫君はポツリとこう漏らした。
「刃研ぎしたいな、ヤスツナ」
「今のご時勢にそれはないです先輩。帰らないんですか?」
入り口から俺が声をかけるとミユキ先輩は切れ長の目をチラリと向けた。
「しばらくここの風に当たってから帰るつもりだ。時に京太郎、お前は武士は食わねどスゴイ我慢と云う諺を聞いた事があるか?」
「『武士は食わねど高楊枝』ならありますが『スゴイ我慢』は初耳ですね。それがどうかしたんですか?」
「だろうな私が今作った。もしお前が「もちろん知っています」などと知ったかを決め込んでいたら主君不敬罪で斬滅していたところだが九死に一生を得たな」
俺の命――プライスレス(無価値的な意味で)
「何時の間に俺と先輩は主従の誓いを立てたんでしょうか? それも『時は戦国』レベルの」
「そんなことは銃刀法の次にどうでも良い」
「銃刀法は大事です」
「時に京太郎、お前こそ帰らないのか?」
「ええ帰ろうと思ってたんですが下駄箱で何やら不穏な空気を背にヒリヒリと感じたので振り返って見上げてみればミユキ先輩が見えたものでお邪魔した次第です」
「だろうな。私がお前に向けてあらん限りに怒気や殺気を飛ばしていたからな。気付くのがあと三秒遅かったら小柄も打ち込んでいたところだが九死に一生を得たな」
用語説明:小柄。日本刀に仕込んでいる小さな小さな刀。棒手裏剣の要領で投げて使う場合もあるが基本はただの装飾品。ただし所有者が園田美雪である場合は純然たる凶器。
「悪運の強いヤツめ」
「新手の嫌がらせですかそれ」
「なに、流行りの斬デレというやつをお前にやってみたに過ぎん」
「そんなものは流行ってないです」
「礼には及ばん」
「云ってないです」
「有り難く思え」
「有難うございます」
「礼には及ばん」
「……」
しばらくの間を置いてからミユキ先輩は頬に手を当てて
「……てへ」
「可愛く誤魔化さないで下さい」
咳を一つ挟む。
「重ねて云いますが巷にそんなものは流行ってませんからね」
溜息を吐けばお姉様は腕で髪をサラサラと流しながら
「照れ隠しの斬滅と云う新たな萌えの形に何もときめかないとは随分と無粋なヤツなのだなお前は。この時代遅れ」
ユキたんに云われるとすごく心外なのはきっと気のせいだ。
「武神から背中に殺気を飛ばされたあげく失言一句で斬滅とか俺が不憫だと思わないのですか。そこに萌えとかないです」
「10円の話をしないか?」
「命乞いをシカトですかミユキ先輩」
「そろそろ帰るか京太郎?」
「あ、はい。帰りましょう先輩」
俺こと後宮京太郎がルーチェ開店について何かを申し上げるのなら、まさに案ずるより産むが易しと云う言葉が極めて適当だったと云える。それには歴史上の豪傑にも美女にも引けを取らぬ完全無欠にして天下無敵な女性スタッフ達の手際の良さもあるのだろうが、しかしそれにしてもルーチェの状態は極めて極めて順風満帆だ。懸念していた神条会の影響についてもお客様一同どこ吹く風で、しかしそれは決して彼らが豪胆だからと云う訳ではなく、恐らくそれは――と云うより間違いなく、史上最強の番犬ならぬ番猫が、腰にヤスツナと云う名の物騒にして美麗なネコジャラシを添えて、シフトに関係なく毎週開店から閉店まで目を光らせているからに他ならない。
ただそれを差し引いてもやはり、ルーチェが神条会の”シマ”の内にある点や、最近桜花学園に乱入事件が起きたと云う点を加味考慮すれば紅茶を楽しみに訪れる場所としてそこは、やはり、かなり、不適当だと思われる。しかしながらその理屈を云うのであればルーチェに限らず、あの一帯全てが神条会のシマであるからして、そもそもあの周辺には近付かないと云うのが唯一にして最上の策となってしまう。つまりは無人と化すべきなのだ。
しかしそうはなっていない――当然のことではあるが。
具体的に云えば客の出入りがなくなり経済が滞って商業都市としての価値が落ちると、神条会がシマとすることにより得られる各店舗からの上納金も比例して低下してしまうからだ。それは神条会の望むところではない、どころか、最も不本意とするところ、どころか、もはや自滅行為である。つまりあまり過度過激な振る舞いは、神条会自身にもダメージを与える諸刃の剣であるらしい。そしてそのことは重々、自他共に分っている――と。
「――まぁ、その辺りが理由だろうかな。ではここで」
「はい。お疲れ様です」
とは、今しがた正門前で別れた園田美雪の意見である。
さて彼女が今夕暮れの中帰路につきつつ堂々と鷲掴みしている朱塗りの太刀――これまで部室に預けていたヤスツナであるが、週末はネコミミメイドのシャルロットの必需品、ネコジャラシとしての新たな役割を与えられ、こうして公衆の面前でも威風堂々と持ち歩かれている訳である。
ところでつい最近に、辺りをチャリンコでパトロールしていた巡査さんに「ねぇ、それ模造刀かな?」と声を掛けられる冷や冷やイベントがあったらしいのだが、彼女はその際に「コスプレアイテムです」で押し通した――のかと思いきや、躊躇なく白刃を抜き払ってたまたま頭上に降ってきたビル用の鉄骨をバターの如く八十八に薙で斬りにすると云う離れ業をやってのけたそうだ。
その「なんのこっちゃい」と云う事実現実を突きつけられて腰を抜かしている巡査さんは――そっちのけで、園田美雪は近くでビル建設の工事をしていた業者の現場責任者を携帯にて呼びつけ、
「今後はクレーン車のメンテナンスを怠らぬようにお願いします。私がここを通りかからなければこの巡査さんは今頃、落下してきた鉄骨でペースト状になっていました」
といった説教をしたのだそうだ。
さてそんな生徒会長によるお灸から現場責任者が開放される頃には件の巡査さんの抜けた腰も元に戻り、
「君、それは日本刀じゃないのかね」
と云う展開に改めてなった。無論先程の立ち振る舞いならぬ太刀振る舞いからして朱塗りの一振りが模造でないのは明白である。
この社会的に絶体絶命とも云えるピンチに対して園田美雪は焦ることなく、戸惑う事もなく、その流麗な髪を腕でさらさらさらと流してから傾国の笑みを浮かべてこう云ったのだそうだ。
「フフフいやですねーお巡りさん。日本刀がこんなに斬れる訳無いじゃないですか」
そしてそのまま立ち去ったのだそうだ。流石はお姉様と云うより他はない。ここで賞賛の言葉を彼女に静かに送ってみようと思う。
――そんな装備で大丈夫か?
帰宅。
今現在俺はキッチンでコロッケをあげている親愛なる義妹の後姿をマジマジと眺めている。
毎回毎回思うのであるが、ミィちゃんが腰元に作るエプロンの結び目は本当に本当にキレイな蝶々型をしているのである。
「灼熱地獄だジュ~ワジュワ~。ジャガイモさんの~断末魔~。ニンジンさんの~団地妻~」
なかなか食欲をそそる良い歌だと我が妹ながら思う。特に要領を得ない辺りが素晴らしい。芸術とは理解の彼方にあるものだ。
さてルーチェの運転が順風満帆なのは既に申し上げたのだが、それでも何か問題を取り上げるのであればこの後宮京が挙げられる。まぁ他にも実は多々色々と、俺ことステビアが毎度毎度、ルーチェパートナーであるマリリンことフィナンシェに撲殺されかかると云う致命的な、しかしながら瑣末な問題もあるにはあるのだが、俺の隣でお洗濯ものを畳んでいるツインテールの当事者曰く「スキンシップに過ぎませんわ」とのことなので、まぁ、そうなんだろうね。
「ふざけるな」
「何か云ったかしらキョウ?」
「いや、どうにもならない世の不平を嘆いていただけだ気にしないでほしいマリサ」
「そうね。ワタクシのような超絶美少女幼馴染の傍に居られて果報者過ぎて自殺しかねない京太郎さんがいる一方で中東では終わりのない戦に身を投じている方々がいるかと思うと世の不平不公平に胸が張り裂けそうになるわね」
「そうだねマリリン。無い胸まで裂けそうになるね」
「京太郎さん後で屋上」
まぁこれについては追々取り上げ話すこととして、話題を戻してみる。えーっとなんだったっけな。なんだっけ。
「タマネギさんの~脱皮事件~」
そうそう、ミィちゃんである。さて彼女。
今まで成行きに任せるままにまにまに流された来たのだが何れは真正面から――とは云わなくとも、伏し目がちには向き合わなくてはならない問題がある。それは。
後宮京――ミィちゃんと、早乙女美鈴――ミレイちゃんが実の姉妹であると云う事だ。
血の繋がりのみを以て家族と定義するのは如何なものかとも思うが、しかし同じ親を頂き血を分けた相手を赤の他人とする程、血縁と云うのは薄くないように思う。それは如何に時と場所が離れていようと、あまつさえ面識が一切なくとも例外とならない。何よりのその証明が苗字と云うものではなかろうか。代々に渡ってご先祖様より血の絆や縁を受け継いできた証である。お墓等を前にして彼らを静かに偲ぶその唯一にして絶対の理由は、彼らと血縁関係にあるから――それに尽きるのだ。逆に問うなら、生まれた時も場所も違い、面識もない人間に対して手を合わせると云う機会など、人生に於いて只の一度でもあるだろうか――無論、有名人等は例外としてである――恐らくないはずだ。例えばとして、血の繋がりと云うものの重さは、ご先祖様、一重にそこで確認する事が出来ると云うものだ。まぁこれは義理の関係、例えば義理の兄妹は実の兄妹よりも繋がりが浅いと云った正論めいた暴論(暴論ですよ)を暗に主張しているのではなく、むしろその逆で、そして云うなればその為の外堀を埋めているのだと察してくれると有り難い。回りくどいのが嫌いな方に先に結論を申し上げよう。
俺はミィちゃんを手放しません。
口にしてみて改めて、そして我ながら、危険水域にドップリたっぷり浸かっているなと思うのであるが、しかしそこには毛ほどもヤマシイ気持ちやヤラシイ気持ちがないのは今ここで、神様にお誓い申し上げる。
「どうしたのキョウ? なんか顔赤いし鼻の下も伸びてるけれど?」
神様ごめんなさいちょっとだけウソつきました。ちょっとだけ。
「きっとわたくしの洗濯物を畳むという家庭的な姿に見惚れてやがては訪れる夫婦生活までも妄想し、あまつさえここでは表現出来ないような夜の営みとも云い換え可能な劣情を抱いたのねフフフ。他の男なら例外なくブチ殺して差し上げるところだけれど幼馴染のよしみで抱き枕ぐらいなら相談にのっても――」
「あはははないないないですって。勘違いも甚だしいどころか痛々しい」
「京太郎さん後でサンドバッグ」
「もう少し生きてたいなマリサ」
さてとにかく、今は、先程のやや危なく突拍子もない結論と、最初に提起した問題の乖離を埋めて行こうと思う。
後宮京――ミィちゃん。
ミヤコシスターズ末妹の地位こそアオイちゃんに譲ったものの、しかしながらその甘えっぷリやら寂しがりっぷりやらを加味考慮すれば依然実質、末妹と云えなくもない彼女。誰よりも姉達や兄さん――俺との関係や繋がりを大事にしている彼女。世間一般の目で見れば過剰な部分もあるのかも知れないその愛情深さ。そんなミィちゃんが。
実の性――早乙女の姓を捨てた。実の姉妹との繋がりを断った。
あれほどに、これほどに、兄姉を欲しているミィちゃんには信じられない考えられない、想像さえ及ばない過去が確かにあるのだ。それについて俺は時間が解決してくれるだろうと楽観視していたら、転じて時間の問題へと姿を変えてしまったのだ。
今週、ルーチェの担当は。
後宮京――エクレア
早乙女美鈴――シュトレン
この、二人。
俺はまだ、パートナーの正体が実の姉妹であることをお互いに告げられぬままにいる。発端と云うべきか、それが起きたのは開店前日の本当に本当に急なお話。先週週末早朝の出来事であった。
その日、メイド長マドレーヌことアヤ先輩の召喚命令を受けてスタッフでは唯一の男性である俺こと後宮京太郎(ヨードーちゃん? 何を云っているのだ君はあの娘は女の子だ)はルーチェで待機していた。普段平日早起きとは云え、休日はそのツケを取り返さんばかりに惰眠を貪ると云う生活スタイルを続けている俺の頭の中は、こんな日こんな時刻こんな場所に呼び出された影響により多少のバグを孕んでいた。早い話が寝惚けている。故に多少の奇言奇行には目をつぶって欲しい。
「ツインテールは至高」
これなどはその最たる例である。このワンセンテンスには何ら意味や重要性はない。云うなれば寝言世迷言の類である。むにゃむにゃむにゃ。
しばらくそのように(どのようにだよ)ボケーと呆けながらブツブツと奇言を呟きつつ脳の活性化など計っていたらリンリンとルーチェの扉が開いた。見てみれば現われたるは黒髪パッツンスーパーロングの抜刀娘。眠気覚ましを兼ねて元気よく挨拶などしてみる。
「やぁユキたんッゲホッゲッホ!」
先輩後輩の垣根どころか三途の川を突破してる誤挨拶。天上からのあからさまな殺意。
いきなり俺がムセてるせいでキョトン? なミユキ先輩。今日も和服と朱塗りの太刀を威風堂々とお召しになっておられる。もちろんのことその一振りは真剣どころか名刀童子切安綱。座右の銘は銃刀法なにそれ美味しいの。それでもって第一声はこれである。
「何を咳き込んでるか知らないが人の顔見るなりムセるとは些か失礼ではないのか(含意推測:次はさっくり斬り捨てる)。おはよう京太郎。ところで一緒に寝刃合わせなどしてみないか。盛り砂があればそこへザックザックと剣を打ち込むだけで切れ味がハネあがるんだ」
ハネあがるんだそうなんだ。流石は桜花学園生徒会長は云う事が違う。間違ってる。
「おはようございますミユキ先輩。当店にそのような設備はございません。そして貴方はいったい何をしにきたのですか?」
尋ねる俺に首を傾げるお姉様。
「刃研ぎとか?」
「疑問系で聞かれるとさらに困るのですが」
突っ込む俺に頷きビシっと指差すお姉様。
「刃研ぎだ!」
「断言されるとことさらに困るのですが。それも自信満々で」
ここは剣術最強を巡って果し合いが行われる巌流島などではなく一般人の出入りする喫茶店であるのは云うまでもない。場違いも甚だしいとはまさにこの事である。何が楽しくて哀しくてアンティークなお店で先輩後輩そろって銃刀法に喧嘩を売らねばならないのか。
「まぁ冗談は置いておいてだ」
冗談かよ。
「私はアヤに大事な用があるとして呼ばれた為にこうして土曜の朝からやっては来たのだがつい今しがた入ったメールによると「昨晩にマリサたんの衣装合わせしてたら失血し過ぎて来られないわゴメンナサイはぁはぁ」と云うことであり、つまりスッポかされたと云うことが明らかとなり、ハテさて一体全体どうケジメを取ってもらおうかと思案していたら『アヤの頭で寝刃を合わせる』と云うなかなかの妙案に思い至って勢いそのまま、コシャレた挨拶などをしてみた訳だ」
「寝刃合わせの導出過程はよく分りました。そして突発的ではなく考えた末に親友を斬滅すると云う結論に至ったのならもはや俺は何も云いません」
ていうか云えません。持っていた携帯を帯にしまってお姉様は、
「まぁ私としてはその程度の事、云わずとも察して欲しかったのだがな正直なところ。とりわけ同じ部活の後輩であるお前には」
チラリと流し目。
「お前には」
二回云われた。
「変なハードル設定しないで下さいよ」
「寂しい事を云うヤツだなお前は。ふん」
口を尖らせるお姉様。今日も容姿端麗にして時代錯誤。つまりは平常運転である。
「しかし困ったな。アヤが来ない上に盛り砂までないとなると私は本格的にやる事がなくなってしまった。どうしてくれる?」
本格的に何をしに来たのだろうかこの娘は。真剣片手に。
「強いて云うならお前を試し斬るぐらいしかもはや私には過ごし方がない。重ねて云うが困ったものだな」
それは確かに困りましたねユキたん。
「すいませんなんで俺は『する事ないからジャソプで読むか』みたいなレベルでの昇天を迫られているのでしょうか?」
「困ったものだな」
「困っているのはいきなり極楽行きを決定された俺に他なりません」
ミユキ先輩はキョトンとして
「何だお前は極楽に行くつもりなのかなかなかに厚かましいな」
「暇潰しで斬られたあげく地獄に落ちろとか鬼でも云いませんよ。なに無垢な表情で仰ってるんですか」
お姉様はムスっとする。
「深読みしすぎだ。なぜ私がお前を斬殺するぞざまぁみろみたいな流れになっているのだ失礼なヤツめ。まるで私が好き勝手に日本刀を振り回している痛々しい時代錯誤の女子高生みたいない口ぶりじゃないか」
自己紹介乙――とか思っていたらカチンと音がしたので見てみれば、園田美雪は納刀の所作を鮮やかに終えて――
「何ぞ斬りました?」
「なに、お前の首にヒトスジシマ蚊が止まって吸血しようとしていたから八十八におろしたまでだ。いやいや危なかったな。ハハハ」
ははは、こやつめ。
「知らぬ間に九死に一生得させないで下さいよ!」
「心配するな日本の蚊で伝染病の媒介を心配することはない」
笑顔でツンと鼻を押される。
「ここが南アフリカじゃないのは百も承知してます! そうじゃなくて駆除方法ですよ何さりげなく月下美人発動してるんですか人の頚動脈付近で! 普通は蚊の駆除って叩くとかですよね!?」
「何を云っているのだお前は。私が全力で手刀を放てば蚊は愚かお前までもが叩き潰……」
「そこまで全力じゃなくても良いですなんでそんな蚊を殺すのにあらん限りの力発揮なんですか!」
「獅子奮迅と云う言葉があってな。ライオンはウサギを狩るときでも気持ち全力でその爪を振り下ろすものだ。それこそ「喰らえ京太郎!」と」
「蚊じゃなくて俺狩ってるじゃないですか!」
ミユキ先輩はやれやれと呆れたように溜息を吐いて
「贅沢なやつだよお前は」
「生存権の主張が贅沢とかどこの紛争地帯ですか」
「ならデコピンぐらいならいいのか?」
ええそんな感じです! と頷けばお姉様はフムとアゴに手を当てて
「私の放つデコピンだとベンツのエバッグが発動するがお前の頚椎にそれを期待しても良いのか?」
「交通事故クラスの期待とダメージがかるんですか俺の首に!?」
人知れぬ命懸けのやり取りが続く中で再びリンリンとルーチェが来客を知らせた。そこにはものすごく見たことがあるけれど、しかしながらものすごく知らない美少女が居ました。
彼女は俺とミユキ先輩をトロンとした眠そうな目で見比べてから
「紛争の最中に恐れ入るが私は本日付でここに雇われの身になった早乙女美鈴と云うしがないしがない女子高生なのだが加納綾はいるだろうか? オーバー」
頭にはキャップ。脇には革製の入物と銃めいた何か。指貫の黒いグローブ。タンクトップに単パン装備。ふむ。え~っと……え~っと。さて。あーはいはい。
――――だれ?
「ああ。お前がミレイか」
とはミユキ先輩。ご存知の模様である。
「私の名前は園田美雪だ。お前の云った加納綾と同じ学び舎に通う知り合いであり親友だ」
そして今しがた斬滅が決議されました――は心中で突っ込む。
「お前の兄とも私の叔父を通じて若干の面識がある。怪しい者ではない。安心してほしい」
と朱塗りの鞘を鷲掴みにしているミユキ先輩@怪しい者ではない――がチラっと俺に流し目をしてボソボソと口を動かした。
(ミヤコは今日は来ないな?)
俺はゆっくりとマバタキしてイエスの意思表示をした。しかし何故ミィちゃんの確認をしているのだろうか。
お姉様は続ける。
「既に事情はアヤから聞いていると思うがお前にはここでホールスタッフを担当してもらうことになった。今日はその時にパートナーとして共に働いてもらう相手――この京太郎の妹なのだが」
ポンと俺の肩に手を置くミユキ先輩。
「どうも後宮京太郎です」
「早乙女美鈴だ」
挨拶完了。
「この京ちゃ、京太郎の妹と顔合わせをしてもらう予定だった。しかし急用で来られなくなってな。すまない」
「先輩噛みました?」
「噛んでない」
話が見えないがここはしばし様子見。ミレイと云う子はコクンと頷いている。
「当日いきなりとなってしまうが仲良くしてやって欲しい。素直で優しいいいこだ。可愛い子だ。きゅんきゅん来るハァハァ。明日は一緒に湯浴みをするんだフフフ」
「先輩脱線してます」
「ああそうだったな。因みに名前はエクレアだ」
「エクレア……」
聞き返している――と云うより覚える為に復唱するようなイントネーションで彼女は云った。しかし何故いきなりルーチェネーム? と思ってる俺にミユキ先輩がようやく目を向けて
「そう云えばミレイと云う本名は京太郎、お前には初めてだったかな。以前はジュリエッタと伝えて置いたと思うのだが聞き覚えはないだろうか?」
と小首を傾げた。ジュリエッタ……ジュリエッタ。ああ。はいはい。そういえばガンマニアの女の子がルーチェにやって来ると云うお話を以前に聞いていた。なるほどこの子か。しかし誰かに似てるんだよな~……。
「コードネームは分ったがエクレアの本名は伺っても良いのだろうか」
尋ねたのはミレイちゃん。
「先に本名を伺っておいて悪いがそれは当人から聞いてくれないか? ああ、エクレアにもお前の事はシュトレンとだけ伝えてある」
答えたのはミユキ先輩。
すぐ後になって知ったのであるがシュトレンとは早乙女美鈴のルーチェネームである。
とにかくミユキ先輩はそう即答したのだが、ミレイちゃんは眉一つ動かさずに頷いた。
「戦場では例え戦友であっても素性は愚か素顔でさえもフェイスマスクで隠す事はままあることだ――互いの安全の為に。名を名乗ったのは私の都合と私の勝手だ。エクレアの本名が得られるかは彼女から信頼を得たか否かの判断材料としよう」
納得の仕方がミリタリーである。ミユキ先輩も頷いた。
「エクレアはお前の戦友だ。どんな時でも何があっても彼女と協力し、上手くやってくれ。エクレアにもそう云ってある。そして充分な信頼関係が互いに築けたら、どうか自己紹介をしてくれ」
「上官からの命令には私情を挟まず遂行する。了解した。他に用件は?」
まずはそんな出来事があった訳である。さてこれがどうして「ミィちゃんを手放しません」と云う結論に繋がるのか、それには彼女の実兄、即ち、ミィちゃんの実兄と関わってくる訳であるが、それについてはまた追々とさせて頂こう。