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自重しないフィナンシェ

 あまりに唐突かつあまりに脈絡なくで申し訳ない限りではあるけれど、俺は今マリサから云われ無きどころか云われさえ知らぬままに正拳を喰らった。

 放課後の食堂前である。

 というより夜中である。

 正門へと続くその道に今は二人しかいないと云うこの状況・この下り坂にて、俺は尻餅をつきながらもその意味を割りと懸命に悟らんと欲っするのだけれども、真紅のドレスに覆われて当社比5%アップにしろ依然ぺたんこと云わざるを得ないこいつの胸中など察しようが無いわけで、しかしこのまま単なる殴られ損で終わってしまうと云うのも芸のない話というか、面白味のない話というか、モヤモヤすると云うか、ムカムカすると云うか、ムラムラすると云うか、いやムラムラはしないな。

「あらこのわたくしのこの姿を見ても京太郎さんは萌えたりはしないの? そそられるものが何もありませんの?」

 青い瞳を細めて長いテールの片方を流すマリサお嬢様のいと妖しきこと、いと美しきこと、いと恐ろしきこと、この上なく。彼女はなんとなんと真紅のエプロドレスを身にまとっておいでなのです。なのであった。

 ところで先程もチラリと申し上げたがここは学園である。

 するとごくごく自然に、ある結論へと話が帰着しないだろうか。

 夜の学園に召喚され、幼馴染は真紅のメイドと化していた。

 ――気でも触れたのかツインテール。

 さてしかし

 ――まぁ。

 俺の命に比すればそんな瑣末は置いておくとして、彼女は思春期をちょっと過ぎてされど青春真っ盛りにいる京太郎君に対して真っ赤なメイドさんと化して、さながら薔薇の妖精と化して、死神と化して、「わたくしのこの姿を見て萌えませんの」と仰いました。問われた以上は答えますとも。

「それはもう毛ほどに――ぶふ」

 俺の幽体は身体と乖離して最寄の獅子座流星群と合流してから平常運転にて戻ってきた。もう一発炸裂したのである。正拳が。

「落ち着こうマリサ。冗談抜きで俺のゴーストが今しがた星間飛行して来たから。平日、夏の夜空の奇跡体験だったから。つーかなんで殴られたの俺?」

「わたくしの思いをストレートで京太郎さん伝えたに過ぎませんわ。情熱的に」

 いまだ尻餅をつきながらも命乞い宜しく尋ねた俺に彼女は100万ドルの笑顔でそう云った。

「伝え方と格助詞が情熱的に間違ってると思うんだマリリン。伝えるなら「ストレートで」はなく「ストレートに」だと思うんだ」

「たかが一文字違いじゃありませんの?」

 俺は立ち上がってクールに前髪をかきあげた。

(そのたかが一文字が俺を死地に追いやったと云う悲劇がこれまでに幾度と無くあったわけだからそろそろ学習しようようマリサ)

「そのたかが一文字が俺を銀河に導いたと云う重い事実をその軽めな胸に留めて少しはボリュームの充実を計るとか――」


 ――ただいま映像が乱れております――


「懐かしいですわね。まるで入学当初のよう。一緒に帰る約束をスッポかしてどのツラ下げて戻って来た的な京太郎さんに対してわたくしが思いをストレートにストレートで表現したのも今は昔」

 そこには夜空を見上げる真紅のメイドが高貴な薔薇の如く佇んでいて

「お、お前のノスタルジーで幼馴染が虫の息だ。彼岸に向って三途の川を絶賛爆航中だ」

 足元には惨めな京太郎君が雑巾のごとく這いつくばっていて。

「そろそろ事情説明フェイズに移ろうか。何故殴ったし」

 云えばマリリン、頬に両手を当ててハニかんだ。愛らしく。

「照れ隠しですわ」

 ここのヒロインは照れると斬ったり殴ったり蹴ったりあげくクッキーで殺しかけたり、なんて角度に粒ぞろいなのだ。

「それより早く素直な感想を申し上げなさい」

 彼女は俺の小康状態など気にも留めずに手を取って引き起こしてくれた。

「どうかしら京太郎さん?」

 それからその場でクルっと華麗に、可憐に回った。

 長い赤毛のツインは円を描き、ドレスの裾はまるで花開くように鮮やかで、微笑むマリサはさながら夏の夜空に薔薇が一輪ひっそりと咲いたような――やはりそんな感じだった。俺はその様を見てから頷いた。

「頭大丈夫か?」

 もう一発が炸裂した。

 一時的に俺の幽体はサソリ座の一等星アンタレス(以下略)。

 今回は京太郎君の地雷の踏み方が半端ないように思われる。

 足運びがあまりに着実過ぎて消し炭となることが懸念されている。この状況、二言で申し上げてみよう。

 たすけて ころされる

 完璧。

「そんなところでゴロゴロしていないでさっさと正直な感想を仰いなさい」

 そんな感じでのたうち回っている俺などを見下ろしながら真紅のマリサは腰に手を当ててぷんぷんぷん。

 ぷんぷんぷん。

 正直に云えばストレートが飛んでくることを経験的に理解した俺は今、マリサから正直に云う事を強要されている。

 早い話が殴られろ! ですわ! なのであろうか。いやいやいやそれは酷過ぎる。 

「綺麗とか可愛いとか似合ってるとか、そういう当たり前のことも云えなくなったのかしら京太郎さん?」

 あげく自分で云っていたりするマリサである。

「似合ってます。非常に似合ってますとも。だから殺さないで」

 傍目にはどれだけ情けないのであろうか俺の姿は。マリサは目を細めて

「それだけ?」

「どれだけ?」

 ひとまずまた引き起こされる。ここらで俺は云うべき事を云うべきである。腰に手を当てた。

「いいかいマリサ。俺は今日「部活の帰りに話があるからひたすら待っててさもなくば飛ばす」という脅迫もとい連絡をお前からもらった故にミユキ先輩の「帰るぞ京太郎。断れば斬る認めれば裂く」と云うどっちも死ぬだろ的な誘いを受け流し、ミィちゃんの「兄さんが一緒に帰ってくれないならここで爆発しますマストビー!」と云ういまいち要領を得ない危機の発動を未然に防いで見送って、部活帰りに食堂寄ってきてミネラルウォータを一気飲みしていたおっさんもといモモスケを親父ギャグ四連発で五度噴かせ、何時の間にか現れたアオイちゃんに下着の色を上も下もチェックされたあげく「来週一緒に下着合わせにいくのでスケジュール明けておいてくださいね」とお前はどこのマネージャーだよ的な予定調和の予定調整があって、そんなこんなあんなでここに待ち続けること数時間、下校時間はとうに過ぎ、空腹の限界もとうに過ぎ、巡回してきた当直の警備員さんに「グフフうすろみや」とか脈絡ない怖い小ネタ云われつつもあやふやな状況説明して何とか了承してもらって、午後七時の現在に至り、至り、ようよう来たか我が幼馴染・我がツインテールよいったいどの胸さげっほげっほ! どんな顔して来るのかと思って迎えて見るなれば真紅のドレスを着たお前が赤面しているものだから「大丈夫かマリサどうしたんだ頭ぶつけておかしくなったのか」と心配で声を掛ける否や出会いがしらの正拳突で殺しに掛かかるとか一体全体どういう了見だ!?」

 ゼーゼー。

 一気にまくしたてて肩で息をしてる俺にマリリンは拳をパキリと鳴らした。

「聞きたいことも云いたい事も山ほどあるけれどなによりわたくしのこの格好を見て「頭おかしくなった」の失言一句は万死に値しますわ京太郎さん」

「失言一句の代償が俺の余命全部かよ! どれだけ儚いんだ京太郎君の一生は! ていうかそもそも夜の学園でいきなり赤いエプロンドレスをまとってる知り合いに出くわして萌え萌えとか喜んでるヤツがいたら色々な意味においてそいつは重篤だろ! 普通は心配してしかるべきだろ!」

 と云う俺の至極まっとうな発言に対して彼女はコバルトブルーの目をパチクリとしばたかせた。

「あら心配してくれてましたの?」

「当たり前だ! 俺はどれだけここに待たされたと思っているんだ!」

「3時間35分。合ってる?」

「恐ろしく正確だよ! 普通この時間にそこまで待たされたら何かのトラブルに巻き込まれたんじゃないかと思うだろ! お前の携帯に何度連絡入れたと思ってるんだ!」

 マリサはドレスの裾から携帯を取り出してパチリと開いた。

「カウントミスがなければ二十八回。どうかしら?」

「何だよその新しくも悲しい答え合わせは! 着信を感知していたなら一度ぐらい応答してくれ! メイデー! カウントしたけりゃその後で好きなだけやればいいだろ!」

 鮮やかに泣き崩れている俺にマリサは思い出すように目を閉じて

「わたくしの記憶が正しければこれまで京太郎さんの着信に対して0.2秒以内に応答した場合、その後に京太郎さんが再び掛けなおして下さった回数は387と飛んで1。確率なら3割2分4厘」

「飛ぶ意味が分らないけれど388回か。まぁこれまでの付き合いを考えたらそのアベレージヒッターみたいな率が高いのか低いのか分らないけれど」

「低く過ぎて目からアイスピックが27kgも出てしまうわね。せめて1984と飛んで7は欲しいところ」

「有り得ないものを有り得ない場所から有り得ない重量で出すな!」

「何云ってるの。そんなものは京太郎さんの目からしか生成されないわ」

「俺かよ! そして出さないよ!」

「そんなに持っておきたいものかしら?」

「それ以前にそんな物騒な物が入ってない!」

「仕込んだわよ」

「うそ!?」

「うそ」

 何だろう。この無意味で無価値な敗北感は。

「物のついでに突っ込むけれどその数値だと明らかに分母を上回ってるじゃないか」

「何を云ってるの今時イチロウなら三打数五安打、ウメバラなら三戦五勝は当たり前。つまりその理屈から云えばこうして二人で会話を嗜むだけでも子を成してしまう可能性がなきにしもあらず」

「なきしにしてなきだ! 脈絡ない上に論が飛躍どころか破綻してるじゃないか!」

 マリサは両手に頬を当てて

「ぽ」

「ぽ。じゃない!」

「愛に理論も論理も理屈も必要ないわ」

「かと云ってあっさりと世界と生物と物理のコトワリを破るな!」

「わたくしはダーウィンの進化論を認めはしない」

「お前は敬虔なクリスチャンか!」

「云ったそばから産気づいたわ」

「云ったそばから怖気づいたよ!」

「いたいけな処女を孕ませておいて怖気づいて逃げるなんて男として最低どころか奈落の果てよ京太郎さん」

「赤子を宿している時点であからさまに処女失格してるだろ!」 

「処女懐妊を認めないの?」

「当たり前だ!」

 そこでマリサは俺にビシっと指をさして

「イエス神性を否定した貴方はただ今を持って世界中に存在するキリスト教徒を敵に回したわ。磔刑に処されたくなければ潔く認めることね。貴方がヨセフで私はマリア」

「お前こそ古今東西のプロテスタントとカトリックを敵に回して炙られるべき魔女だろその発言は!」

 ビシっと指をさし返した!

 もう疲れた。いろいろ疲れた。なんだよこの不毛な宗教論争。無意味で無意義で得るものなし。

 溜息。

 それにしても。

「良く覚えていたな。そんな着信回数」

 云えばマリサは100万ドルの笑顔で云った。

「適当よ」

「適当かよ!」

「それともこれまでの着信回数を一度のカウントミスもなく極めて正確に暗記しておいて欲しかったのかしら京太郎さんは? やってやれない事ではないけれど、もしもそんな事をしたらわたくしは京太郎さんからストーカーやメンヘラレディと勘違いされるんじゃないかしらと思って戦々恐々としながら実は今の今までこの瞬間まで、振る舞いにはかなり気を遣ってかなり自重していたのですけれど」

「ストーカーとか云ってるけれど、お前が俺の帰り道をストークしたところで真っ直ぐ順調に自宅に着いて終わりだろ。全くもって犯罪性皆無じゃないか」

「それもそうですわね。同じ屋根の下で暮らす年頃の男女ですものね」

 その表現はどうなのだ。

 しかしながら自重して俺の人生この有様ならば、していなければいったいどうなっていたのだろうか。再度の溜息。

「子供が軽く三人出来てますわね」

「軽々しく出来ていてたまるか! 健やかに養っていてたまるか! つーかナレーション読むな!」

 俺は兎にも角にもそうした事情でここにいるのであった。

 ならばマリサはどうした事情でここにいるのであろうか。

 京太郎君がその真紅のエプロンドレスについての理由を尋ねてみると彼女は端的に話してくれた。

「見て欲しかったからですわ」

 端的過ぎて分らなかった。もはや新たな謎でさえあった。

「できれば俺にも理解できるように説明してくれるとあり難いのだが」

 云えばマリリンは片目を閉じて人差し指を口に当てた。

「Don't think, just feel (考えないの。ただ感じて)」

「お前が発音抜群なのは重々承知理解しているともマリサ」

「Do you love me ? Honey(私のこと好きかしら。貴方?)」

「Of course notんなこたーない

 もう一発が炸裂した。

 あらかじめ死ぬ前に状況を説明しておこうと俺は思う。マリサが今纏っているのはもう三日後にオープンを控えたルーチェ用のエプロンドレス、即ちフィナンシェのコスチュームである。

 しかしながらこれまでの流れからあからさまな違和感を感じていただけたのなら中々鋭いお人だと賛辞を送りたい。

 ドレスカラーが真紅。

 ルーチェを彩るメイド諸君に個性と統一感の両立を狙った結果、演劇部部長の加納綾はドレスタイプで個性を出してドレスカラーで統一感を出すと云う案を出していたのだけれど、それを覚えてる人はたぶんいない。

 要するにマリサもそれに従ってヴィクトリアンカラーのブラック&ホワイトになるはずだった――のだけれど

 ドレスカラーが真紅。

 そういうことなのである。一体全体これはどう云う訳か――等と云う至極当然の疑問さえも、しかしそれは瑣末であると感じる程に、このフィット感、このクオリティに今さらながら驚いているばかりである。

 まずストレートに申し上げると

 凄まじく、素晴らしい。

 青い瞳や肌の白さに紅色が映える事この上ない。幻想的でさえある。そもそもハーフというマリサのステータスはこういうコスチュームを得たときに暴力的なまでに魅力的になるという事実を今更ながらに知った。思い知った。

 そしてツインテール。

 薔薇の飾りがついた大きなハットから流れているそれは縦のカールが加えられてお嬢様度が250%跳ね上がっている。

 結論から云ってしまえば彼女を包んでいるそれはもうエプロンドレスと云うよりカクテルドレスであり、メイドになるというよりメイドを従えてウィンザー城を優雅に歩く貴婦人と化しているわけなのだ。

 俺もこんな子をイギリス王室で催されるような舞踏会で見かけたのであれば感嘆の溜息が出ることだろう。しかしそうではなく平日の夜の学園にそんなものが現れてかつそれが幼馴染だったらどうだろうか。

 第一声に可愛いとか似合うとか萌え萌えと云った言葉などかけられるだろうか。普通に考えて、百歩譲っても譲らなくても「どうしたんだ?」辺りが適当ではなかろうか。そしたら貴婦人からいきなり正拳を喰らった。もはやカオスである。そんなわけである。

「まぁ云われてみればそうですわね。確かにこの格好でいきなり登場したら、いくら変態紳士な京太郎さんでもわたくしを押し倒してしまいたいくらい動転したり興奮したりしますわよね」

「変態紳士も事実改竄も良くないよマリリン」

「気にしなくていいわ。許してあげるから」

 ウィンク。星が瞬く。ああ、可愛い。

「いやいや俺がお前を押し倒したんじゃなくてお前が俺を殴り倒したんだよね」

「大差ありませんわ」

 俺が死ぬか生きるかと云う重大な差がそこには含まれていると云う事に、このツインテール@縦カールは気が付いていないのであろうか。

「確かに重大な差が生まれますわね、京太郎さんが死ぬか、子供ができるか」

「何だその人生の墓場が前提となった選択肢は! ていうかお前に殴られた結果として死ぬのは甚だ遺憾ながら理屈上納得できるが、お前を押し倒して子供が出来るとかそこに因果を認めたらジャンル変るからな!」

 そこでドレスだけではなく頬まで赤くしたマリサ。

「出来ぬなら、作って見せよう、ホトトギス。かしら?」

「家康はそんな鳥を待ったりはしない! それに百歩譲ってそれはコウノトリだろ! そしてコウノトリが子供を連れてくるというのは幻想だ!」

 そこで「へー」と怪しく、妖しく、鋭く、目を細めたのはマリサ嬢。俺は嫌な予感しかしなかった。

「コウノトリが子供を授けるのが幻想なら一体全体どのようなプロセスを経て子供は授けられるのかしら京太郎さん?」

 絶対相対無理難題。やはり来たか。

「ウヴで無知なわたくしにも分かるよう教えてくださらないかしら? 生物学的にストレートに直情的に官能的に、そして後先の事など考えず盲目的に、如何なる営みによって子宝と云う結晶は授けられるのかを」

 そしてかつてない勢いだ。

 ピンと張り詰めた空気。

 心拍が二人の間で鳴り響く。

 ――間。

 沈黙。

 コホンと俺は咳払いした。

「かなり脱線したな。その格好とそのキャラがフィナンシェなのは分ったけれど、まずは経緯をいろいろ聞かせて欲しい」

 マリサがクスリと笑った。

「さすがキョウね。格好はともかくどうしてキャラまで分ったの?」

「俺にお嬢様言葉を使っていた点。そしてこんな時間に呼び出していた点。この二点」

 そしてどう考えてもおかしな三点目はやっぱりセリフ回し。

「へ~。そっか」

 どうやら納得してくれた。俺は腕組みしてさらに尋ねる。

「アヤ先輩に仕込まれたのか? さっきのいろいろ飛んだキャラはさ」

 マリサは素直に頷いた。

「まぁそんな感じね。最初にコンセプトを聞かされたときはびっくりしたけど、演じていくうちにいつの間にか抵抗無くなってたわ」

 恐ろしい先輩だ。是非本人の演技も見てみたい。

「まるでそっちが本当の自分なんじゃないかって思うぐらいにね」

 本気で恐ろしい先輩だ。 

「ところでキョウはどっちがいい? さっきの私と今の私?」

 後ろで手を組んでちょっと上目遣いなマリサが可愛いのはいつものこととして、しかしこの質問は何だからしくない気もする。

「俺が選んだ方にマリサはなるのかい?」

 彼女は首を傾げた。

「ん~、そうね~」

 そして一人頷く。

「キョウが良いって云う方にはならないと思うけれど、好きって云う方になら考えてあげる」

 ニコ、である。

 ――可愛いな。くそ

「で、どっちなの?」

 ねぇ、と迫るマリサ。そんなものは決まっている。

「どっちでもマリサはマリサだ。全部一切合財ひっくるめてだよ。ところでキャラはそれで良いとして、で、その格好は?」

 ようやく軌道修正完了なのだが、しかし本気でマリサはあのキャラで接客するのだろうか――。

 マリサは片方のテールをいじりながら

「実は今日、私の衣装合わせの最終確認をしていたんだけど、手伝ってくれてた加納先輩が途中で暴走しちゃって――」

 もう全てを把握してしまった気がするのは気のせいなのだろうか。

「気付けばそんな風になってたの?」

「気付けばこんな風になってたわ!」

 どうやら気のせいではなかった。

「それでその」

 彼女は頬をポリポリと指でかきながら

「異性からの感想は大事だと思って、まずはキョウに聞いてみようと思ってたの。まぁ、最初に見て欲しかったって云う本音もあるにはあるしね、フフ。どう? この格好」

 その場でまたクルっと軽やかに回る彼女の容姿を例えてみるならばずばり、先ほどのフィナンシェが真紅の薔薇であれば今のマリサは棘のない真紅の薔薇。

 つまりそこにいたのは現実にあり得ないほどの存在だった。

 似合っているかと問われれば「ドンピシャ」と云わざるを得ないし――

 綺麗かと問われれば恥ずかしげも無く「美しい」と云ってしまいそうだし―

 可愛いかと問われれば「途方もなく」と答えるにやぶさかではなく――

 つまりは何を問われても、今なら期待されている答えを返せそうな気がした。

 なのにマリサはその何れでもなかった。

 再び俺の方を向くと

 コツン――。

 一歩を詰めてきた。

 その音は学生用のパンプスではなくヒールのついたミュールの音。

 コツン――。

 また一歩を詰めてきた。

 高貴な薔薇の香りが漂ってきた。長いマツゲが良く見えて、目元には薄っすらとラメを入れているのか上品に輝いていた。

 コツン――。

 とまた一歩を詰めてきた。

 それは両肩に違和感無く手をおける距離であり、両腕を無理なく首に回してもらえる距離であ――何なのだこの比喩は――

 コツン――。

 と最後の一歩を詰めてきた。

 二人の間にはもう一枚の紙さえも入らない。とてつもなく甘い香りがする。瞳の中まで良く見える。吐息がくすぐったい――甘い。

 喉が鳴った。マリサが小首を傾げて微笑んでいる。その頬がうっすらと淡く赤い。

 ――かわいい。

 不覚ながらそう思った。そして彼女がその桜色の小さな口を開いた。

「――」

 ――脳が漂白された。

 まさかそんな言葉がかけられるとは夢にも(うつつ)にも、思いはしなかった。

 頭が痺れている。

 現実感がない。

 曖昧である。

 陶然としてしまいそうになる。

 足元が綿を踏んでいるように希薄になる。

 ――夢心地?

 さらにマリサは目を細め、鼻先のつくような距離まで顔を寄せ

「――?」

 トドメを刺した。

 俺は崩れ、尻餅をついた。

「案外と情けないわね、フフ」

 妖しく微笑む彼女は少し上気しているようで、そしてあろうことか

 ――彼女は俺に覆いかぶさって来た。

 まるでまたがるように。

 感じる確かな重み

 感じる確かな温り

 感じる確かな香り

 つまりまたがっている。

 顔を寄せてくる。

 大きな瞳が一層大きくうつる。

 大きな瞳が波打つように揺れている。

 ――恍惚。

「……後は」

 吐息の交じる掠れた声がマリサから紡がれた。

「キョウ次第よ?」

 細い腕がスルスルと頭の後ろに回された。

 鼻先が触れ合った。

「……私と、したい?」

 喉がなった。これは――

 ダメだ。

 受けて入れてはいけない事だ。

 意を決して

 俺は云った。

「ルーチェでお前とパートナー組んでイジメラレっこ役やるとかあまりにも俺とステビアちゃんが不憫で哀れでできないよ」

 途端にプーっとマリサが不機嫌になった。

「なによ! ここまでお願いして今更聞けないとかあり得ないわよ!」

「ここまで脅迫されてもそんな願いを聞くとかあり得ないよ!」

 今度は小悪魔めいたというより大悪魔めいた笑みでマリサが俺の鼻先に人差し指を押し当てた。

 ぐりぐり

「キョウの置かれているこの状況とその意味、きちんと理解しているのかしら?」

 ――マウントポジションよ? 

 マリサの目が云った。

 しかし

 こんな絶体絶命悲惨極まりない状況においても、不可抗力として鼻下が伸びてしまいそうな極上の笑顔で彼女は続けた。

「聞くか、死ぬか。よ」

 にこ。

 ――くそ。

 それはあまりに天真爛漫で、それはあまりに純粋無垢で、そして何よりマリサらしかった。

 暴力的なまでに暴力的に可愛らしい――ストレートにストレートなのもつまり彼女らしくて。

 ――殴られた時さえ、否、あるいはだからこそ、○○しいと思ったのかも知れない。

 それがうっかり顔に出そうだったから、にやけそうだったから云った。

「やっぱりお前最初から俺を殺しにかかってたんだな!」

「ご明察。実はもうこの件、了承取ってるのよ。みんなにね」

 唖然とした。

「私はお願いをしに来たんじゃないの。私はお知らせをしに来たの」

 そして呆然とした。 

「Do you understand what I mean?(私のいってること、分る?)」

 極上の笑顔は100万ドルの笑顔に変った。

 つまり、最初から詰んでいたのだ。

 この話。

 ――。

 しばらくの間が流れた。

 何故かまた頬を染めるツインテール。

 下からハテナと見上げる。

 ――。

 やはり頬が赤い。

 やがて彼女は「ねぇ」と囁いた。

 だから俺は「ん?」と聞き返した。

「せっかくだから、ここで子作り始める?」

「どういう理屈と展開だよ!?」

「キョウがいつまでもボケっとしてるからよ。エッチ」

 マリサがクスリと笑った。そして赤面している俺から「よいしょ」と立ち上がり

「さ、帰りましょ。これ以上遅くなったらミヤコちゃん心配するから」

 ウィンクで星が瞬いた。

 手を引いて起こされ、そのまま引かれるままに坂を駆け下りた。

 格好もそのままで。

 こうして俺はルーチェの担当日をマリサと、否、フィナンシェと共に行動する事になったのであった。

 自重しろよフィナンシェ。

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