番外編:彼女がガンマニア(完)
風邪を引いた俺はごくごく自然な流れとして順調に、しっかり寝込んだ。
お熱は38度である。
これも自然な流れと云うべきか、彼女はベッドに横たわる俺を心配そうに覗き込みながら
「大丈夫か同胞よ? マラリアか? 化学兵器による伝染病か? モルヒネの過剰投与による精神病か? 私がメディコだ安心しろ」
「落ち着け大丈夫だ。何も心配ない。俺は風邪だ。ここは日本だ。そしてお前はバカだ。バカはお前だ。何も心配ない」
その頭を撫でると彼女はガチでマジな眼差しを向け、それから胸をトンと叩いて
「待ってろ同胞。こんなこともあろうかと私は非常用アイテムの備蓄にはぬかりも余念もない」
ロッカーをごそごそ漁って何かを取り出し差し出して
「さぁこのマスクをつけるんだ。楽になれ楽になってしまえ」
――。
シューコー。シューコー。シュコン。
被らされた、謎のガスマスク。
シュー、シュー。
フルフェイスである。断じて風邪用にあらず。
「なんですかこれ?」
しゃべると、曇った。
「英国特殊部隊SAS正式採用防毒ガスマスクFM12だ。お値段三三三三。ヘッドストラップの見直しが行われて通気性に富みズレにくいのが特徴だ。風邪は愚かサリンさえも耐え切って見せる。どんとこい。具合はどうだ同胞よ」
「うん何か悪寒も追加された感じ。西暦に直せば俺もお前も化石どころか石油と化してそうな値段はひとまず置いといてな」
「何だ同胞。フィルターもといキャニスターに不具合か?」
「んんん。いい感じ。しゅこんしゅこん。それよりね。俺もノリ悪いとか空気読めないヤツだと思われちゃヤだからこれ被ったよ? 云われるままにまにまに付けましたとも。勢いで。ね? でもそれを途中でお前が阻止するとか「冗談だよ」宣言しないと当然こう云うシチュに至るよね? 何タイミング逸してる訳?」
「案ずるな同胞よ。私とジュリエッタが側に侍る限り同胞の安全はわりかし保障する」
「すごいな深読みの角度が右下行って会話の流れをぶったぎり。お兄ちゃんその発想は無かったよ」
「誇るが良い。同胞の妹だ」
落ち着け。こいつはバカだ。こいつにそんな皮肉が云えるスペックとセンスがあるわけない。素だ。
「お値段三三三三。大事なことだから二回云った」
「とりあえずお前、廊下で前方回転受け身な」
訳の分らぬマスクの下で俺は嗚咽をもらし、バカは廊下で鮮やかに受身を決め、来月の原稿料も仰角45度で吹き飛んだ。
おはようございます。俺です。
朝餉の支度は彼女がした。
思えば手料理は初めてだった。
テーブルの上には缶詰が二つ並んだ、否、二つだけ並んだ。
「遠慮せずに食べるといい同胞」
誇らしげに云われた。
「なんですかねこれ?」
「コレクションのために取って置いたフランス陸軍のレーションを断腸の思いで解凍したものだ。背に鼻が変えられん」
「うん、それ変えたらエライことになるね。腹だよバカ」
「何より同胞を慮ってのこと。消費期限のシールは剥がして置いた、安心しろ。私は気が利く。余計なものは見なくて良い」
バカな子ほど可愛い。可愛過ぎて泣けてくる。
「はっはっは」
しまいに腹も立つ。
「お前、まず食ってみようか」
云えば彼女、頬をピンクにして指先をつんつん突き合わせながら
「私はさっき冷蔵庫に潜んでいた不逞なプリンをサーチアンドデストロイして来たので遠慮せずに――」
俺はしこたま頬を引っ張って――
「いたいいたいいたいいたい!」
食事を終え、俺はベッドに寝転んだ。
ちなみに頂いたのは卵焼きにお粥、梅干、味噌汁。
これ何と実は、彼女が用意していたのだ! のだ! 実は料理が出来たりする。願わくば最初から出して欲しかったところだけど。
さて現在、彼女が横でキチンと正座している。マジマジと見ている。
何を? と気になったのでちょっと顔をあげて見れば、俺の愚息が朝立ちしていた。つまりテント張ってる。
恥ずかしい? まさか。
しかし
「珍しいか?」
尋ねてみる。
「いや、まるでギリースーツを纏って息を潜めている狙撃手の如き出で立ちだな思っていた次第。伏兵の可能性は大いにある」
発想がゲリラだった。突っ込むのに疲れた。相手してやるか。
「はっはー良く分ったな。こいつの名はコードネーム山猫トレイシー。お前を狙う擬態したスナイパーに他なら――」
パツン。
宇宙が飛び出た! トレイシーとか即死した! 銀河が爆発した! マリアナ海溝が爆裂した! 土星のリングがミスタードーナッツ!
俺がのたうち回っていた。彼女がジュリエッタをクルクルと回している隣で、俺がのたうち回っていた。
全力で、あらん限りでのたうち回っていた。股間を抑え、悶えていた。
「び、病床に伏せっている兄の急所に0距離でエアガン放つ妹とか世界初にも程があるだろ……!」
苦悶。彼女はジュリエッタのバタフライスピンを終えるとホルスターへ華麗に納銃。
「案ずるな同胞。弾は土に返る。塵は塵に。灰は灰に。そして弾は玉に。ふふ」
「お、俺の股間を腐葉土と化して耕す気かお前は……!」
そしてうまいこと云ってんじゃねーぞ……!
「そうではない。八年の辛抱だと云うことだ」
「桃栗ですら三年だと云うこの御時世にモロコシを股間に八年も挟んでいろだと……! よく分らんがギネス申請したら何かの分野で通る感じじゃねーか……!」
云うや否や彼女はスックと立ち上がって戸棚を開け、超巨大なリュックを取り出して、それを訝しげな目で見ている俺がいて。
「お出かけですか?」
問えば彼女
「アイルランド共和国のダブリンまでギネス・ワールド・レコードの申請に行って来る」
そして感慨深げに潤ませた目をあげ。
「長い旅になる。この家もしばしの見納めか」
敬礼!
……。
そこには――
病床に伏せっているところに股間をモロコシ砲で撃たれた兄が――
撃った妹のアイルランド行きを割りと全力で阻止すると云う――
構図が在った。
――。
取っ組み合って汗をかいたせいか熱が下がっていた。なんつー結果オーライ。
ゼーゼーと両手をついている俺に汗一つ息一つ切れてない彼女が
「馬鹿は風邪ひかないと云う格言があってな」
コイツが云うと説得力が果てしない。
「念には呪いを入れてと云う言葉があってな」
「素直に念だけ入れてればいい」
「蓼食う虫は痩せ我慢と云う言葉があってな」
「好き好きで食ってんだ。そっとしてやれ」
「馬の耳がお陀仏と云う言葉があってな」
「勝手に彼岸にやんなオイ」
「パキスタンにカラシニコフ」
「もう元ネタすらわかんねーよ、っつーかねーだろ。物騒なだけだろ」
「まぁ、要するにまだ休んでいろ、だ同胞」
寝かされた。
お布団を優しくかけられた。
頭も撫でられた。
ほっぺにチューしてくれた。
「えへ」
ペロっと舌を出してる。やだ可愛い。
「お前そろそろ学校いけよ!」
これだ! これが云いたかったんだよ俺! やったよ気付けたよ! なんで俺こんな当たり前のこと云えなかったんだよ!
彼女は腰に手を当てて
「同胞が「退屈だと俺は死ぬ」とかねがね云っていたから私はこうしてここにいてハシャいだりしてる訳だ」
「やだ気が利くじゃない。結果としてトウモロコシで死に掛けた俺の反省会でも開こうや」
マジで召されてたら死亡診断書にはなんて書かれたんだろうね?
「今日は死ぬには良い日か?」
「俺に聞くな。聞いてくれるな。聞かないで下さい。お願いします。ていうかマジそろそろ学校いけよ。お前まだ高一なんだからフケるにしてもせめて要領分ってくる二年か三年になってからにしろや」
良いこと云うな俺。
「今日はいい。同胞の側に居る」
体育座り来ました。「私ここから一歩も動かない」的な意思表示である。ぷんぷんである。
「今日もだろ? お前もうここ来て二週間になるけど壱日も行ってねーじゃねーか、ガッコー」
ついでだ。そろそろ聞いておくか。けど面と向っては云いにくいし聞きにくいだろうから。俺はゴロンと寝返りうって背中を向けた。
「第一なんでこんなとこ来てんだよお前。今時家出娘とか流行らねーどころか時代遅れだろ」
返答は、ない。くしゃくしゃと頭を掻いて
「お前は寺の跡取りでも何でもねーんだから親の金使って気儘にやってりゃ良いんだよ。気負うことなんざねー。遠慮なくパラサイトしてろ。親父は金持ちだ。坊主丸儲けなんだからな」
割と最低なこと云ってるやもしれない。でもまぁ瑣末だそんなこと。今は。
俺はチラっとだけ目線を彼女に向け(見えないけど)
「お前、名門私立高校の特待生やら交換留学生とかに推薦されてたらしいな。すげーよ。けれどそれ差し置いて受理するどころか何勝手に退学届けとか出してんだよ」
「何故、それを知っている同胞」
俺は頭もとの小引き出しから二枚の紙を取り、後手に渡した。
「保護者が俺になってりゃ連絡来るだろ。これもいつ親父から変えたのか知らんけど。まぁその件、残念だが俺が校長に頭下げてきたから退学は取り下げだ。悪いな。諦めて通え」
そう、彼女は高学歴バカである。シャレ抜きでシャレになっていない。小学校終える頃に主要六カ国語一級資格と大検を取得したバカである。
「……すまない。迷惑かけて」
しょげた声が鬱陶しくて、俺は舌打ちした。
「そんなことよりそろそろ理由云えって。寺飛び出してきた理由なんなんだよ? 親子喧嘩ならホトボリ冷めた頃だろ? 一人で戻りにくいなら俺も付き添ってやる」
「帰って来るのか?」
期待に満ちた声。
「バーカ。付き添うだけだ。俺はここに戻る。けれど一緒に頭ぐらいは下げてやる。あのバカ親父にな。どうだ?」
「断る」
即答ですか妹様。頭をクシャクシャとかく。
「とにかく、実兄とは云え俺みたいな中卒坊主崩れとマンションで二人暮らしとかろくな噂立ちゃしねーぞ。悪いこと云わねーからとっとと出て行け。第一迷惑だ。こっちの経済状況知りもせず押し掛けて来やがってバカ」
背中で、こいつの鼻の啜る音が聞こえた。胸糞悪くなった。云い方はいろいろあるんだろうけど俺はそこまで頭が良くない。
「ほれ、俺の風邪もうつっちまっただろ。悪化しねーうちに洟かんで出ていけや。しっし」
と、後手で払った。
――その手が、掴まれた。
「――私が来たのは」
ギュっと。
「お兄ちゃん大好きだからだよ」
声色の変化に振り返った。
グズついた鼻は赤くて、目には涙が溜まっていて、でも口元なんかは笑っていた。無理してるの丸分りだから。なんつー顔してんだと思った。
――不覚ながら、可愛くて。
――無覚ながら、愛しくて。
「ダメかな、それじゃ?」
ワザとらしく、彼女は首を傾げて見せた。
――涙が出そうになって
――洟も出そうになった。
「バカなやつ」
だからもう一度、背中を向けた。そして云うに事欠いて
「……明日からは学校、行けよ」
バカなことを云ったものだった。
「この居候め」
あげくの果てに、つくづく云ったものだった。
「……うん。分った」
素直な返事を聞いて噴出しそうになった。笑いとか洟とか涙とか。だからグスっと啜った。
「くそ、お前のせいでブリ返したよ」
「……私が看病する」
お互いにバカだった。
翌朝。朝餉を終えた俺が和服ではなくカジュアルな洋服なぞを纏っていたせいか
「どうした同胞」
鏡の前でセーラーのスカーフを締めている彼女から至極まともな質問が発せられた。
「ちょいとバイト云って来るわ」
「バイト? 禰宜か?」
そう。実は不安定な収入では家賃を払えないので神社のお手伝いをしていたりする。だが
「いいや。まぁ、その繋がりだけど今日はちょっと違うんだわ」
寺の子が神社で働く。日本ならきっと許される。俺は荷物を詰めたバッグを肩にかけ
「神主のダンディ神条からさ、「桜花学園って高校で神条レイジって云う御曹司のフリして、そこの生徒会長との見合い話の演技やれ」ってお誘いがあってね」
「生徒会長? 見合い? 女か同胞?」
玄関でパンプスのカカトをトントンする彼女。
「ああ。聞かされた話だと何でもスゲー美人で、スゲー強いらしい」
「強い?」
振り返る彼女。脇にはやっぱりホルスター。そんなの持って行っていいのかよオイ。冷や汗。
「どのぐらい強いんだ? 私がメインウェポンにグレネード付FN-SCAR、サイドにレーザーエイミングモジュール搭載のSOCOM-Mk-23と無限バンダナ装備した状態とどっちが強い?」
「後半にチート臭がするけど俺には良くわからん。しかし信じられるか? コンマ何秒の間に抜刀八十八回とか?」
「……」
云いながらも支度を整え、俺こと早乙女京一と彼女こと美鈴は玄関を出た。
挨拶もそこそこに、マンションの前で別れることになったのだが
「なぁ同胞。さっきの生徒会長だけどな」
云われて「ん?」と振り返った。
すると珍しく、彼女の頬はピンクではなく赤だった。そして手等を後で組んで
「……私より可愛いのか?」
これはどう答えるべきなのか? 俺は腕を組んでしばし思案してから
「さぁな。まだ会ってもないから分ら――」
「私より可愛かったら――」
見ればその二重の目が不機嫌になっていて、赤い頬がプーっと張っていて、ジュリエッタまで抜いていて
「粛清だぞ同胞!」
パツン、と仰角45度でモロコシが飛んできた。放物線を描くそれを俺は口でキャッチ。
目をパチクリとさせている彼女。その目を見つつ奥歯でモロコシをかりかり噛み砕きながら
「これ塩味足りねーわ。ミレイ」
飲み下した。生えないよね? モロコシ。
彼女は目を大きく開いた。たぶんそれは――
――俺が初めて「バカ」や「お前」じゃなくミレイって呼んだからだろう。
なんてな。
「じゃーな」
まだ納得いかなさそうにしてたけど、どうやら機嫌は良くなったみたいだからそのまま別れた。
見上げた空に雲は一つだけ、快晴とはいかないけど上等上等。
――このぐらいで丁度いい。
――このぐらいが丁度いい。
過ぎたるは及ばざるが如し。何事も中庸を旨とすべし。
そんなわけで雲一つない快晴はきっと、曇り空にも等しい訳だ。
けれども俺は、いや「けれども」ではないか。ともかく俺は最後まで。
一番肝心な事を伏せているのだった。ミレイに。それは。
彼女の双子であり実妹でもある――
――後宮京が学園にいることを。
たった一つの雲を見ながらぼやく。
「まだ母さんを許してないんだろな。ミィ子のヤツ」
クシャっと頭をかいた。
「マストビー? メイビー?」
あくびも出た。
FIN