ステビア日記
どういう訳か桜花学園の染井吉野は開花期間が長い。非常に長い。例え世間一般の桜たちが葉桜になって初々しい緑を枝一杯に広げていても、ここでは満開も満開だ。
最も今は4月中旬、まだまだ初夏の話は早い。しかしながらそんな話題をしてしまうのはやや蒸し暑い今日の天気のせいか。
午前8時になるとゾロゾロと学生ラッシュを迎える桜花学園の正門で、一際目を引いている3人がいた。
今年から2年生になり、ファンクラブの会員数も順調に増やし続ける学園のカリスマにして陸上部のエース、八雲マリサ。
同じく今年から2年生になり、男女問わず誰からも愛されるというか癒されるというか庇護欲にかられてしまうというかとにかくそんな感じの天使、後宮ミヤコ。
そして3人目はそんな二人にいつも挟まれているという天罰覿面、いつかは息の根を止めねばならない存在No1、後宮京太郎……のはずなのだが
「え、あの子マジ誰?」
「み、ミヤコさんが二人? え、もしかして実のお姉さん?」
「やばいマジで超好みなんだけど誰だよ!」
つまりはそういうわけで。
桜花学園の生徒達の目は京太郎がいるはずのポジション、マリサとミヤコに挟まれて俯いているセミロングの美少女に注がれていた。
パっと見は身長の高い後宮ミヤコ。そしてよくよく見ればそれに凛々しさを付加した、といった感じだった。
果たして彼女は誰なのだろうか? 多くの視線はその答えを探ろうと必死だった……。
パンプスが履き慣れない。スカートの足腰がスースーする。ウィッグの髪が鬱陶しい。そしてなにより。
恥ずかしい。
素直な感想をひとまず並べてみました女装で登校中の京太郎君改めステビアちゃんかっこ爆。左にミィちゃん右にマリサ。
本日は朝練休みの日とあって授業一時間目をめがけて家を出た俺。ゆえに現在位置、最寄駅から正門までのわずかな道程は御覧の通り学生ラッシュ。
「モデル並だよな! 背も高いしあんな子絶対いなかったって!」
聞こえないことにしよう。
ところで朝練自体が休みの日はこれまでにも何回かあって、その時にはいつも痛い痛い視線を学友から得ていた京太郎君。
理由はいちいち説明するの面倒なのでシンプルに言えば
”あのマリサとあのミィちゃんに挟まれての登校”
だからです。普通にあり得ない。
で、今もまたそれに匹敵するどころか余裕でブッチする程痛い視線を感じてる訳なんだけど理由はもちろん別物。
さっきから聞こえるヒソヒソ声も耳に痛いし。顔があげられない。
かたや隣のツインテールことマリリンは何が嬉しいのか何が楽しいのか、100万ドルの笑顔で義妹とステビアちゃんを見比べながら
「ミヤコちゃん。”お姉たま”は登校初日だから緊張しちゃってるわよ」
とにやにや。いつぞやの報復ですねマリリン。言えば義妹はいつも通りに
「大丈夫です胸を張って下さい」
ニパーっと笑ってから
「お姉たま」
全力で死にたい。
「やっぱりミヤコちゃんのお姉さんか!」
「すっげー似てるもんな!」
マジで死にたい。涙目になる。俯きつつも桜舞う正門をくぐれば、そこには待ち構えていたようにというか事実待ち構えていたフワフワさんことアオイちゃんが鼻息も荒く
「サンドイッチになりにきました」
「お帰り下さい」
校舎までのこの羞恥プレイの間を持たせるため、何ゆえ京太郎君が桜花学園のセーラー服を身に纏い、スカーフを締め、スカートを履き、パンプスを履き、ソックスを履き、
「サンドイッチ」
「何回言ってもダメだよアオイちゃん」
失敬、そしてウィッグつまりツケ毛をしているのか、早い話が女装しているのかを弁解させて欲しい。
「男の娘」
「アオイちゃん静かにね。あとこれ以上しゃべるとバレるのでもう話せないから」
覚えているだろうか? 俺が始めてステビアちゃんの格好をした日、俺とマリサはアヤ先輩に呼ばれてルーチェに午前6時半に到着したことを。
そして後から来たお姉様達やミィちゃんにドッキリ紛いに姿を現したのはおおよそ9時半だ。するとその間の3時間は何をしていたのか、全てコスチュームの着付けにかかっていたのか? 否だ。
「週末にボクが私服も選んであげますねうふふふ」
「……」
着付け自体はアヤ先輩という本職の方がいたので30分で終わり。後の2時間強の時間は徹底した演劇指導が行われました。で、結果はボロボロ。
再現すればこんな感じ。
”ダメよ後宮君女の子になりきってないわ!”
だって男の子ですから
”女の子を演じる男の子じゃだめなのよ! だって今ステビアちゃんは女の子なんだから!”
でも男の子ですから
”ハァハァ、ネピア”
妙なワンクッションですね。
”とにかく女の子としての自覚不足ね!”
だって男の子ですから
”まずは日常生活の更正から始めましょうか!”
いえ現在健全なので歪めないで下さい。
”来週の月曜、いえ火曜日から後宮君は……”
「うふふふ見事に女の子女の子してるじゃない後宮君」
とはグランドで合計4人を待ち構えていた演劇部部長のアヤ先輩。今日から週末までの放課後、みっちり何かの作法を仕込んでくれるそうです。
俺はステビアーちゃんになってもアイデンティティと保つため、いつもの京太郎君よろしくクールに前髪を払ってセリフを
「今の仕草もツンキャラぽくて美味しいです先輩」
アオイちゃんの一言に泣き崩れそうになる。でもめげない。気を取り直してアヤ先輩の方を向いて
「俺もルーチェには協力惜しみませんけどね、流石にこの格好で日常生活過ごせとか週末メイドさんやれとかおかしくないですか?」
これは正論だ。腕組み。言えばマリサはそのコバルトブルーの瞳を細めて
「それ反対多数で否決されたじゃない。ここは民主主義よステビアちゃん」
「それ以前にものすごい人権の侵害があったと思わないかいマリサ?」
「ムチとロウソクどっちがいいかしら?」
会話のキャッチボールが成立しないよ。
悪魔めいた笑みを浮かべるマリリン。しかし俺は再びクールに腕を組み
「脅迫に屈する俺ではないさマリリン」
俺も男だ言ってのけた。
「ボクはロウソクで」
「なんでアオイちゃん?」
「私はムチがいいですマストビー」
「なんでミィちゃん?」
「私はヤスツナだな。バッサリいこう」
「自然な流れで俺をバッサリ殺さないでくださいお早うございますミユキ先輩」
自慢のロングヘアを腕で流しながら現れたのは桜花学園生徒会長園田美雪もうすぐ18歳。今日も髪はツヤツヤお手入れ万全。
「クッキー食べたいみたいな声が聞こえたんだけど私の気のせいだったのかな?」
「全力で気のせいと言うか聞き違えにも程があると思うんだおはよう美月ちゃん」
ポニーを揺らしながらニッコリと現れたのはポニーテールの女神様こと園田美月通称は美月ちゃん。今日もオレンジのリボンがとってもチャーミング。
そんな訳で園田姉妹とも合流しました。で、二人して俺を凝視。
「「……」」
凝視。何となく染まってる二人の頬。そして二人は頷き
「98点かな」
「ミヤコ補正で96点だ」
何かの点数が付きました。ツインテールもいつのまにやら頬を染めていて、そのコバルトブルーの瞳で俺を頭のてっぺんから爪先まで見てから
「私としてはソックスがニーハイでしたらもう満点を差し上げても」
「お前は黙ってればいい」
「ミックスサンド」
「アオイちゃん後で一緒に脳神経外科行こうね」
教室にて。黒板を背にして好奇の視線にさらされてるのはもちろん京太郎君。
「え~ま~ね、お前ら春と言えば転校生、転校生と言えば春というのがお約束ですがこれもその一つなわけなんですね」
教卓前にて相変わらず眠そうな担任が目をコスリつつも、その隣で俯き加減に立ってる俺の紹介を始めている。
「名前は先生とかも教えてもらってませんのでね、お前らいろいろ頑張って聞きだしやがって下さい。とりあえず先生は一時的に入れ替わった子にちなんでそのまま後宮京太郎って感じに呼びます」
ガッツリ本名です。
「なんで先公が生徒の名前把握してねーんだコノヤローとか思ったお前らはとりあえず廊下で腕立てです。えっとその理由は校長命令です。先生は校長先生には逆らえません。鉄砲玉が親分に絶対服従なのと同じ理屈ですね」
ひどい例えだ。
「それじゃぁ京太郎君カッコハテナさんとりあえずあの席について授業受けてください。寝たら脱がす。下から脱がす」
そういうことで俺は所定の席に着いた。最後の二言にはいちいち反応しないよ。
で、授業。いよいよもってクラスメイトから発せられる視線の矢がステビアちゃんを滅多刺し。これもう視姦のレベルじゃなかろうか、と涙目で授業受けてるのはもちろん京太郎君です。
ルーチェ関係者以外正体は明かしてはいないし明かしてもならないので、俺は授業の合間のたび、腐れ縁のシロクマを含めたナンパ野郎の求愛行動に晒され、それに内心ジェノサイドウェポンのごとき屈辱と殺意を覚えつつもマリサ直伝の100万ドルの笑顔で応対し、あげく空気を微塵も読めないヒロシなぞには
”脈ありなのか?”
という誤解を与え、また口説かれ、笑顔で首を横に振り、また口説かれ、という非常に非生産的で無意味な行動に追われていた。
例えば昼前の今でさえ
「せめて名前だけ教えてくれないかな。マジで! お願い!」
と俺の座る机の前でヒロシに両手を合わせられているのだから。どうしよう。マジ、ぶん殴りたい。
というのが本心なれど俺ことステビアちゃんは現在天使モードなのでニコニコ。だから余計にこのシロクマは調子に乗って親指をたて
「いまバスケ部のマネージャ募集してるんだけど、マジで君どうかな? 俺、君のためなら一試合に4回だってダンク決めちゃうんだけど」
ははは、こやつめ。今すぐお前をゴミ箱にダンクしてやりたい。しかしながらコイツ、まじで退く気配がない。くそーしゃべりたい。なんかコイツの想いに関して否定的なことしゃべりたいけど俺の声はヨードーちゃんの萌えボイスと違って普通の男子君な声だからしゃべるとバレる。マッハでばれる
かといってアイコンタクトでウィンクしても誤解を与えるだけだ。こいつバカだから。ならどうする? 声を出さずに意思を伝える方法は……、と悩んでいると
「これをどうぞ。さぁ」
という声に目を向ければ斜め前に座っているミキさんが俺にミキノートとサインペンを差し出している。ははーなるほど。俺は艶っぽい笑みと共にウィンクしている彼女の意図を汲み、そして遠慮なく利用させてもらうべく手にとってノートをオープン。
そして今も俺の席の前に立って
「え? ミキさんこの子と知り合いなの? え? どういう関係? 俺名前も教えてもらってないんだけど」
とか聞いてるヒロシ(バカ)に万感の思いを込めてキュキュキュっとペンを走らせ、そして彼のブレザーをクイクイと引っ張る。それに
「なんだいなんだい? 彼女なら365日24時間いつでも募集だよハニー」
とかクソふざけたことを申し上げてる彼に100万ドルの笑顔と共にノートをオープンしてみせた。
”頭に悪い虫とか湧いてるんですか。フザけるのは身長だけにしてとっと脂乗ったシャケでも巻き上げてきてください(殺)”
こうして俺は束の間の平穏を取り戻したのだった。
放課後、演劇部部室にて。俺の前には既にシンクロ率400パーで暴走モードに突入してるアヤ先輩と、そうやって我を忘れた部長に対して額に青線落としてる可愛いヨードーちゃんの二人が立っている。
平穏の時間は本気で束の間でした。アヤ先輩は人差し指を立てて
「それじゃぁさっそく短期集中レッスン始めましょう! と言いたい所なんだけど~」
意味深にニコリ。何だろうこの背筋をかけあがる嫌な予感は、と変な汗をかいてると、アヤ先輩にウィンクされたヨードーちゃんが俺に
「これをノドにつけて欲しいんじゃ」
と差し出してきたのは人差し指の先っちょに乗りそうな半導体のような電子部品。ともかく受け取ってシゲシゲと観察しているとアヤ先輩が
「ヴォイス・チェンジャーよ」
「ヴォイス・チェンジャー?」
オウム返しすれば待ってましたとばかりにアヤ先輩が解説してくれた内容をすごくシンプルに言えばズバリ、装置の和訳、即ち”声変換機”だ。
もう少し補足すればこの装置、なんでも擬似的な声帯の役割を果たして声の周波数をあげてくれるものらしい。
つまりこれをつけて話せば普段より高い女の子らしい声になるとのこと。へ~、だね。
「百聞は一見にしかず、じゃなくてこの場合は100見は一聞にしかずかしらね。ヨードーちゃんお願い」
というアヤ先輩の指示によって俺のノド下にそれはペタリとつけられ、上からテープのようなもので固定。
「人工皮膚で出来てるからそのままでも目立ちにくいけど、その上からファンデーション馴染ませるから外からじゃ絶対分らないわ」
なんかすごい手の込みよう。そしてその通りにお化粧のようにペタペタ塗ってくヨードーちゃん。
「よし出来たぞ。なんかしゃべってみてくれ」
と美少女少年のリクエスト。そう改めて言われると何をしゃべればいいものか? 腕組み。
「ふ~む困ったなぁ……」
……。
ものすごく。奇妙な出来事。が、起きた。
奇妙というのは文字通り奇で妙なこと。つまり普通ではない事。普通ではない出来事とは予想外の出来事。
予想外の出来事が起きたからたぶん、ヨードーちゃんもアヤ先輩も両手を口に当ててチョコかじったリスみたいな顔してるんだ。
たぶん俺もそういう顔してると思う。今絶対に、俺はしゃべってない。あんなものが俺の声なわけない。ひまず深呼吸しよう。
「すーはー」
見たままを報告。アヤ先輩が紅色のジェット噴射。ヨードーちゃんの顔が真っ赤。俺はなんかいろいろ脳内がパニック。
「なんだよこれ?」
受け止めねばならない事実を受け止める。これは今俺が出した。しかしあくまで俺とこの声は別件であるとする。その上で申し上げる。
俺、この声で告られたら即効でオチる自信があります。ミキさんの艶っぽさ、ミィちゃんの愛らしさ、アオイちゃんの華やかさ。
たぶんそういう音色に比肩するような声質。いやむしろあの凛としたお姉様の声にミィちゃんの可憐さを隠し味に加えたようなこの音は、この声は……
「本当に俺の声?」
見たままを報告。アヤ先輩がぶっ倒れた。ヨードーちゃんの顔から火が出た。たぶん俺も顔から火が出てる。どこかの美少女が0距離で
”本当に俺の声”
とか言ったからそうなった。ヤバイなんだこれは……。放心状態ながらもふと目をやったのはブッ倒れてるアヤ先輩の手に握られた一枚の紙。
歩み寄り、しゃがみ、おもむろに手に取る。
「……」
そこにはいろいろとステキなセリフが一杯。お仕事から帰って来た旦那様やご主人様をお迎えする使用人としてのセリフがてんこ盛りだ。これ、読ませるつもりだったのだろうか。
「……」
新しいオモチャを手にした子供がそれを試さずにはいられないように、俺もたぶんこれは試さざるを得ない。
二人を残して演劇部部室を出る。そして俺が向った先、それはもちろん、ミユキ先輩とミィちゃんのいる柔道場、ではなくヒロシのいる体育館だった。