12:ま~もう一人の自分というか新しい自分というか
テディベアを密かな喜びに見立ててギュっと抱き締め、自室のベッドの上でアヒル座りをする桃花はとても上機嫌だった。
「へへ~。もうすぐやもうすぐ」
と。 一般的には”女の子座り”と言われるこの姿勢もぬいぐるみが好きだというこの趣味も、もちろん人前では絶対にやらないし教えない。きっと笑われるから。大好きな母が話す関西弁ともたぶんあまり合わないだろうし。
姿見の鏡を見る。そこにはオーバーポニーの小麦色の美少女。桃花はポリポリと頬をかきながら
「ん~。まぁこれはこれで健康的で良いんやけど」
マリサや姉のミキのように色白の肌にも憧れていたりはする。ただそれも自分のイメージとは似合わない気もする。偏見かも知れないけど。
”コンコンコン”
ノック音がしたので慌ててぬいぐるみをリリースしてアグラをかく。そして
「入ってええよ~」
と声をかけると
「お邪魔します。今晩は桃花ちゃん」
と大きなリボンを揺らしながら入って来たのは美月だ。桃花は
「ばんわ美月。ここ座り」
と浴衣を着た彼女に声をかけてトントンと自分の隣を叩いた。そして素直にベッドに腰を降ろす美月に
「こんな時間にどないしたん?」
と尋ねた。時刻は22時。普段の美月ならもう用事をすませてスヤスヤと眠っている時間帯だった。
美月は両手を膝の上に置きながら恐縮そうに
「遅くにごめんね桃花ちゃん。どうしても気になって寝付けないことがあって、その」
「いやウチはええよ。まだこれからゴロゴロ漫画でも見よかな~って思てたしな」
”へへへ”と頭をかく。テディベアと一緒に夢を見るつもりだったとは口が裂けても言わない。つもり。
「えっと、その。ルーチェのことなんだけどね」
と美月が打ち明けたのは入学式の前日、ルーチェで全員の接客チェックをしていたときに演技に不安を覚えていたというものだった。
当日はシスターズの指導とチェックを演劇部部長のアヤ、部員かつ店員のヨードー、そして桃花の三人体制で行い、結果は文句のない出来だった。だから
「心配せんでもバッチリやったで。美月のはとくに頑張ろう、頑張ろうっていう女の子らしさがにじみ出てたしな」
素直にそう言った。しかし
「うん。実は不安ってそのことなの」
「へ?」
キョトンとなってる桃花に続けて美月が話した内容、それは三人が個性として良かれと思っていた美月の初々しさ、一生懸命な姿勢が気になるというものだ。
「なんていうか不恰好で、手際も悪いような気がして、あまりお世話をする人の雰囲気が出てないなって。ステキなホテルマンさんみたいなのをイメージして頑張ってるんだけどなかなかうまくいかなくて」
その一生懸命さの伝わる振る舞いは個性、長所としていた部分だけに不必要な指導はしたくない。けれども当の本人がそこを不安視して短所だと思っているのなら仕方ない。
ともかく彼女は
「だからあの時ね、桃花ちゃんの演技見ててスゴイなって思ったから。何かコツというか心構えみたいなの教えてくれないかなって」
そういうことで桃花に相談しに来たようだ。美月は不安と気落ちの混ざった溜息を吐いて
「皆の演技見てるとね、私一人が足引っ張りそうな気がして」
少し俯いた。健気で思いやりがあって、本当に美月らしい悩みだと思った。けれども
「……コツなぁ」
桃花は目を閉じて唸ってはいるものの、伝えるべきコツなんてなかった。そもそもあれは演技ではないのだから。
それより今こうしてアグラをかき、腕を組んで唸っている自分の方がむしろ……演技と言えるのだ。
美月になら言っても構わないだろうか? 桃花はチラっと片目を開けて横目に彼女を見る。
「……なぁ、美月」
顔をあげる彼女に桃花は自分の頭に手をやって
「悪いけどそれ、ウチでは教えられへん。けど」
髪留めを外し
「けどウチやなくてな、ティラミスやったら何かヒントぐらいは教えられるかもせーへんねん。だからさ」
長い髪をサラリと肩に滑らせてストレートヘアになった。
それだけでも雰囲気はガラリと変るんだと目をパチクリとさせてる美月に、桃花は穏やかに微笑み
「今度私に会いにきてみて」
あのティラミスの上品で優しげな声で言った。
声質も雰囲気も瞬く間に変った桃花に美月は思わず手を口に当てる。桃花はさらに
「でもそれまでに、ティラミスにはシフォンが会うのか、それとも美月ちゃんが会うのかよく考えておいてね?」
シフォン。それは自分に与えられたルーチェの名前だ。しかしセリフの意味が良く分らず首を傾げていると、桃花は首を左右に振って否定を表し
「シフォンの演技をする美月ちゃんじゃダメよ?」
念を押すような口調はどうもさっきと同じ意味のセリフを言ってるらしい。シフォンが行くのか、美月が行くのか。
「美月ちゃんが悩んでるのはきっとね。シフォンを演じようとしてるからよ。でもそれじゃいくら頑張っても、いつまでたってもシフォンにはなれない」
”近付こうとするのはそこに自分がいないという証、そこから離れている証”
そういうことだろうか。
「シフォンの振る舞いが出来るのはシフォンだけなんだから」
シフォンに近付こうと演じるのではなくシフォンになってしまえ。そういうことだろうか。美月は優しく微笑んでる桃花に
「えっと、それはつまりシフォンになりきって」
言いかけると口止めするように人差し指がピタっと美月の口に当てられた。
「魔法を解いてしまうようなことは言っちゃダメ。シフォンはどんな振る舞いをしたってシフォンなんだから」
唇に当たるその指と自分を見つめる”ティラミス”の目は、何となく姉のミユキに似ていた。
そして”ティラミス”は美月が魔法の効果を消してしまう一言を言うつもりはもうないのだと分ると、そっと指を離し
「あの服に袖を通す前にルーチェの名前が与えられるのはそういうことなの。だからね、せっかくなら私はシフォンにも会ってみたい」
不思議なことを言う彼女は本当に桃花なのだろうか? そういう意味を込めて
「えっと、桃花ちゃん?」
「んんん。私はティラミスよ」
予想外の答えなのか予想通りの答えなのか。とにかくニコニコと愛らしく微笑んでる彼女に釣られてクスリと笑い
「そっか。うん」
何かの意思表示がしたくて、美月は自分も大きなリボンをフンワリと解いて髪を流した。
「ありがとうティラミスちゃん」
そして微笑んだ。”ティラミス”はそれに頷いてから手を頭にやり、その長い髪を再び束ねる。
髪留めでまとめてオーバーポニーになると、そこにはいつも通りに元気一杯にニっと笑う桃花が
「ええって。ええって。ティラミスもそういう話好きやしな」
手をパタパタと振って答えた。その変化の早さに、美月はキツネにつままれた心地さえした。それでも
「それより聞いてや。あんな」
と桃花が楽しそうに話を切り出してきたので、美月は気にするのをやめてそれにしばらく付き合った。そして実際、それは他愛のないことだけど楽しかった。
「それじゃぁそろそろ私戻るね。今日はありがとう」
「んんん。うちも楽しかったわ」
部屋を静かに出て行く美月に手を振っていると彼女は一度止まって、そして無造作に置かれていたあるものに振り返って
「桃花ちゃんもぬいぐるみ好きなんだ」
桃花は自分でも瞬く間に顔が赤くなるのが分った。でもその意味どころかそれ自体にも気付いてない美月は
「マリリンもそういうの好きなの。それで今度のお休みの日にぬいぐるみ見に行くみたいだから、良かったら桃花ちゃんも付き添ってあげてね」
そう言ってニッコリと笑ってから
「おやすみなさい桃花ちゃん。また明日」
「あ、えっと。うん。おや……すみ」
扉が丁寧に閉められてシンとなった部屋。一人で目をパチクリとさせる桃花。そしてモゾモゾと四つん這いにベッドを這ってぬいぐるみを回収。
そのままテディベアを片手に携帯を操作して予定表を確認。
「来週の日曜は……空いてる。うん。空けよう」
頷いた。
ルーチェ再開までまだ少しある。それでもまた自分が”ティラミス”という名前の、素直な自分に会えるのだと思うとまたテディベアをギュっと抱かずにはいられなかった。
「ん~~~もうすぐ!!」
ギューっと抱いてると扉がおもむろに開いて美月が
「ごめんなさい桃花ちゃんリボン忘れ……」
「「あ」」
もうリリースするには遅い。目をパチクリとさせている美月に顔から火を噴きながら桃花は
「え、えっとチョークスリーパーの練習を少し」