6:お? それすっごく似合ってない?
まだ日の高い帰り道。ルーチェの最寄り駅についてから、ミキはずっと自分より一歩下がっておっかなびっくりと歩くアオイに穏やかな目を向けて
「そんなに怯えなくても大丈夫です。彼らはもうアオイに手を出すことは絶対にありません」
と微笑んだ。”きっと”とか”たぶん”とか言う曖昧な表現を使わず”絶対”と言い切る彼女の言葉は、昨日いやな目にあった場所に近づくにつれて不安になっていたアオイを少なからず安心させた。
「ミキ先輩って、空手部主将なんですよね?」
そう問われて
「ええそうですよ。そうは言ってもロクに練習してない幽霊部員ですけどね」
艶っぽく微笑む彼女はスレンダーでとても格闘技なんかたしなんでる様に見えない。だから先輩の京太郎が話してくれた
”チンピラどもを一蹴というか文字通りヒトケリだったな”
という話はどうも信じられない。けれどもそれ以上に彼や彼女が自分にウソをついてるとも思えないので、やっぱりアオイは信じることにした。
ミキに見守られながらアオイは昨日京太郎に渡された鍵をルーチェの扉に差し込んで回した。解錠の音。
嬉しさと安堵から思わず零れたアオイの一滴の涙は、ミキが優しくハンカチで拭った。それに
「あ、なんか本当にごめんなさい。ボクちょっとしたことですぐ泣いちゃうんで。その」
と慌てて赤面しているアオイにミキが
「挨拶は”ごめんなさい”じゃなくて”ただいま”ですよ」
ニッコリと笑えば彼女もつられて笑顔になって、そして頷いてから
「ただいま」
とドアノブを回した。
新しい我が家の扉は涼やかなベル音を”リンリン”と響かせて開いた。そして点きはしないと分かっててもそうせずにはいられなかったので、アオイは入口にあった電気のスイッチをパチンと押した。
しかし予想に反して、天井から下がるガラスのシャンデリアはすぐに煌めいて店内を明るく照らした。
「「……」」
二人はパチクリと目を見合わせた。
「無理言ってごめんねお母さん。本当に」
と桜花学園の校長室の来客用ソファーに腰を降ろしているのは美月だ。
「何言ってるの。経営責任者は私なんだから、設備費を負担するのはお母さんで当り前よ」
言いながらゆったりとしたオフィスチェアーに浅く腰を掛け、細かい字でビッシリと埋まったデスク上の書類を手早く処理しているのは桜花学園の校長、園田利恵だった。
いつもいつもパリっとしたレディーススーツを着ている彼女は校長というより社長秘書、あるいはキャリアウーマンという雰囲気だ。
彼女はメガネのブリッジを中指で押し上げながら
「それにしても」
とそのうちの一枚を取って
「とても高校一年生の子が考えたとは思えないレシピばかりね。へ~」
と微笑んだ。
「でも本当に、私やミキ従姉さんや桃花ちゃんがそこでアルバイトしても良いの?」
美月が伺うように聞けば、彼女はメガネの奥の目をチラっと向けて
「うちは何よりも生徒の自主性を尊重するところよ。そういう謳い文句を掲げながら学園長の私が、その娘達がまさにそれを体現しようとしてるのに反対するわけないでしょ」
ウィンクする母がなんとなく悪戯っぽく見えてクスっと美月は笑った。
「それからサービス内容、主に接客マニュアルを中心に見せてもらったけど風営法に触れる心配もないわね。というか大人し過ぎるくらいよ? MAXで記念撮影なんだもん。もう少しハッチャケても良いんじゃない? 例えばMっけのあるお客さんはビンタしてあげるとか」
美月は苦笑い。
「それに演劇部の加納さんにコスチューム見せてもらったけど、これも思ったより上品ね。もう少しキャピキャピしたものかと思ってたけど……」
それに美月は立ち上がって
「え? もうデザイン決まったの!?」
と身を乗り出してきた娘に母は”あ”と赤い口紅が塗られた口を開けて
「しまった。直前まで秘密にするって約束してたのに……」
コンコンと自分で自分の頭を叩いた。そんな母に
「お願いお母さん。少しだけ見せて? ね? ね?」
言い寄った。こうなっては仕方ない。利恵は美月のつけている大きなオレンジ色のリボンを少しだけ整えてから
「まぁ美月なら口固いし良いわ。でもまだ皆には内緒よ?」
念を押してから引き出しを開け、数枚の用紙を取り出して見せた。興味津津にそれを手に取ってから美月は一枚一枚眺めて
「すごい……。可愛い」
顔をほころばせた。しかしそのうちの一枚を見て瞬く間に顔を赤くした。
「……」
「……」
母の目を見る。黙って頷く母。
「これ、姉さんはOKするかな?」
その問いに首を傾げかけて、でも頷いて。
「案外ノリノリかも?」
ミキとアオイはルーチェのキッチンの洗い場で、先ほど自分達が楽しんだ紅茶のカップの他、長い間ホコリを被っていたその他の食器類を仲良く並んで洗っていた。
「すみません。なんかいろいろと手伝わせてしまって」
と事あるごとにペコペコとしているアオイに
「好きでやってるので気にしないでください。それより紅茶御馳走様。美味しかったですよ」
ミキは微笑んだ。
夕暮れ。そろそろ自宅へと戻るミキとそれを見送るアオイの二人は店を出て鍵をかけた。
「それでは今日はありがとうございました」
深々とおじぎするアオイに
「そんな気にしないでください。それにしても……」
そう答えつつもキョロキョロという感じに忙しく、ミキが自分を足元から頭のてっぺんを往復するように見てるので
「あの。何かへんですか?」
アオイが首を傾げればミキは”ハっ”我に返ったようになってから少し赤面。そして
「いえ、アオイって結構オシャレなんですね」
言われるとアオイは照れたように頭をかいて
「恥ずかしながらボク、実家では看板娘という役割もあったので。実は少しだけ気を遣ってます」
そう答える彼女の装いは実際、春らしくて愛らしかった。デフォルメされたネコがプリントされた白のティーシャツと袖を折ったジージャンはサッパリとしていたし、
桜色をしたフリルのミニスカートは長い脚がいっそう長く見えた。そして小さな星をあしらったシルバーのペンダントも、髪にワンポイントで付けられた月のアクセサリーとよくマッチしていた。
さすがにミキの視線がくすぐったかったのか、アオイは頬を染めて目を逸らし
「ミキ先輩は普段、どんな格好されてるんですか?」
と標的もそらそうとした。しかしミキの返答に……。
……。
「こ、これを私がですか!?」
「そうですよ! ミキ先輩ぐらい綺麗な人がスーツばっかりなんて信じられないです!」
今二人がいるのはルーチェから徒歩5分とかからないブティック。同年代のオシャレなカップルで賑わう中、試着室の前ではミキがアオイに”可愛らしい格好”という言葉がピッタリの服上下一式を押しつけられながらも
”まさかアオイにこんなアグレッシブな面があったなんて”
という予想外さに目をパチクリとさせ
”それにしてもスーツだけというのがそんなにダメなんでしょうか”
という疑問にショゲながら首を傾げ、そして何より
”本気で私が私服でこんなの……”
という未知の領域に踏み出そうとしている自分にドキドキと胸を高鳴らせていた。
靴を脱いで試着室に入るとアオイがカーテンを閉め
「せっかく春物買いに来たっていうから期待してたら黒のスーツだなんてありえないです! そんなのボクが許しませんから!」
いっそうショゲた。だから今日はスーツを諦めようと思った。
「これからもダメですよ? ボクがつきそいますから!」
何となく心が読まれてる気がした。
「こ、この金属のは何ですか? バッジですか?」
「それはバックルです。ベルトに通して下さい」
「な、なんかこの服肌にピッタリ張り付くんですが」
「サイズはタイトなのを選ぶのが基本ですよ。ミキ先輩せっかく身体のライン綺麗なんだから」
「しかもこれ短いって言うか」
「はい。オヘソは出て良いんですよ」
「なんか鎖骨の辺りも出てその、露出が高いって言うか」
「アウターでカバーします。大丈夫です」
「これ、丈が変じゃないですか? 中途半端というか長くもないし短くも」
「ニー丈のパンツですよ。それで普通です」
「この帽子すごい深々で前が見えないです。きっとサイズが」
「後からフワっと被ってください。前髪はしっかり出して」
そうこうして20分後。俯いて顔を真っ赤にしながら試着室を出て来たミキにアオイは目を輝かせて
「わっはースゴイですよミキ先輩! すっごい可愛いです!!」
俯いたミキの顔がますます赤くなる。そんなことなどお構いなしアオイは続けて
「ボクが男の子だったら一目惚れです!」
ますます赤くなる。そしてそのまま
「そんな下ばっかり向かずに」
手を引かれるままに歩いて
「前を見てくださいミキ先輩」
ポンと両肩に手を置かれた拍子に思わずピンと背筋を伸ばしてしまう。そして不覚にも真正面に向かい合った可愛らしいという言葉では足りない美少女が、まさか自分の姿だとは思わなかった。
しかしその両肩に手を置いて、ニコニコとした顔を横から出してるのはアオイだ。そういう位置関係を考えるにどうもこの子は私らしい。だから
「……かわ」
”いい”の言葉は俯いて飲み込んだ。自分で言うわけにはいかなかったから。
二人が店を出るころには通りは茜色に染まっていた。ここに来た時とはちょうど逆で、今はミキがおっかなびっくりと履きなれないミュールでアオイの後ろを歩いていた。
彼女は振り返って
「そんなに恥ずかしがらなくても大丈夫ですよ。先輩すごく似合ってます。絶対可愛いです」
似たようなセリフを自分が2時間くらい前に言ったような気がする。
「でもびっくりしました。スーツってあんなに値段するものなんですね」
言えばミキはまだ赤いままの顔を少しあげて
「私はむしろ、こんな、こういう服が思ったより安くてビックリしました」
ゴニョゴニョというような口調。
「ん~。すごく良いの選んだから安くはないんですけど……」
二人の妙な温度差、その原因になってるのはミキがスーツ購入用に用意していた茶封筒だ。彼女の予算は15万円。
「もしかして先輩のスーツってブランドものですか?」
アオイが首を傾げれば
「そうですけど。でも普通より高い理由はむしろオーダメイドだからです。私のはサイズがなかなかなくて」
確かに仕立ててもらえば値段はグっと高くはなる。ただそれを差し引いても、その価格だときっと質の良いものなんだろうなとアオイは思った。
ルーチェが目に入った途端、恥ずかしさを克服してようやく隣に並んだミキがまたしてもアオイの後に隠れた。
彼女はその理由を尋ねようと思ったが、すぐにその意味を理解した。扉の前には後宮京太郎が腕組みしながら
「あれ~? おかしいなもう帰ってないと時間的におかしいんだけどな。ふ~む」
と唸っているのだ。ミキは顔を真っ赤にしたまま俯いて
「どうしましょう、私この格好じゃ……」
言い終わる前にアオイは
「先輩~!!」
手を大きく振った。