なーな
天蓋付きの豪華なベッドの上で……美しい少女がヘッドボードに背を預けている。
艶々とした波打った金髪に美しい若葉色の瞳。肌触りの良い絹のネグリジェが包み込む傷一つない肌。
この少女こそが聖女マリアに害されそうになった公爵令嬢──ヘレナ・アデュール。
彼女は少し困ったような表情をしながら、小さく溜息を溢す。
(もう……お父様もお母様も過保護なのですから)
二週間前──。
ヘレナは孤児院への慰問帰りに、刺客に襲われた。
偶然にも護衛を引き連れた第二王子が居合わせたことで、助かりはしたが……あの一件から療養として、屋敷の私室でほぼ監禁生活を送ることになってしまった。
しかし、これも仕方のないことだと思った。なんせアデュール公爵家は貴族としては珍しく、家族仲の良い一家だ。両親は年中新婚夫婦のようであるし、子供達にも惜しみない愛情を注いでくれている。
だからこそ、長女であるヘレナが刺客に襲われて死にかけたともなれば……彼女の身の安全を心配して、娘を守るためにと監禁をするのも納得できる行動であったのだ。
(家族に多大な心配をかけてしまったのは間違いないわ……。けれど……流石に今日の卒業パーティーには、参加したかったわね……)
本当は今日の卒業パーティーに参加したかった──最後の思い出に、初恋の人とダンスを踊りたかったのだ。彼は一ヶ月後に聖女との婚姻を控えていたため、今日が最後の機会であった──のだが……両親の心配ように参加を断念せざるを得なかったヘレナは、自身の未練がましさに苦い笑みが漏れてしまう。
今頃、彼は聖女と踊っているのだろうか? 彼との思い出が欲しかったのは確かだが、彼と婚姻する人と踊る姿を見ずに済んだのは……逆に良かったのかもしれない。
(……わたくしもいい加減に、前を向かなくてはいけないわね……)
そう、目を伏せながら。心に秘めていた恋心と決別しようとした瞬間──……ヘレナの私室の扉をノックもせずに、一人の青年が部屋に飛び込んでくる。
「姉上! やりました!」
ヘレナよりも濃い金髪に、美しい若葉色の瞳。
二歳年下の弟……ヘクトル・アデュールは、目をキラキラさせながら姉の元へと駆け寄る。
可愛い弟であるが、マナー違反はいただけない。ヘレナは小さく溜息を溢して、弟に注意をする。
「こら、ヘクトル。駄目でしょう? 身内とはいえ、淑女の部屋に許可なく入るのは、マナー違反ですわよ。貴方はアデュール公爵家の嫡男なのですから。礼儀正しく行動なさい」
「あっ、すみません! でも、わたし、嬉しくて!」
「……嬉しくて?」
「はい! 喜んでください、姉上! 姉上を殺そうとした聖女が断罪されましたよ!」
「…………え?」
ヘレナは目を見開き、固まった。はっきり言って、何を言っているのかが、分からない。
しかし、そんな姉の様子に気づかずに……ヘクトルは話し続ける。
「二週間前、姉上は刺客に襲われたでしょう? あれを雇っていたのが、聖女だったみたいなんです……! あの聖女……自分が聖女の務めを果たしていない癖に、人々に慕われる姉上を逆恨みして刺客を放ったようで! 更には横領や不貞も働いていたらしく。王太子殿下が断罪し、聖女を王都から追放したのです! これで姉上も安心してお過ごしになれますね!」
「なっ……なっ……!」
ヘレナの顔色が一気に悪くなった。だが、そうなるのも当然だった。
だって聖女マリアが〝聖女の務めを果たしていない〟だなんて……そんなのあり得ない話だったからだ。
「何を……何を言っているのっ、ヘクトル! 聖女マリア様はこのエキセア王国全土を覆う結界を張り、わたくし達を外敵や魔物の脅威から守ってくださっていらしたではないの!」
「…………? 姉上の方が、何をおっしゃっているんですか? 結界を張っていたのは聖女ではなく……神殿の神官達でしょう?」
「…………!?」
……どういうことだろうか? ヘレナの記憶にある限りでは……エキセア王国を脅威から守る結界を張っていたのは、聖女マリアであったはずだ。
しかし、ヘクトルは結界を張っていたのは神殿の神官達だと言う。
(まさか……本当に? 聖女様が結界を張っていたのではなく、神官達が? 彼らの功績をマリア様が奪っていらしたということ……?)
…………しかし、ヘレナはそれを簡単に信じられそうになかった。
聖女補佐として、少ないけれどマリアと直接接したことがあるからなのかもしれない。ヘレナは思う。
(信じられない……! マリア様は……あのお方は! 横領や不貞を働かれる方ではないもの……!)
嫌な予感がじわじわと、ヘレナの胸中に芽生え始めていた。
何か良くないことが、このエキセア王国に起こっているんじゃないか……?
ヘレナはそう、不安を抱かずにはいられなかった。
◇◇◇◇
ロキに雇われることが決定した翌日──……早速マリア達は、王都に向かうことに。
…………が。昨日の盗賊達に関する事情聴取があるため、出発は昼過ぎということになった。
なお、ロキが女子供にこれ以上辛いことを思い出せたくないとかなんとか兵士達を言い包めて。マリア達は聴取を受けなくても済むようにしてくれる辺りに……彼の周到さが窺えるのであった。閑話休題。
「ただいま〜」
「お帰りなさい、ロキ」
「ぱぱ!」
「ついでに色々と必要そうなモンも揃えてきたぞ」
宿屋に戻ってきたロキは、旅に必要な道具が入った荷物袋を背負っていた。
更に彼は、手に持っていた茶色の紙袋をマリアに差し出す。
「……これは?」
「洋服。そんな身分が高そうな服着てたら目立つからなぁ。適当で悪いんだがワンピースを用意させてもらったぜ」
「…………ぁ」
そこでマリアは自身が着ている服が、目立つ物であったことを知る。
生憎といつもこの服だったので……そんなこと、意識したこともなかった。流石のマリアでも、目立つのがよくないことぐらいは分かる。
目立たないために買ってくれたに過ぎないと、そう分かっていても。こうして、誰かに服を貰うのは初めてのことだ。
マリアはほんの少しだけ嬉しそうにしながら、紙袋を受け取った。
「……ありがとう、ございます」
「どーいたしまして。ホープは俺が見てるから、着替えてこいよ」
「はい」
部屋に備え付けの浴室に入って、マリアは聖女のドレスを脱ぐ。
……なんだか、このドレスを脱いだだけだというのに……肩が軽くなったような気がした。
暫く聖女のドレスを手に見つめていたマリアだったが、直ぐに我に返り、紙袋からワンピースを取り出す。
ドレスが一切露出がない意匠だったからだろうか? ワンピースも露出が少なくなるように内着が用意されていた。
首まであるベージュの内着の上に、紺色のワンピースを重ねて着る。胸下の紐で調整ができるようになっているようだ。マリアは中心にリボンがくるように結び、鏡に映る自分を確認する。
(うん……案外、悪くないかも……)
マリアは鏡に映る自分を暫し見つめて……徐に、髪を解いた。
腰までふわりと髪が広がる。シニヨンでまとめていたからか多少癖が付いてしまっているが、特に問題はない。
マリアは光を集めて固めると、小さなナイフを作り出す。
そして、自身の髪を雑に掴むと……。
──ザクッッ!!
肩に触れるぐらいの長さで、躊躇いもなく切った。
──ザクザクッ、ザクッ!!
多少長さが不揃いだが、みっともなくない程度に切ることができた。マリアはナイフを光に戻し、切った髪とドレスを紙袋に入れる。
浴室から出ると、ロキはホープの手を取ってあやしているところだった。彼はマリアの気配に気づいて顔を上げる。そして、絶句する。
「な、な、な……髪! 髪!? どうした!?!?」
「切りました」
「そりゃ見りゃ分かる! なんで切った!?」
髪を切ったのは、ある意味、衝動的なものだった。ただ、切りたくなったから、切っただけだ。
あぁ、でも……。
「…………今までは、私の意思で髪を切ることが許されてなかったので。だから、切りたくなったのかもしれません」
「…………」
聖女であったマリアは、見た目の自由すらも許されていなかった。
いつだって肌の露出がない白のドレス。顔を他の人に晒してはいけないからと、寝る時以外はずっと重たいヴェールを被せられて。髪には魔力が宿るからと、髪を切ることも許されていなかった。
だから……もう聖女ではないのだから。髪を切ることぐらい許されるんじゃないかと。そう思ってしまったのだ。
「……そうか。まぁ、マリィが切りたくて切ったんならいいんじゃね? 結構、マリィに似合ってるし」
「…………似合ってます?」
「おう。短いのも似合ってるよな〜、ホープ」
「う!」
にこにこと笑うホープも、どうやらこの髪型をお気に召したようだ。マリアも嬉しくなって頬が緩む。
……が。ロキが急に真顔になって、彼女に問う。
「ちなみに……切った髪は、ゴミ箱に捨てたりとかしてないよ?」
「……? えっと……なんか、捨てるのは駄目な気がして。紙袋の方にドレスと一緒に入れました」
「それ、正解。髪は呪術……呪いとかに使えるらしいからな。後できちっと燃やして処分するぞ」
「…………あ、はい……」
…………思わずマリアも真顔になった。
なんとなくで、髪をゴミ箱に捨てなかっただけだが。万が一を考えると正しい行動だったらしい。
とにもかくにも……なんだかんだで準備は整った。後は宿屋の清算を行い、街を出るだけだ。
「……そういえば。私、一文なしなのですが」
宿屋の受付に向かいながら、マリアは今更過ぎることをロキに言う。
しかし……当然ロキもそれが分かっていたらしく。問題ないと答える。
「大丈夫、大丈夫。昨日突き出した奴ら……指名手配されてた奴ららしくてな。多少の報酬をもらったから、なんとかなるぜ」
「……あ、そうだったんですか……」
「それに、路銀が足らなくなったら稼げばいいだけだしな」
「…………」
相変わらずの軽い口調だったが、信頼感が半端ではない。旅のことは彼に任せておけば問題なさそうだ。
「おや……お客さん。行くのかい?」
受付に辿り着いたところで、昨日もいた女将が声をかけてきた。ロキが代表して、宿泊費を払った。
「あぁ。悪いな、無理言って昼までいさせてもらって」
「気にしなくていいよ、その分延滞料を貰うことだしね。……うん、ピッタリだ。毎度」
基本的に宿屋は宿泊した翌日の朝、十時頃までにチェックアウトするものだ。
しかし、目立つマリア達を連れ回す訳にはいかなかったため……ロキは宿屋に頼んで、チェックアウトの時間を延ばしてもらっていた。勿論、世間知らずのマリア達は彼がそんな配慮をしてくれたことに気づいていない。
「ちなみになんだが。この街の貸馬屋って〝客室〟だけ借りれるか?」
「ん? ……あぁ、確か問題ないはずだよ。……そうだねぇ。その子がいるなら、馬車を借りた方がいいだろうね」
女将の視線がマリアの隣……彼女と手を繋ぐホープに向かう。
二人は不思議そうに首を傾げていたが、ロキと女将は話が通じているらしい。
「色々とありがとな。また機会があったらよろしく」
「あ、ありがとうございました!」
「うう!」
「はいよ。こちらこそありがとさん。どうか良い一日を」
女将に見送られ、宿屋を後にする。
保存食なんかも既にロキが午前中の内に買ってきてくれているので、後は移動手段を確保したら街を出ることになるらしい。三人は街の出口門に向かって歩いて行く。
最初はマリアだけがホープと手を繋いでいたのだが……お出かけでご機嫌になったホープがはしゃぎ始めたので、途中からロキも反対の手を繋ぐようになった。
「う!」
幼い子供の無邪気な笑顔ほど、心が温かくなるものはない。無意識の内に、マリアもロキも頬が緩む。
そんな三人の姿は……側から見れば、完全に家族そのものだった。仲の良い、家族そのもの。
この意図しない行動が後に、マリアを救うことになるのだが、生憎と今はそんなこと知る由もない。
そのまま歩くこと数十分。出口門に最も近い位置にある貸馬屋に辿り着いた。
ロキが厳つい店主とやり取りをして、客室──つまり、馬車の後ろの部分だけを借りる。
「ところで……馬は借りなくていいのかい?」
「自前のがいっから。大丈夫だ」
「「??」」
マリアと店主が首を傾げる中、ロキは自身の影に声をかける。
「出て来い、スレイプニル」
その声に応じて、影が膨張した。黒い炎を纏いながら、それは姿を現す。
恐ろしい顔立ちに、漆黒の巨躯。子供の腕よりも太い八本の脚。赤い馬鎧を纏ったその姿は……平和な日常を送っていたらまず、遭遇することがないだろう……戦馬。
「「っ………!!」」
戦馬が放つ威圧感に気圧されるマリアと店主。
………………が。
『お呼びっすか! 兄貴!』
…………かなり緊張感が張り詰めていた空気は……。
その馬の舎弟っぷり全開の口調で一気に霧散するのだった……。
「…………。ロ、ロキ……この馬(?)は一体……?」
困惑を隠せないマリアが、恐る恐る問う。
するとロキは心底面倒くさそうに、溜息を溢す。
「馬の魔物だ」
『いやんっ! 間違ってないですけど、自己紹介が雑過ぎません!? せめて名前ぐらい! スレイって名前ぐらいお伝えしてくだせぇよ!』
「…………」
ロキが疲れた顔になる。この数回のやり取りで、一気に疲れてしまったらしい。
しかし、そんな大人組の反応に対して……幼子だけは反応が違った。
「うっま!!」
──キラキラキラ〜。
そんな効果音が似合いそうなぐらいに目をキラキラさせるホープは、馬を見上げて頬を赤くしている。
どうやら見た目の恐ろしさよりも、興奮の方が勝つらしい。そんなホープの反応が嬉しかったのだろう。馬……スレイはその見た目の厳つさに反して、クネクネと身体を捩らせた。
『えへへ〜! こんなキラキラした目で見られんの初めてっす〜! 嬉しい〜!』
「馬、馬車引け」
『えー!? オイラ、馬車引く馬じゃねぇんですけど!?』
「…………そうか。馬刺しになりたいか」
『うっす、失礼しやした! 喜んで引かせていただきまっす!』
ロキの真顔の脅しが効いたらしく、スレイは直ぐに移動し、魔法で生み出した鎖で自分と客室を繋いでいく。
そこでやっと我に返ったらしい店主が、驚いたような顔でロキに詰め寄った。
「お、おい! あんた……! コイツ、本当にスレイプニルか!? あの伝説の!?」
「伝説かどうかは知らないが、自称スレイプニルだが?」
「……すっげぇ……生きてこの目で伝説の馬の一つを見れるとは……」
どうやらこのスレイプニル……馬業界では有名であるらしい。
ぶっちゃけ、マリアは何が凄いのか分からないが。ホープが気に入っているようなので良しとする。
『お待たせしやした、兄貴!』
「よし。マリィ、ホープ。乗りな」
「あ、はい」
「ぱぱ! まま! うま! うま!」
「…………ん? ホープ、馬に乗りたいのか?」
「うま!」
頬を真っ赤にさせながら、おねだりしてくる甥っ子にロキは困った顔になる。
はっきり言ってスレイはかなり大きい。マリアが見上げるぐらいに大きい。つまり、ホープが騎乗するのはかなり危険である。それぐらい、マリアでも分かる。
「ホープ……危ないから止めておきましょう? 貴方が怪我をしたら、悲しいです」
「やぁ! うま!」
「…………ホープ」
「はぁ……仕方ないか」
ロキが小さく溜息を溢す。それからスレイの前に立ち……絶対零度に近い表情になりながら、命じる。
「スレイ」
『……ハッ!』
「勿論俺も共に乗るが……お前の背に、俺の甥っ子を乗せる」
『ハイ!』
「落とした瞬間──お前は問答無用で馬刺しだ。…………できるな?」
『お任せください、絶対に落としません!!』
キリッとした顔で答えたスレイに、ロキは「ならば良し」と頷く。
乗れることを察したらしいホープは大興奮であるが……反してマリアは、ロキの親バカっぷりに呆れ顔になる。
だが、こんなにも喜んでいるところに水を差すのも憚られる。仕方ないと彼女は肩を竦め、それでも注意ぐらいはしておくことにした。
「ホープもですけど、ロキも落ちないように気をつけてくださいね。その馬、とっても大きいんですから」
「…………えっ」
「? なんで驚くんですか?」
「あ……いや。誰かに心配されるとか、滅多にないから……」
あの盗賊達を捕まえた時に、彼はかなりの実力を有していることを察していた。だから、心配されるなんて滅多になかったのだろう。強いからこそ心配なんで必要ないと、そう思われてきたのだろう。だが、強くても怪我する時はするのだし。
それに──……。
「……これから共に暮らすんですから。貴方のことも心配して当然でしょう?」
共に暮らすことになる人が傷つくのは……嫌に決まっている。
だから怪我をするなと、マリアは念を押す。
「……あー……うん。りょーかい、気をつける」
「そうしてください」
照れくさそうにしながら了承したロキに、マリアは満足げに笑った。
そんな二人のやり取りにスレイと店主が、若干生温かい目を向けていた。
…………その視線に先に気づいたロキが、慌てた様子で声を張り上げる。
「よ、よし! そろそろ行くか! 店主、客室は王都の貸馬屋に返すからな!」
「おう。よろしくな〜。どうぞお幸せに〜」
「……! マリィ、ほら乗れ!」
「……? なんで急に急いで──」
「ほらほら、いいから!」
マリアは彼に、押し込まれるように背中を押され、客室に入らせられる。
ホープはスレイの背中に乗せられていた鞍の前側に。ロキ自身は甥っ子の後ろに跨り、落ちないようにその小さな身体に右手を回し……反対の手で手綱を取る。
「はい、出発! 元気良く行くぞ!」
「きゃー!!」
「気をつけてな〜」
店主の生温〜い声に見送られ……マリア達はこの街から出て行く。
…………同じようにマリア達の旅立ちを見送った〝誰か〟も……安堵するかのにホッと小さく息を溢すのだった。




