よーん
なお、ご想像の通り……
エピソードタイトルは考えるのが大変なので、数字である。
彼……ロキは、疲れ切っていた。
ボサボサになった暗灰色の髪に、濃い隈が浮かんだ花浅葱色の瞳。顔立ちは凛々しいのだが……滲み出る疲労感がその美貌を台無しにしている。
だが、自分よりも遥かに。自分の甥っ子──ホープの方が辛い思いをしている。
ホープは兄夫婦の子供だ。ついこの間、三歳になったばかりである。
しかし、彼が誕生日を迎える前に……彼の両親は頭のおかしい連中に殺されてしまった。ホープを守って、死んでしまった。
ロキがそれを知ったのは全てが手遅れになった後で。…………ロキの方にも事情があったとはいえ、兄夫婦の元に滅多に顔を出さなかったことを、あの時ほど後悔したことはない。
だが、後悔し続ける暇なんてなかった。兄夫婦が死んだと聞きつけて甥っ子の元に駆けつけた時……ホープがロキを見て泣いたから。縋りついて泣き声をあげたから。ロキは兄達の代わりに彼を育てて、守ることを決意した。
とはいえ、大変なものは大変だ。目の前で両親を殺されてしまった甥っ子は精神的にも魔力的にも不安定な状態に陥ってしまっており……いつだって目を離せない状況だった。
慣れない子育ては思った以上に疲れるもので。ほんの少し。ほんの少しだけ、居眠りをしただけだった。
けれどそれこそが、致命的な失敗。
「びぃぇぇぇぇぇぇんっ!!」
「…………っ!? ホープッ!」
唯ならぬ甥っ子の泣き声に、慌てて目を覚ましたが。その時にはもう、腕の中にいるホープの姿が消え去っていた。
「畜生っ!!」
ロキは顔面蒼白になりながら、身支度も整えぬまま屋敷を飛び出す。
(最悪だ! 最悪だっ! まさか最も最悪な魔力暴走が起こるなんてっ……!)
魔力量の多い子供が起こしやすい魔力暴走──。
それには様々な種類があるが……最も最悪と言われるのが、魔力暴走による〝転移〟。
転移する先の安全が保証できない……つまり、どこに飛んでしまうかが本人にも分からないからこそ、一番最悪だと言われている。
しかし、ロキは使うことがなければいいと思いながら、万が一のことを考えてホープに追跡魔法をかけた腕輪をつけていた。
彼は慌てて、幼い甥の居場所を探る。
そして、驚愕した。何故なら……転移した先はここから馬車で一週間も離れた場所であったからだ。
(クソッ……! めちゃくちゃ遠いじゃねぇかっ……! いや、文句を言ってる暇はねぇ……! 何がなんでも、ホープを見つけ出すっ……!)
ロキはそう心の中で決意をするや否や、魔法で身体能力を強化する。そして、得意の闇魔法を駆使して影の中を一瞬で移動し、影がない場所ではなんとか使える風魔法での強化をかけて、どんどんどんどん距離を稼いでいく。
向かう先は南部、隣国エキセアとの国境付近。
まるで〝誰か〟に導かれるかのように……その出会いの時は、迫りきていた。
◇◇◇◇
マリアは動揺していた。
幼子だ。どっからどう見ても、小さな男の子である。
「な、なんでこんなところに……こんな小さな子が……」
マリアの疑問ももっともだった。
こんな人気のない森に幼子が一人でいるなんて、違和感しかない。それも、親元から絶対に離しちゃいけないぐらいの年齢……三歳になるかならないぐらいか、だ。どう考えても、只事ではない。
彼は紅い瞳をまぁるくしてマリアを見つめ……こてんっと首を傾げながら、再びその言葉を口にした。
「まぁま……?」
「…………」
マリアの頬が再度引き攣りかけたが、なんとか堪える。
小さいために間違ってしまったのだろうが……自分なんかが母親と呼ばれるのは、本当のお母さんに申し訳がない。ゆえに、怖がらせないために目線を合わせるようしゃがみ込んで、なるべく柔らかな声でそれを否定する。
「えっと……私は貴方のママじゃないよ」
「…………ぴぇ?」
「ママじゃ、ないの」
「…………」
暫くきょとんとしていた幼子だったが……否定されていることに気づいたのだろう。顔が徐々に歪み、その瞳も涙で潤み始める。
「う」
……嫌な、予感が、した。
それはその直後に、的中する。
「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ! まま、まま、ままぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
(ひぇぇぇぇぇぇっ……!!)
マリアは慌てた。それはもう今までで一番慌てた。
なんせマリアはこんなに小さな子に触れ合ったことがない。こんなに号泣されるのも初めてだ。幼児の号泣がこんなにも精神的にキツいなんて、初めて知った。
だから、ついつい手の平を返してしまった。マリアは泣き止むようにと祈りながら、大きな声を張り上げる。
「ママです!!!」
「…………ぴ?」
「私は貴方のママです!!」
「………………」
──シンッ……。
森に、二人の間に、沈黙が流れる。緊張した面持ちでマリアが幼子を見つめると……彼は目をぱちくりとさせてから、花が咲き誇るような満面の笑みを浮かべた。
「まま!!」
──むぎゅっ……!
幼子が抱きついてくる。心の底から嬉しそうに笑いながら、マリアに抱きつく。
(…………うん。泣いてる子供には勝てませんでした……)
マリアは苦笑しながら、彼の背を優しくポンポンと叩く。
幼子は泣き止んでくれたが……状況が変わった訳じゃない。ある意味迷子が増えたようなモンである。
マリア一人だったらなんとかなったかもしれないが……この子の命もかかってくるとなれば、何がなんでも生きて、この子を親元に帰してやらなきゃいけないだろう。
…………まぁ、案外この世界は残酷なので。自分のようにこの子が実の親に捨てられた可能性も捨て切れやしないのだが。
何はともあれ……こんな小さい子の未来を、こんなところで終わらせてはならない。それだけは間違いない。
(…………この子のためにも……絶対に、この森から生きて脱出しなくては)
マリアはそう心の中で決意して、幼子を強く抱き締める。
しかし……一難去ればまた一難。先程までの幼子の泣き声が引き金となったのか……マリア達の前に、見るからに怪しい一行が姿を現した。
「…………なーんか餓鬼の泣き声が聞こえんなぁと思ったら。まさかまさかのお宝発見とは……随分と運が良いこった」
「オレら、なんか良いことでもしたのかもしれねぇなぁ!」
「ガハハハッ! 違いねぇや!」
ガサガサと茂みを掻き分けて現れたのは……小汚い格好をした男が五人。
下卑た笑みを浮かべる彼らはマリアを見て更に口角を持ち上げて……その腕の中にいる黒髪の幼子を見ては信じられないモノを見たと言わんばかりに、慌てた様子で声を荒げさせた。
「おい……おいおいおい! 見ろよ、あの餓鬼! 《魔王の卵》だぞ!」
「!? な、なっ……マジかよ! 早く殺さなくちゃいけねぇ!」
「!?」
簡単に子供を殺すなんて言い出した男達にマリアはギョッとして、彼を守るように抱き締める。
だが、リーダー格らしい男が他の男達を抑え込むように声を張る。
「まぁ、待て待て。《魔王の卵》は殺すべきって考えも分かるちゃあ分かるが……あのガキは魔王教団に売っぱらった方がオレらにとっちゃあ得だぞ? なんせ殺しゃそこまでだが、売れば金になっからな」
「…………い、言われてみれば確かに」
「きっと気前よく払ってくれるだろうよ。なんせ教団のだぁいじな御神体様だ。いっそ吹っかけて、高ぁく買い取ってもらおうぜ」
「「おぉ!」」
「んで……あの女は当然、娼館な。鶏ガラみてぇに細いのと、白髪てのはちとババァらしいが……女は女だ。遊べるぐらいの金にはなんだろ」
「勿論味見は許されんだろ!?」
「あぁ? あんなの味見したいのか……? まぁ、構わねぇよぉ。ただ、傷だけはつけないような」
「「「「おぉぉぉ……!」」」」
ニタニタと、気色の悪い笑みを浮かべながらジリジリと近づいてくる男達。
逃げなくてはいけないと思いながらも。マリアは恐怖から、動くことができなかった。
(怖い怖い、怖い……! 逃げなくては、いけないのに……! 足が! 動かない!)
「ま、ままぁ……! ままぁ……!」
幼子も彼らには強い恐怖を感じているのだろう。ぶるぶると震えて、縋るような目をマリアに向けてくる。
そんな幼子の姿に、マリアは息を呑む。
《魔王の卵》とか娼館とか、マリアには分からない言葉ばかりだったけれど。彼らの欲に滲んだ笑みから碌でもないことになるのは間違いないだろう。
だとしても、そんな目に遭うのは自分だけでいい。どうせ今までも碌でもない人生だったのだから、何も変わらない。
けれど、この子は違う。幼いこの子には、明るい未来が待っている。
だから……例え、自分がどうなろうとも。この子だけは、守り切ってみせ──……。
(…………ぁ……あっ! そ、そうです!)
マリアはそれに閃いた瞬間──一気に魔力を高めて、自分達の周りに結界を展開した。
何故、今まで忘れていたのだろうか……? マリアは今まで聖女として、王国全土を覆うほどの結界魔法をずっと行使してきた。つまり、結界魔法に関してはかなりの熟練者であり、こうやって自分達を結界で守ってしまえばこの男達は絶対に手出しできない。
「な、なんだこりゃあ!?」
「結界か!?」
しかし、これはある意味、諸刃の剣だった。
結界のおかげでマリア達は傷一つつけられやしないだろうが……男達に囲まれているのは変わらないので、逃げることは結局できない。
「……ははっ! 結界か! なんだ? オレらが諦めんのが先か、お前の魔力が切れるのが先か、根比べでも始めよってんのかい? 随分と無意味なことすんなぁ? 結局、逃げられんのには変わらないのによぉ!」
ゲラゲラと笑うリーダー格の男が言う通り。結界なんて張ったところで、男達に囲まれているのは変わらないのだから逃げようがない。
しかし、十年。十年だ。マリアはこれよりも遥かに大規模な結界を維持し続けてきた実績がある。魔力切れなんて絶対に起こしやしないが、ここから動けない以上、いつかは物理的に命の危機が迫るのは疑いようがなかった。
……餓死、という名の危機が。
(…………この人達に傷つけられる心配がなくなったとはいえ、状況が変わった訳じゃない……。これから、どうすれば……どうやって、この人達から逃げれば……)
「…………う?」
その時──腕の中にいる幼子が、視線を空に向けた。
それから徐々に目をキラキラとさせ始め……嬉しそうな声で、その名を呼ぶ。
「ぱぱ!」
「…………え?」
「………………プ……! …………ホープッ!」
「…………えっ!?」
──ガサガサガサッ!! ドンッ!!
「ぐぇっ!?!?」
「「「「「!?!?」」」」
頭上から、人が降ってきた。何もない空から、唐突に、だ。
降ってきた人は……男達の一人を下敷きにして、一瞬で再起不能に陥らせる。…………が、当然それを本人が気にするはずもなく。
彼はギョッとする男達を普通に無視して、マリアの頭の中にいる幼子に声をかけた。
「ホープッ! 無事か!?」
「ぱぱぁ!」
唐突な乱入者──暗灰色の髪の青年は、元気そうな幼子の様子にホッと息を溢す。
…………しかし、今がよろしくない状況だと直ぐに察したのだろう。彼は鋭い視線を左右の男達に向ける。
「…………んで? 見た感じよろしくない状況な気がするんだが。お前ら、何しようとしてんの?」
「「「「…………」」」」
「まさかウチの子に手ぇ出そうとしてる訳じゃねぇよなぁ……?」
「っ……!」
青年の問いかけが、かなり迫力的だったからだろうか……?
リーダー格の男が顔面蒼白になりながら、他の仲間達に指示を出す。
「お前ら、やれ! 相手は丸腰だっ!」
「「「お、おぅ!」」」
男の部下三人が、腰に下げていた剣──刃が潰れてしまっているので、鈍器同然だった──を抜いて、青年に叩きつけようとした。
しかし、彼はそれを鼻で嗤う。
「……力量も見極められない雑魚か」
「「「「!?!?」」」」
──グルンッ!!
男達の足元から伸びた影が、男達の身体にグルグルと巻きついて拘束する。ビタンビタンッと陸に打ち上げられた魚のようになった彼らはさっきまでの恐ろしさが嘘のように、間抜けだ。
マリアはぽかんっ……とその光景を見つめた。腕の中にいる幼子だけがただ楽しげに、キャッキャと明るい笑い声をあげている。
「さて……色々と聞きたいことも話したいこともあるが」
青年がこちらを振り向いた。
花浅葱色の瞳の下には隈がはっきりと刻まれている。滲む疲労感が半端ではない。
ぶっちゃけ、かなりヤバそうな顔色だ。大丈夫だろうかと、マリアは心配を隠せない。
しかし、そんな彼女の不安に気づかずに。彼はマリアの腕の中でご機嫌な様子の幼児を見て……本当に申し訳なさそうな顔をしながら。
「……どうやらアンタはウチの甥っ子の恩人であるのは間違いないらしい。取り敢えず……近くの街まで一緒にどうだ?」
マリアにとっては、まさに渡りに船な提案をしてくれたのだった。




