さーん
(あぁ……あぁ……。なんて、愚かなんだ。兄上)
王太子による聖女の断罪劇が繰り広げられている大広間。
観客と化した周りの人々の波に紛れ込んだ濃紫色の髪に橙色の瞳を持つ美青年──第二王子アレックス・スート・エキセアは……嘲るような視線を兄である王太子に向ける。
(ははっ……馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれど、まさかここまでだったとは。こんなにも容易く騙されるだなんて……このまま国王になって、兄上は大丈夫なのでしょうかね?)
今──王太子ネイトは正義は自分にあると疑わずに聖女マリアを断罪しているのだろう。
しかし、アレックスは知っている。それらは全て冤罪であると。
例え、神殿側が巧妙に隠していようとも。王族ほどの立場である彼らが調べれば、直ぐに真実は分かるはずだった。
そう……神殿への寄付金を着服しているのは聖女ではなく、神官達であることも。神殿外で会う聖女が偽物であることも。自由な時間を持ち得ない聖女が、公爵令嬢を暗殺しようなんてできるはずがないことも。全部、全部きちんと調べれば分かるはずだった。
だが、王太子は容易く騙された。アレックスが仕掛けた罠に嵌まって、全てが聖女マリアが犯した罪だと思い込んでくれた。
そして、アレックスの言葉に唆されて。こうも容易く、聖女を断罪してくれた。
この断罪劇こそが……アレックスの狙いであったのだと、気づかずに。
(あぁ……あぁ……。可哀想な聖女様。十年ぶりに外の世界に出れたかと思えば、身に覚えのない罪を背負わさらてこんな辱めを受けるなんて。なんて哀れなのだろうか?)
本物の聖女であるマリアは、神殿の外に出ることが許されていない。聖女の振りをして外に出ているのは偽物だ。このパーティーにもその偽物が参加するはずだった。
しかし、そこはアレックスが細工をした。子飼いの者を神殿に忍び込ませて、偽聖女は気持ちよく寝てもらい……神官のフリをした子飼いに、本物の聖女を無理やり連れ出してもらったのだ。
(本当は真綿で包むように大切にお招きしたかったのだが……神官達の手が届かないこのパーティー、このタイミングしか好機はなかったのだから、仕方ない)
このパーティーは学園関係者及び、卒業生の親族と婚約者しか参加できない。
ゆえにいつも聖女に張り付いている見張り役──逃亡を防ぐためなのだろう──の神官達による干渉を防ぐことができる。
(聖女様にはこのまま王都から追放されてもらう)
そして、このまま完全に。神官どもの手が届かぬように王都から追放されてもらう。
追放先はエキセア王国の辺境だ。王太子ネイトはヘレナ・アデュール公爵令嬢に幼馴染以上の感情を抱いているため、彼女を害そうとした犯人を本人からできる限り距離を置かせた方がいいと言えば簡単に、目的の地を追放先に選んでくれた。
辺境の地に向かうには、ある領地を必ず通ることになる。アレックスの母親──第二王妃の実家領地である。
そこには既に、アレックスの配下を待機させている。彼らには邪魔するものは容赦なく排除し、恙無く聖女マリアを迎え入れるように命じてある。
きっと彼女は辺境の地に辿り着く前に行方不明──逃亡したということになるだろう。逃げ出したと知れ渡れば、更に人々に嫌悪されるようになるだろう。
だが、それでも問題ない。聖女はこれから先──……。
アレックスの手中で穏やかな日々を、送ってもらうのだから。
(だから、安心してくださいね、聖女様。この国の誰もが貴女を嫌おうとも……わたしだけは、貴女を大切にしてあげますから)
断罪を終えて、騎士達に連れ出される聖女マリアの後ろ姿を……アレックスは熱い視線で見つめる。
これからの生活に胸を高鳴らせながら、彼女が手の中に落ちてくるその日を心待ちにした。
しかし……そんなアレックスにも誤算が一つ。
まさか……まさか。思いもしなかったのだ。
王太子が聖女断罪に使ったあの騎士達が。思っているよりも遥かに王太子と公爵令嬢の仲を応援していただなんて。二人の秘めたる想いをずっとずっと見てきたからこそ、想像よりも強く情を移していただなんて。
思いもしなかった。考えもしなかった。
それが分かっていたなら。王太子が行った断罪であるという体面を保つためであろうがなんだろうが、王太子の配下ではなく自身の息がかかった騎士を使ったのに。
後から悔やむから後悔という。
後のアレックスは強くそれを、痛感することになるのだった……。
◇◇◇◇
森だった。疑いようもないぐらいに森だった。
「…………」
マリアは頬を引き攣らせて、辺りを見渡す。とはいえ、いくら見ようが現実は変わらない。森だ。
「…………まさかの……森……」
……まぁ、考えてみれば。追放の地としては、森は案外相応しい場所なのかもしれない。
なんだかんだでマリアは箱入りだ。そもそもマリアじゃなくっても、普通の女性は野営なんてしたことがないだろうし。こういった状況に対する知識や技術も持ち合わせていないものだろう。
そんな無力な女性を森に放置すれば、ほぼ間違いなく、死ぬ。食べ物を確保できなくて餓死するか、あるいは獣に襲われて死ぬことになる可能性が極めて、高い。
(…………いいえ……いいえ! 例え、この状況がかなり危機的であっても! 諦めてたまるものですか! 折角、あの神殿から解放されたのですから! 絶対、生き残ってみせます!)
だからといって、諦めるつもりはない。
やっと……やっと。あの獄中のような暮らしから解放されたのだ。折角、自由になったのだから。ここで諦めて終わりなんて、受け入れたくない。
(とにかく……ずっとここにいても意味はないですし……。行動を起こさないと)
マリアは意を決して馬車から降りて、慎重に辺りを見渡しながら歩き出した。
生憎と森の歩き方なんて知りはしないので当てずっぽうでだが、ずっとあの馬車の中で動かないままでいるよりは遥かにマシだ。行動しないで後悔するよりも、行動して後悔する方が確実に後腐れがない。
(にしても、この森ってどこにある森なんでしょう……? 葉っぱがトゲトゲしてます)
エキセア王国は王都を中心に南北に伸びた、若干歪な補佐ないカタチをしている。そのため、南と北ではかなり生活形式、生態環境に差があり……南部出身のマリアが、北部の樹木の形態を知らないのはあり得る話であった。
つまりここは……北部にある〝とある森〟。隣国との国境を跨いで存在する、基本的に立ち入りが禁じられた──不干渉地帯の森であった。
……まぁ当然、マリアはそんなこと一切分からなかったのだが。
(…………太陽は……丁度真上ぐらい。暗くなる前に完全な場所に辿り着けるといいのですが……)
とはいえ、安全な場所があるかなんて分からない。それ以前にどれぐらいの広さなのかも分からない以上、それがかなり非現実的であることは察していた。
それでもマリアは歩き続ける。歩いて歩いて、歩き続ける。
…………どれほどの時間を歩いただろうか? 若干足の痛みを覚え始めた頃、マリアの耳に何かの〝なき声〟を拾い上げた。
「…………?」
マリアはふと、足を止めて耳を澄ませる。何故だか、この声を無視してはいけない気がしたからだ。
「どこから……?」
マリアは目を閉じて、その声に集中する。視界からの情報がなくなった分、より意識して聞き取れる気がした。
彼女は多分こっちだろうと思う方に足を向ける。すると、徐々にその声がはっきりとし始めた。
それは〝泣き声〟だった。
「…………びぃぇぇ…………」
幼い子供の、泣き声だった。
「!!」
それに気づいた瞬間──マリアは走り出す。まさかと思いながら、その声の元に急いで向かう。
痛む足に鞭を打って。走って走って、走り抜けて。マリアはほんの少しだけ開けた空間に辿り着く。
「びぃぇぇぇぇ! びぃぇぇぇぇえ!」
「…………ぁ」
声がするのは周りの木よりも少しだけ太めの木の根元。
ゆっくりと近づいたマリアは……その根元にいた小さな影に近づいていく。
「びぃぇぇぇぇぇぇぇえ…………えぅ??」
その子は、マリアに気づいて少しだけ泣き止んだ。
柔らかそうな黒い髪。泣いていた所為か丸い顔は真っ赤。白兎のような紅い瞳が……真っ直ぐに彼女を見上げる。
そう……そこにいたのは……こんな場所にいるはずがない、小さな小さな、男の子。
「……………………まぁま?」
その子に〝ママ〟と呼ばれたマリアは……ただでさえ危機的な状況が更に絶望的な状況になったことを察して……思わず絶句したまま、立ち尽くすのであった。




