じゅーご
昔々、ある王国に……一人の愚かな王子がいた。
王子は将来、国王になることが決まっていた。
だが、その王子はとても賢い反面、酷く好奇心旺盛で。いつもいつも王になるために必要な授業から逃げ出しては、遊び呆けていた。
そんな当時の彼が特に興味を抱いていたのは……立ち入りが禁止された城の奥深くにある、部屋。王族ですら入ることが許されるその場所が、王子は気になって気になって仕方がなかった。
だってそうだろう? 人間というのしてはいけないことほど、余計にやりたくなってしまうものなのだから。
だから彼は人目を盗んで、その部屋に忍び込んだ。
下手に王子に実力があったのもよくなかったのだろう。何重にも張られた結界は、王子の前には意味をなさない。
そして……彼は見つけた。見つけてしまったのだ。
──誰も入れぬその部屋の奥隅で縮こまる……とても小さな、少年を。
『だれ……?』
誰も手入れをしてくれていないのだろう。伸び放題の黒髪は床をするくらい長かった。
前髪の隙間からギョロリとした真紅の目が、こちらを見つめていた。こけた頬、骨同然の手足、ボロボロの服……明らかに、この王城にいるにはおかしい子供だった。
だが、聡い王子はなんとなく、この子の正体に気づいてしまった。いや……確かにボロボロの見た目であっても、その子には紛うことない父王の面影があったのだから、嫌でも気づいてしまったとも言う。
『まさか……』
五年前──。
父王が母の、王妃の侍女に戯れで手をつけた。その女性は運良くなのか、悪くなのか……王の子を孕った。王の血を引く子が産まれる以上、その女性は侍女のままではいさせられない。ゆえに彼女は側妃として召し上げられたのだが……。
ついに出産を迎えたその日に──……側妃と腹の子は、産後の肥立ちが悪かったのと未熟児であったために双方亡くなってしまったのだと、王子は聞かされていた。
だが、ここにいる……父王の面影がある、《魔王の卵》。考えられるのは……あの側妃の子が、この子であることだった。
そして実際に、その予想は当たっていた。
あの部屋から戻った王子は父王に詰め寄った。
あの小さな子は、あの《魔王の卵》は誰だと。
父王は面倒そうな様子を隠さずに打ち明ける。
『アレは側妃だった女の子だ。《魔王の卵》であったため殺そうとしたが……あの女が自分の命を持って助命を求めたからな。最後の慈悲としてあの化物を生かしてやっておるのだ』
『生かしてやっている……!? 化物……!?』
『そうだ。現にアレには一切の食事を与えておらぬのに生きている。これを化物と言わずしてなんと言う?』
『……!?』
王子は王族らしい傲慢なところがあったが、決して悪い人間ではなかった。
だから純粋に、父王の所業に憤った。
確かに《魔王の卵》は《魔王》に成り得る可能性を持つ恐ろしい存在だ。
だが、あの子が。あんな小さな子自身が、悪い訳ではないじゃないか。あの子が《魔王》自身である訳ではないじゃないか。
《魔王の卵》でも……あの子は、半分血を分けた自分の弟なのだ。
だから、だから──……こんなことは間違っている!
……それから王子は、時間を見つけたら弟のところに通うようになった。
父王に弟の暮らす環境を改善するように求めたって、何を言ったって無意味だと分かっていた。
それに、弟があの部屋から出る危険性も理解していた。それほどまでに、《魔王の卵》に対する嫌悪、憎悪、差別は根強い。
だから、王子から弟に会いに行くしかなかった。
父王はあの子のことなどどうでもよかったのか……特に横槍を入れてくることもなかった。それを許されたのだと解釈して、王子は何度も何度も弟に会いに行った。
…………それが間違いだったと知るのは、ずっと後のことだったのだけれど。
その時の王子は、自分の行動が正しいのだと……そう、思っていた。
まず、弟を魔法で綺麗にしてやった。何かあった時に使えたら便利だからと言われて、渋々覚えた清潔魔法であったが……改めて、この魔法の実用性を王子は実感していた。
次に食事を与えた。とは言っても、汁物は流石に難しかったので……最初はパンを。その内、具を挟んだサンドウィッチを持参するようになった。普通なら、長らく食事を摂っていなかった人に固形物を与えるのは胃への負担が大きいのでいけなかったらしいのだが……あの子は他の人間と比べて頑丈であったから、運良く問題がなかっただけで。後からそれを知った王子は自分の無知さに後悔をした。
更に、弟に勉強を教えた。弟はスポンジのようにどんどん知識を吸収していって、教えた当日には既に文字を覚えて。一週間の内には小説ぐらいであれば普通に読めるようになっていた。知らないことを知るのは楽しかったのだろう。弟にどんどん知識を求めるものだから、教えるために王子も死に物狂いで勉強をすることになった。それほどまでに、弟は勉強を受けたことがなかったとは思えないほどに優秀であったのだ。
だが、王子は焦ったり、嫉妬したりすることはなかった。この子がこんなにも優秀であったのならば、将来自分を支えてくれる良き臣下になってくれるだろうと期待していたのだ。
…………それは、恵まれていた人間の傲慢でしか、なかったのだが。生憎とその時の王子は気づくはずもない。
そして……最後に王子は。自身の婚約者を、弟に会わせた。婚約者はとても心優しい女性だった。だから、弟の境遇に心を痛めて、王子と共に弟に寄り添ってくれた。
だが、王子の婚約者は……弟が初めて出会った〝女性〟だった。それに彼女自身、弟が家族の温もりを知らないということを憐れんで、自ら母として振る舞ってしまったのも失敗だったのだろう。弟は徐々に徐々に、本人にも自覚がないまま、彼女に歪んだ情を向けるようになっていく……。
王子とその婚約者は憐れみというフィルターがかかっていた所為で、見逃してしまったのだ。普通の生活を知らないからと、どこか彼のことを見下していたところもあったのかもしれない。だから、普通なら気づくはずの弟の気持ちに、歪みに、気づかなかった。
そんな薄氷の上を歩くような生活は……ある日唐突に、崩壊した。
いや、王子と婚約者が壊した。
何故なら二人は婚約者同士。ついに二人が結婚する日が近づいていたのだ。
『****。わたしと彼女は結婚するんだ』
『…………結婚……?』
『えぇ。だからね? 貴方にもわたくし達の式に参列して欲しいのよ。殿下の弟王子として。そうすれば貴方も表舞台に──……』
『い、や……だ……』
『『…………え?』』
『嫌だいやだ、イヤだ嫌だ!』
──豪ッッ!!
真っ黒な炎が、弟王子から湧き上がった。
王子は慌てて婚約者を抱き抱え、防御魔法を発動させる。
だが、弟の黒炎は……益々、燃え盛っていく。
『…………お前に……お前に! お前に渡すものか、イーリスは……母様は……母様は! ぼくの、ぼくのモノだっ……!!』
憎悪に満ちた真紅の瞳が、王子を貫く。
困惑が、動揺が、王子と婚約者の胸に満ち溢れる。
『ぼくから母様を、奪うお前なんか!! 死んでしまえ!!』
『ヒッ……!!』
『させませぬぞ』
淡々とした声が響いた。と思った次の瞬間には──閃光が、走る。
──ドンッッ!!
『…………あ、ぇ……?』
弟の胸に、銀色の槍が突き刺さっていた。パチパチと、槍は帯電している。つまり……雷槍。
その魔法を得意とする者を、王子はよく、知っている。
『先、生……』
『《魔王の卵》なんかに慈悲を与えるから、こうなるのですよ。王子』
横を通り過ぎるのはローブを纏った老人。けれど彼はこの国随一の魔法の使い手であり、王子の魔法の教師である人。
『良い機会です。《魔王の卵》の殺し方を、お教えしておきましょう』
…………そこから先はあまり、語りたくもない。
ただ、胸を貫かれた程度では死なないからこそ、黒髪紅目の者達は《魔王の卵》と呼ばれることを、王子と婚約者はこの時嫌というほど知ることになった。
こうして……王子の弟が死んで。王子は初めて、父王が弟に会いに行くことを黙認していた〝理由〟を知った。
要は、弟を処分する機会を狙っていたのだ。どうやら死んだ側妃はその命を以て、禁呪魔法──命を代償に発動を可能とする、封じられた魔法──を発動していたらしく……理由なく弟を殺すことができないようにしていたそうなのだ。きっと、側妃は分かっていたのだろう。《魔王の卵》はそうやって処分されてきたから。だから自分の命を使ってでも我が子の命を、弟の命を守ろうとしたのだ。
だが、王子を害そうとしたのなら話は別だ。だって、王子だ。未来のこの国の王だ。王子を害そうとしたのならば、弟を排除する理由として充分だった。
実際にあの瞬間──禁呪魔法は解けて、先生は弟への攻撃が可能になっていた。それこそが、答え。
弟が、本気で王子を殺そうとしていという、こと。
『王子は良かれと思ってやったのかもしれませぬが……余計なことをなさったと思いますよ。なんせ、知らぬままでいた方が幸せなことが、時にはあるのですよ。知らなければ、自覚などせずに済みますから……』
先生の愚か者を見るような目で告げる。王子は悟った。
つまりは全て、自分が悪いのだと。
あの子に外の知識を教えなければ、あの子は自分が置かれている環境が酷いモノなのだと知らずに済んだ。
家族の温もりを知らなければ、その温もりを失うかもしれないという恐怖を知らずに済んだ。
誰かと共にいるということを知らなければ……自分の孤独を知らずに、済んだ。
『わたしの……所為、なのか……』
王子は悔やんだ。後悔した。自分の所為だと、酷く嘆いた。
だが、失意に暮れる彼は……聞いてしまったのだ。父王の、本音を。
『あぁ、あぁ! やっとアレを処分できた! あの女の禁呪があった所為でここまで生かすことになったが……いつか王子に殺意を抱くだろうと、この時を待った甲斐があったわ!』
『悪いお方ですなぁ、陛下は。殺意を抱くように唆していた──の間違いでは? そうすれば〝理由があって〟アレを殺すことができますゆえ』
『……《魔王の卵》は存在するだけで害悪。本来ならば産まれ落ちたその日に死ぬはずだったのだ。ここまで生かしてもらったことを感謝して欲しいぐらいだ』
…………そう……そうだったのだ。
弟がなんなことをしでかしたのは、《魔王の卵》を、危険因子を排除したい父王が、あの子を唆していたからなのだ。
本当に弟を排除したかったのは父王であるのに。あたかも、王子があの子を排除したがっているかのように話して。
王子達は弟の気持ちに気づいていなかったというのに……目敏くその気持ちを機敏に察していたちちおうは。母として慕い、女性としても惹かれていた婚約者のことを利用して……弟を、暴走させたのだ。
その瞬間──王子の胸中に満ちたのは、怒りよりも殺意だった。
何故、何故。自身の血を引く我が子にそんなことができるのか、と。父王に対して殺意を抱いた。
だが、何よりも殺してしまいたかったのは……弟の本心を見抜けなかった自分自身──……。
それからだ。
王子が静かに、密やかに。《魔王の卵》の救済策を考えるようになったのは。
それは一種の贖罪だった。弟を助けることができなかった王子だけれど……弟と同じ《魔王の卵》。彼らの置かれる環境を少しでも良いものにすることが、利用されて、弟を殺す理由とされてしまった王子にできる贖罪だと思ったのだ。
だから、《魔王の卵》の文献を、情報を、死に物狂いで集めた。彼らが少しでも生き残れる道を、方法を、探した。
だが、父王のが王位についている間は、その権力の前にひれ伏すしかないから。父王は《魔王の卵》を生かさぬ人であるからこそ、王子が何を言ったって無駄だと分かっていたから。
時を待った。自分の時代がくるまで。
そして、王になるや否や……彼は行動に移した。《魔王の卵》に対する保護法を打ち出したのだ。
《魔王の卵》について調べている内に、彼はあることに気づいた。どうやら《魔王の卵》は育った環境、愛情深く育てられれと《魔王》にならず。それどころかその魔力量をもって、優秀な魔法使いとなるようだったのだ。
どうやら悪いことばかりに目が向いてしまう所為で、《魔王》にならなかった者達の功績は表沙汰にならなかったのだろう。或いは《魔王の卵》だからという偏見で、ワザとなかったことにされてきたのかもしれない。
そうして……王は《魔王の卵》を差別することを、虐げることを、意味なく殺害することを禁じた。
一部の者は王の施策に同意してくれた。それはそうだろう。
《魔王の卵》だって生きている人なのだ。ただ黒髪紅目を持って産まれてしまったからなんて理由から殺されるだなんて……《魔王》になるかもしれないなんて不確かな可能性だけで殺されるてしまうことに。疑問を抱いている人は少なからずいたのだ。
だが、風習というのはそう簡単に覆せるものではない。《魔王の卵》に対する迫害はそう簡単に失くなるものではなかった。
それに……王の施策を邪魔するように。《魔王》を信仰して、暴動を起こそうとする異常者達が問題を起こすようになった。
そんな最中……あの事件が起きてしまう。
《魔王の卵》を手中に収めようとした教団が起こした、夫婦惨殺事件。
運良く《魔王の卵》は奴らの手に渡らなかったが……いや、違う。あの夫婦が自分達の子を命懸けで守ったおかげで、奴らの手に渡らなかったのだが、その代わりにその夫婦は帰らぬ人となってしまった。
それは、自身の命をもって弟の命を救った側妃を思い返された。
だからだろうか……? どうにも王は、唯一生き残ってしまった幼い子……小さな《魔王の卵》が気がかりで仕方がなかったのだ。
偶然にもその幼子には一人だけ、肉親がいた。王の下で働く、黒騎士だった。
彼は自身も《魔王》モドキ……黒髪に近い髪色を有していた所為で他の人よりも過酷な人生を生きてきて。けれど彼は強い人間であってからこそ成人する否や兄の元を飛び出し……自らを先代の騎士団長に売り込み。その実力を買われて、黒騎士となった青年であった。
だが、モドキの自分が兄夫婦と親しくすると、余計に周りから迫害されてしまうだろうと。ただでさえ《魔王の卵》である息子がいるのだから、余計な心労はかけまいと。
…………後ろ暗い仕事をしている自分が、明るい場所で生活をしている兄夫婦に関わるのは……よくないだろうからと。距離を置いていたのが……裏目に出てしまったのだろう。
もしも兄夫婦の身内に騎士がいると分かっていたら……教団の連中ももう少し、事を起こすことを躊躇ったはずだ。
モドキだからと躊躇わずに。黒騎士だからと躊躇わずに。距離を置かなければよかったと、そう思わずにはいられない。
そう、虚な瞳で座り尽くす甥っ子の前で後悔をする騎士の姿に……王は自分の姿を重ねずにはいられなかった。
だから、だ。王はその騎士に命じた。
〝暫く仕事を休み、その幼い子に付き添ってやれ〟──と。
実際にその幼子は身内たる騎士以外は受け付けなかったのだから、王の命は間違っていなかった。知らない人間が側にいると号泣し、魔力も精神的にも不安定であったのだ。
そういった《魔王の卵》は魔力暴走を起こしやすい。
現に、あの子は魔力暴走を起こして転移してしまっている。
だが……不幸中の幸いと言うべきか?
あの子は転移先で怪我を負うこともなく無事であった。
それどころか……あの子は、一人の女性と共に戻ってきた。魔力の不安定さも、精神的な不安定さも嘘のように落ち着いているという。
そう聞かされれば興味を測らずにはいられないだろう。
だから、王は、王妃は、会ってみたくなったのだ。幼子が、慕うという女性に……。
そして二人は、行動に移したのだった──……。




