53 まどろむ世界にさようなら
「アレク、ブラウ、リリー、ルイーネ、ナナリー、サーシャは俺と戦闘に出る。先発のライラとメルが吹っ飛んだんじゃあ正直俺たちじゃあ歯が立たねえだろうが……死ぬ気で行け。ジェーンはライラとメルの介護。立てるようになったらすぐ戦闘出せ。フラーはありったけ回復薬探して来い。いない奴は探さない」
シスカの指示にわっと泣き声を上げてフラーが顔を覆った。
急襲した魔獣は北の塔に一匹。ヴィントが向かったという。
もう一匹は遺跡の方に。ラーニッシュとトルカが向かったのだと。
アンの姿はない。二匹のうさぎも。
リリーは大きく息を吸って、吐いた。
そのまま翼を広げて広間から最速で飛び出した。
シスカの制止する声やメイドたちの呼び止めたのか行ってと言ったのか声も聞こえた気がする。
……ごめんなさい。
こんなこと、いけないのだろう。
すぐに応援に駆けつけて魔獣と対峙する必要があるのだろう。
それでも、リリーは西棟に向かった。
「あたしたち、きっと親友って言うのよね」
あっ、急にごめんね、気に障ったかしら、とアンは地面の土をがりがりと木の枝でほじくりながら言ったのは夏の終わりの事だった。
あれこれどうでもいい話ばかりしていた、夕暮れは涼しく過ごしやすい。
城の中に入るでもなく中庭で、手持ち無沙汰で、アンとフラーと三人で庭の小石を掘り返しながらとめどなく話していた時にアンがそう言ったのだ。
ううん、とリリーも落ち着かなく土をいじってぼきっと小枝を折った。
「そ、そんな事言われたのはじめて……うれしい」
「えー?あたしも!?」
へへ、やった、と土を掘り返しながらフラーも言った。
気恥ずかしくて、お互いの顔も見れずにひたすら土だけ掘っていた。
ずっと一緒にいようね、と約束した。
その日ずいぶんと大穴を中庭に開けてしまい、ラーニッシュに落とし穴でも作るのかと聞かれた。
目に涙を溜めながら大笑いした日が懐かしく、忘れられない。
約束したから。
瓦礫の山と化した西棟を見てさっと血の気が引く。
もはやどこが西棟の裏だったのか区別がつかない。
北の塔の方向で激しい爆音と雷鳴が聞こえる。
ヴィントが戦っているのだろう。
ピン、と後ろ髪を引かれるような感覚がして振り向く。
この、魔力……
「来てくれないかと思ったヨ」
まるで浮いているかと思わせるような軽やかな足取りで一切瓦礫を崩さずに歩いてくる。
ローブ姿の男。
「キミは、お父さんとお母さんが亡くなった後も、ティースに引き篭もっているかと思っていたヨ」
そう言うとリリーの前に立った。
その腕にはアンが抱かれている。
あちこち怪我をしているが、目立った外傷はなさそうだ。
「……一度、お会いしたわ。惑星ゼノンで」
「カメラ越しにね。よく気がついたネェ」
目を細めて笑う、魔術師の男からアンを受け取った。
そっと、壊れものを扱う様に優しく。
「頑張り屋さんのキミにヒントをあげよう。ユグナーの書を覚えているカナ?」
意外な問いかけに虚をつかれる。
冒険家ユグナーの書。
確か、遺跡の事がかかれていて──……
──こんなもの!ふんっ!
ラーニッシュが宝箱に投げ入れたのだ。
「あの魔獣、本から……?」
「ユグナーの書は全部で三つ。ひとつは遺跡、ひとつは西棟。最後のひとつは北の塔、魔王の封印方法を書いておいたヨ」
「……本当に、魔王の封印が解けそうなの……?」
し、と唇の前に指を立てるクルカン。
「判断は早い方がいいヨ。彼らいつまで持つカナ?」
今この瞬間にもラーニッシュやトルカ、ヴィントが戦っている。
リリーはクルカンの顔をじっと見つめる。
「……アンを、助けてくれてありがとう」
リリーは踵を返す。
振り返らずに、返事も待たずに西棟跡から飛び立った。
「……ボクのせいだって、言わないんだね…………」
ほんの小さな呟きと共にクルカンの姿は消えた。
リリーはアンを抱いて来た道を戻る。
回廊にシスカ達が出てきていた。
「アン!!」
一際大きなフラーの叫び声が聞こえる。
大丈夫だから、というリリーの頭に手が伸びた。
びくっと反射で身を固くする。
「悪かったなあ、アンを置いて行ったら、俺が王様に殴られちまう」
少し困り顔で、いつもよりずっと優しい声で。
リリーはぐっと歯を食いしばったままシスカに頭を撫でられた。
一言でも喋ろうなら大泣きしそうだ。
一生懸命息を整えてなんとか喋る。
「……みんな、作戦変更だよ。北の塔で探し物手伝ってほしいの」
事のあらましを皆に説明すると回復薬の瓶を煽ったライラが言う。
「まだやれるわ……!任せて!ここはあたしたちの家だもん。負けてらんないンいやぁ何あれキモでっかい!」
後半のけ反って慌ててシスカの後ろに隠れた。
「ありゃあ……海馬か!?でけぇ……」
海馬。
海の生物である小さな生き物とは想像がかけ離れている。
とにかく巨大で、北の塔より背が高い。
塔のそばから離れず、魔王が封印されている雲を吸っている。
「ヴィント様……!」
海馬の魔獣より遥かに小さく、素早く飛び回る姿がある。
雷撃と共に轟音が上がるも、魔獣に効いている気配はない。
魔獣の動きは遅く、ゆっくりと体を捩った。
「うわっ……!」
ほんの少し動いただけで凄まじい衝撃波が生まれる。
守りが固いはずの北の塔を削り、風圧が離れた所にいるリリーたちの所まで届く。
「ヴィント様……!」
リリーはもう一度祈るように声を振り絞る。
衝撃波を避けるように旋回してヴィントの姿は見えなくなった。
あれでは消耗一方で勝負にならないだろう。
「リリー行こう」
フラーの言葉に冷静を取り戻す。
メイド達の意志の強い瞳の奥には焦りが見える。
ラーニッシュやトルカも戦っているのだ。
皆気掛かりだろう。
北の塔の中に入ると、魔法の得意なサーシャとライラが塔の内部に結界を貼る。
おそらくこれですぐに塔が吹き飛ぶということはないだろうが時間の問題だ。
未だ意識の戻らないメルとアンをアレクとブラウが上着を脱いでその上に簡素に寝かせ、全員で本を探しにかかる。
「ってか本、多!!これじゃどれが冒険書か分からないよ〜!」
脚立の上に上がり上段の本を調べていたフラーが頭をかかえた。
本棚から溢れ出して床にまで平積みされている本の中から一冊の本を見分けるのは非常に困難だ。
ずんと鈍い振動音が響き、断続的に轟音が塔内にこだまして皆気持ちが焦る。
その時ばんと大きめな音が鳴り結界を貼っているサーシャとライラが同時にうっとうめき声を上げた。
相当負担がかかったのだろう。
窓に叩きつけられた背中をリリーは一瞬見てしまった。
「……!」
声にならない悲鳴を上げ本を取り落とす。
どこか怪我をしたのだろうか、べったりと窓の外に鮮血が張り付く。
よろよろとドアに向かって歩く。
塔の外側にいるのは一人しかいない。
「リリー!ドア開けないで!結界が解けちゃう!」
はあはあと自分の呼吸音がうるさい。
リリーは必死に自分の腕で自分の腕を掴み、堪える。
「あけないよ……あけない…………」
う、と意識を無くし寝かされていたメルがうめき声をあげて身じろいだ。
「な、ないぞうが……」
「メル!内臓がどうかしたの!?」
メルのそばに膝をついてリリーは問いかける。
「ないぞうが…………ないぞう…………」
「嘘でしょボケのタイミングが最悪……」
目も開かないまま横のアンがびしっと裏手で突っ込みを入れて起きた。
「アンー!メルー!!」
起きたあー!と歓喜しながら脚立の上で両手を上げたフラーはその手が本の山に突っ込み、なだれを起こしあええうそぉ!?と大量の本と共に降ってくる。
わーっ!!と全員本とフラーに当たって総倒れした。
ぼとっとアンの顔にも本が落ちて、
「寝起き、もうちょっとソフトにおねがぁい」
体もあちこち痛いし、と肩を落とすアン。
「本だ……」
アンに当たって今は胸に抱かれている本。
それだー!!と全員湧き上がる。
なんの話?とアンは首を傾げた。
ユグナーの冒険書。
中身はどうかと緊張の面持ちでリリーは本を開き、皆が覗き込む。
表紙を捲ると一枚の紙が挟まっていた。
「……何これ?」
──魔法学園ロマネスト留学推薦届
リリーベル・トワイユ殿
「わ、私の名前!?」
「推薦届けだぁ!?」
何故魔法学園の推薦届けが?
推薦届けの最下部には教授名……クルカン・アウラングとサインが入っている。
「クルカン……あいつ教師なんてやってんのか……?」
困惑するリリーと怪訝な顔をするシスカ。
横から本を覗き込んだフラーが不思議そうな顔をした。
「ねえこの本何も書いてないよ?」
「えっ?」
冒険書の中身は全部白紙の紙だが……
「違います。これは魔力の高い者にしか読めないようになってるんです。自分にはうっすらとしか見えませんが……」
魔力の高いブラウが言う。
ん、ほんとだ、なんかみみず文字、と横から覗き込んだメルも言う。
「こ、ここにきて古代語……!」
リリーは舌打ちをした。
解読には時間がかかる。
嘘でしょあのリリーが舌打ちなんて、と皆が震え上がると今度は地面から振動がごとごと響き渡った。
「何何何!?」
「あばば、地面は結界かけてないんだよお!?」
慌てるサーシャとライラの言葉に全員が焦る。
ごぱっと激しい音と共に床の石畳が吹っ飛んだ。
「ヤヤ!ケッカイカナァ?ハイレナカッタヨ!シタカラ、シツレイミナサマ!」
う、う、うさぎー!?
オンセン!?いやこっちタマゴだよ!とメイド達は地下からの来訪者に喜びの声を上げる。
「お前ら逃げたんじゃ無かったのかよ」
呆れたようなシスカの物言いにタマゴはぷんぷん怒る。
「ニゲテナイヨ!イヤニゲタケド……!ダイジナコト!シテタ!」
大事な事?
不思議そうにする皆にタマゴは高説を垂れた。
「ゴハンデショ!ミンナ!ヒルゴハン!ワスレテル!!ハラガ、ヘッテハ、イクサハデキヌ、ッテイウデショ!!」
はぁ、と呆けたような声を一様に上げる。
そういえば昼ごはんを食べ逃したんだった。
皆お腹が空いていた事を思い出した。
「ヴィントサマモ、モウイッタヨ!ミンナデ、ゴハンニシヨ!!」
言うなり開けた穴に引っ込んで穴の中からツイテキテー!と叫ぶタマゴ。
リリーは久方ぶりに安堵の方のため息を漏らした。




