42 エレクトリカル亡霊
「頑丈な奴だな。ちっとも削れん」
乱雑に自身の頬を手の甲で拭ったラーニッシュが言った。
「めちゃくちゃ吹っ飛ばされましたよお」
そう言ったトルカも泥や落ち葉にまみれている。
昼かと思うくらい明るく多く設置された照明があたりを白く照らす。
街道には冒険者ギルドの人間も兵士もいたが、火傷や傷を受けて座り込んでいる。
倒れて動けない者もいるが、肩で息をしておりかろうじて生きてはいるようだ。
「あ、あ、あんなものは化け物だ。力はドラゴンそのものだがまるでドラゴンの形を成していない。亡霊だ。倒しようがない……」
まるで怒っているかのように声を荒げたのはギルド所属の魔法使いだろうか。
ローブを纏った男が言う。
「お前なあ……」
呆れたように言いかけるラーニッシュをヴィントが肩を掴んで止め、首を横に振った。
ローブの男は傷が深そうな者から順に回復魔法をかけているが、手ががたがたと震えている。
「皆戦いに慣れていない」
ヴィントの言葉にラーニッシュは眉根を下げた。
「亡霊……」
リリーは呟いて顔を上げた。
どうした?と顔を覗き込むラーニッシュに慌てて説明する。
「で、できました、魔法、かけます!水の網でぐるっと!」
ヴィントから手を離し、リリーは身振り手振りで説明して気を引いてください!と言い放つと翼で飛び上がり、炎の魔獣の前に出た。
しゅるしゅると蔦のように放たれた水は規則的に縦と横に張り巡らされ、網を作る。
攻撃の的をリリーに絞ったのか、火球が飛ぶが多数の他の者の攻撃に阻まれる。
ば、馬鹿な……ずるっと落ちた眼鏡をローブの男は掛け直しながら言う。
「彼女は国から派遣された魔術師か何かなのか!?」
その問いにヴィントは答えず、飛び上がってリリーの邪魔にならないように後ろについた。
リリーはぎゅ、と目を鋭く細め作り上げた魔法により魔力を注ぎ込む。
水の網は加速してついに炎の魔獣を取り囲んだ。
魔獣の振り上げた触手のような部分が網に触れ、じゅうと音がする。
触れた部分は炎が消えているが、中心部分が盛り上がって新たに炎が燃え盛る。
炎の勢いが強すぎて部分的に消えた網を即座に修正して作り直す。
網を食い破るように力強い動きで蠢く炎に押されて網がたわむ。
慎重に、網が破られないように力が加えられたところを強化したり網が消えたところを修正するが……ずり、ずり、と少しずつ押されている。
「は……こ、れ、じかん……かかる……ゆうどう……う、うみ…………」
小声で絞り出したリリーの声にヴィントははっとして声を上げる。
「抑え込むのに時間がかかる、このまま海に誘導しろ!」
座り込んでいた兵士たちもギルドの人間も立ち上がって導く。
照明を増やし、なるべく広い道を通りゆっくりと進む。
後ろを向いたまま飛行するリリーがぶつからない様にヴィントが支えながら街に入った。
網を抜け出した火柱が勢い余って民家に進むが集中して網を伸ばし、捉える。
二階の窓からぼんやりと見つめる少年と目が合った。
少年の後ろに立つのは母親だろうか、驚いて恐怖に目を見開いている。
リリーはにこりと笑うと手を振った。
大丈夫、と。
花火だよ、パレードだから。
そう伝わればいいと思った。
立て続けに蒸発音が続き、わずかに抵抗する力が弱まる。
「縮んできてるぞ!」
「頑張れ!」
先導の者たちに声をかけられて気合いを入れる。
魔力の奔流。
きっとここにはもうドラゴンはいない。
亡霊なんかではないのだ。
ドラゴンは無知に振舞ったりしない。
ここに残るのは純粋な力だけなのだろう。
何あれ、ドラゴン?パレードじゃない?さっきも見た、と港に近づくにつれ人通りが増える。
兵士たちに道を開けてもらい、あともう少しで海。
そのタイミングで急に魔獣が暴走し、膨れ上がり縦横無尽に網を破ろうと形を変える。
「こ、このタイミングで……!」
あとはもう純粋に力比べだ。
伸び上がる火花より早く、群衆には届かぬよう、火花が縮むよう網を必死に巡らせる。
わぁ、きゃあ、と観衆から上がるのは歓声だ。
悲鳴に変えるわけにはいかない。
高く飛び上がって全体を見渡せるように、あちこちで水蒸気を撒き散らしながら火花は浮かび上がっては消えていく。
パン、と破裂音の後水の網が飛び散って、ぼたぼたと雨のように辺りを濡らす。
一瞬、失敗したのかと思ったがどこにも炎が見当たらない。
「どうなったの……!?」
遅れてついてきたヴィントが両肩を抱いて後ろからリリーを支える。
そういえばものすごい疲労感がある。
漂う水蒸気の中をふわり、と小さな白い光が形を作った。
『……すまなかったねぇ』
光は老婆へと形を変え喋る。
『あの日、ドラゴンの死体を見て、長年の魔術師としての好奇心が抑えきれなくなった』
血など体の一部を取り入れる事によって絶大な力と知識を得るという伝説。
血肉を体に入れ、強すぎる力と知識を手に入れたのはほんの僅かな時間で、抑えきれなくなり、暴走した。
『迷惑をかけたねぇ……解放してくれてありがとう』
糸のように目を細めて笑う老婆の目元には笑い皺があり、優しげな顔立ちだ。
もとはこういう顔だったのだろう。
つばが広く、先の尖った真っ黒の帽子は物語に出てくる魔女のようでもある。
『ほら、お礼に……』
向こう側が透けるほど薄くなっている老婆は杖を持って何か魔法をかけた。
白く淡くきらきらとした光る粒子はリリーの周りをくるくると周り、
「へ?あ、わ………」
光が消えると同時に老婆の姿も完全に無くなった。
リリーは自分の体を見、ヴィントの顔を見て
「え、えーっ!?」
叫んだ。
何故か薄い水色の、舞踏会にでも行くようなドレスを着ている。
なんだか訳がわからない。これがお礼?
地面に降り立つと、騒然と人々がひしめき合っている。
ぼと、と手にしたぬいぐるみを落とした少女が言った。
「おひめさま……おひめさまだ……!」
「えっ?ちが、」
何を勘違いしたのか、群衆の中の一人が叫んだ。
「俺たちの勝ちだー!」
わぁーっ!!上がる歓声にリリーのえーっ!?という絶叫はかき消された。
「ヴィント様……どうしましょう……」
「……………何もかも分かってる、みたいな顔しておいた方がいいな、今は」
何もかも分かってる顔ってどんな顔だろう。
困惑した顔に頑張って笑みを貼り付けた。
周りをぴょんぴょんと無垢な少女が駆け回っていて、肩を組み合って喜び合う大人たちを見て、丸く収まって良かったな、と思う事にした。




