35 秘湯改め名湯
扉を開けるとラーニッシュの声が響いた。
「内密にして欲しいホテルってあれだろ。絶対あんなことやこんなことに使われるタイプのやつだ」
「やめろ……普通に考えて要人向けということだろう」
「あんなことやこんなことってどんなことですか?」
「……国の偉い人がこっそりゆっくりしたい時とかのことかな!」
疑問を投げかけるトルカの後ろで威嚇顔でリリーは言った。
なんて事を言い出すのだこの人は。
せっかく苦労してたどり着いた温泉なんですから……言いながらリリーは辺りを見回す。
温泉からの景色は見晴らしが良いが、壁がなくちょっと怖い。
魔法で透過されている壁……だと思いたい。
石造りの浴槽から流れ出るお湯は滝のように流れ落ちては消えていく。
「わ、わあ……排水の魔法……しかもこれ、本当に排水されてます……循環水じゃない……」
……いくらかかってるんだろう……とにかく高級そうな設備だ。
後ろでラーニッシュが金色のライオンの話をしている。
「水瓶を持った美人の像からお湯が出てくると思ったのに……」
「ぼくはあの、上半身が獅子で下半身が魚のやつかと思ってました」
「……さっきから思ってたんだけど噴水と勘違いしてない!?」
どう違うんですか?とトルカに聞かれて悩んでいるうちに探検だ!とラーニッシュはトルカを引っ張ってお湯をかき分けながら奥まで行ってしまった。
リリーはどうしようかと考えてヴィントから一人分空けて隣に座った。
ヴィントは仰向けのまま顔にタオルを乗せていて、心なしか疲れ切っているようにも見える。
話しかけるのはやめてじっくり浸かって温泉を堪能することにした。秘湯改め名湯だ。
……これが、負傷した騎士やらブショーやらニンジャやらが入るとたちまち傷が治り、えーっとあと何だっけ?
「……何でイヌネコキジタヌキキツネが踊り出すんだ?」
同じ事を考えていた所に急に話しかけられてリリーはんぐっと笑を飲み込んだ様な変な声を上げた。
「今ちょうど同じ事を考えてました……ええと、温泉があまりにも気持ちよかったからじゃないですかね?」
「……変なうさぎなら踊り出しそうだが……」
あぁあ、とリリーは顔を覆った。
……もう会うことはないだろうが、変なうさぎだった。
外気で冷えた顔にお湯が気持ちいい。
「……そういえば、よく泊まらせてもらえましたね。遺跡壊しちゃったのに……」
「我々の知らない所でいろいろと問題があるようで、正直誤魔化された感もあるが……」
「問題?」
「今のところ確定しているのは遺跡にはドラゴンが過去いた事、そのドラゴンが最近死んだ事、その二つだ。問題は遺跡の管轄は兵団でドラゴンの管轄は冒険者ギルドだという事だ」
「……すっごい憶測ですけど……ドラゴンは死んでいて、遺体を片付けるのはどちらか揉めていて、市長さんは第三者に片付けてもらえたら手っ取り早いって思っていて──……」
「……しばらく滞在が長引くこともあるだろうな」
「……三日が三ヶ月……」
急にヴィントが出発前にそんな事を言っていたのを思い出す。
「……明日は気晴らしに買い物でも行くか」
否定してくれないんだ!?リリーはずるずると腰を浅くして鼻の下まで湯に浸かった。
「何だお前たち。なんかやらしいぞ」
いつの間にかラーニッシュとトルカが戻ってきた。
「やらしくない。やかましい」
「卑猥じゃなくて悲哀な話です」
ヴィントとリリーに素っ気なく返されて、この間まで可愛かったのになあ、反抗期だ!などと万年思春期みたいな王が何か言っている。
「そろそろごはんにしませんか?」
すっかりお腹は空いていてトルカの提案に異論はない。
四人は温泉から上がることにした。
「じゃあこれがテーブルなんですね」
部屋の真ん中に大きな銀の円盤がある。
それがテーブル兼皿であり、食事は円盤を取り囲んで直座りで食べるそうだ。料理を注文すると魔法で円盤に料理が載り、食べ終わるとテーブルごと交換するらしい。
「いいから早く注文しろ。何でもいいぞ」
「何でもって……」
いくら何でも限度があるし、いつもなら食べられる分だけ注文しろと小言を言いつけるヴィントも黙ってメニューを見つめている。……余程疲れているのかもしれない。
「残しても大丈夫ですよ。ぼく、たくさん食べますから!」
いつも通りの胃袋小宇宙のトルカが頼もしい。
こうなったら気になるもの片っ端から頼むしかない!リリーは気合を入れてメニューを見つめた。
リリーははっと目を覚ますと煌々とついた照明の下、毛足の長い絨毯の上で転がっていた。
見渡せば三人も床で爆睡している。
温泉上がり、あまりお目にかかれない料理が所狭しと並ぶテーブルに興奮しながら食事を堪能していた四人だったが、あまりの床暖房の心地よさにちょっとだけ…食後休憩…と足を崩し、投げ出し、しまいには背中も床につき…その後は記憶にない。
皆同じような感じで寝入ってしまったらしい。
……状況に目を瞑れば、温泉に入ってたんまりと食事をし、そのままうたた寝して日が暮れる、と最高に贅沢に過ごしている。
あたりは真っ暗で、すっかり夜になったようだ。
突然ドンという音と大窓がびりびりと震動する音にびくりと体を震わせるが、
「わー!」
窓一面に広がる花火にリリーは感嘆する。
花火だ!とラーニッシュとトルカは飛び起きて窓に飛びついて見た。
寝起きでぼーっとしながらも煌びやかな光が形を変えながら花開く様子に見惚れる。
ラーニッシュは部屋を行ったり来たりしたかと思うとトルカを伴って廊下に消える。
遅れてヴィントも追って行ったので首を傾げていると玄関の扉が開閉する音がした。
リリーは戸惑いながら立ち上がるとヴィントが戻ってきて何か言った。
丁度花火の音と重なって聞こえない。
「祭りを見に行くそうだ」
耳元で囁かれてどきりとする。
「ヴィント様は行かなくて良かったんですか?」
リリーも少し背伸びして耳元に声をかける。
「ここが一番だろう」
大窓を指してヴィントが言う。
確かにそうかもしれない。
どうしても余計な所ばかり見ているのだ。
先に休むと言ったリリーは数ある寝室からひとつ選び、ベッドに入った。
寝室のベッドは片側側面だけ開いている木製の箱型になっていて、入り口はカーテンが開閉できるようになっている。
ベッドの大きさもカーテンや寝具やクッションも全て部屋ごとに色柄が異なっていて趣向が凝らされている。
ラーニッシュたちが帰ってきた時に部屋に入らせない様にするから、とヴィントは言い、もう殆ど閉じかけた目でおやすみなさい、と挨拶したリリーのベッドのカーテンを閉めてやると部屋を後にした。
例えば、出発前にくるくると回ってコートの裾を翻していた時の笑顔とか、スープに落ちてネイルが剥がれたという説明をした時の丸型の爪の小さな手とか、魔法カメラに収めた映像を見返しながら説明する唇の奥の更に赤い舌
思い返してヴィントは顔を手で覆った。
やらしいと言われたが半分くらいあるかもしれない。
やましいは絶対ある。
軽く頭を振って酒を飲むのはやめようと思った。
一滴も飲まなくてももう充分酔っている。




