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仮面はもういらない 

作者: 勝羅 勝斗

9月末。体育祭が終わり秋の風が吹き抜ける頃。

俺の名前は野辺沼のべぬま ゆう

鏡ヶかがみがさき)高校の2年生だ。

今はクラスの学級活動の時間で、11月に行われる文化祭の出し物を決めるらしい。

学級委員の男女二人が教卓の前に出てきて話し始める。


「それじゃあこれから文化祭の出し物を決めたいと思います。意見ある人手上げて〜」


男子の学級委員が司会をして、女子の学級委員が白いチョークで黒板に文字を書いていく。

みんなが個々に意見をあげていて、「あれがいい」「それはやだ」など言いながら、時間が経つにつれてクラス全体が賑わいを増してきているように感じる。

しばらくすると黒板には、お化け屋敷、演劇、喫茶店、バンド、射的などの文字が書かれている。


(みんなやりたいことがあっていいな………)


気づけば俺は一人、心の中で独り言をこぼしていた。

今の俺にはやりたいと思うことが1つもない。

クラスのみんなが次々と意見を出すのは、それだけやりたいことがあるという表れなのだろう。

まったくうらやましい限りだと思う。

俺も最初からやりたいことがなかったわけじゃない。

昔は俺も劇団に所属して舞台に出ていたりしていたが、受験勉強に専念することを理由に中2の途中で役者を辞めた。

それからというもの、部活動にも入らず気づけば高2の年まで来てしまった。


「はぁ………」


昔のことを思い出したら急に眠くなってきた。

手で口を押さえることなく、大胆にあくびをして机に伏せる。

しばらくして、大体の出し物の案が出揃ったようで、多数決が取られることになった。

黒板を見ると白いチョークで「演劇(オペラ座の怪人)」と「メイドホスト喫茶」の2つが書かれていて、他の案は全て消えていた。

俺にはそれまでの途中の記憶がなかった。

どうやら、あのまま数分の間寝てしまったらしい。


「それじゃぁ、多数決を取ります。どちらか1つに手をあげてください」


男子の学級委員が声をかけると続々と手が上がっていく。

最初に演劇の多数決が取られて、俺は慌てて手を上げる。

演劇か喫茶店の二択なら経験のある演劇の方がいいと思ったからだ。

数十秒後、演劇の多数決が締め切られて、次にメイドホスト喫茶の多数決が取られた。

このクラスは全体で60人だ。

結果は32対28で演劇のオペラ座の怪人に決まった。


「ふぅ………」


俺はその結果を見て安堵のため息をこぼした。

喫茶店に決まっていたら、いわゆるコスプレをすることになっていたから、回避できて本当によかった。

ちなみに、クラスの女子の多くが演劇に手を挙げていた。

おそらく女子もメイドのコスプレをするのは嫌だったのだろう。

実際、喫茶店に手をあげていた多くが男子だった。


「では、32対28で演劇のオペラ座の怪人に決まりました。これで今日の学級活動を終わります」


最後に男子の学級委員が一言そう締めくくって学級活動の時間は終わった。



その日の放課後。

俺はみんなが帰った後の誰もいない教室に一人残って机に顔を伏せていた。

オレンジ色の夕日の光が教室の窓を通して体を照らしてくる。


「ふわ~そろそろ帰るか~」


夕日を浴びて目を覚ました俺は、両腕を天井に向けて勢いよく伸ばして背伸びをする。

そして、机の右のフックにかけてある学生カバンを手に取り帰り支度を始める。

今日の課題に必要なものだけをカバンに詰め終わると、椅子を引きながら席を立ち教室を出る。


「ねぇ、ちょっと待って」


教室を出て廊下を歩き始めてすぐに、後ろから女の声がして俺を呼び留めた。

声がした後ろに振り返ると、そこには黒髪ロングの学級委員の女子が胸の前で腕組みをしながら立っていた。


「あんたはたしか学級委員の………えっと、俺に何か用?」


俺が尋ねると、学級委員の女子は目を細めて腕組みをしたままゆっくりと近づいてきた。


三島凛香みしま りんかよ。野辺沼君、あなた今日の学級活動の時間寝てたでしょ?」


三島凛香。

俺たちのクラスの学級委員の一人で、中高生向けのファッション雑誌の読者モデルをしているらしい。

男子たちの中では学年で一番可愛いと言われている女子生徒だ。

ちなみに、「学年で一番可愛い」というのは男子たちが勝手に呼んでいるだけで、彼女にとってみれば迷惑以外の何物でもないだろう。

俺は凛香に学級活動の時間寝ていたことを指摘されて驚きつつも、早く帰りたかったので軽く受け流すことにした。


「俺早く帰って課題やらないといけないから。じゃあ」


俺は右手を振りながら、凛香にそう言い切って駆け足で廊下を歩きだした。


「ちょっと待ちなさいよ!まだ聞きたいことが………」


凛香はそう言いながら、俺の右手を掴んで引き留めようとするが、その手を振り解いて一目散にその場を走り去った。


♦︎


翌日。

HRが始まる前の朝の時間は、隣のクラスの文化祭の出し物がロミオとジュリエットに決まったという話題で持ちきりだった。

鏡ヶ崎高校の文化祭は少し特殊で、同学年の2つのクラスで同じジャンルの出し物を出し合って、どちらのクラスが人気があるかを競い合うという特徴がある。

俺たちのクラスは2年1組で、隣のクラスが2組だ。


「2組のジュリエット役は絶対美空ちゃんだな!」

「それ、絶対見てぇー!」

「可能性あるな!」


男子たちが2組の演劇の配役について話している声が聞こえてきた。

美空というのは2組の女子学級委員で、本名はたに 美空みそら

男子たちからは「学年で2番目に可愛い女の子」と呼ばれている。

もちろんこれも男子たちが勝手に呼んでいるだけで、やはり本人にとっては迷惑以外の何物でもないだろう。

美空は劇団に所属していて、いくつかの商業演劇の出演経験もあるらしい。


「これはうちのクラスも本気でいかないと2組に勝てないかもな~」

「大丈夫だって、こっちにはビジュアル最強の凛香がいるんだぜ!」

「今回の劇で学年で最も可愛い女子が決まるってことだな!」


クラスの男子たちはハラスメントになりそうな発言をして盛り上がっていた。


♦︎


2限が終わり、10分間の休憩時間になった。

俺は60冊のノートを抱えて教員室から教室へと運んでいた。

教科担任の先生に全員分のノートを返却するよう頼まれたからだ。

HRや学級活動の時間は怠けている俺だが、先生の頼み事は積極的に引き受けている。

理由は様々だが、特に重要視しているのは内申点を上げたいのと、人に気に入られるためだ。


「みんな課題のノートが返って来たよ。持って行って~」


教卓の上に全員分のノートを置き、教室全体に聞こえる程大きな声でみんなに呼び掛ける。

すると、教室の至る所で話ていた生徒たちが一斉に俺のいる教卓へと視線を移した。

そして、開店時間に始まるスーパーマーケットのバーゲンセールのように続々と教卓の前に人が集まってきた。

3限の授業が終わり、俺は教科担任の先生に呼び止められた。


「ありがとな野辺沼。いつも引き受けてくれて」

「いえ、俺はできる事をしてるだけです!」


俺は笑顔を作って先生にそう返事を返した。



その日の放課後。

誰もいなくなった教室で俺は、いつものように机に顔を伏せながら寝ていた。

これは入学以来ずっと続けている言わばルーティーンのようなものだ。


「やっぱりまだ居た!ねぇ、野辺沼君起きて!ちょっと聞きたいことがあるの」


そんな俺のルーティーンは一人の女子生徒の声によって一瞬で破壊されたのだった。

声の主はうちのクラスの学級委員の三島凛香だった。

俺は尋ねられると、ゆっくりと顔を上げながら起き上がった。


「そういえばこの前も同じような事言ってたな。何の用だよ」

「あなた中学の頃役者やってたって本当?」

「っ!………誰から聞いたんだ?」

「あなたと同じ中学出身の子からよ」

「そう、本当だよ。中2までだけどね」

「そうなの!?やった!ねぇ野辺沼君、怪人の役やってくれない?」

「何で急に?怪人の役は晴斗に決まってたと思うけど………」


凛香は俺が昔役者をしていたことを認めると、胸の前で小さなガッツポーズをして喜んだ。

俺が晴斗と呼んでいるのは、凛香と同じくこのクラスの男子学級委員のことで、本名は矢那瀬やなせ 晴斗はるとだ。

クラスで一番人気の男子で、「学年で2番目にイケメンな男子」と女子の間では陰で噂になっているというのを耳にしたことがある。

ちなみに、学年で一番のイケメンと言われているのは2組の男子学級委員の野田のだ 康太こうただ。

今回の演劇ではロミオ役をやるらしい。

この鏡ヶ崎高校では顔面偏差値が上の生徒が代表になることが多いようだ。


「そうなんだけど、2組の美空がジュリエット役に決まったからにはこっちも本気で挑まなきゃいけないと思ったの。そこで、クラスの子たちに聞きまわって役者経験のある人を探したら野辺沼君、あなたに白羽の矢がたったというわけなの。あっ!ちなみに晴斗君は野辺沼君がOKなら交代するって言ってたわ」


「なるほどね。いいよ」


その話を聞いて、演劇部の生徒もいるのにそっちには声をかけなかったのだろうか?という疑問が頭に浮かんだが、真剣に頼みごとをしてくる凛香に対して嫌われたくないと思い、俺は怪人の役を引き受けることを了承したのだった。


♦︎


俺が怪人の役を引き受けてから一週間が過ぎた。

あれから、演劇部や図書委員会のメンバーが協力して台本が出来上がった。

ある日の放課後、俺たちはクラス全員が居残りをして演劇の練習をすることになった。


「全員揃ってるな。じゃあ、野辺沼あとは頼む」

「あぁ、わかった」


晴斗に頼まれて俺が演技をまとめることになった。

最初に声出しと滑舌の練習のために、皆で外郎売(ういろううり)を読むことにした。

外郎売というのは歌舞伎がもとになっていて、多くの俳優養成所やアナウンサーの基礎練習として取り入れられている。


「みんな俺の後に続いて。拙者親方と申すは………」


こんな感じで俺の後に続いて皆が復唱していった。

そして、基礎練習が終わり、いよいよ台本のセリフの読み合わせに入った。

読み合わせは順調に進んでいき、30分くらいかけて通し練習が終わった。


「じゃあもう1回通して今日は終わりにしようか」


俺がクラスの全員へ向けてそう言った時だった。

何かが床に落ちた音がした。

すぐに音のした方向へと視線を移すと、一人の男子生徒が台本を床に投げつけていた。


「ふざけんなよ!たかが文化祭の出し物の遊びだろ!何お前らマジになってんだよ!だいたい俺は演劇に賛成なんかしてねぇーし。やりたい奴だけやってろよ!俺は降りる!」


台本を投げつけた男子生徒は、出し物の多数決を取る時にメイドホスト喫茶の案に手を上げていた。

そして、彼は床に投げ捨てた台本を踏みつけながら、そのまま足早に教室を出て行ってしまった。


「あのさ、悪いな野辺沼。俺今日この後塾でさ、今日はこれで帰るわ。また明日な」

「あぁ、塾か………そっか。それは仕方ないな………また明日」


その後、この出来事をきっかけに13名の生徒が次々と帰ってしまった。

すると、今度は教卓を強くたたきつける音と共に一人の女子生徒の怒号が教室に響き渡った。

その声の主は凛香だった。


「皆真面目にやってよっ!演劇は皆で団結しないと成功しないの!一人一人が与えられた役割をちゃんとやって!あなたが居なかったらその場面は成り立たないの!もし、この中に自分は重要じゃない、居なくても何とかなるって思ってる人がいるなら名乗り出て!あなたが居なかったらこの演劇は完成しないの!あなたは重要な存在なの!もっと自信もって、責任持ってやって!」


教室全体に響き渡る程の大声で必死に全員に訴えかけていた。

声の大きさから、彼女の今回の演劇に対しての本気さが伝わってくる。

あまりにも大きすぎる声だったのか、教室の壁に反響してやまびこのように数秒経っても耳に声が伝わってくる。


「くっ!………この劇に参加するのは裏方を除いて40人。そのうちの13人が帰っちゃったからもう全体の通しはできないわね。続きはまた明日にして今日はこれで終わりにしましょう」


最後に凛香がそう言ったことで今日の練習は終わりを告げた。


「ねえ、野辺沼君ちょっと話さない?」


他の皆が帰ると、誰もいない教室で凛香が俺に話しかけてきた。

その声色から深刻さが伝わってくる。

俺は無言で頷いて自分の席に座ると、凛香が窓際に持たれかかりながら話し始めた。


「さっきは大声出してごめんね。びっくりしたよね」


「大丈夫だよ。凛香がそれだけ今回の演劇に本気なんだって伝わって来たから。俺はむしろ凛香の本音が聞けてよかったよ。俺はいつも相手の顔色を窺ってばかりで本音を言わないから。皆の前で本音を言えるのはすごいよ」


「そう?ありがと。私ね、一度だけCMに出演したことがあるんだけど、撮影の時に一人の新人の子が寝坊して遅れてきちゃって、撮影のスケジュールが合わなくなってその日の撮影が中止になってスタッフさんが怒ったことがあったの。さっきの言葉は半分その人の受け売りなんだけど、当時の私は寝坊くらい誰にでもあるから仕方ないって思ってて、その人に自分は重要なんだって言われて気づいたの」


「そっか、そんな事があったんだね。話してくれてありがと」


「野辺沼君はさっき相手の顔色ばかり窺っていて本音が言えないって言ってたけど、それってもしかして劇団を辞めた事と関係があるの?」


「あぁ………劇団を辞めた一番の理由は受験勉強に専念したいってのがあったけど、まぁ………それ以外にも無いと言えば嘘になる」


「何?」

「やっぱやめとく」


「私の事を話したんだから、あなたの話も聞かせて!」


凛香のその言葉に観念して俺は劇団時代の事を話すことにした。

俺は当時3作品の舞台の主演を務める程周りから注目されていた。

今思えば、あの頃の俺は天狗になっていたのかもしれない。

そのせいか、裏で他の劇団員から金だのコネだのと陰口を言われていた。

しまいには、俺のことを良く思わない団員から根拠のない嘘を広められ、信頼を得ていたはずの監督もそれを鵜吞みにして、とある舞台の主役から降ろされた。

この出来事がきっかけで劇団を辞めた。

それを言うのは恥ずかしかったので、表向きは受験勉強に専念するという理由を立てた。

もちろん勉強に専念したい気持ちは本当だった。


「なるほどね。芸能人とかは負けず嫌いの人多いよね」

「うん………」


「だから今の野辺沼君は目立たないように、人に嫌われないように、人の顔色を窺ってるのね」


「まぁ、そんなとこ………」


俺は凛香に自分の内面を全て見透かされたような気分になり、何も言いだすことができなかった。

そのことを隠すように俺は床に目線を落とした。

しばらくして、そんな視界に一本の手が差し伸べられた。


「野辺沼君話してくれてありがと。絶対この演劇を皆で一緒に成功させよう!よろしくね」


手を差し伸べられて目線を上げると、凛香がそう言いながら満面の笑みで微笑んでいた。


「ああ、よろしく」


俺は一言そう言って凛香の手を取った。



翌日の昼休み。

とある空き教室で俺は昨日台本を投げて途中で帰ってしまった生徒を呼び止めていた。

彼にもう一度演劇の練習に参加して貰うためだ。


「急に呼びつけて何の用だよ野辺沼」

「今日の演劇の練習参加してくれないか?」

「お前聞いてなかったのか?俺はやらないんだよ!話は終わりだ。じゃあな」

「ちょっと俺の話を聞いてくれないか?」


俺はそれから劇団員時代にあった出来事と、今回の演劇の怪人役を凛香に頼まれて晴斗から譲り受けた時に、本当は人の注目を浴びるのは嫌だったけど、凛香に嫌われたくなくて、いい顔をしながら二つ返事で承諾したことを正直に話した。


「だからそれが何だって言うんだよ」


俺が話し終えると男子生徒はそう言った。

男子生徒の反応は大方予想通りだった。

だが、俺には彼の中に俺と同じ思いがあることを感じていた。

だからその思いも伝えようと思った。


「お前さ、あの皆のいる場所で自分の思いを言えるのはすごいと思う。俺は聞いての通り嘘つきだからさ。俺とお前のやりたいものは違うかもしれない。でも、皆と1つのものをやりたいって気持ちは同じだと思うんだ。お前は演劇をやらないって言っただけで、文化祭をやらないとは言ってない。お願いだ。その、「皆と一緒にやりたい」っていう気持だけ貸してくれ!」


俺はそう言いながら男子生徒に深々と頭を下げた。


「………うるせーよ」


男子生徒は小さな声で一言そう呟くと足早に俺の前から去って行った。


(俺は今なんで凛香にしか言わなかった誰にも知られたくないような過去を彼に話したんだろう)


俺は彼が去った後の誰もいない空き教室で一人そんな事を考えていた。



放課後。再び皆で演劇の練習をする時間になった。

今日は一人を除いて皆塾などを休み、演劇の練習のために時間を作ってくれた。

昨日の凛香の必死の訴えが通じたのか、一人一人の表情から真剣さが伝わってくる。


「それじゃあ、一人足りないけど今日も始めて行こうか。………ん?」


俺が皆に向けて声をかけた時だった。

教室の前の扉がゆっくりと開き、一人の男子生徒が入って来た。

それは昨日台本を投げて途中で帰り、俺が昼休みに説得に失敗した生徒だった。


「あの………その………えっと、昨日は台本を投げて勝手に途中で帰ってごめん!自分の思い通りにならなくてイライラしてた。こんなことを言える立場じゃないと思うが皆と一緒にやりたい!頼む」


男子生徒はそう言いながら深々とみんなの前で頭を下げた。


「顔上げて」


深々と頭を下げている彼に対して最初に声を掛けたのは凛香だった。

そして次の瞬間、教室中に何かを弾いたような音が響き渡った。


「むぐっ!」

「もう二度と同じことはしないって約束してね」

「はい」


彼が頭を上げるのと同時に凛香が頬に平手打ちをしたのだった。

凛香はその後に真剣な表情でそう言って元いた場所に戻った。


「皆ごめん。野辺沼君始めて」

「ああ、それじゃあ改めて全員揃った事だし始めようか」


紆余曲折ありつつも、俺たちのクラスは全員揃って演劇の練習を始めることができた。



時は流れて11月末になり、文化祭の前日がやってきた。

その日の夜、俺は不思議な夢を見た。

周りに何もない真っ白な空間に俺ともう一人の俺が出てくる夢だ。


「お前は誰だ?」

「俺はお前だよ。なぁ俺よ、今回の怪人の役を本当にやるのか?」

「当たり前だろ!引き受けた以上はやるしかないだろ」


「それは本心か?本当は怖いんじゃないのか?また人に裏切られるんじゃないかと不安でいっぱいだろ?」


「それは………うるさい!お前は俺の何を知ってるって言うんだよ!」

「よく知っているさ、俺はお前だからな。また自分の気持ちに嘘をついて平気なフリをするのか?」

「………」


「あの台本を投げた男のように逃げてしまえ。その方が楽だ。俺がお前に変わって演じてやる。さぁ、手を取れ」


そう言いながら目の前にいるもう一人の俺が右手を差し出してくる。

俺はその手を取る寸前で凛香の「絶対この演劇を皆で一緒に成功させよう!」という言葉と笑顔が脳裏に過って手を止めた。


「おい何してる?早く手を取れ!」

「………できない」

「何!?」

「俺は凛香を!皆を信じる!」

「俺はお前のために言ってるんだぞ」

「確かにそうなのかもな。今でも人が怖いよ。逃げたいよ」

「だったら!」

「でも、俺は凛香とした約束を守る!」

「くっ!」


俺がそうきっぱりと言い切るともう一人の俺はチリになって消滅し、周りには何もない真っ白な空間だけが残った。


「ありがとなもう一人の俺。俺を守ろうとしてくれて」


ここで不思議な夢は終わりを告げた。



文化祭当日、体育館。

演目の順番は2組が最初で俺たち1組は2番目に決まった。

今は2組が公演中で俺たちはステージ脇の控室で着々と準備を進めていた。

裏方以外の演者は衣装に着替えていた。

俺はタキシードと仮面で、凛香がパーティードレスの衣装だ。

この衣装は被服部の生徒が手作りで制作してくれた。


「2組の皆さんありがとうございました。続いて1組の皆さんお願いします」


全員が着替え終わってしばらくすると放送が流れて、いよいよ俺たちの出番になった。

身だしなみを整えて怪人の仮面をつける。


「なんか野辺沼君って衣装に着替えても普段とあまり変わらないね」

「えっ!そ、そう?」

「うん。だっていつも本音を隠す仮面をつけてるじゃない」

「あぁ………そういうことね」

「でも、今日はなんだか雰囲気違うね。何か良いことでもあった?」

「まぁね。今朝夢を見てさ。自分の本当の気持ちにきづいたというか………」

「それでか~野辺沼君今すごくすっきりした顔してるよ」

「そっか。ありがと」

「私たちの出番ね。さぁ、行こう!」

「ああ」


俺たちはステージに上がった。

人への怖さが消えたわけじゃない。

大勢の人の前に立てば緊張もする。

でも、今はただ皆とこの演劇を完成させたい。

その思いだけは紛れもなく本物だとわかる。

そのことに気づいたら、心の仮面はもういらないと思えた。

この後、演劇の勝負の結果が発表され、俺たちの1組が勝利を収めたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 短編ということで、優の過去に関しては地の文や凛香との会話でしか語られないものの、夢でのもう一人の自分とのやりとりを見てもその根深さが伝わるため、トラウマを無事払拭できてよかったなと心から思…
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