不思議その10 別離になるのなんでかな
「ハイ! ドーーーーーーん!!」
真っ暗がりの校舎内に稲妻が走ったような一瞬の発光。
目に見えない衝撃が空気を震わせ、その波に耐えられず割れる窓ガラス。
「ったくあのセンコー! 人間じゃねぇ!」
スクーターのサイドミラーごしに光景を目の当たりにし、マナイは悪態をつく。
「幽霊の貴方が言うセリフじゃないですね……」
その体にしがみつくアサギが冷静にツッコミを入れる。
特攻服越しの背中はフローリングのようなひんやりした温度であり、この年上の足の無い女性が生身の人間でないことを感じさせられる。
「っせーぞガキンチョ! 黙ってやがれ! ……頭蓋骨が光るぞ!」
アサギもサイドミラーを覗き込む。
目を見開き、歯茎までむき出しにした口には牙を思わせる犬歯が不自然な大きさに目立つ。
鬼気迫る形相の灰土の腕に抱かれた髑髏の、本来なら瞳が埋まっていたであろう窪みが怪しく光を放つと、アサギの背後の窓ガラスが雷のような音を立てて割れた!
「アレが力の原因なのか!」
「トニカク、音楽室デス!」
マナイのスクーターと並走する血沸肉男が珍しく感情の籠った口調で言う。
――階段の終わりが見えた。
さっき中央階段を上っていたときには辿り着くことのできなかった四階だ。
目の前にあるのは血沸肉男が目指した音楽室。
血沸肉男は大きく跳躍。
残りの数段を一気に飛び越え音楽室の扉の前に降り立つと、施錠された扉を激しく叩く。
衝撃で小指が落ちたのを肉男におぶられたままの咲は見てしまった。
「べーとーべんセンセイ! もーつぁるとセンセイ! ばっはセンセイ! はいどんセンセイガ暴レテマース!」
血沸肉男の訴えはまるで教師に告げ口する児童のような言いっぷりだったが、扉の向こうから聞こえてきた声は血沸肉男に背負われている咲の頭の中に直接響いているようだった。
(なに……ハイドンだと……)
(無理だ……あれは手に負えぬ……)
(我々も死にたくない……)
「ソ、ソンナァ……」
当てが外れ、血沸肉男の皮膚があるほうにだけ存在する眉が見事に下がる。
左右あれば見事な八の字だったことだろう。
「テメェらもう死んでるじゃねーかよっ!! っくそ! アテになんねぇ!」
追いついたマナイが悪態をつき、鏡越しに灰土との距離を確認して舌打ちする。
「おい! アサギ! コレ貸してやっから、そっちの嬢ちゃん連れて早く行け!」
「え……?」
「教室行くンだろ?」
「ど、どうしてそれを……」
答えたのは咲のほうだった。
アサギは話が読めずに女子二人の顔を交互に見やる。
「夜に忍び込むなんざ、用件はアレしかねぇ。五十年学校に住んでるあたいが気付かないとでも思ったか!」
「マナイさん……」
サラシを巻いた特攻服少女は茶色の髪を振り乱し宙返りしながらスクーターを降りる。
不安そうな顔の咲に振り向きざまウィンクするマナイ。
「ほら、さっさと行く! スケ番なめんな!」
どこからともなく木刀を取り出すマナイ。灰土が迫る。
「おい理科男も! グズグズすんな! 凹んでる場合じゃねぇ!」
「ハ、ハイィッ!」
血沸肉男はバネが跳ねるようにスクーターの隣に移動、先程までマナイのいた運転席にアサギが移動すると、後ろの荷台に咲を座らせ、その手を握る。
血の通わないプラスチック製の無機質な手の触り心地はお世辞にも良いとは言えない。
――ただ、その握り方はとても優しかった。
「オ嬢サン……キヲツケテ……」
「肉男さん……?」
別れを惜しむかのような口ぶりに咲には不安が過ぎる。
「走れ! アタイのヤマハ!」
マナイの掛け声と共に、何も操作をしていないのにスクーターがトップスピードで走り出す。
「うわわわわわわわ!!」
「きゃぁっ!」
発進態勢を取れていなかったアサギは慌ててハンドルを握り、咲は少年の背中に抱きつく。
落とされないためにと、頬も胸も腕も、恥じらう気持ちなどお構いなしにぴったりとくっついていた。
「藤村! 絶対離すなよっ!」
「ひゃ、ひゃぁい!」
判断力も何もなく言われるがまま抱きつく腕に力を籠め体を丸める咲。
押し当てた鼻に、汗ばんだ少年の匂いが漂いドキリとする。
考えてみればなんと大胆なことをしているのか。
手も握ったことが無いのにもう抱きついている。
耳を当てれば彼の鼓動が聞こえるだろうか。
などと考えたが、高鳴りで爆発しそうな自らの心臓が打つ鼓動とエンジンの振動で紛れてわからない。
アサギは自分がどこを触っているのか全く勘付いていない様子だ。
後ろを振り返りながらアサギは最後力を振り絞って叫ぶ。
「こ、これぇ! どーやって止めるんだぁぁぁぁぁぁ!」
「ぶつけりゃとまんだろ!」
「そんな無茶なぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
雑過ぎる所有者の回答に絶望しながら走り去ってゆくアサギと咲を見送る。
咲は悲鳴を上げるどころですらないのをマナイが知る由もなく。
あの嬢ちゃんの方が肝座ってんだな、程度にしか捉えていなかった。
「うまくやれよ……。さっぁて。こっちもやるぜ、理科男。肩車だ」
うっすらと脚の生えた――と言っても踝丈のプリーツスカートで見えないが――マナイが、しゃがんでもらうまでもなく高く浮いて肉男の肩に座る。
「肉男デス、血沸肉男デスヨ、花子サン」
「っせぇ、標本理科男。……覚悟はいいか?」
「シクシク。……イツデモドウゾ」
立ち直り、軽愚痴を叩いてはお約束の涙を一瞬流してすぐ、冷静に答える血沸肉男。
「突っ込めぇぇぇえ!」
雄叫びを上げるマナイ。
階段の数段下、目標までのその距離、およそ一メートル。
髑髏を抱えた若手の女性教師目掛け、今度は肉男が、肩に乗り竹刀を上段に構えたマナイが、飛び込んで行った――!