第3話
王弟殿下は懐から一枚の紙を取り出すと、それを指で挟んだままヒラヒラと揺らした。
「念のため、お前のまわりにいるやつらに聞き取り調査もしている。これがその調査結果だ」
その紙には、ロザリンドの交友関係についての詳細な調査結果が書かれていた。内容に間違いはなく、むしろよくここまで調べあげたなと感心するくらいだった。
ロザリンドに想い人なんていない。
気になる異性だっているわけがない。
調査結果はそのことを確かに証明していた。
「我が王家の影の調査能力をなめるな。ロザリンド、お前は嘘つきだ!」
「な……」
「だが、オレ様は心が広いからな。『ごめんなさい』と可愛らしく言って、オレ様の頬にキスをすれば、嘘をついたことも許してやる」
(はあ? 何言ってんの、このポンコツ王弟殿下!)
頭にカッと血がのぼり、思わず言い返しそうになったその時。
応接室の扉が不意に開く音がした。
ロザリンドが振り返ると、そこには。
「せ、先生……? なんで……?」
ガーライルが立っていた。
こちらを見ているようだけど、その表情は黒髪に隠されていてよく見えない。
けれど、決して明るい顔をしていないということだけは、はっきりと分かる。
さあっと全身から血の気が引いた。
一体いつからそこに?
もしかして、ロザリンドの嘘に気付いてしまった?
「あ、あの、先生。私……」
「ロザリンド嬢」
ガーライルがロザリンドの名前を呼んだ。
愛称ではなく、「ロザリンド嬢」と。
ズキリと胸の奥が痛んだ。口が震えて上手く声が出ない。
その場にいるのが耐えられなくて、ロザリンドは勢いよく立ち上がると応接室から逃げ出した。
(嫌われた! 私、先生に嫌われちゃった……!)
廊下を駆け抜け、薄暗い自室へ飛び込む。
ぺたりと床に座り込むと、ロザリンドは込み上げてくる涙を必死でこらえた。
ざあざあと降る雨の音が耳を打つ。
なんであんな嘘をついてしまったんだろう。
嘘なんてつかなければよかった!
その瞬間、窓の外から強烈な光が差し込んだ。
続いて、耳が痛くなるほどの轟音。
「きゃあああ!」
ロザリンドは雷が苦手だ。慌ててベッドの下に避難しようとして後ずさり、手を思いきり棚にぶつけてしまう。
痛い。恐い。誰か助けて……!
「大丈夫かっ?」
ロザリンドの心の叫びに応えるように、ガーライルの声が響いた。
ガーライルはまっすぐにロザリンドのそばまで駆け寄ってくると、ぎゅっと抱きしめてくれる。
どうやら彼は、逃げ出したロザリンドを追いかけてきてくれたらしい。
「怪我はないか? ……ああ、手をすりむいているな」
ガーライルは少し体を離すと、ポケットからばんそうこうを取り出した。それから、優しい手つきでロザリンドの手にばんそうこうを貼ってくれる。
追いかけてきてくれた。
優しくしてくれた。
ロザリンドは嘘つきの悪い子だと、知られてしまったはずなのに。
胸がきゅうと締めつけられた。
(私、先生のことが好き)
その場しのぎの嘘なんかじゃない。
ガーライルに愛称で呼んでもらえなくなっただけで、泣きたくなるくらい苦しかった。
こんな気持ちは初めてだ。
もう、ガーライルに嘘をついたままではいられない。
ロザリンドは重い口を開いた。
「先生、ごめんなさい。私、嘘をついていました。私は、本当は、先生のこと」
「……好きではなかったんだろう? 分かっていたさ、それくらい」
「え」
ガーライルは、はじめからロザリンドの嘘に気付いていた?
ならば、なぜ、嘘を指摘してこなかったのだろう?
わけが分からず首を傾げると、ガーライルは苦笑しながらロザリンドの頭をぽんぽんと撫でてきた。
「君と仲良くなりたかった。だから、あえてその嘘にのることにした」
「そう、だったんですか」
「嘘にのってよかった。おかげで君の可愛いところがたくさん見られたし、それに俺自身、自分の気持ちにようやく気付くことができた」
ガーライルはロザリンドを優しく抱き寄せると、耳元で囁いてきた。
「君を王弟殿下に渡したくない。俺は、君のことが好きだ」
ガーライルの告白に、ロザリンドは自分の耳を疑った。
「う、嘘! だって、さっき王弟殿下の前で私を呼んだ時、愛称じゃなかったじゃないですか!」
「……さすがに婚約者でもないのに、他人の前で愛称で呼ぶのはよくないかと思って」
嫌われたわけではなかったのか。
ロザリンドはほっと息を吐く。
それなら、今度こそ嘘ではない本当の気持ちを伝えようと覚悟を決めた。
ロザリンドはガーライルに思いきり抱き着く。
そして、外の雨音に負けないように声を張る。
「先生!」
「なんだ」
「私のこと、他人の前でも愛称で呼んでください!」
「……それは」
「『婚約者』なら、いいんでしょう?」
ロザリンドはすうっと息を吸い込み、一際大きな声で告げた。
「私、ガーライル先生のことが大好きなんです。だから、私と結婚してください!」
求婚の言葉と同時に、閃光が部屋を照らす。
続いて、腹の底まで響くような雷鳴。
まさかの雷プロポーズ。
二人とも一瞬固まってしまう。
けれど、すぐにガーライルがこらえきれず噴き出した。
「ふ、ははは!」
「ちょっと先生、笑わないでください! 私は真剣に……」
「ああ、分かってる」
ガーライルはひとしきり笑った後、ロザリンドの求婚に応えてくれた。
「俺も君のことが大好きだ。だから、結婚しよう、ロザリィ」
こうして二人が両想いになってから、数日後のこと。
晴れ渡った空の下、庭園で咲き誇る花を眺めながら、ロザリンドはガゼボでお茶を楽しんでいた。
隣には、無事に婚約者となったガーライルが座っている。
「それにしても、王弟殿下があっさり引き下がったのには驚いたな。もっとごねるかと思っていたんだが」
「あの王弟殿下、別に私のことが好きで求婚してきたわけじゃないんですよ……」
ロザリンドは遠い目をしながら、ため息をついた。
どうやら王弟殿下は、王家の影からロザリンドとガーライルの関係について新しい報告を受けたらしい。不機嫌な顔で「他の男にうつつを抜かす女など、このオレ様にはふさわしくない!」と捨てゼリフを吐いて去っていった。
本当に人騒がせな男だった。もう二度と関わりたくない。
「まあ、王弟殿下のことはどうでもいいんです。それより、私のお父様の方が問題ですよ!」
そう。
ロザリンドの父ときたら、二人が両想いになったのを知って「お膳立てしたかいがあったなあ」とのたまったのだ。
ガーライルをロザリンドの家庭教師にしたのも、王弟殿下との縁談を持ってきたのも、すべてロザリンドの結婚話を進めるために父が画策したことだった。
つまり、何もかも父の手のひらの上だった、と。
「父が意外に有能な策士だということを、こんな形で実感させられるとは思ってもいませんでした!」
「まあ、いいじゃないか。終わりよければすべてよし、だ」
ガーライルは楽しそうに笑いながら、ロザリンドの口元に桃を差し出してきた。
どうでもいいけど、この家庭教師、この数日で本当に表情が豊かになっている。
「ほら、ロザリィ。口を開けて」
「……先生。私、子どもでも病人でもないので一人で食べられます」
「でも、君は俺の可愛い婚約者だから」
だから、そんな優しい声で囁かないでいただきたい。
無意識に口が開いてしまうではないか。
口の中に桃を放り込まれ、それを大人しく咀嚼しているうちに、ロザリンドの気持ちも少しずつ落ち着いてきた。
桃をこくりと飲み込んで、ふうと一息つく。
ガーライルはそんなロザリンドの頬に手を添えると、ふと真面目な顔に戻った。
「ところでロザリィ。今日の桃はどうだった?」
「え? 甘くてとってもおいしかったですよ?」
「俺も味見していいか?」
そう言うやいなや、ロザリンドの唇にガーライルがキスを落としてきた。
そのキスは一瞬。
唇に柔らかな熱が残る。
「ああ、本当に甘くておいしいな」
真っ赤に火照ったロザリンドの頬を、優しい風が撫でていく。
ふわりと甘い桃の香りが、夏の庭に広がった。
このお話はこれで完結です。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!
ブックマーク、お星さま、いいね、感想、レビューなどの温かい応援をいただけて、本当に幸せです。
応援をしてくださったみなさまにも、幸せがいっぱい訪れますように♪