3.ちょっと難しいお仕事
場所はわたしや小雨ちゃんが暮らしている山の上のニュータウンから北東側へとすっかり下った先。流れる小川を辿っていくとたどり着く通りだった。
人気の少ないその場所には、ぽつんと祠だけがある。近隣の住民がいつもお供えをしているようだが、それにしたって人気を感じない。ニュータウンの賑やかさを思えば、隣町とはとても思えない非常にひっそりとした静かな場所でもある。
初仕事で向かった廃墟のように、怪獣のハートが隠れ潜むにはちょうどいいかもしれないが、それでいていつ通行人が来るかも分からない危うさもあった。
「誰かに見られても大丈夫なのかな」
思い浮かんだ疑問をそのまま口にすると、バタ子が透かさず答えてくれた。
『大丈夫。アタシが近くにいる限りは、通行人には何も見えないから。ハートが誰かに接触する心配もないの』
「そうなんだ……あれ、でも、わたしが寄生された時って」
『あれはタッチの差。駆けつけた瞬間にあなたは寄生されていたわけ』
なんということでしょう。
運がいいのか、悪いのか。いや、間違いなく悪いのだろうけれど、先に寄生されていた小雨ちゃんの事を思うと、これはこれで良かったのかもしれないとさえ思えた。
だが、今回に関してはそういう事態に陥ってはいけない。さっさと見つけて、さっさと追い詰めて、さっさと回収してしまわないと。誰かが寄生されてしまう前に。
「ともかく、思いっきりやっちゃっていいわけよね」
小雨ちゃんの言葉に、バタ子は力強く羽ばたいてみせた。
『おうよ! 獣の王の剣の切れ味、期待しているわ!』
こちらが心配になるほど意気込んだところで、バタ子の触覚がいつものようにピコピコ音を鳴らし始めた。
さすがにこの一か月。わたしだってボーっとしていたわけじゃない。これが何の合図なのか、もうすっかり身についていた。
──来る。
今回のターゲット。ちょっと難しいとランク付けされる憑依型のハート。
こちらが近づいていくまでもなく、向こうからやってきた。
それは、今までハートを回収する際にも目にしたことがある、空想の生き物の姿をした何かだ。非現実的なその姿。けれど、一か月の経験のお陰か、もうすっかり慣れっこだった。
しかし、油断してはいけない。今回はちょっと違うタイプなのだから。
河童の一種、と黒百合隊長は言っていただろうか。
確かに、想像している通りの姿だった。けれど、わたしが何となく抱いていた河童のフレンドリーでコミカルなイメージとは少し違う。
目つきといい、表情といい、こちらに敵意を剥き出しのその姿は、見るからに凶悪そうで恐ろしかった。
『河童は賢いから気を付けて。間違いなく自分が勝てる相手を見極めるのが得意なの』
確か水属性だっただろうか。
うんうん、そこは河童のイメージ通り。
そして、水属性といえばわたしの中にいる赤い竜の炎が苦手とする相手。だからだろうか。あの河童、さっきからずっとわたしばかりを見つめている。
「というわけで、レッドウィッチリー。しばらく頼んだわ」
小雨ちゃんはそう言うと、わたしから素早く距離をとった。ほぼ同時に河童の方も物凄い速さで走り出す。
「えっ……ちょまっ!」
思わずちょまが出た。
慌てて剣を抜くも、直後、重たい衝撃が両手を襲う。間一髪、河童の一撃を防ぐことが出来たらしい。
その反動に痺れを感じながら、わたしは納得した。
なるほど。言われていた通り、今までのハートとは全く違う。自らは殆ど動けず、最後の抵抗でちょこっと本来の姿を見せてきたこれまでの武器型ハートは、今思えば案山子のようなものだったかもしれない。
それほどの相手となる憑依型。囮役として受ける痛みがいかほどのものか想像するだけで心が折れてしまいそうだ。
しかし、やるしかない。耐えるしかない。
素手で剣を押してくる河童を相手に、わたしもまた力を込めて押し返した。
「ぐぬぬ! 負けるもんか!」
鍔迫り合いになりながら、闘争心を声にすると、河童の方もまた面白がるようにこちらには分からない言語で喋りながら、推し返してくる。
今の所は互角。しかし、長期戦は不利だ。
感覚で分かった。やはり属性の相性は、ゲームか何かのようにはっきりとしていた。競り合えば競り合うほど、わたしの炎が河童の水で弱まっていく。そして完全に消えた時、わたしの身体は河童の拳の餌食となるだろう。
──小雨ちゃんっ! 早くぅ!
わたしは必死に耐えながら、祈り続けていた。出来れば痛みは感じたくない。傷は治るし衣服も直るわけだけど、だからと言って全てがなかったことになるわけではない。
痛みの記憶も恐怖も不安も、全てはわたしの心に深く刻まれる。少なくともここ一か月の間、これら痛みに慣れた気は全くしなかった。
本当に怪獣もケチなものだ。どうせ宿主を不死身にするのなら、痛覚も鈍くしてくれたらよかったものを。
──小雨ちゃん……!
機会を窺い続けているのだろうか。小雨ちゃんはなかなか来ない。そして、とうとう、剣の炎は先に消えてしまった。
河童の目の色が変わる。逃してくれるわけもなく、河童は一気に畳みかけてきた。
物凄い力で振り払われ、生まれた最大の隙を貫かれる。水の力をまとったその拳に殴られるどころか貫かれた瞬間、覚悟していた以上の酷い痛みが全身を駆け巡っていった。
「うごっ──」
胸部だ。あろうことか、ハートの宿る心臓を握られている。
呻くわたしを見て、河童はニタニタ笑っている。どうやら相当凶暴かつ残忍な性格をしているらしい。
しかし、河童はすぐに表情を変え、振り返った。
小雨ちゃんだ。その姿がちらりと見えた瞬間、遠ざかりつつあったわたしの意識が一気に戻ってきた。
そうだ。わたしは不死身なのだ。不死身ならば不死身らしい戦い方がある。初めて挑んだハート回収でもそうだったじゃないか。
痛みを克服した先で、掴める好機だってあるのだ。
迫りくる小雨ちゃんの姿に気づいた河童が、体勢を立て直そうとわたしの心臓から手を放し、そのまま拳を抜こうとした。
だが、逃がさない。わたしはその手を両手でぐっと掴むと、心の底から声をあげてしがみついた。心臓が悲鳴をあげている。そこに宿っているというハートのせいだろうか。身体が炎のように熱かった。
河童が焦りを見せ、持っている水の力を駆使して暴れ出す。
だが、逃がすまい。小雨ちゃんの渾身の一撃が来るまでは、全身全霊で河童の腕を掴み続けた。
鋭い剣を光らせながら、小雨ちゃんは突っ込んでくる。
大地の力とやらが宿るその剣は、大型獣の牙にも見えた。そして、それを握り締めて血を蹴る小雨ちゃんの姿は、獲物に力強く飛び掛かる雌獅子のようにも見えた。
河童が悲鳴をあげている。
だがもう間に合わない。
飛び掛かった小雨ちゃんが勢いよく剣を振り下ろすと、大きな地鳴りが生じた。わたしの目の前で河童は真っ二つに斬られ、そのままあっさりと力を失った。
血も流さず、灰となり、後には青緑の石だけが残される。
ことりと音を立てて落ちたそれを、小雨ちゃんはすぐに拾い上げた。
「憑依型だったかしら。終わってみれば呆気なかったわね」
クールに呟く小雨ちゃんの前で、わたしは膝から崩れ落ちてしまった。
確かに、終わっていればあっさりとしていたかもしれない。特に小雨ちゃんにとってみれば。だが、囮役というのは考えていたよりもキツかった。
ふとわたしは河童の拳に貫かれ、穴が開いた胸部に触れてみた。だが、すでにもう傷は塞がり、衣服も元に戻っていた。
『いやあ、お疲れ。まさかこんなにもあっさりと終わっちゃうなんてすごいわ』
どこに隠れていたのやら。バタ子がすっと飛んできた。
その能天気な声を聴くとひと言文句も言いたくなる。しかし、わたしや小雨ちゃんがひと言申す暇もないまま、新たな声はあがった。
「ホント、ビックリしちゃった」
現れたのは、見知らぬ女性だった。何処となく穏やかそうな表情は、何処にでもいる綺麗なお姉さんといった感じ。だが、わたしの直感は、彼女に漂う独特の雰囲気を敏感にキャッチしていた。
怪獣としての警戒心もあるのだろうか。彼女が自ら正体を現す前から、わたしには彼女が天狗だということが分かっていた。
『翠! 早かったわね。でも、こっちはもっと早かったみたい!』
バタ子が言った。翠と呼ばれた彼女は微笑み、そしてその背中の翼を露わにした。
名前の通り、緑色の翼が広げられる。その姿にホッとする。どうやら黒百合隊長の言っていた人物で間違いないらしい。
「連絡を受けて慌てて駆けつけたのだけれど、どうやらいらない心配だったようだね。新人怪物ちゃんたち、よくやったよ。お疲れ様」
にっこりと笑いかけてくるその表情は非常に穏やかだった。
回収したばかりの河童のハートを小雨ちゃんが無言で手渡すと、翠さんは静かに受け取り、軽く握りしめる。
「おやすみ、河童さん」
ひと言呟くと、河童のハートはぱちんと音を立てて消えてしまった。
この一か月近く、同じ光景を何度も目にしてきた。どうにかこうにか回収できたハートを藍さんに渡し、今みたいに封印されていくところを見守りながら、何度も何度もわたしは思ったのだった。
もしも、わたしの中にいるという赤い竜が事前に回収されていたら、今頃、わたしはどのような生活を送っていたのだろう、と。
ぼんやりと考えていると、胸がちくりと痛んだ。河童にハートを触れられたせいか、あるいはストレスか。いずれにせよ、今日はくたくただ。もう帰って眠りたい。
「さ、一緒に帰ろうか」
翠さんに微笑まれ、わたしは静かに頷いた。