4.もっともっと生きていこう
再び目を覚ました時、心は異様に軽かった。けれど、体がうまく動かなかった。目に映る手は、馴染みのある自分の手とはだいぶ違った。鱗があるし、ごつごつしている。たとえるならトカゲのような手。炎に包まれたせいかと一瞬思ったけれど、痛くも痒くもないし傷なんて一つもない。
ぼんやりとその手を見つめ続け、わたしはじわりと理解した。
ドラゴンの手だ。
間違いない。
背中に翼が生えただけではない。恐らく尻尾も生えているし、顔もだいぶ違っているのだろう。これまでにはなかったはずの感覚がある。
それを淡々と自覚していると、いつもと少し位置の違う耳に微かな物音が伝わってきた。
視線だけを動かして音の正体を探ると、そこには大剣を背負った真っ白な天狗がいた。白蓮様。鳥のお面で隠していても、その下に浮かぶ表情に警戒心があふれていることが伝わってくる。
面の下から覗く眼差しは、日の光のように輝いている。けれど、あまりにも冷たいものがあった。どうするつもりなのか。どうするつもりであったとしても、わたしは立ち上がることが出来なかった。
「お前の力は確かにすごい。だが、危険すぎる」
白蓮様は言った。
「前回と今回はうまくいった。それはいい。その力は役に立つ。しかし、その力が強大であればあるほど、反転した時の凶悪さを無視することは出来ない」
ならば、どうするつもりなのだろう。
じっと見上げるわたしを、白蓮様はただただ見下ろしていた。
このまま殺すつもりだろうか。動けない今がチャンスとその大剣を振るうつもりだろうか。だとしても、わたしは抵抗できそうになかった。
しかし、そんな時だった。ふわりと風が舞い、わたしと白蓮様の間に立つ者が現れた。青い羽根が視界の端々に散らばっていく。
藍さんだ。
「これは念のためよ」
軽く槍を構え、彼女は落ち着いた声で白蓮様に言った。
「決まりでは、隊長を交えた会議を通さない限り、牙を剥いてくる意思のない協力者に手を出すことは禁じられている。それは覚えているわね?」
気づけば、白蓮様の背後には銀様もいた。さり気なく銃を構えているらしい。さらに、上空には羽団扇を手にした翠さんもいた。
あの時の状況に似ている。月夜先輩を真昼ちゃんが連れ出してしまったあの時に。
だが、あの時と少し違う点もあった。それは、周囲の天狗たちを軽く睨みつけた白蓮様が、その後であっさりと大剣を手放してしまったことだ。
大剣は地面に落ちるなり崩れてしまう。その様子を見つめていると、白蓮様のどこか刺々しい声が聞こえてきた。
「勿論、覚えているさ。それに異論はない」
腑に落ちないところはあるのだろう。しかし、どうやら隊長に逆らうようなつもりはないらしい。
そのことにほっとした瞬間、眠気が生まれた。やはりあの力はそう簡単に再現できるものではないのだろう。ひょっとしたら、月夜先輩の時といい、今回といい、成功できたのは奇跡なのかもしれない。その奇跡には代償があるのかもしれない。
それでも、今だけはただ喜びを感じていたかった。
「マナ……」
囁くような声が聞こえ、わたしは閉じかけた瞼を開いた。
地面を這うような音が聞こえ、誰かがわたしに近づいてくる。どうにか体を捩り、仰向けになると、そんなわたしの右手をぎゅっと握ってくるものがいた。
小雨ちゃんだ。
その姿は、わたしのよく知っているものだった。
「マナ……ありがとう」
手を握るその力は弱弱しい。炎に包まれ、浄化されたばかりの体は万全ではないのだろう。それでも、意識はしっかりとしているし、小雨ちゃんの声で間違いない。その中にいるはずのメガセリオンは、すっかり力を弱めているのだろう。そこにはかつての強さもないかもしれない。それでも、小雨ちゃんは小雨ちゃんだ。そこに違いなんてない。
「でも、自分が情けないわ」
小雨ちゃんは言った。
「あなたの力に嫉妬して、結局、あなたに助けてもらった。今のわたしに戦うことは出来ないでしょうね。敵対者の討伐は勿論のこと、ハート回収すらままならない。何もできなくなってしまった。ただでさえ、月夜姉さんが戦えなくなったのに、わたしまで。天狗たちを手伝えないわたしは、ここにいる意味があるのかしら」
「……あるよ」
手を握ってもらっているうちに、体に残っていた力がすっと抜けていく。気づけばわたしの手は人間らしい見慣れたものに戻っていた。
「意味はあるよ。それに、何かできることだってきっとあるよ。月夜先輩だってそうじゃない。それに……それに、わたしは小雨ちゃんが生きていてくれるだけで十分だから……だからさ」
人間に戻ったその手で、わたしは小雨ちゃんの手を強く握り返した。
「だから、これからも一緒にいよう。一緒にもっともっと生きようよ。怪獣のままで、出来る限りずっと、さ」
「──マナ」
ただ生きながらえること。そこに意味はあるのか、役目はあるのか。
そんな事を考えてしまってはキリがない。特別な意味も役目もない者が生きていてはいけないなんて、誰が決めたのだというのだろう。ただ死にたくないから、なんとなく、生き続けるだけでもいいはずだ。そうだとわたしは信じたかった。
(まるで愛の告白のようだな)
レッドドラゴン様がそう言った。
確かにそうかもしれませんね。
軽くそんな事を思った時だった。
「そうだよなぁ。まだまだ死ぬには早いよなぁ」
ふとそんな声が聞こえてきた。いつの間にか、わたしと小雨ちゃんの傍に、第三者が顔を覗かせていた。西側の結界を守っていたはずの真昼ちゃんだ。
「討伐にハート回収だったっけ? 討伐はともかくさ、ハート回収なんてあたしたちにだって頑張れば出来るはずだよ。それに、あと少し経てば、林檎や蜜柑も成長するんだしさ。大丈夫、大丈夫。なんとかなるって。だから、元気出せよ、小雨!」
明るいその言葉と笑みに、わたしは心がすっと軽くなった。小雨ちゃんの心も少しは軽くなってくれればいいのだけれど。
少しだけ不安になったものの、すぐにその不安は消えた。小雨ちゃんの顔に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだからだ。
「……そうね」
彼女は静かに肯いた。
ちょうどそこへ、機械蝶々や先輩怪獣たちが近寄ってきた。皆、見守るように囲んでいたようだけれど、バタ子だけは感情を剥き出しにわたしの傍へと飛び込んできた。
『偉い! 偉いわ、マナ! お友達のためによく頑張ったわね。誇らしいわ! 今日はもうぐっすり寝なさい!』
機械でありながら愛情あふれるその声が、わたしには心地よかった。
こうして、これまでで最も恐ろしかった討伐劇は幕を閉じた。
全てが安心する結末なんてものじゃない。これからも怪獣は生まれるだろうし、今いる先輩たちが暴走してしまうことだってあるだろう。その度に、わたしの力が通用するとも限らないし、透の言葉に惑わされてわたし自身がおかしくなってしまう可能性だってないとはいえない。
それでも、今この瞬間はどうだろう。
月夜先輩も小雨ちゃんも落ち着いているし、わたしだって変わりはない。透が何を言おうと、突っぱねられる自信がある。ハート回収は真昼ちゃんの言う通り、皆でどうにか出来ているし、敵対者は来ていない。成長途中の林檎ちゃんや蜜柑ちゃんも日に日に出来ることが増えていく。
今は安定している。
それこそが重要なのだとわたしは信じたかった。
この先のことなんて分からない。未来のことなんて分からない。どんなに想定して、備えていたって、想定外の事で全てがなくなることだってあるだろう。
だから、わたしは今日を生きていきたい。
何百年先であっても、何千年先であっても、何万年先であっても、未来というものは今日という日の積み重ね。
そんな思いのもと、人間の心を捨てられない怪獣として、今日という日を大事にしながら生きていけたらと思うのだ。
「だからさ、これからも一緒にいてくれる? 生きて、生きて、生き飽きるまでずっと」
ありとあらゆる事柄が過ぎていったある日、眺めの丘で夕日を見ながらわたしは小雨ちゃんにそんな事を言った。
怪獣としての力を殆ど失ってしまっても、小雨ちゃんはあまり変わらない。いつもの黒猫のような眼差しをこちらにちらりと向けると、どこか気恥ずかしそうに俯きながら、呟いたのだった。
「わたしでよければ」




