4.バレンタインの贈り物
やっと会えた小雨ちゃんは、なんだか少し疲れているように見えた。
クールな表情はいつもと変わらないといえば変わらないけれど、とてもハードなことがあった日の帰り道のような気怠さを今日の小雨ちゃんから感じ取れた。
しかし考えてみれば、ここ最近はいつもそうかもしれない。
月夜先輩の分まで、小雨ちゃんがこれまでにないプレッシャーを背負うことになってしまっているのだとしたら、わたしには何ができるだろう。
特訓しかないのかな。
考えながら、それでも答えはなかなか見つからなくて、わたしは小雨ちゃんと並びながら、いつものように眺めの丘に立っていた。夕日が沈んでいく様子をしばらくぼーっと見つめ、ふとあることを思い出して、わたしは自分の鞄を漁った。
「そうそう、忘れるところだった」
取り出したのは、愛らしくラッピングされたプレゼントの包みだ。
今日はちょうどバレンタイン。恋する相手なんてわたしにはいないのだけれど、あげる相手は決まっている。
「バレンタインのチョコ。今年もちゃんと用意したんだ」
笑いかけながらそう言うと、小雨ちゃんは静かにプレゼントを受け取り、忘れかけていたかのような微笑みをそっと浮かべた。そして、同じく自身の鞄から燃え盛る炎のように真っ赤な包みを取り出した。
「わたしも用意していたのだけれど……危うく忘れてしまうところだったの。取りに戻ってよかった」
受け取りながら、わたしは苦笑した。
「ああ、忘れ物ってこれのことだったんだね」
「ええ。なんだか最近忙しいせいか、時間の感覚があいまいなの。せっかく用意していたのに、今日がバレンタインだってこともすっかり忘れていて……」
どこか遠い目で小雨ちゃんはそう言った。
夕日を見つめるその横顔がなんだか不穏で、わたしは慌てて声を弾ませ、小雨ちゃんに言ったのだった。
「ねえ、開けてもいい?」
「……うん」
バレンタインといえば楽しみなのがありとあらゆるチョコの商品だ。大切な人や家族にあげるのは勿論、自分で買うもの、友達にあげるもの、ありとあらゆるパターンに相応しい魅力的な商品が並ぶ。いっぱいあればあるほど、どれにするか悩ましいものだけれど、それだけにびっくりするくらい相応しい商品もあるもので。
「わあ、すごい。こんなのあるんだ!」
小雨ちゃんが選んでくれたチョコは、主にわたしが目を輝かせそうな、とてもリアルなドラゴン型のチョコだった。
きっとそれなりの値段はしただろう。食べるのが勿体無いくらいのクオリティ。ずっと飾っておきたくなるような、そんな商品だった。
(すごい……のだが、これ食べるんか? 食べるんか?)
レッドドラゴン様の声を聞き流しつつ、わたしは小雨ちゃんに言った。
「ありがとう。しばらく飾ってから食べようかな」
一方で、小雨ちゃんもまたわたしのあげたチョコを開けていた。出てきたのは、もちろん黒猫のデザインのチョコである。ライオンでもよかったのだけれど、小雨ちゃんといえばやっぱり猫のイメージが強かった。それに、黒猫のチョコというのは選択肢も多い。小雨ちゃんのイメージにぴったりな、何ならわたしの希望で食べているところを見せてほしい、できればその様子を一枚収めたいと思うようなチョコを選ぶことができたわけだ。
(怖いのお。ちょっとキモいのお)
レッドドラゴン様の言葉のナイフはひらりとかわすとして。
「かわいい……ありがと」
目を細める小雨ちゃんは最高に可愛かった。
さて、このささやかなプレゼントのやり取りが、少しでも小雨ちゃんの癒しになってくれればそれでいいのだけれど。
お互いにチョコを鞄にしまってしまうと、それからはまたしばらくの間、沈黙が流れてしまった。
沈黙が怖い。こういうときは無理に会話を続けなくたっていいとは思うのだけど、妙な焦りが今のわたしには生まれてしまう。小雨ちゃんは今、何を思い、何を考えているのか。すぐ隣に立っているのに、全く分からないのがもどかしかった。
「今日も特訓してきたそうね」
と、迷っている間に、小雨ちゃんの方から話を切り出してきた。
「ああ、うん。今日も先輩たちにお願いしてね。あと少しだと思うんだけどね。でも、強くなったって褒めてもらっちゃった。今のわたし、雫先輩の水にも勝てるんだ」
「そう……それは心強いわね」
「小雨ちゃんの方は……今日はどうだったの?」
そっと問い返すと、小雨ちゃんは猫のような目でわたしを少し見上げ、答えた。
「そうね。昨日とあまり変わらない……って感じかしら」
そして、再び前をじっと見つめ、もうすっかり夕日の沈んでしまった山際の、薄っすら残った明るみを見つめていた。
「月夜姉さんがこれまでどうしていたのか聞きながら、同じことができないか頑張ってみているの。でも、まだまだね。今のわたしでは銀様の手助けにもなっていないかも」
「そ、そんなことないと思うよ……」
「いいえ、そうなの。わたしが恵まれたのは属性だけ。あなたのような不思議な力も目覚めてはいない。メガセリオンにだって、何か特殊な能力はあるかもしれないけれど、まだ何も思い出せないのですって」
そして、小雨ちゃんはうんと小さな声で呟いた。
「思い出せたら、あなたの助けになるかもしれないのに」
「助けに?」
「時々不安になるの。あの力……月夜姉さんを助けてくれたあの力は、どれだけあなたの体の負担となるのだろうって。同じことがわたしにも出来れば、あなたの負担はぐっと軽くなるはずなのに……って」
「大丈夫だよ」
わたしは思わずそう言った。
「焦る必要なんてないもの。わたしは大丈夫だし、小雨ちゃんだって、わたしよりずっと役に立っているし。ほら、前に聞いたことなかったっけ。こういうのってさ、気楽に構えていた方がいいんだよ……」
それが難しいことでもあるのだけれど。
元気づけようとして言ったこの言葉も、きっと空回りしただろう。でも、小雨ちゃんはそんなわたしを見つめ、少しだけ笑ってくれた。
きっと無理に笑ってくれたのだと、わたしは少しだけ察した。
それ以上、何も言わずに、わたしはただただ願っていた。
また来年も、今日みたいにチョコを渡しあえる日が来てほしい、と。




