3.イルミネーションを眺めながら
年の瀬の押し迫る繁華街。街路樹のイルミネーションがクリスマス間近の浮かれた雰囲気を生み出している中、けれど、わたしと小雨ちゃんの間に流れる空気は重たかった。
天狗たちのお屋敷を去った後、街に行ってみないかと誘ったのはわたしである。何となくあのまま解散して真っすぐ帰る事が少し怖くて、わざわざバスに乗り込んで、地元でもイルミネーションの華やかさで有名な繁華街まで繰り出したのだ。お店に入れば遅くなってしまう。結局は、行って帰るだけとなってしまうことは分かっていたし、そこにあまり意味がない事を小雨ちゃんも感じていたかもしれない。けれど、小雨ちゃんは同意した。
そうして、わたし達はここへ来た。来たのはいいけれど、町がいくら楽しそうであっても、その明るさが今のわたし達の心に都合よく伝染することはなかった。むしろ、賑やかであればあるほど寂しさを感じてしまうのは何故だろう。
思わずため息を吐いてしまい、小雨ちゃんの視線を感じた。わたしは慌てて自分の頬をぱしりと叩き、小雨ちゃんに言った。
「ごめん。せっかく誘っておいてこんなテンション、駄目だよね」
「別にいい」
小雨ちゃんは静かに言った。
「気にしていないもの」
しかし、小雨ちゃんの表情は暗かった。ぼんやりと彼女はクリスマスらしいイルミネーションを眺めている。サンタとか、トナカイとか、クリスマスツリーとか、この世界の明るい部分をかき集めたような光の展示を前に、憂鬱そうな表情を浮かべていた。そんな彼女の表情を見つめ、わたしはふと去年のクリスマスのことを思い出していた。
去年はわたし達、中学生だった。中学三年生。高校受験の息抜きに、このイルミネーションを見に来たのだ。あの頃は、わたしも小雨ちゃんも人間だった。怪獣などではなく、人間の子どもとして、当たり前の悩みや当たり前の楽しみと共に暮らしていた。怪獣なんて存在も、天狗なんて存在も知らないまま、平和に暮らしていた。
それが、たった一年で、大きく変わってしまうなんて。
「ねえ、マナ」
と、その時、小雨ちゃんがふと口を開いた。
「黒百合隊長の話、どう思った?」
「どうって?」
「透の事。彼女には彼女の目的がある。怪獣に寄生された人の幸せは、無理に人間であり続けることではないって思っているみたいだけれど」
「……そっちに賛同する人もいるんだろうね」
わたしは小声で答えた。
「でも、わたしは違うよ。だって、そっちに賛同したら、これまでの生活が大きく変わっちゃうじゃない。家族だって、学校の友達だって、違う世界の人たちになっちゃう。怪獣が怪獣らしくあろうとしたらさ、天子みたいに人の心を殺伐とさせたり、オロチみたいに災害を起こしたりしちゃうわけでしょう。わたしはその方が嫌だ」
「そうよね。わたしもそう思う」
そう言って、小雨ちゃんはすっとわたしを見つめてきた。
だが、その表情は美少女というよりも、夜道で出会った猫のような印象があった。どこか距離を感じるというか。
「けれど、マナ。わたしは何だか不安になってしまったの。乙女先輩だってそう思い続けてきたのでしょう。だから、百年も天狗様たちの味方として人間たちの社会を守り続けてきた。だから、十年もただひたすらオロチを追いかけ続けることが出来た。それなのに、彼女は怪獣になってしまった」
「それは……透のせいだって」
「ええ、そこが怖いの」
小雨ちゃんは周囲を窺いつつ、小さな声で続ける。
「隊長の話からするに、透には未知の力があるというわけではない。ただ、殺せず、殺されないだけ。神がかった不思議な力があるわけじゃない。それでも、言葉で人の心を追い込むことが出来る。わたしやあなたが彼女の言葉に惑わされない保障なんてどこにある?」
「確かに……そうかも──」
少しだけ同意を示しかけてしまい、わたしは慌てて首を振った。いけない。こういう気持ちでいるのが危ないのだ。透だってそうなのだろう。わたし達が戸惑うことを狙って、そこを突くのが彼女なのだろうから。
(マナ、そなたはもっと人間のままでいたいか?)
レッドドラゴン様の声がふと聞こえ、わたしは心の中で答えた。
はい、人間のままでいたいです。
透がどのように考えた結果、怪獣は怪獣であるべきと結論に至ったのかは分からない。そこには、長く生きる元天狗だか天使だからしい、人間ではない者ならではの視点があるのかもしれない。わたしには到底想像も及ばないような理想や、合理性があるのかもしれない。けれど、だからと言って、わたしのこれまでの当たり前の幸せを、いたずらにかき乱されることは御免だった。
人間のまま、幸せに暮らしたいです。
(そうか。その気持ちが変わらぬ限りは我もそなたと同じだ。そなたがあるべき理想を掲げるならば、我は従うまで。それが、寄生してようやくこの世に存在できる我ら怪獣と、そなたら宿主の関係なのだ。良いか、マナ。我らの未来はそなた次第だ)
穏やかな声に勇気づけられながら、わたしは口を開いた。
「いや、小雨ちゃん。保障なんてなくたって、今から心配しすぎることはないよ」
真正面から向き合って、わたしは小雨ちゃんに訴えた。
「まだ何も分からない未来に怯える事はやめよう!」
それは、ひょっとしたら小雨ちゃんにとっては有難迷惑な、それでも、わたしにとっては懸命の、訴えだった。




