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怪獣たちのハート  作者: ねこじゃ・じぇねこ
5章 楽しい夏休み─8月
18/48

2.残された宿題

 時計の針の音だけが響いている。汗が流れる音さえ聞こえてきそうな静寂の中、わたしは黙々と夏休みの課題を片付けていた。問題集を解くだけの作業なのだが、それだけの作業に集中できないのはどうしてだろう。シャーペンの芯が折れるたびに、問題集を閉じたくなってしまう。

 しかし、ここは自習室と化した会議室。課題をやる手を止めたところで暇つぶしになるようなものはない。共に課題に取り組む小雨ちゃんが同じように手を止めて雑談をしてくれるわけがない。真昼ちゃんの方はというと、わたしよりも頻繁に集中力が途切れるようで鼻歌交じりにペンを回したり、あからさまに項垂れたりするのだが、かといって話しかける勇気はわたしにはなかった。

 何故なら、この自習室にはきちんとした監督がいるのだ。冷たい目──いや、眠たそうなと言うべきなのだろうか──で、こちらを見守る藍さんである。


「どうしたの、マナ。手が止まっているようだけれど」

「あ、いえ、ちょっと休憩しているだけです」


 タジタジとなりながらそう言って、わたしは再びペンを握り直した。大人しく課題に取り組みながら、心の何処かで藍さんから放たれるプレッシャーに怯んでいた。

 別に嫌がらせをされているわけではない。ある意味では善意のもとである。怪獣となってしまったとはいえ、わたし達は高校生。これからも人間社会に溶け込みながら生きる以上、学業は疎かにしてはならないと黒百合隊長が常に言っている。それはどうやら藍さんも同じ意見のようで、だったら集中させて短期間で終わらせるべきだと自ら監督官を名乗り出た。


 一応断っておくが、天狗たちは全員味方である。もちろん、中にはちょっと苦手な相手もいる。たとえば白蓮様はその威圧感が怖くて、個人的に話そうと思ったこともない。黒百合隊長もまた緊張してしまうから同じだ。しかし、中には翠さんや銀様のように穏やかだったり、フレンドリーだったりする天狗もいるし、林檎ちゃんや蜜柑ちゃんのように癒し系の天狗もいる。


 けれど、藍さんは──。


 背筋がぶるりと震える。思い出すのは先月の夏休み前の出来事だ。天狗たちに反旗を翻した九尾のハートを持っていた天子。その最期の瞬間を目の当たりにしたショックは、あの頃に比べてだいぶマシにはなったけれど、いまだに夢に見てしまうことがある。

 怪獣になって四か月ほど。不死身となったこの身体を駆使し続けていくうちに、気づけばわたしは死というものの恐怖を忘れてしまっている。病気も、事故も、傷害も、わたしの命は奪えない。しかし、そんな世界であってもわたしを殺せる者はいる。

 白蓮様がその大剣で天子のハートを貫いた時、そのことをわたしは強く思い出したのだった。あの大剣はわたしのハートも貫ける。しかし、白蓮様だけではない。もう一人、確実に今のわたしの命を奪える天狗は存在する。

 それが、藍さんだ。

 透明の美しい槍を持っていた姿を思い出す。天子と戦った際も持っていたが、あの時はそこまでその力は発揮されなかった。彼女の槍が役に立つことがあるとすれば、水の力に弱い炎の力を宿す怪獣が暴れた時だろう。そしてそれは、わたしではない、とは限らないのだ。


(筆が止まっているぞ、相棒)


 ふと、レッドドラゴン様の声が頭に響いた。

 起きていたんですね。ちょっと考え事をしていただけです。

 そう心の中で答えつつ、わたしは再び問題を解き始めた。正直、頭には入らない。この課題が身になっているという実感は全く湧かないが、手が止まるよりはマシというものだ。


(緊張する気持ちは分かる。あの冷たい目はおっかないからな。しかし、そなたはまだ人間に近い。我もまたそなたの影響で人間に近い存在だと言えるだろう。天狗というものは人間に優しい生き物だ。そこは心配するな)


 分かっていますとも。

 課題を進めながら、わたしは心の中で肯いた。

 藍さんに対する緊張は、藍さん自身の態度のせいではない。藍さんはいつも気遣ってくれているように思う。いつかその時が来るのだとしても、そうでない間はわたしの事を普通の女子高生として扱ってくれている。

 それが分かっているからこそ、もどかしく思うのかもしれない。

 彼女を怖がる必要なんてないはずなのに、と。


(気にしすぎだ。天狗の方はそんなことをいちいち気にしたりしない)


 レッドドラゴン様にそう言われ、わたしは少しだけ冷静になった。

 あまり深く考えるのは止そう。気にすれば、気にするだけ、ぎこちない態度になってしまうかもしれないから。

 そんな事を思いながら黙々と課題を片付けていた、その時だった。

 すっと藍さんの前に何かが現れた。機械蝶々だ。バタ子ではない。紋白蝶の姿をしているということは、パピ子だ。


『隊長が呼んでいるわ』

「今すぐ?」


 パピ子はこくりと頷く。藍さんはそれを見ると、溜息交じりに立ち上がった。


「ちょっと席を外すけれど、真面目にやるのよ」


 そう言って藍さんが会議室を出て行くと、扉が閉められた瞬間に、真昼ちゃんが解き放たれたように背伸びをした。


「ふあー。ようやく怠けられるぜぇ!」

「真昼、半分以上残っているわ」


 冷たい小雨ちゃんのお小言に、真昼ちゃんはあからさまに嫌な顔をした。


「真面目だなぁ、小雨にゃんは」

「気色悪い呼び方しないで」

「いいじゃんか、そのくらい。はあ、それにしてもなんで宿題なんかせにゃならんのさ。アタシら怪獣だぜ? 人間じゃないのになぁんで真面目にやんなきゃならんのよ」

「高校生だからでしょ」


 小雨ちゃんの冷たいツッコミに、真昼ちゃんは猫のように身体をくねらせた。


「うむう、小雨ったら姉ちゃんと同じ事言うのな。平和な間は高校生として真面目に過ごせってさ。ゲーセンばっか行ってないで勉強しろだって」

「月夜先輩、心配しているんじゃない?」


 そっと訊ねてみると、真昼ちゃんは上目遣いでこちらを見つめてきた。


「そんなの分かってるさ。でも、家にいたって姉ちゃんはいないし、こんな地方じゃゲーセンとかカラオケくらいしか面白いとこないし」

「寂しいんだね、真昼ちゃん」


 わたしがそう言うと、真昼ちゃんは俯き加減に頷いた。


「しょうがないけどさ。姉ちゃんは頼れる怪獣なんだ。天狗さんたちも頼りにしているくらいだもん。でも、アタシ、本当は家で姉ちゃんと一緒にゲームしたくてさ。いっつもくたくたになって帰ってくるからそんなこと口が裂けても言えないんだけどさ……」


 しんみりとする真昼ちゃんを前にかけるべき言葉を探していると、小雨ちゃんが大きくため息を吐いてから問題集をぱたりと閉じた。


「真昼、あなたにはわたしやマナがいるでしょう? 宿題がぜんぶ終わったら、またゲーセンでもカラオケでも付き合ってあげるから機嫌を直しなさい」


 ぴしっと命じる小雨ちゃんのその姿に、何故だかわたしの心が鷲掴みにされてしまう。

 可愛い。小雨ちゃん可愛い。猫耳とか付けて今のポーズして欲しい。


(うわぁ……)


 竜にドン引きされたのはともかくとして、小雨ちゃんの言葉が少しは響いたのか、真昼ちゃんは軽く笑って手を挙げた。


「分かったよ。約束だかんね」


 そう言って真昼ちゃんは再び真面目に問題を解き始める。そのやり取りを見守りながら、たった今終わらせた問題集をぱたりと閉じて、課題一覧に線を引く。

 わたしの宿題は残り僅か。今日だけでだいぶ終わらせられたことを思うと、こういう機会を作ってもらえた有難みも分かるというものだ。


(……にしても)


 と、頭の中で呟く声が聞こえ、わたしは耳を傾けた。


(犬神は今も多忙か)


 そこですか。

 確かに、月夜先輩はたびたび駆り出されているという。

 それは確か、わたしには荷の重いハートの回収だったはず。あとは、諸々の仕事のため。手が足りない地域で怪獣騒動があった場合、隣町やその隣町、さらには市外にも呼び出されるなんて聞いたことがある。

 恐らくその為じゃないですかね。


(ふむ、なるほどな。憑依型の協力者はそれだけ貴重なのだろうな。だが、酷使して良いものなのか)


 心配しているのですか、レッドドラゴン様。

 そう言えば前もちらりとそんな事を言っていた気がする。憑依型はそれだけ負担が大きいのだと。想像するしかないのだけれど。


(我も分からぬ。我は相棒となった者に武器を授けた事しかないからの。だが、相棒の目を借りて何度もこの世界を見つめてきた。だからこそ、気になってしまうのかもしれない)


 その言葉を聞いて、わたしも何だか不安になってしまった。

 実際にこの赤い竜がどんな光景を見てきたのかは分からないのだけれど、天狗たちはどのように考え、どのような思いで月夜先輩を頼り続けているのだろうかと。

 そして、わたし達のことを、どのように捉えているのだろうかと。

 いくら考えたって答えは見つからない。

 本人たちに聞くなんてことも出来るわけがない。

 だからわたしは、浮かび上がったその疑問を飲み込んで、残された課題に集中するのだった。

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