4.誰にだって素敵な日
天狗や聖獣たちから解放されて、わたしは小雨ちゃんと二人きりで眺めの丘にいた。夕日が沈めば白蓮様は休み、その間は真昼ちゃんの姉である月夜という人が戦い始める。そんな彼女の戦いぶりも気になるところではあるが、今日の所は帰っていいとのことだった。
正直、疲れた。軽い気持ちで天狗たちのお屋敷に向かった時とは大違いだ。いつもならば体の損壊を伴う激しいお仕事に身を投じるのに、そんな事が一切なかった今日の方が疲れている気がするのは何故だろう。
プレッシャー。そういうものに、わたしはすこぶる弱いのだ。
「小雨ちゃんはさ、怖くない?」
雨上がりの空を照らす夕日を眺めながらわたしは問いかけた。我が愛しの幼馴染は、いつもと変わらぬ表情でまっすぐ前を見つめていた。
「怖いって、何が?」
問い返す声もいつもと変わらない。そんな彼女にわたしは言った。
「天子って人の事。わたし思いもしなかった。いつも何気なく暮らしている端で、天狗たちが毎日あんな風に戦っていたなんて。そして、その戦いの場に、わたしもまた身を投じるかもしれないなんて」
「マナは怖いの?」
さらに問い返されて、わたしは苦笑してしまった。
「怖いかも。……だって、怪獣には天狗を殺す力もあるんでしょう? もしも、この町を守っている天狗たちが全員やられちゃったら……そうなったら、この町はどうなっちゃうんだろう」
考えただけで寒気がする。
脳裏に焼き付いて離れないのは、傷ついて撤退する翠さんの姿だった。
(天狗共は無条件に人間たちに味方する者。いわば、この地の守り神のようなもの)
竜がわたしに語りかける。
(世に存在する怪獣を、善と悪に分けるのもまた彼らの習性。そんな天狗共がいなくなろうと我は一向に構わん。だが、相棒たるマナが嫌だと思うのなら、それはきっと良くないことなのだろうな)
穏やかな竜の声に、わたしはまたさらに不安な気持ちになった。
小雨ちゃんは夕日を眺めるのをやめて、わたしをじっと見つめてきた。
「そうならない為に、わたしや真昼たちがいるの」
静かな声で彼女は言った。そして不敵な笑みを浮かべて彼女は続ける。
「世界を闇黒に染めるメガセリオンの力。それを授かるブラックレインは完全無欠の怪獣。地の力は殆ど全ての属性に有利が取れる。おまけに今回の相手は、レッドドラゴンの炎がよく通る相手よ。レッドウィッチリー、どうして怖がる必要があるの?」
あ、まだ、その呼び方、廃れてなかったんだ。
けれど、言われた通りだ。相手がいかに怖かろうと、属性的に有利が取れるのならば、過剰に怖がる必要なんてないはずだ。
それに、怪獣には怪獣。止めをさすのは天狗であろうと、わたし達だって尾花を追い詰めるだけの銃弾となれるはず。
「大丈夫よ、マナ」
小雨ちゃんがふと真面目に言った。
「メガセリオンが言っていたの。せっかく友と再会し、楽しい未来を望むのならば、生き急ぐのは勿体無い。せめて千年はこの国で共に生きようって」
明日かもしれないし、千年先かもしれない。
その言葉を思い出して、わたしは静かに頷いた。
今日出会った聖獣たちは、いったいどのくらいの時を生きているのだろう。天狗たちとは違って彼女たちは、みんな昔は人間だった。けれど、自らの手で人間をやめて、何年も年を取らずに生き続けている。
天狗たちと共に戦いの場に身を投じたベテラン怪獣たちだっている。たま、そして雫という名のあの二人もまた、同じ年頃に見えたけれど同じ年代生まれとは限らない。
「千年先か。果てしないね」
わたしが呟く横で、小雨ちゃんもまたため息をついて再び夕焼け空を見上げた。
「そうね。歳を数えるのも馬鹿らしくなるのでしょうね」
歳を数えるのも。
その言葉にわたしはハッと思い出した。
「いけない!」
今日一番の目的を、危うく忘れてしまうところだった。手提げ袋の中を漁り、幸いにも大して濡れることのなかったその包みを取り出すと、わたしは改めて小雨ちゃんの方を向いた。
「小雨ちゃん……誕生日おめでとう!」
そう言って包みを手渡すと、小雨ちゃんは少しだけ決まりが悪そうに目を逸らしつつ、受け取ってくれた。
「べ、別に催促したわけじゃないんだからね」
「分かっているって」
そう、本日。六月六日は小雨ちゃんの誕生日。
午前六時に生まれたそうで、六の並ぶ不吉な数字をむしろ喜んで語りたがる稀有な美少女。それが我が自慢の幼馴染だ。
そんな彼女もわたしから少し遅れて十六歳になった。
これから先、本当に年を数えるのが馬鹿らしくなっていくこともあるだろう。むしろ、それを理想に生き抜いていくことになるだろう。
でも、だとしても、わたしはまだ自分や友達の誕生日を祝う心を忘れるには若かった。
(ほーん、誕生日かぁ。よく知らんが、きっと美味しいものを食べるんだろうなぁ)
頭の中で響く竜の声には答えずに、わたしは小雨ちゃんに問いかけた。
「ねえ、小雨ちゃん。今日はもう遅いけれどさ、もしよかったら今度、一緒にご飯食べに行かない? お誕生日のお祝いに、ファミレスでよかったらおごってあげる」
すると、小雨ちゃんは恥ずかしそうに俯き、小さくこくりと頷いた。そして、ふと気づいたように顔をあげると、小雨ちゃんはわたしの顔を見つめた。
「わたし、マナのお誕生日、ちゃんとお祝いしてない」
ちなみに、わたしの誕生日は四月四日の午前四時。学校の怪談的にはとても美味しい時刻に誕生した。絶賛春休み期間中でもあり、新しいクラスでお祝いしてもらうタイミングを逃しがちな不利な時期でもあるが、小雨ちゃんは当日にメッセージをくれたし、プレゼントも自宅まで届けてくれた。
「そうだっけ? プレゼントは貰ったはずだけど……」
問い返すと、小雨ちゃんは気まずそうな表情を浮かべて呟いた。
「ファミレス行くとき、マナのご飯代はわたしが払うから」
むっとしたその表情がわが友ながら愛らしくて、思わず笑ってしまった。
「分かった。じゃあ、そうしよっか。お互いにおごる日だね」
お互いにお互いのご飯代を払う。それって意味があるのか、なんて冷静に考えたら恐らく意味はないだろう。けれど、気持ちの問題だ。そして、一緒に祝うということ自体が大事なのだろう、と、小雨ちゃんの満足そうな微笑みを見つめてわたしは感じた。
(我らの注文はちいず・いん・はんばあぐ、と、小雨に伝えてくれ)
飢えたる竜の要望はさて置き、その日が今から楽しみだ。
「ねえ、マナ」
ふと名前を呼ばれて視線を向けると、小雨ちゃんはプレゼントの包みを手に持っていた。
「開けてもいい?」
「もちろん」
ちなみにプレゼントだが、相当迷った。小雨ちゃんが好きなものと聞かれれば、色々思いついてキリがなかった。もうすでに自分で買っていそうだったり、他の友達や家族に貰っていそうだったり。
迷いに迷った結果、わたしがたどり着いた結論は、わたし自身が小雨ちゃんに身に着けて貰いたいアイテムだった。冷静に考えるとちょっと気持ち悪いような気がしないでもないのだが……。
どきどきする中、小雨ちゃんは包みを開き、中のものを手に取った。
中身は、赤いレースのリボンカチューシャだ。猫耳カチューシャをチョイスしそうになる欲望を必死に抑えて選んだプレゼントなのだが、さて、小雨ちゃんの反応は。
「かわいい」
短く呟くと、小雨ちゃんは実にあっさりと頭につけてくれた。
はあ、ちょっと待って。思っていた以上によく似合う。はにかみながらわたしの贈ったアイテムを身につける小雨ちゃん。可愛すぎか。
この愛らしい姿を心のアルバムに焼き付けておこう。
(マナ、今のそなた、ちょっと気持ち悪いぞ。大丈夫か)
まずい。よこしまな心を読まれてしまった。気を付けよう。
さて、今日という日を過ごして、わたしは様々な事を知った。
人知れず危険な戦いに身を投じる天狗たちの事、その天狗たちに力を貸す聖獣、そしてベテラン怪獣の存在。彼らを前にたった一人で対等以上に立ち回る天子という人の存在。そのあらゆる真実を前に、わたしはとても疲れてしまったし、未来というものが怖くなっていた。
天子はどうして天狗たちに歯向かったのか。天子の姿は未来のわたしや小雨ちゃんではないのだろうか。どうあがいても、高校入学までのごく平凡な人生には戻れないと思うと、将来を悲観してしまいそうにもなる。
しかし、少なくとも今日、大好きな幼馴染の誕生日という特別な日と、そのおかげで生まれた少し先の楽しみな予定は、わたしにとって未来を明るくするささやかなスパイスになってくれた。
来年もまた、今日みたいに小雨ちゃんの誕生日をお祝いしたい。
そのためにも、この先、何が待ち受けていようと、恐れ過ぎずに強い心で立ち向かいたい。