3.だいぶ難しそうなお仕事
天子。その名前を教えられたのは、天狗たちのお屋敷を出発して、団地の外れに広がる森の中を歩いている時の事だった。
人気の少ないその森林は、すぐ近くに栄えた町があるなんて思えないほど鬱蒼としている。まるで、異世界にでも迷い込んだかのように静かだった。
時刻は昼過ぎ。相変わらず天候は悪い。しかし、傘をさすわけにはいかないようで、雨合羽を借りた状態で、わたしはおりん達に案内されていた。
「天子のハートは九尾の狐という怪物です。聞いたことありませんか。しっぽが九つある化け狐の話を」
おりんに言われ、わたしは小さく頷いた。
「……はい、なんとなくだけど」
ゲームや漫画、アニメなどでもよく見かける妖怪としてなら。
元々、どんな話が伝わっていたかはきちんと覚えているわけではなかったけれど、いずれにせよ今分かっているべきことはその正しい由来ではない。
敵対する者がいて、そこに「九尾の狐」のハートが宿っている。その人物の名前は天子であり、女性であることを覚えれば今はそれでいい。
あとは、その敵対者の顔を覚えるだけなのだが、案内された茂みの向こうにいたのは、天子だけではなかった。
「現在の時刻は昼。日の光の支配するこの時刻は、天狗様のなかでも強力な力をお持ちの白蓮様が休みなしに戦い続けます。日が沈むまでの間、ずっと」
おりんの言葉を聞きながら、わたしはじっと茂みの向こうに見た。その先には天狗たちや紋白蝶のような機械蝶々もいる。
だがわたしの視線が真っ先に向いたのは、その天狗の中の一人だった。
口元だけ開いた鴉のお面で素顔を隠し、悪天候の中でも目立つ真っ白な短い髪と、真っ白な翼を広げて戦っている。その気迫は遠くから見ていてもぞっとするほどのもので、その手に持っている大剣もまた、背筋が凍るほどの迫力があった。
きっと彼女が白蓮様なのだろう。
(おっかないな。あれに刺されれば、我は永い眠りにつき、そなたの命はシャボン玉のように儚く消えるだろう)
赤い竜の言葉を聞いて、ますます血の気が引いてしまった。
それは勘弁願いたいところだ。
どうせならわたしも、不老不死ならではの絶望とかを味わってみたい。
白蓮様は共に戦う天狗たちに指示を送る。その中には、同じように鴉のお面で素顔を隠す藍さんや翠さんもいた。もう一人の名も知らぬ天狗もまた白蓮様の指示に従って動いている。その様子から察するに、白蓮様という天狗こそがこの場を取り仕切るリーダーに違いなかった。
そして、次にわたしが見たのは四名の天狗たちを前に冷静さを失わない女性の姿だった。少しレトロな印象のボブカットに、目立つ黄色の動きにくそうな衣服。そして、おそろしく端麗な顔立ちだった。
恐らく彼女が天子だ。わたしや小雨ちゃんと同じような宿命を背負い、天狗たちに歯向かう道を選んでしまった悪しき怪物。
彼女は、綺麗であるという目立つ特徴こそあれども、下町に普通に暮らしていそうな人物にも見えた。少なくとも、この世界を滅ぼすほど凶悪な力を持っているようには見えない。
だが、天狗たちを前に戦う彼女の姿を見たならば、信じざるを得なかった。天狗たちがそれぞれ武器を手に飛び掛かると、天子の背後から狐のような尻尾が伸びて、攻撃を防いでしまうのだ。
響く音はまるで鋼のよう。きちんと九本あるその尾は、どうやらとても固いらしい。
「属性は……金?」
小雨ちゃんがそう言うと、同行していた真昼ちゃんがにやりと笑った。
「さすがは小雨。鋭いな。その通りだよ。九尾の属性は金。アタシの中にいる白虎と同じ」
「金って……どういう属性なんだっけ?」
思わず気になって訊ねると、それには傍にいたバタ子が答えてくれた。
『金は金属の金。鋼属性とも言えるわね。木を切り倒し、火炎に弱い。すなわち、あなたの炎にすこぶる弱い属性よ』
「そっか。そうだったね」
そうだった。四月の間に回収したハートたちは、どれも金属性だった。確かに炎の剣がよく効いたわけだけれど、ではあの相手にわたしの炎も通用するのかといえば──。
(通用する……はずなのだが)
レッドドラゴン様もいまいち自信が持てないようだが、その通り、今のわたしには大変難しい相手だという事がよく分かった。
天狗たちをまとめて相手している時点で次元が違う。いったい何がどうして敵対してしまったのだろうと嘆くほどに、天子はとても強い人物に見えた。
「あれを捕まえるって、マジ? そもそもちゃんと捕まるの?」
思わず正直な感想が漏れたが、小雨ちゃんがすぐに答えてくれた。
「確かに厳しそうに見えるけれど、怪獣だって無尽蔵のスタミナがあるわけじゃない。いつかは疲れるものだし、隙を見せる時は必ず来る。その際に、天狗たちと一緒にいるあの紋白蝶みたいな機械蝶々──パピ子がターゲットを捕獲するの」
『パピ子の捕獲した怪獣は、わたしの生み出す結界の中に転送されるの』
チョウ子が教えてくれた。
『転送が完了するまでに聖獣たちも結界を渡って、その後はさっき話した通りの手順で封印するのよ』
「その間、天狗の皆さんは戦いっぱなしなんですか?」
わたしの問いに、今度は真昼ちゃんが答えた。
「交代交代ってところだね。でも、日中はあの白蓮様が戦いっぱなしなんだ」
「じゃあ、夜は?」
素朴な疑問に真昼ちゃんはにっと笑った。
「夜には夜の戦士がいる。アタシの姉ちゃんだ」
「お姉ちゃん?」
問い返すと、反対隣にいた小雨ちゃんが教えてくれた。
「この子のお姉ちゃん──月夜はわたし達と同じ怪獣なの。それも、強力な憑依型の怪獣。日の力の弱まる夜の時間に活躍する頼れる味方よ」
「白蓮様が休んでいる間は、姉ちゃんの出番なんだ。『犬神』のハートの力をその身に宿してこの町のために戦ってくれる。実を言うとアタシはさ、そんな姉ちゃんを支えたくて聖獣になったんだ」
照れ笑いする真昼ちゃんの姿に、わたしは惚けてしまった。
もしかしたら、ここにいる聖獣の子たちも真昼ちゃんのような事情があって聖獣になったのだろうか。気になるところではあるが、おりんを始め、誰一人として口を開いてくれそうになかった。
(苦戦しておるようだの)
竜の声が聞こえ、わたしは再び茂みの向こうを見た。そして、眉をひそめてしまった。翠さんが傷を負っている。庇うように藍さんがその前に立ち、何かを告げていた。渋い表情で白蓮様が叫んだ。
「いいから退け!」
その鋭い怒鳴り声は離れた場所にいるこちらまで届いた。
翠さんは奥歯を噛みしめつつ、翼を広げて飛び立っていった。
「あの怪我は……治る?」
呟くわたしに竜が答えた。
(天狗どもは人間たちよりも丈夫だ。しかしの、奴らにも弱点がある。我らの力だ。奴らが我らを殺せるように、我らは奴らを殺せるのだ。殺すと言っても、眠りにつかせるというくらいだが、戦力が殺がれてしまうのには変わりない)
じゃあ、翠さんは……。
嫌な予感がしたが、その不安を払ってくれたのがバタ子だった。
『あのくらいなら大丈夫よ。ただ、翠の属性は木。木は金に弱い。九尾の鋼のような尻尾に貫かれればひとたまりもないわ。怪獣も必死ならば天狗様たちも必死なの。だから、怪獣には怪獣。もう少ししたら、心強い助っ人がやってくるわ』
バタ子が言った傍から、反対側の茂みより戦いの場に飛び込んでくる者が現れた。二人いたがいずれも天狗ではない。何処からともなく武器を呼び出し、天狗から間合いを取る天子に容赦なく襲い掛かる。彼女たちもまた怪獣であることは一目瞭然だった。
「あの人たちは?」
呟くわたしにおりんが答えた。
「『猫又』のたまと『骨鯨』の雫です。それぞれ昔からの協力者たちで、これまで何度も敵対怪獣の封印に立ち会ってきました」
おりんの言う通り、たまと雫という二人の人物の動きは天狗たちに見劣りしないものだった。ベテラン怪獣というものなのだろう。怪獣歴二か月のわたしが羨むのは早すぎるかもしれないが、だとしても彼女たちの動きを見ていると、自信をなくしてしまいそうだ。
いつか彼女たちみたいな仕事を担うことがあるかもしれない。
けれど、わたしに出来るのだろうか。とても不安だった。
(弱気になっておるようだが心配はいらん。我の炎ならば誰であろうと燃やし尽くせる。竜を信じるのだ)
竜の声が頭に響く。
それでもわたしの不安が薄れるようなことはなかった。