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■9.怒り。

 日本国内に嚇怒が満ち満ちた。

 新聞社は号外を配り、テレビ局の一部は番組編成を変えた。予定通りの放映を決めた局も、バラエティ番組に激甚災害発生時のようなL字オビを入れて、画面に被害状況を表示するように工夫した。


 PAC3に撃墜された弾頭の破片が突き刺さった乗用車。

 炎上し続ける在日米軍基地の燃料タンク。

 爆風で薙ぎ倒され、あるいはクラスター爆弾によって引き裂かれた住宅街。

 消火と救助活動に奔走する消防隊。

 倒れた電柱に引っかかる遺体の一部。

 道に落ちる、持ち主がわからない指。

 それらを映した写真はSNSに大量アップロードされ、テレビ局は弾道弾炸裂の瞬間を映した視聴者提供の動画を繰り返し流した。


「朝鮮人民軍は今回の攻撃に核を使わなかった。これは彼らからの警告でしょう。日本政府が介入してくるなら許さない、という」

「少なく見積もっても100発以上のミサイル。自衛隊は何をしていたんですかねえ」

「弾道ミサイルは自衛隊基地ではなく、在日米軍基地とその周辺に被害をもたらしました。つまり今回の攻撃は、在日米軍基地を狙ったものでしょう。在日米軍基地がなければ、日本は攻撃されることはなかった」


 テレビ番組のコメンテーター達はしたり顔で無責任な発言を繰り返したが、市井の反応は様々であった。

 確かに朝鮮人民軍が在日米軍基地を狙って攻撃したのだとすれば、全ては在日米軍基地の巻き添え、ということになる。しかしながら、戦争が在日米軍の先制攻撃から始まったのならばともかく、半島危機の戦端を開いたのは北朝鮮であり、日本国内に弾道ミサイルを向けたのもまた北朝鮮だ。

 また非戦闘員と戦闘員を区別せずに殺傷する朝鮮人民軍の激しい砲爆撃の模様は、日本国内にも様々な形で伝わってきている。


 かくして一部の知識人・文化人や特定の支持者は在日米軍を非難したが、他方、多くの日本国民は至極まっとうな不満と疑問を抱いた。


――なぜ自衛隊は北朝鮮のミサイル基地を攻撃しなかったのか。


――なぜ日本政府は韓国国内で取り残されている日本国民を助けないのか。


 理由は単純で、陸海空自衛隊は一部を除いて海外を攻撃する装備品を持たないし、戦闘地帯から邦人を救助する法的根拠を持たないからであり、日本国民はこれまでそれを是としてきたのである。

 だが当事者である人々は、その事実に思い至ることはない。


 とある関西出身の報道番組司会者は、軍事評論家からのコメントを聞くなり、


「じゃあ日本政府と自衛隊は、韓国国内で日本国民が殺されたり、北朝鮮で次のミサイル発射の準備が進んでいたりしても、何も出来ない、やられっぱなしでいろと? それはちょっとボクらとしては納得できないですよねえ」


 と言ったが、それはまさしく大多数の国民の感情だったであろう。

 やられてやり返すことも出来なければ、さらなる攻撃を阻止することも出来ない――そんなことは納得出来ないし、一方的に反撃が封じられているのはフェアではない。自衛隊法で出来ないと決まっているのであれば、自衛隊法の方が間違っているのではないか。


(幸か不幸か、これで国内世論は自衛隊による邦人輸送に前向きになった。弾道ミサイルによる攻撃は存立危機事態、あるいは市街地に着弾した事実を鑑みれば武力攻撃事態――つまり自衛隊は法的に武力を行使出来るようになる)


 紺野防衛相は官邸にて関係省庁の担当者から報告を受ける合間に、スマホでニュースをチェックしたり、SNSで人々の反応を確認したりして、風向きが変わったことを感じ取った。


(国民の“お気持ち”に振り回されるようでしゃくだが、いま自衛隊を動かすには乗るしかない――このビッグウェーブに)


 端から邦人輸送を実施する腹積もりの和泉首相もまた、国内世論の高まりを最大限利用するつもりであった。

 加えて韓国国内からの自国民の避難は、日本政府だけの課題ではなく、各国政府の課題にもなっている。

 オーストラリア政府は避難民の輸送許可が下りることを見越して、空海軍の派遣を決定していたし、欧州各国は米国政府・韓国政府に自国民の保護と海外輸送を要請していた。空路・海路ともに国際線が運航を停止する中で、日本政府のもとにも、各国政府から自衛隊の輸送力に期待する声が水面下で寄せられている。

 しかし、その度に日本政府関係者は、「我々も自衛隊による輸送を検討しているのだが、韓国政府が協議に応じないのだ」とプレッシャーが韓国政府に向くように仕向けていた。


 一方で、これを好機と捉えたのは和泉内閣の関係者だけではない。


 リベラル政党を自認する憲政民主党――その中でも旧社会党出身者が多い派閥“黒樫グループ”の国会議員数名が、黒樫くろかしひろし衆議院議員の議員会館事務室に集まっていた。


「大変なことになった」


 と、黒樫はソファにかけた議員らを前にそう言ったが、言葉とは裏腹にその表情は緩んでいる。

 決して口には出さないが、長年に亘って反・在日米軍基地運動に取り組んできた彼からすれば、朝鮮人民軍による在日米軍基地への攻撃は、歓迎すべき事態であった。当然、このあと和泉内閣は、自衛隊による邦人輸送を実施するだろう。あるいは今回の事態を武力攻撃事態、あるいは存立危機事態として自衛隊を動かすかもしれない。そこを指弾する。


「そうですね」


 いの一番に黒樫に同調したのは、清澄きよすみ佳乃よしの衆議院議員であった。


「自衛隊の紛争地域への派遣は、平和主義を無視していますよ。断固としてあたしらは戦うべきでしょうね。だいたいが朝鮮半島の内戦であって……日本の観光客が巻き込まれているという証拠もないですし」


 当選回数8回、憲政民主党幹部も務める清澄議員だが、彼女が大変だと同調したのは、朝鮮人民軍によって日本国民の生命が脅かされていることに対してではなく、和泉内閣が自衛隊を動かそうとしていることに対して、であった。

 朝鮮人民軍と韓国軍の衝突はいわば内戦なのだから、米国政府や日本政府の出る幕はない、日本政府による自衛隊派遣はいかなる形であっても他国の国内問題に対する介入である――という一般的には理解され難いであろう論理が、彼女の持論だ。

 他の議員も「北朝鮮の行動は一種の正当防衛ですな」と言ってのけた。


「国民の声を聞こうじゃないか」


 黒樫くろかしひろし衆議院議員は卓上に置かれたリモコンを掴むと、数分ザッピングして国会前に集まった抗議者集団を映す報道番組を見つけた。


「戦争やめろ!」「戦争やめろ!」

「米軍出てけ!」「米軍出てけ!」

「国民殺す米軍出てけ!」

「国民殺す米軍出てけ!」


 国会前には夜中にもかかわらず、無許可のデモ運動が繰り広げられている。テレビカメラが中継する映像からは、運動がかなりの盛り上がりを見せているように見える。だが黒樫は知っている。現実には、数十人が集まっているに過ぎない。それでも世論を作り出すことは出来る、と彼は思っていた。


(すべては演出だ)


 日本国民は愚かだ。反対運動を押し切って自衛隊を派遣する自由民権党という絵図を描いてやり、そこで護衛艦の1隻か2隻でも沈んで百名単位で自衛官が死ねば、内閣など容易に転覆できる――そうこのベテラン議員は読んでいた。

 それが絵に描いた餅になる可能性など、微塵も思い至らない。


 爆風で崩落した木造家屋の前で、子どもの名前を呼びながら泣き叫ぶ女性。


 それを映した動画が、SNSで拡散され、感情が共有され、義憤の嵐が吹き荒れる。


――日本国民われわれは愚かかもしれないが、しかし罪なき人々の死を許容するほど優しくはない。


 さて。静かに、密やかに、日本国内に怒りが満ち満ちていく一方、直接的な攻撃の標的となったアメリカ人らは、復讐心をたぎらせていた。

 在日米軍司令官とアメリカ空軍第5空軍司令官を兼任する初老の男、オリヴァー・マルティス空軍中将は、柔和な表情を顔面に張りつけたまま「中近世の専制政治に支配された北朝鮮をもうひとつ、ふたつ、つまり石器時代にまで戻してやる」と言った。

 勿論、彼の意志とは関係なく、米国政府は在韓米軍が朝鮮人民軍による攻撃を受けた時点で報復を決めていた。すでにアメリカインド太平洋軍司令部では、攻撃目標リストの作成を終えており、最優先目標は朝鮮人民軍戦略ロケット軍の基地、続いて北朝鮮領内の空軍基地・東海岸の海軍基地が挙げられていた。

 作戦名は、自由の突風。

 これはアメリカ空軍第5空軍第35戦闘航空団や、アメリカ海兵隊第12海兵航空群をはじめ、東アジア一円の空海戦力が参加する大規模作戦であり、朝鮮人民軍戦略ロケット軍の弾道ミサイル部隊・空軍基地を制圧することで、李恵姫の軍事的冒険に対する報復と、朝鮮半島における航空優勢を取り戻し、劣勢の韓国軍を支援しようというのが彼らの狙いであった。


「我々荒鷲が突風となって朝鮮半島を吹き抜ける」


 輸送機パイロットとして4000時間以上を空で過ごし、米空軍内の輸送畑・運用畑の主要ポストを歴任して現在に至るオリヴァー空軍中将は、平素からあまり強い物言いをしない穏やかな将官であったが、今日ばかりは違っていた。


「侵略を試みるクソガキに反省を促す方法は? そうだ、爆弾しかない。そして世界で最も速くその爆弾を届けることが出来るのは? そう、我々アメリカ空軍だ。諸君らの健闘に期待する!」


 オリヴァー空軍中将が檄を飛ばすのに前後して、自由の突風作戦は発動しようとしていた。




◇◆◇


次回更新は8月3日(火)を予定しております。

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