■72.発動、尖閣諸島奪還作戦。(後)
釣魚群島警備隊は魚釣島と久場島に分かれて駐留しているが、顧家正海軍少佐の悩みは魚釣島と久場島の両島間で相互に援護が出来ない点にあった。魚釣島と久場島は約30km離れている。無線機のみならず水陸両用指揮車が上陸したため、連絡を取り合うことは可能だが、物資の融通や兵員の交通には漁船を使わなければならない。
“JTF-防人”司令部はそこに目をつけた。まず釣魚島に係留されている漁船を爆撃、続けて砲塔がない代わりに長大なアンテナを有する指揮通信車とみられる装甲車輌を破壊し、魚釣島と久場島を孤立させてしまおうと考えたのである。
攻撃隊に抜擢された航空自衛隊第3航空団第302飛行隊の木戸慎一二等空尉は、作戦内容を知らされると「攻撃目標が漁船ったーね」とぼやいた。他の隊員らも同様であったが、しかしながら作戦の重要性は理解していた。
初撃の陣容は、F-35A戦闘機4機。2機はAIM-120Cを4発装備した護衛役。そして残る2機は、誘導爆弾を兵器庫内に2発、翼下に4発武装した攻撃役で、釣魚島を爆撃する。
第302飛行隊が作戦に選んだ時間帯は、払暁であった。
「グリフォン113、ドロップ」
「グリフォン114、ドロップ」
夜明け前、最も経済的な速度と飛行経路で尖閣諸島に近づき、水平線上が白みはじめた頃に彼らは誘導爆弾を切り離した。何の妨害もない。旧船着き場周辺に並んで繋がれている2隻の漁船は、1隻が直撃弾を受けて爆炎とともに消滅し、もう1隻も至近距離での炸裂によって船体が破壊され、浸水が始まっていた。
さらに魚釣島北部の海岸に配置されていた指揮通信車もまた、誘導爆弾の直撃を受けた。車体の大部分が空中に噴き上がり、炎を曳きながら落下する。炭で黒くなすったような焦土の上に、燃える残骸がぶちまけられた。
「フロッグ、こちらシーロード。接近する機影あり。方位290、速度約620マイル(時速約1000km)」
「シーロード。フロッグ221了解」
久場島への航空攻撃を担う第二陣――4機のF-35Aへ、戦闘哨戒任務中だった第16航空旅団所属のJ-11A戦闘機2機が急接近する。
ところがこの敵機は後方に控える早期警戒管制機に瞬く間に捕捉された。続けて護衛を務めるF-35Aペアの片割れによって観測されると、その相方が放ったAIM-120Cの攻撃に晒されて久場島から数km離れたところで爆散した。
ただし彼らJ-11Aは犬死に終わったわけではなく、世界一高価な“炭鉱のカナリア”としての役目を果たした。
火を噴きながら海面に叩きつけられる鋼鉄の塊を目撃した久場島の林影海軍大尉は、「空襲だ、退避しろ!」と周囲に怒鳴り、陸戦隊員たちを避難させた。その十数分後、12発の誘導爆弾が久場島周辺を揺るがし、立ち上った複数本の黒煙が空を濁らせた。
「久場島と連絡する手段が失われました」
魚釣島の任志廷海軍曹長と顧家正海軍少佐は、すぐに自衛隊の意図を悟った。
指揮通信車と漁船が破壊された上に、携行型の無線通信機を潰すための強力な妨害電波――偶然ではありえない。
どうしますか、と任志廷曹長は無言のうちに問う。
「いまは耐えるしかない」とだけ顧家正少佐は言った。
対空レーダーによる支援がなく、敵の接近がわからない状況下では、手持ちの携帯地対空ミサイルで固定翼機を撃退するのは困難だ。空海軍が敵を叩きのめしてくれることを期待するしかない。
が、そうならなかった場合は――。
「どうしますか」
と、任志廷曹長ははっきりと言葉を発した。
抗戦か、降伏か――顧家正少佐は難しい問題だ、と思った。
彼にとってそれは、勇壮な最期を迎えるかそれとも卑怯者として生き残るか、というような道義的な問題ではなく、戦術的な問題である。
中国人民解放軍東部戦区共同作戦司令部が、釣魚群島に近づく自衛隊機や護衛艦に対する反撃を考えているならば、1分1秒でも長く持久すべきだろう。もしも司令部に釣魚群島を救援する腹積もりがないのならば、部下の生命を守るためにさっさと降伏した方がよい。
他方、中国共産党中央軍事委員会参謀部に、釣魚群島を救援する気はさらさらなかった。
彼らも馬鹿ではない。妨害電波や哨戒中の戦闘機が撃墜されたことや、海上自衛隊の哨戒機とおぼしき機体が釣魚群島の周辺海域に出没していることから、自衛隊の反攻を予期していた。
しかし前述の通り、華鉄一国家主席の指示は「選択と集中を徹底せよ」であったため、自衛隊の反攻部隊を撃退できる有力な機動戦力を投入するつもりは彼らにはなかった。
反撃の望みがあるとすれば、釣魚群島の軍事拠点化を発表した際に、釣魚群島南方の海底地溝へ差し向けた1隻の039型潜水艦であったが、これはP-1哨戒機に追い回された上、沈黙のうちに撃沈の憂き目にあっていた。
故に航空自衛隊・海上自衛隊による行動を阻むものは何もなく、魚釣島と久場島はF-35A戦闘機による空爆に連日晒され、降伏を呼びかけるP-1哨戒機の“紙爆弾”さえも浴びた。




