■7.国境会戦。(後)
「1日でどの程度殺せた?」
平壌郊外の地下司令部――李恵姫は食堂にて遅めの昼食を摂り終えると、戦争指導のための指揮所へ移動し、最敬礼した左右にそう尋ねた。
壁紙も張られていない冷たい壁の前に立つ軍関係者は、困惑気味に視線を交わし合った。李恵姫の気性は兄よりも穏やかなことで知られている。政敵に対しても温情的であり、左遷するに留め、目障りな重臣を射殺して犬に食わせる兄のような所業に手を染めることはない。しかしながら彼女の南朝鮮に対する敵愾心はポーズではなく、筋金入りだった。
「こちらをご覧ください」
卓上に広げられた地図を使って、ひとりの作戦参謀が説明を開始した。
朝鮮人民軍の侵攻路は3つ。
まずは坡州市から高陽市を経てソウル市に至る西部侵攻路だ。このルートは多数の河川が横たわっており、また韓国陸軍第1軍団・第1師団を破ってもなお、韓国陸軍第9師団や第30装甲旅団をはじめ多くの韓国陸軍正規部隊が待ち構えているため、当初から激戦が予想されていた。
その一方で別方面に比較すると地形は平坦であり、朝鮮人民軍の機械化・自動車化部隊も行動しやすく、現時点では最も攻略が順調に進んでいる。
「すでに第4軍団の先鋒は高陽市に突入いたしました」
自然、作戦参謀らの声も弾む。
しかし李恵姫は固い表情を崩さず「こちらの方面はあまり順調そうではないな」と指摘した。続けて彼女が指さしてみせたのは、ソウル市北方――東豆川市・抱川市から楊州市を経て、ソウル市の玄関口となる議政府市に迫る中央侵攻路である。
「山間部だからか?」
「仰るとおりであります」
東豆川市・抱川市は山々の合間に市街地や鉄道、高速道路が集中するエリアだ。朝鮮人民軍の機械化部隊の進撃路は自然、限定される。そこへ韓国陸軍の火力が集中し、かなりの損害が出ていた。
(韓国軍攻撃ヘリ※1)
加えて韓国陸軍第901航空大隊のAH-64や、第103航空大隊のAH-1の存在が厄介であった。彼らは地表を這うように動き回り、朝鮮人民軍の車列に忍び寄ると、突如として対戦車ミサイルやロケット弾の連続発射を浴びせてくるのである。こうした事態に備えて朝鮮人民軍の主力戦車や歩兵戦闘車はみな携帯式地対空ミサイルを備えているのだが、攻撃ヘリは山地や丘陵を遮蔽として接近してくるため、先んじて地対空ミサイルで撃退することが難しいのであった。
さらにこの方面の攻略を担当する朝鮮人民軍第2軍団の行く手には、必ず韓国陸軍第5軍団第1装甲旅団が立ち塞がった。この第1装甲旅団は3個戦車大隊・2個機械化歩兵大隊・1個砲兵大隊から成る部隊であり、開戦直後の奇襲で大損害を受けたものの、それでも諦めずに抱川市にて頑強な抵抗を続けていた。
その道々を見下ろす山地では、彼我の軽歩兵部隊が激しい攻防戦を繰り広げている。概して朝鮮人民軍が数で圧し、じりじりと前進する形になっているのだが、防御する韓国陸軍も粘り強い。
迫撃砲や対戦車ロケットを山地や丘陵まで上げて攻撃するのは勿論、105mm戦車砲を最大仰角にまで持ち上げたK1E1戦車が榴弾を連続射撃するなど、とにかく韓国陸軍前線部隊はとにかくありったけの火力をぶつけてきていた。
李恵姫は溜息をついたが、それと同時に「やむをえまい」とも言った。
「なかなか難しいが、対策は君たちプロに任せよう。西部ルートからソウルを陥とせるのであれば、それでも構わない」
「はっ」
最後となる3つ目の侵攻路は東海(日本海)沿岸を南進するルートである。
山岳と海に挟まれたこの方面は、両陣営にとってあまり重要ではない。韓国陸軍の多くの正規師団はソウル市周辺の防御に張りついているため、朝鮮人民軍は比較的容易に歩を進めており、さしたる損害もないままに韓国北東部・高城郡の郡庁を陥とすことに成功していた。
「素晴らしい。1日も経たず、これだけの戦果を挙げられたのは君たちの努力の成果だ」
李恵姫はそう左右を褒めながらも、一方で釘を刺すことも忘れなかった。
「ただし今後もこれだけは忘れるな。南傀儡政権の勢力圏にいる連中は……外国人も保護せずに可能な限り速やかに殺害すること。そして南傀儡政権軍の将兵を捕虜にするな。いや、捕虜にしても構わない。が、武装解除して後送したあとは殺せ」
勿論です、と幹部らはうなずいた。
彼らは実際、人口密集地に対して激しい砲爆撃を行っていた。純軍事的な効果はあまりない。あるとすれば、韓国軍の膨大な人的資源の一部を削れることと、動員を妨害できることくらいであろうか。
その後、李恵姫は幾つかの質問をし、参謀らはそれに対して率直に返答した。
特に彼女が気にしたのは、韓国陸軍の対砲兵射撃による損害である。朝鮮人民軍が長距離火砲で韓国陸軍を攻撃出来るように、韓国陸軍もまた玄武巡航・弾道ミサイルやMLRSで、朝鮮人民軍砲兵部隊を攻撃出来るのだ。
「玄武弾道ミサイルに対し、我が軍には防御手段がありません。今後、敵の観測・情報共有手段が確立されれば、自走化されていない砲兵旅団は生き残れないでしょう。敵ロケット砲による攻撃も脅威で、陣地転換を怠った我が砲兵部隊が、壊滅的打撃を被りました」
「玄武巡航ミサイルの射程は、我が領内全域を覆っています。すでに幾つかの航空基地の滑走路が破壊され、航空作戦に支障が出始めています」
事前のレポートでは、韓国陸軍の巡航・弾道ミサイルを含む砲兵部隊が十全に反撃態勢をとれた場合、朝鮮人民軍砲兵部隊の半数近くが餌食になるだろう、という悲観的観測がなされていたほどである。
その後、2、3の質疑応答が交わされる中、事態は動いた。
「日本国内の協力者からの通報です。日本国三沢市に駐屯するアメリカ第5空軍第35戦闘航空団のF-16戦闘機が出動した、とのことです。
朝鮮人民軍の協力者は日本国内に多数潜伏しており、在日米軍基地の動向を探っていた。情報のやり取りは、運営が半ば放棄されているVRオンラインゲーム(渾名は“クソゲーオンライン”)内において手話で行われており、米軍関係者が勘づく可能性は低い。ログさえ残らない。
「我が軍は漁郎基地より第8航空師団の戦闘機連隊を迎撃に上げました」
「閣下、ご決断を――」
む、と李恵姫は唸った。
朝鮮人民軍は未だ在日米軍基地に対する攻撃を実施していなかった。
理由はふたつある。
まず彼女はアメリカ軍や日本国民に対してさしたる興味を抱いておらず、準中距離弾道ミサイルを在日米軍基地に撃ちこむのであれば、釜山港や済州島へ発射し、ひとりでも多くの自称・韓国人を殺戮した方がよいと思っていたからだ。
もうひとつは在日米軍基地と自衛隊基地は隣接しているがために、在日米軍基地に対する攻撃は、日本政府の早期介入を招く可能性が高いと考えていたからである。
ただし李恵姫はいずれアメリカ軍との全面的な激突も避けられないと思っていたし、むしろそれは彼女の“望むところ”であった。
「合理的ではないな」
数秒後、彼女は自嘲した。
それで、全てが決定した。
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(※1)出典:大韓民国国軍公式flickr
ついに戦禍は日本にまで及びます。
次回更新は7月27日(火)午前6時を予定しております。