■66.鉄底海峡。(中)
中華民国陸軍澎湖防衛指揮部約8000名が全滅し、澎湖諸島の有人島すべての占領に成功した中国人民解放軍東部戦区共同作戦司令部は、華鉄一国家主席ら中国共産党首脳陣や中央軍事委員会参謀部のプレッシャーを受け、息つく暇もなく台湾本島強襲上陸作戦にとりかかろうとしていた。
しかしながら、東部戦区共同作戦司令部のスタッフらは、誰しもが再編成と計画の見直しのための時間が必要だ、と感じていた。
対日戦で想像以上の損害を被ったのみならず、与那国島等を占領し、台湾本島東方海域の海上優勢を確保して在日米軍の来援を妨害するという目標が達成出来なかった以上、事前の見通しよりも現実の戦況は厳しくなろう。
さらに台湾海軍による決死の反撃と、怒り狂った米軍の積極的な大陸沿岸部への攻撃が原因で、船腹は想定よりも早いペースで喪失している。金門県や馬祖列島の属する連江県は大陸に近接しているため問題はないが、十数の有人島から成る澎湖諸島の維持には一定の船腹を割かねばならない――それを護衛する艦艇もだ。東部戦区軍事需求局や動員局の関係者は、人間の限界に挑戦するがごとく連日の激務に就いているが、状況は悪化こそすれ好転はしない。
一方の中華民国国軍は、いよいよ本島決戦に臨む腹積もりであった。
緒戦で指揮機能を打撃された中華民国国軍であったが、アメリカ陸軍第1特殊部隊グループとともに台湾入りした軍事顧問団の支援によって米華連合作戦司令部が設置され、土壇場で迎撃態勢が整えられた。
アメリカ海軍第7艦隊の輸送船も続々と台湾本島に来着し、台湾北部の基隆市・新北市の港湾を利用して武器弾薬や兵員を降ろしていく。
より安全な台湾東部の宜蘭県・花蓮県の港湾や、砂浜海岸を利用することも一時は考えられていたが、両県ともに山岳部が多い。山間部を走る数少ない幹線道路を使い、膨大な物資を輸送するのはただでさえ骨が折れる。事故や航空攻撃で寸断されれば、目も当てられない。
ただ基隆市・新北市沖の海域は、大陸沿岸から250km程度しか離れていない。
福建省の海岸線に地対艦ミサイルを展開させて、アメリカ海軍の輸送船を攻撃するのはあまり現実的ではないだろう。が、内陸部にある官民共用空港から空対艦ミサイルを装備した航空機を出撃させ、航空攻撃を実施するのには容易な距離である。
そこで米軍の航空・海上輸送の護衛、その一端を担うこととなったのは、海上自衛隊第2護衛隊群をはじめとした水上部隊だった。
「これ実はあまり知られていないんですけど――味方の味方は味方なんですね」
だから米軍の行動をサポートし、台湾を救援するのは当然、というのが和泉首相の言い分であった。
「与那国島防衛成功を以て講和を試みるべきだ」「報復として東京が核攻撃を受けたらどうするのだ」とワイドショーの出演者たちはこぞって主張し、自由民権党の議員の一部もまたそうした意見を表明したが、実際のところ狂憤するアメリカ政府を横目に中国共産党政府と仲直り、というのは現実的ではない。足抜けなど、許されない。
無論、万が一ということも――つまり中国人民解放軍による核攻撃という可能性も皆無とはいえないのも事実であろう。
が、和泉首相は自身が責任を有する立場にあるにもかかわらず、「味方の味方は味方」で押し切った。
(馬鹿か勇者か。只人ではない――)
というのが、周囲の政治家の和泉首相に対する評価になりつつある。
それとは対照的に声望を落としつつある華鉄一国家主席の面子を保つため、いま1隻の航空母艦が針路を北東にとった。
穏やかな海に波を生みながら往くのは、満載排水量約8万5000トン、飛行甲板約320メートルを誇る巨艦。巨艦、というよりもその巨大な艦上構造物から見る者に“城塞”を連想させる怪物、003型航空母艦『河北』である。
彼女の最大の特徴は3基の電磁カタパルトと、実戦配備が始まったばかりのステルス艦上戦闘機J-35の運用能力を擁していることで、001型航空母艦『遼寧』・002型航空母艦『山東』とは一線を画す戦闘力を有する。いわば003型航空母艦は現代中国の経済力と科学技術の結晶であり、中華人民共和国の威信そのものであり、中国海軍どころか中国共産党の虎の子ともいうべき艦艇であった。
その『河北』は開戦以降、激戦が繰り広げられる東シナ海ではなく、比較的静穏な南シナ海にて任務に就いていた。これは、万が一のことがあっては困る、という軍高官の意図もあっただろうが、南シナ海に展開する哨戒部隊の援護や、バシー海峡周辺空域を押さえるという軍事的な狙いがあっての差配だった。
その後、一旦『河北』は中国人民解放軍南部戦区海軍・三亜総合保障基地(海南省三亜市)に帰投し、補給等を受け――そして台湾本島攻略作戦に加入すべく、海南島を逐電した。
無論、『河北』が単独で行動することはありえない。
中国人民解放軍海軍第9駆逐支隊の055型駆逐艦『大連』と052D型駆逐艦『昆明』・『長沙』が帯同する。
しかしながら『河北』の艦長を務める呉栄輝海軍大佐は、まったく安心していなかった。中国人民解放軍海軍の損失については箝口令が敷かれているが、呉栄輝は『遼寧』をはじめとする水上艦艇が次々と撃破されたことを知っている。
(孤中一擲(乾坤一擲)――)
呉栄輝はそう思わざるをえないし、実際そうだった。
003型航空母艦『河北』は掻き集められる戦力のごくごく一部に過ぎない。
中国人民解放軍は大勝負に出ようとしていた。




